第7章 志賀と写生文

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第7章 志賀と写生文
 前近代の文学において作者と読者の共通基盤は典拠である。しかし、近代は個人主義であり、実際にはともかく、共同体の文学規範に依存することができない。そこで正岡子規は典拠に代わり共通基盤を提唱する。それが写生文である。

 写生文とは知覚したものをありのままに書くことである。絵画のデッサンの拡張で、対象を大づかみに把握して文章にするアートだ。これなら、古典教養や西洋思想の知識がなくても読み書きができ、お互いに理解し合える。

 ただし、美術と文学の間には違いがある。美術は視覚に訴えるから、個別的・具体的なものを描けるが、一般的・抽象的なものを苦手とする。一匹の猫の絵はある個別的な猫を描いているのであり、一般的なそれではない。また、「愛」をテーマにする場合、抽象性を著わせないので、具体的なもので比喩的に表現する。他方、文学は言葉を用いる。一般的・抽象的なものを示せるが、個別的・具体的なものは苦手だ。写生文に求められるのは、そのため、個別性・具体性の描写である。

 内容において見るべきものがない志賀の小説であるが、その評価の一因として精緻な描写がしばしば挙げられる。『網走まで』の赤児や子供と母親のやりとりや『和解』の出産の場面、『城の崎にて』の情景などがそうした例である。

 しかし、志賀の描写は個別性・具体性が不十分である。それは社成分の発想に反している。

 一例として、『城の崎にて』の次の部分を引用しよう。

 或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関で屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角をだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまはるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立ち働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入って仕舞った日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。

 短いセンテンスとセンテンスの関係は、三日後のことが突然現在に混入して表われるように、統語法的には秩序だっておらず、断片的に置かれ、流れるように連なっていない。気分を描こうとしているとわかるが、志賀は「如何にも」を多用している。これは一般的に世の中の人々がまさにそう思っているものという意味である。個別的描写になっていないどころか、「流石老舗の味」同様、何も言っていないに等しい。

 しかも、志賀は「如何にも」を抽象的な言葉に前置詞手いる。「如何にも生きている物」や「如何にも死んだもの」、「如何にも静かな感じ」など一般性+抽象性である。これでは写生文の描写にならない。志賀は、他にも、「淋しかった」と書いているが、それを使わないで、読者にそう思わせるのが文学表現である。

 蜂を始め具体的事物の描写はよく捉えている。しかし、それについて感じたことを志賀はそのまま記してしまう。しかも、その際、「如何にも」と就職する。近代において価値観が個人に委ねられている。ある対象に対して価値判断する場合、共同体の規範に依存してそれを表現してはならない。自分お価値観にとってどのようなものであるかを語る必要がある。志賀はそれができていない。事物の描写が優れていても、価値判断の表現が不適切では、文学的に評価することは困難である。

 『大阪の反逆』の中で志賀の小説は「文学」ではなく「作文」にすぎないと酷評した坂口安吾は、『志賀直哉に文学の問題はない』において、志賀直哉について次のように述べている。

 志賀直哉の一生には、生死を賭したアガキや脱出などはない。彼の小説はひとつの我欲を構成して示したものだが、この我欲には哲学がない。彼の文章には、神だの哲学者の名前だのたくさん現われてくるけれども、彼の思惟の根底に、ただの一個の人間たる自覚は完全に欠けており、ただの一個の人間でなしに、志賀直哉であるにすぎなかった。だから神も哲学も、言葉を弄ぶだけであった。
 志賀直哉という位置の安定だけが、彼の問題であり、彼の我欲の問題も、そこにいたって安定した。然し、彼が修道僧の如く、我欲をめぐって、三思悪闘の如く小説しつつあった時も、落ちつく先は判かりきっており、見せかけに拘らず、彼の思惟の根底は、志賀直哉という一つの安定にすぎなかったのである。
 彼は我欲を示し肯定して見せることによって、安定しているのである。外国には、神父に告白して罪の許しを受ける方法があるが、小説で罪を肯定して安定するという方法はない。ここに日本の私小説の最大の特徴があるのである。
 神父に告白して安定する苦悩ならば、まことの人間の苦悩ではない。志賀流の日本の私小説も、それと同じニセ苦悩であった。
 だが、小説が、我欲を肯定することによって安定するという呪術的な効能ゆたかな方法であるならば、通俗の世界において、これほど救いをもたらすものは少い。かくて志賀流私小説は、ザンゲ台の代りに宗教的敬虔さをもって用いられることとなった。その敬虔と神聖は、通俗のシムボルであり、かくて日本の知性は圧しつぶされてしまったのである。
 夏目漱石も、その博識にも拘らず、その思惟の根は、わが周囲を肯定し、それを合理化して安定を求める以上に深まることが出来なかった。然し、ともかく漱石には、小さな悲しいものながら、脱出の希いはあった。彼の最後の作「明暗」には、悲しい祈りが溢れている。志賀直哉には、一身をかけたかかる祈りは翳すらもない。
 ニセの苦悩や誠意にはあふれているが、まことの祈りは翳だになく、見事な安定を示している志賀流というものは、一家安隠、保身を祈る通俗の世界に、これほど健全な救いをもたらすものはない、この世界にとって、まことの苦悩は、不健全であり、不道徳である。文学は、人間の苦悩によって起こったひとつのオモチャであったが、志賀流以来、健康にして苦悩なきオモチャの分野をひらいたのである。最も苦悩的、神聖敬虔な外貌によって、全然苦悩にふれないという、新発明の健康玩具であった。
 この阿呆の健全さが、日本的な保守思想には政党的な健全さと目され、その正統感は、知性高き人々の目すらもくらまし、知性的にそのニセモノを見破り得ても、感性的に否定しきれないような状態をつくっている。太宰の悲劇には、そのような因子がある。
 然し、志賀直哉の人間的な貧しさや汚らしさは、「如是我聞」に描かれた通りのものと思えば、先ず、間違いではなかろう。志賀直哉には、文学の問題などはないのである。

 志賀直哉への文学的評価はこれに尽きる。
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