第4話

文字数 9,983文字


4章
「ようやく毛が生えてきた」
「毛だけで良かった」
 鏡を見ている黄月にナツが声をかける。
「ああ、今度会ったら、あいつをぶっ飛ばしてやる」
 ナツは怒り心頭な黄月をよけて洗面台に向かう。
ナツたちは神社に帰らなかった。追っ手の襲撃に耐えられるようにもっと安全な場所へ移動したのだが、実際には人質を連れていたので杉乃のいる中立的場所を巻き込みたくなかったようだ。
「いっそのこと全部そってしまえばいいんじゃない?」
「そんなことできるか!」
 黄月が子狸をつかみ上げる。彼が怒っているのはナツの最初の戦いで式神に体の毛をむしられたことだ。いつの間にか、体毛を取られていたらしい。
「バランス重視だよ」
 結局のところ、ナツは陰陽師たちとケンカ別れしてきた。ナツの中で彼らへの不信が大きくなったので、一緒に行動するわけにはいかなくなった。
「追跡は来ないのだろうか?」
 ナツが話題を変えるために話す。
「うん。でも、逃がしてもらったみたいだ」
「違いねえ」
 ナツの言葉に文友と黄月が答えるが、不満を持っているようだ。
「争わずにすんだから良かったじゃないか」
「いんや、もっと激しく抵抗するものと予想していたからさ」
 ナツの言葉に白雲が見解を述べる。
「何も無ければいいけどね」
 白雲が不安になるようなことを言う。
「何やってんの? 呼んでるよ」
 ナツたちが騒いでいるところに朱音がやってくる。
「話がしたいんだってさ」
 ナツが白雲を見る。ここの屋敷の主人については何も知らないので不安がある。
「ここのご主人は人間に味方するって決めたから、大丈夫だよ」
 白雲の言葉を聞いてナツは会うことを決める。
 神社などとは違って広くて、学校にある廊下よりも長い距離を歩いている。蛇人間が服を着たようなのと何度もすれ違う。ちょっとした竜宮城だ。
 湖を横に見るようになると歩みが遅くなる。ここからの眺めは美しく見える。水面の下に何かがいる、という子供のころに失った恐怖が蘇りそうだ。
「戻ってきたのはうれしいが、どうすんだい、それ?」
黄月がナツに話しかける。先頭を歩いている朱音が振り返って立ち止まる。黄月が言っているのはナツが持て余している本のことだ。
「どうする?」
 側にいる白雲も聞いてくる。
「資格があって選ばれたのだろうけれど、怖がって手放す人だっているだろうし」
「じゃあさ、捨てちゃおうか?」
 ナツの言葉を聞いた朱音が笑顔で答える。
「それとも、壊すか? 返すってのはナシだぜ?」
「まあ、壊せるなら先に僕らがやっているかもね」
 黄月の言葉を白雲が指摘する。
 ナツにはまるで決断がつかない。重い責任が付いてまわっている。
「捨てるのも返すのもダメだ。他の人間があんたほど妖怪の扱いに寛容であるかどうかわからないからな。前に持っていた奴は妖怪に厳しかったぜ」
 黄月の気が沈むのが傍目で理解できた。
「それに壊したのを直されたら? もう一度、同じものを作られるかもしれないしねえ」
 白雲が逃げ道を塞ぐようなことを言ってくる。
 だが、彼らの言う通りである。この本に出会ったことが運の尽きなのだ。他の人間に任せてそれで知らん顔できるわけではない。
 皆がナツから別の方向に注意を向ける。ナツもそちらを見ると、あきらが近づいてくるのが見えた。彼女だけは別の部屋に案内されていた。
 ナツは彼女が妖怪に憎まれている立場の人だから何かされないか心配する。
「平気だよ、朱音が一緒だったし」
 白雲がナツの心境を察して声をかけてくる。
「朱音にボディチェックをさせて、ここの連中も安心したから大丈夫」
「危険物は取り上げたわけだ」
「うん。変な道具とかは取り上げた。こういうのとか」
白雲が手に持って見せるのは文庫本で、帯からハードボイルド小説と判断できる。彼が読書家のようなところがあるのは理解するところだが。
「取り上げたと言えば、むしった毛は何に使うんだろうね」
「そのまま捨てるに決まっているだろ」
 黄月が憮然として答える。
「いいや、わからないよう、呪いに使うかもしれないし」
 そうなるとナツが本の力を使ってどうにかしなければならなくなるだろう。
「僕にもわからないよ」
 ナツが白雲を見るが、そっけない答えだ。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
 近くに来たあきらに挨拶を返す。
「調子はどう?」
「いえ、不自由はないです」
 一瞬だけ、躊躇してからあきらは答える。まだ、不安は残るらしい。
「これから僕の身はどうなるのですか?」
「人質にはなるけど、すぐ返すんじゃない? 上のほうでもめているみたいだから」
白雲があきらの心配に返答する。
「僕は経験不足でこういうとき、どうしたら良いのか」
 あきらの言葉から自信が無くなっていく。
「歳を考えればしょうがねえことさ」
「それに、相手にするのは、人間に害をなす妖怪ばかりだしねえ」
 黄月と白雲が見解を述べる。
「生まれてから、妖怪は敵と教えられて育ったんです、だから」
「まあ、何とか帰れるように話してみるから」
 ナツがあきらを安心させるために言う。
「買ったばかりの本も取り上げられました」
 あきらの言葉を聞いて白雲の動きが止まる。
「盗まれたわけじゃあないだろ」
「ええ、返してくれればいいのですけれど」
 ナツの言葉にあきらが答える。
「だいじょうぶ、心配ないって」
 白雲も協力してくれるようだ。たぶん、白雲が借りている本がそれだろう。
「私がこの土地のまとめ役の1人である竜姫です」
朱音は宴会場ぐらいの広さの部屋に皆を案内した。そこには竜姫を名乗る女性が座って待っていた。女性といっても、見た目はあきらと同じ年齢の外見をしていて、長い金髪を後ろで結んで背中に流した髪型をしている。
たぶん妖怪なので本当の年齢はわからない。
 初対面であるナツとあきらは挨拶をして自己紹介をする。他の者たちは見知った相手らしく軽く挨拶をする。
「さっそく本題に入るがよ」
 黄月がぶしつけに話し始める。竜姫が黄月を睨む。黄月のほうはまるで気にしない。
「俺のほうから事情を説明します」
 ナツがこれまでのことを話す。妖怪や陰陽師と出会ったこと、本を手に入れたこと、陰陽師が本当のことを教えなかったこと、など。
「むむっ」
 すべてを聞き終えると、竜姫は眉根を寄せて考え込んでしまった。大物の割には考えていることが表情に出やすいみたいだ。
「問題は2つあって、1つは人質をどうするか。そして、2つ目は本の所有者を受け入れるかどうか、ということだね」
 白雲の言葉で部屋の全員がナツを注目する。
「人質はまだ解放しねえ」
「でも~、追っ手から逃げるためにとったんでしょ?」
 黄月の言葉に対して、朱音はわけがわからない、という感じだ。確かに人質としての役目は終わっている。
「俺の考えでは、奴らはまだ諦めていない」
「だから解放しないのかい?」
 黄月の意見を文友が確認する。
「いや~でも、人質がいるからこそ、諦めないということだって考えられるわけで」
 白雲が黄月の方針に反論する。
「返すことを約束したから、それはどうにかしないと」
「そいつは約束するぜ、俺たちは約束のほうは守る」
 ナツの意見に黄月が答える。
「あなたたちの意見はわかりました。私も力を尽くします」
 ナツたちのやり取りを黙って聞いていた竜姫が口を開く。
「しかし、他の妖怪たちに連絡をして、相談する約束をしているから、私の考えだけでは解放できません」
「これでいいんだ。もう1人は杉乃だから、3人のうち1人が賛成することになる」
 竜姫の言葉に戸惑うナツに黄月が話す。
「何で、わざわざ大勢呼ぶの?」
 朱音が疑問を口にする。
 まあ、確かにさっさと返せば済む問題である。
「妖怪は人間を信用していないのです。とくに陰陽師は」
 そう言って竜姫がナツに視線を送る。
「本の持ち主を受け入れる問題があるんだね」
「そちらも相談しなくてはなりません」
 白雲の指摘に竜姫が答える。
「これのおかげで何重にもややこしくなっているような・・・」
 ナツが本を手に持って眺める。あきらは何も言わないが、同じ考えのようだ。
 しばらくすると、ナツたちのいる部屋に大勢の妖怪が集まってきた。屋敷に入りきらない者は小さくなるか、人間の姿で中に入るようだ。元々は、再び世に放たれた“本”について話すための集会だったようだが、ついでに人質のことも話すことになるらしい。
 集まってくる妖怪の中には神社で会った杉乃もいる。
「よくもまあ、生きて戻れたものじゃのう」
「人質を取ったからな」
 近寄る杉乃に対して臆面もなしに黄月が言う。
「まったく呆れたものじゃ」
 杉乃は小学生みたいな小さな体から溢れそうなため息をついた。
「まあ、竜姫が同意しているのならば、話はまとまるじゃろう」
 部屋がいっぱいになると議論が始まった。議長は、杉乃と竜姫ともう1人の大狸のようだ。その銀色の毛の混じった古狸は、文友の父親だよ、と白雲が教えてくれる。
 議論の中心にいる者は全員味方であるが、集まった妖怪たちの中には、人間を憎む妖怪に引き渡せ、という話もある。そのたびに、竜姫が反論して、古狸が刺々しい雰囲気を押さえ込む。
 ナツたちは隅のほうに座って、議論を聞くだけだった。あきらは人間嫌いの妖怪もいるようで、別室で待機させられた。ナツのほうは良いのか? と意見も出たが、ナツについて話すことがあるから、ということだ。
 議論が長引き、もはや、議論というよりも単なる集会のようになっている。
「まさに集会じゃな」
 いつのまにかそばに来ていた杉乃がナツに話しかける。
 ナツが竜姫と古狸が会話しているのを眺める。
「竜姫は正体を現すとこの建物に入りきらないからのう」
 と、個人情報を教えてくれる。
「真面目で無いように見えるが、これが妖怪たちの議論、というものじゃ」
 部屋の議論が混迷して収集が付かなくなってきているのが見てわかる。
「どうするつもりなのか?」
「争いをするつもりはない、ということで合意している。陰陽師のほうはわからん」
ナツは妖怪たちの考えの確認をする。妖怪側は争うつもりはない……。
「何とかして、あちらの意志を確認できればいいがのう」
 杉乃がつぶやく。
 議論に疲れた頃になってから竜姫がナツのところに来る。
「こんな話し合いをしているのもあなたが本による支配の方針を決めないせいですよ?」
 竜姫に文句を付けられる。他人事だと思っていたが本に対してどうするかの議論だった。
「そう言われても、俺は陰陽師でもないし、本を手に入れたのは数日前だ」
手に入れたのは昨日のことかもしれない。竜姫は大きなため息を隠そうともしない。
「本はあたしたちを支配できるっていうけど、ナツにはそのつもりは無いんでしょ?」
朱音が口をはさむ。
「本については妖怪たちにあなたの見解を述べたほうがいいですよ?」
 ナツは竜姫の言葉にうなずくしかない。
「わたしのような者は本の支配の力に対して、どんなことをしても、必死になって抵抗するでしょう」
「そればかりだが、そんなに警戒することなのか?」
 竜姫の言葉にナツが反論する。
「前の人間がどういう者だか知らないけれど、違うことは示してきている」
「違いねえ、俺がちゃんと見てきている。ナツは別の人間だ」
 黄月がナツを擁護する。竜姫は黄月の態度に眉をしかめる。苦手な相手のようだ。
「持ち主というものは似てくるものなのです。力に流されないように」
「まあ、何だってそうだけれどね」
 竜姫の言葉の後に白雲が最もなことを話す。
ナツと白雲たちと3人のまとめ役が別室に集まって話すことになった。先ほどの部屋と比べると狭いが困るほどではない。それでも、巨体の古狸が一緒にいると狭く感じてしまう。
「このほうがちょうどいいぜ、わいわい騒ぐのはたまらん」
黄月の憎まれ口も遠慮が無い。
「それはそうと、本について集まった妖怪たちは決定を我々3人に任せることになった」
 黄月の態度を無視しようとする竜姫に代わって、久万山と呼ばれる古狸が話を進める。
「どのみち本を持つ者が支配力を示せば、一部の妖怪たち以外は無条件で従わなければならないし、逆らえば死が待っている」
「前の持ち主の場合はそのような方針でした」
竜姫が久万山の後に続ける。
「一部ということは、本の支配力も絶対では無いわけか」
「そうだな」
 久万山がナツの発言に同意する。今までの情報からして、強い妖怪は抵抗することができるようだ。
「多数決は、善悪を決めるのではなく、どちらを選ぶか、というものだからね」
「そういうことだ」
 笑顔の白雲の言葉に久万山が答える。
 ここで決めるのは善悪ではない、とナツは思う。
「なるべく本を使わずに解決したい。まずは人質になっているあきらの件から」
「結局のところ、どうするの?」
 ナツの言葉の後に朱音が問いかける。
「返しに行って、それをきっかけに向こうと話し合いを持ちます」
 竜姫が2人の言葉に答える。
「本の力によって支配される、という一件は?」
「支配など今は考える余裕など無い。妖怪たちはこのまま好きにしていていい」
 文友の問いかけにナツが答える。他にどうしようもない。竜姫がナツの答えに得心してうなずく。
「これなら大勢集めなくてもいいんじゃないか? 考えなしだなあ」
「わかっています。混乱が広がる前に安心させるために話し合いを持とうとしたのです」
文友の指摘に竜姫が言い返す。見た目からわかるぐらいに意地を張っているように見える。その竜姫をいじる文友を久万山が軽く叱る。
「本の力を使えば、たぶん、すべて簡単に解決できると思うよ?」
 白雲が密かに入れ知恵みたいなことしてくる。ナツは場にいる他の妖怪たちを眺める。文友と竜姫の話は続いている。
「まだ、そういうことをするべきではない」
 ナツの答えに白雲がうなずく。何を考えているのだろうか? 試したのだろうか。
「今のあなたは一個人ではなく、妖怪全体に影響を及ぼす存在なったのです。それは妖怪を支配していることと変わりません」
 ナツと白雲の密談に竜姫が割ってはいる。
「だから、集まって話し合いしてんだ」
 黄月が竜姫の後をついで話す。
 別室での話し合いが終わり、まとめ役の3人は元の部屋に戻って、集まっている妖怪たちにこれからの方針を話す。
 一応の納得をして集会はお開きになった。まばらになった広い部屋の隅で、ナツは他の妖怪たち――白雲、黄月、文友、朱音、そして杉乃――と集まっていた。
「これからあきらを陰陽師たちの元に返すわけだね」
「まあな。問題はその陰陽師たちが敵に回るかどうか、だ」
白雲に黄月が言葉を返す。
「今の時代は神仏の力を借りることができなくなって、神経質になっているからのう」
杉乃が何かを懐かしむように話す。
「妖怪たちが神として崇められる時代が来るかもね」
「兄貴を神様にしたいなんていう人がいるわけないでしょう!?
白雲に朱音が反論する。
「いやいや、人の心なんてどうなるかわからないよ?」
白雲の言葉は本気とも冗談ともつかない。
「陰陽師たちは力が無いのに戦いを挑んでくるのか」
「まあね、行き詰ったら最悪の選択をするもんだよ」
ナツの指摘に白雲が答える。
「相手がその“最悪”選ばないうちに急いだほうがいいな」
黄月の意見にナツたちは同意する。
 ナツたちの部屋に屋敷の使用人が入ってくる。その慌てた様子に部屋の空気は張り詰める。竜姫が構わずに話すように促す。
「陰陽師たちが大勢、攻撃を仕掛けてきています」
その報告に顔を見合わせる。追跡は恐れていたが大規模な“戦争”まがいの行為ではなかったはずだ。
「どうも、時間はなさそうじゃな」
話し合いの間に別室に引き離されたあきらが皆のところに戻ってきた。ナツはここで一般人の生活に戻って帰宅しても良いのでは? と考えたりもして白雲にこっそり言ってみた。けれども、白雲は共犯だから無理だよ、とにべも無かった。やはり、途中で降りることはできないようだ。
「このままだと、神社のほうも危ういんじゃないですか?」
 戻ってきたあきらが自分の処遇についての経過と事情とを聞くなり疑問を口にする。
「平気じゃ、わしは向こうとは顔見知りじゃからな」
杉乃の言葉に不信を感じるあきら、と他の者たち。
「大丈夫と言っておろうが」
 竜姫たちの話し合いであきらを返すために神社に向かうことに決まった。わざわざ神社まで向かうのは、そこならば陰陽師たちも妖怪の攻撃を恐れずに来ることができるからであった。そのようにして返すだけでなく向こうの事情も調べる、という考えからであった。
「あそこは、中立地帯みたいなもんだからのう」
 杉乃がナツの指摘に説明する。
「“みたいね”」
「曖昧だな」
 口々に不満を言う面々である。こんなときに不満を言うのは黄月と文友だ。
「いったんそういうところに預けてから、向こうに渡したほうがいいかと考えたのです」
 いつの間にか後ろに来ていた竜姫が話しかける。結局、今の段階では攻撃してくる陰陽師がなぜそんな行動を取ろうとしたのか理解できなかったし、何も良い考えが思い浮かばないので、最初のトラブルである人質の件を解決することになったのだ。
「十分に気を付けてください」
 そう言って竜姫にナツたちは送り出された。


「待て」
 先頭を進む黄月が皆を制止させる。
お互いの姿しか見えないような暗闇の中、ナツたちは前に来た神社に向かっていた。この辺りは城跡なんだ、と白雲が教えてくれる。そう言われて見れば周囲の地形は人為的に作られているようにも見える。
「匂うな」
 黄月がそよ風の匂いをかぐ。人間であるナツには古木の匂いしか感じ取れない。
 せめて明かりを付けよう、という意見は却下された。ナツに同行している妖怪たちは夜目が効くし、争いごとになっているから見つかりたくない、ということだ。夜目の効かない人間たちが手を引かれて苦労して歩く。
「ちょっくら見てくるぜ」
そう言うと黄月はすぐに暗闇にまぎれて姿が見え無くなった。そしてしばらく待つ。
「このまんまだと待合室が必要になるよ?」
 すこし経ってから文友が疑問の声を上げる。そう言って、どこからともなく携帯ゲームを取り出すが、暗くて画面が見えないのに気づいて諦める。
「大丈夫だよ。争いが近くにあるなら、もっと殺気だっているものだよ」
落ち着かないナツに白雲が説明する。
「この争いは本のことが原因か?」
「本のことを気にしているのなら、あれは問題ではありません」
 ナツの疑問のあきらが答える。
本は誰も扱えないし、扱えてもすぐに身を滅ぼす、ということらしい。強力な物品であるが、無理をしてまで取り戻さなくてはならないものではないそうだ。
「もっと別の理由があるのでしょう」
 あきらが話しているときに、犬の遠吠えがする。
「あれは、犬の声だよ」
文友が解説する。
「それはわかる・・・だからこそまずいんだが」
「これは意外な弱点が・・・」
 身がすくんだナツに文友が驚く。そんなやり取りをしているうちに黄月が戻ってくる。黄月が犬を連れてきている。
「状況は?」
「良くないな、向こうは、手当たり次第に攻撃しているらしいぜ」
白雲の問いかけに黄月が答える。
「こいつから聞いた」
 そう言って捕まえている犬を示す。ナツが顔をそむけそうになる。月明かりの反射でその犬がナツの腰までの高さを持っているのがわかる。
「“ほうこう”だよ」
白雲が黒犬のことを教えてくれる。古木に宿る木の精霊で、黒い犬のような姿をしているとのこと。
「良かった、犬じゃないから平気だね」
「いや、犬だろう」
 朱音の楽観的な言葉にナツが反論する。
「ともかく、この犬は放してあげて、先を急ごう」
「犬じゃなくて、妖怪なんだって」
 ナツの言葉に白雲が反論する。
「要するに彼は捕虜ということだね」
文友が指摘する。黄月の説明によると、この妖怪は陰陽師に使役されて今回の攻撃に参加したが、はぐれてこの周辺をうろついていたところを黄月に捕縛された、ということだ。
「そういうわけだからこいつを解放してくれ」
黄月の提案にナツは迷う。本当に解放していいものだろうか? 自分の中で納得できるように答えを探す。
「支配から解放しましょう」
あきらが声をかける。彼女は乗り気のようだ。
「詳しい話を聞かなくてはならないでしょう」
「それに、事情を聞くぐらいなら問題ないし、それに支配してしまえばいいんじゃない? 恨まれるといってもこの状況ならば仕方ないし」
 あきらの後に白雲が続けて説明する。彼のもっともな意見にあきらもうなずく。
 ナツが本の力を使うために腕に浮かんだ文字に触れる。“ほうこう”の肉体に映っている呪術文字が浮かび上がり、次にそれらが粉々になり消える。これで陰陽師の支配から解放されたことになる。
 続いて、ナツの力による新たな文字が浮かび上がり、それらが一瞬輝いて消える。これで支配は完了する。
「失敗しなくて良かった」
「見た目が犬だもんね」
 ナツの言葉に朱音が合いの手を入れる。まったくだ、とナツが朱音に答える。
 他の妖怪たちも安堵したようだ。支配に対しては何の反応も無い。要はムリヤリなことをしなければいいのか?
解放された“ほうこう”は軽くクビを回す、その仕草は自由を味わっているようだ。
「まずは、何が起きているのか聞こう」
杉乃の尋問に彭侯が答える。陰陽師たちが式神を大勢率いて、妖怪たちに言いがかりをつけて襲ってきた。それに対して妖怪たちは応戦して、今は城跡付近で式神と妖怪たちが争っているらしい。
「神社に行くには、城跡の近くを通ることになるな」
 黄月の言葉に各々がうなずく。争いに巻き込まれるかもしれない。だが、陰陽師たちの戦う理由がわからない、他に目的があるようにも思える。
「それで、奴らの言いがかりとは何じゃ?」
 杉乃がさらに質問をする。
「陰陽師が妖怪に殺されたそうです」
「陰陽師と妖怪の争いならば双方が殺されることもあるじゃろう」
 彭侯の説明に杉乃はまるで動じない。
「ええ。殺されたのは陰陽師たちの長老である重岡という奴です」
 その説明で場に居た全員の動きが止まる。
「この前っていうとやっぱりナツたちの一件のことかなあ?」
「あそこに入った奴なんて他にいねえだろ」
 文友の疑問の黄月がぶっきらぼうに答える。あきらが疑いの目でこっちを見ている。ナツと妖怪たちに嫌疑がかかっている。
「やりそうなのって1人しかいないと思うけど?」
文友の言葉に妖怪たちが黄月のほうを見る。確かに彼はこの中で一番荒っぽい性格をしている。
「でも、全員が一緒に行動していたと覚えているぞ?」
ナツが反論して疑惑を払拭しようとする。
誰がやったのか? という疑問のためにお互いに探りを入れ始める。
「侵入ルートの知識を持っていたのは白雲だよねえ」
「僕はずっと他の誰かと一緒にいたわけだからね」
 犯人を追及する文友に白雲が明白な答えを返す。
「この中で、人を殺す可能性のあるのは黄月じゃな」
杉乃は批判しているのではなく、一応の確認のように解説している。
「他の連中だってわからんぜ?」
 黄月は否定し続ける。彼がやったかどうかというよりも、ここまで殺人の嫌疑をかけられるとは・・・そちらの方面では仲間内で信用されていないのだな。
「人間の僕からは、妖怪全員が容疑者になるんですけど?」
 あきらから見ればそうだが、自信が無さそうだ。
「かもな」
黄月は短く答える。
黄月は嘘をつけるほど器用な性格だろうか? けれども、妖怪たちに容疑がかかっている。和解を望んでいたのに、話がこじれている。
「そもそも、全員が逃げ出したときには、あのじいさんは生きていたはず」
「わからないよ~? 術を使っていたのかもしれないし」
 ナツの指摘を文友が否定する。何もかもが疑わしく、そしてここでは何も解決しない。
「疑わしいのは当然だよ?! 妖怪というのはうさんくさいものだからね!」
 文友が無理やり声を上げるが、場の空気は重いままである。




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