7章―3
文字数 4,197文字
「うそ、もうすぐ四時じゃない!」
約束の時間は午前四時。この時間までに戻らなければ、人通りが多くなってしまう。ナタルは皆に、早くロープを登るよう促した。
「休憩を取ってる暇はないわ。とにかく急がないと!」
ナタルは蓋を持って通気口に入り、慌ててロープをしまう。天井の蓋を元の位置に戻し、来た道をそのまま戻り始めた。
――――
真っ暗な道がどこまでも続く。ラウロはフラットの背に揺られながら、ぼんやりと思い返していた。
地下倉庫の檻からナタルとシーラに助け出され、通気口を這いずり回ったこと。今の顔ぶれは違うが、やはりナタルがいる。ラウロはそっと笑みを零した。
「(まさか、二回も助けられるなんてな)」
もうすぐ[家族]と会える。未だに信じられなかったが、これは夢ではないのだ。
物思いに耽るうちにまどろみ、ナタルの呼び声で意識が戻る。真っ暗だった視界は僅かに明るくなっていた。
「ここは、まさか」
通気口の床がぽっかりと開いており、外の景色が見える。ラウロはフラットの背から身を乗り出した。
「そう。私と母さんが、あんたを送り出した場所よ」
ナタルは外の様子を確認しつつ答え、嬉しそうに笑った。
「安心して。今度は私も一緒に出られるから!」
ロープを伝って下り、体を伸ばす。早朝の空気は冷え切っている。何も着ていないラウロは思わず身震いした。
ナタルは外壁に立てかけていた金網を真上に投げた。元の姿に戻ったフラットがダクトにぶら下がった状態で金網をキャッチし、器用に取りつける。フラットはナタルが差し出した腕に着地した。
「車までは近いから、ここからはダッシュで行くわよ。デラ、ドリ、一応姿隠しお願いね」
「まかせて♪」
双子は同時に胸を張る。ラウロも走るつもりでいたが、人型フラットに再度背負われた。そしてナタルを先頭に、間もなく夜明けを迎える街中に飛び出した。
街灯の明かりは周りと同化している。澄み切った空気の中、出歩く人はまだいない。しかしビル群の向こうからは、車が走る音が聞こえた。
息が切れて足が重くなった頃、道路の先に銀色のキャンピングカーが見えた。最後の力を振り絞り車体に突撃する。ナタルが震える手でドアを開けると、全員でなだれるように倒れた。
「なッ、何だ⁉」
酷く驚いたノレインの悲鳴が響く。[家族]はきょろきょろと車内を見渡しており、ラウロ達に気づく様子もない。ドリの[潜在能力]が発動状態のままだったらしい。双子が急いでドアを閉めた途端、[家族]はこちらを見て悲痛な声で叫んだ。
「ラッ、ラウロ!」
メイラが投げたバスタオルが顔面に当たり、ラウロは変な呻き声を上げる。それを羽織っている間にノレインとメイラ、そしてモレノに抱きつかれた。
アースとミック、スウィートは床の上で泣き崩れている。ピンキーは皆をかき分けるようにしてラウロの肩に止まり、そっと頬を摺り寄せた。
ラウロは[家族]の温もりをじんわりと噛みしめ、とびきりの笑顔で声を振り絞った。
「ただいま……!」
ノレインは慟哭したまま勢い良く立ち上がると、運転席へと猛ダッシュした。
「こうしちゃいられない! 皆、急いで席につくんだッ!」
全員が我に返り、座席につく。ラウロは訳が分からないままナタルに抱えられ、無理やり座席に押しこめられた。
前の席にいるモレノはこちらを振り返り、ナタルに「どうだった?」と問いただした。彼女が答えるより先に、双子はフィードとの戦闘劇を興奮気味に語る。車内は盛り上がり、普段なら「うるさいわよ!」と注意するメイラでさえ一緒になって笑っていた。
この様子は『いつもの日常』そのもので。[家族]は自分の正体を知ったはずなのに、何故これまで通りでいられるのだろうか。ラウロは怯えながらも、口を挟んだ。
「な、なぁ。俺はずっと汚い仕事をしてきたのに、何で……」
「あっはははは、そんなことで嫌いになる訳ないわよ!」
「それに、私の同級生にも『娼夫』だった人がいるんだ。私達[家族]は決して君を蔑むことはしない。だからもう自分を悪く思わないでくれ!」
夫婦は笑顔のままこちらを振り向いた。子供達も力強く頷く。[家族]の温かい反応に不安が溶け、ラウロは無意識に泣き崩れた。
エンジンがかかり、銀色のキャンピングカーは走り出す。
時刻はぎりぎり夜明け前。朝焼けがビル群を照らす前に、[家族]はミルド島中央部を脱出したのだった。
――――
誰もいない『檻』の中、フィードは腹部に鈍い痛みを感じ、目を覚ました。
天井付近の窓からは、鋭い朝焼けが差している。デスクに置いた腕時計を見る。時刻は、午前五時を過ぎたところだ。
体をゆっくりと起こす。『檻』の扉は開かれており、ベッドの上には誰もいない。その代わりに、鎖の破片が散らばっていた。
「……ふん」
フィードはぼろぼろになった鎖の残骸を手に取り、力一杯握りしめた。
『檻』を出て廊下を進むと、途中でチェスカが壁にもたれるようにして倒れていた。すぐ近くにある部屋のドアは開いたままだ。フィードは気絶したままのチェスカを抱き上げ、彼を部屋のベッドまで運んだ。
再び廊下に出て、注意深く周りを観察しながら先へ進む。ナターシャ達がどこから現れ、どこへ消えたのか。それはきっと、以前彼女らが謎の失踪を遂げたことにも繋がっているはずだ。
ふと、ある物に目が留まった。ナターシャとシーラが軟禁されていた部屋のドアが、僅かに開いていたのだ。
窓のない、暗い部屋に入る。チェスカが定期的に掃除しているこの部屋は、親子が失踪してから何も変わらない。だが天井を見上げた時に違和感を覚え、フィードは眉根を上げた。通気口の蓋が僅かにずれていたのだ。
その瞬間、フィードは全てを理解した。地下倉庫からラウロが消えた理由、ナターシャ達が突然消え、突然現れた理由、それはきっと。
フィードは天井を見上げたまま、ニヤリと笑った。
――――
ビルに囲まれた景色に別れを告げ、銀色のキャンピングカーは寂しげな郊外を走っていた。ところどころ小まめな休憩を挟みながら、なるべく遠くへ進む。時刻は、間もなく夕暮れ時である。
出発時は雑談で盛り上がっていたが、徐々に興奮が冷め、今では皆静まり返っている。ラウロが戻った喜びに満ちてはいたが、様々な想いが交錯して誰も口を開かない。
アースはこっそり振り返る。いつもの服に着替えたラウロは、窓の向こうに映る夕日を眺めていた。
「……皆と出会ったのも、こんな夕方だったな」
ラウロは突然、独り言を呟くように語り出した。まるで、今まで話せなかったことを少しずつ、少しずつ絞り出すように。頭の中に散らばる想いを掻き集め、自分自身に言い聞かせるように。
「俺は物心ついた時から、ずっと独りだった。生きるのに必死で、何でもやってきた。身体を売るのは嫌だったけど、頑張ればいつかこの生活から抜け出せる。そう思ってきた」
「あいつと出会った時のことは、今でもはっきり覚えてる。一目見ただけでやばい奴だって感じたけど、こいつは上物だ、って、『娼夫』の勘が働いちまった」
「檻にいた頃、俺はずっと、死にたかった。殺してくれって言い続けたけど、生かされた。きっと[潜在能力]が、俺に罰を与えたのかもな」
「ナタル達に助けられた時は、夢じゃないかと思った。二人には感謝してるけど、逃げていた間もずっと、あいつの影に怯えていた」
「それでも[家族]に会えたその日から。俺の人生は変わったんだ」
「楽しそうな皆を見て、俺の居場所はもしかしたら、ここかもしれないって思った。あの時の公演、ほんとうに、良かったな……」
「皆の[家族]になれて嬉しかった。でも、俺がこれまでにやってきたことがばれたら、きっとすぐに捨てられる。せっかく叶った夢を失うのが怖くて、何も言えなかった」
「自分の[潜在能力]を知った時、何が何でも欲しかった。あいつにつけられた首の傷跡だけは、どうしても消したかったんだ。……でも、消えなかった。これじゃあ、俺はあいつのモノだ、って言ってるみたいじゃねぇか……」
「もう『娼夫』の仕事はしない、って、ナタルと約束したけど、俺はまた、元に戻っちまった。本当のことを言おうか何度も迷ってたんだ。今まで我慢出来たのは、皆が苦しむのを見たくなかったから」
「辛い経験があったから小さな幸せを全力で喜べる、そのために[オリヂナル]があるんだ。ヒビロさんにそう言われて気づいた。俺は、皆と離れたくない。愛と希望を教えてくれた皆と、もっと旅を続けたい」
「アビニアさんから未来を見てもらって、俺はあいつに捕まることを知った。運命なんてこれっぽっちも信じてないけど、やっぱり俺は、捕まる運命だったのかもしれない」
「あの日、予言通り捕まって……初めて、キスされた。何がなんだか分からなかった。何でこんなに焦ってるんだろう。何で、こんなに、身体が熱くなるんだろう。あの感触が忘れられない。忘れたくても、……忘れられない」
「『檻』の中で何度も泣いた。皆に会いたかった。今すぐ逃げ出したかった。でも、[家族]を見逃してくれる代わりだから、諦めるしかなかった。皆を守るためだったら何だって出来る。そう言い聞かせて我慢してきた、はずだった」
「俺が逃げていた間に、あいつは変わっていた。昔のように痛めつけられないし、それどころか……悔しいけど、気持ち良かった。皆のことも、頭から吹っ飛んじまうくらい。結局俺は、快楽を求めていたんだ。ほんと、最低だよな」
「皆に出会って初めて、幸せってものが分かった。人を大切に想う気持ちが愛だってことも分かった。……だから俺、気づいたんだ。あいつのことが好きだ、って」
「性欲を満たしたいだけで、愛と勘違いしたんだって思ったけど、違う。皆のことは誰よりも大切に想ってるけど、そう思う気持ちとも違う。よく分かんねぇんだよ、この気持ちは」
「でも、ひとつだけ分かる。今まで生きてきた中で、こんなにも俺を求めたのは……フィードだけなんだ」
夕日は完全に沈み、辺りは赤紫色に染まる。ラウロは日の落ちた場所をじっと見つめたまま、これ以上何も語らなかった。
[家族]もまた、口を開かない。彼の心の傷を目の当たりにし、涙を堪えるのに必死だったのだ。
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