第3話 千代さんと僕の運命

文字数 1,302文字

 そんな僕と母のやり取りも知らず、千代さんはこの洋館にやってくる。
 僕も、この穏やかで幸せな時間が崩れてしまうのが怖くて何も言えなかった。


「ねぇ、伸也さん。写真を撮りに行かない?」
 僕の気持ちを知らず、千代さんは無邪気に言ってくる。
「写真?」
「最近流行の写真館があるの。私たちの記念にどうかと思って……」
「記念ねぇ」
 僕はあまり乗り気じゃなかった。馬車や車が走る度に、土埃が舞い上がる往来に出たいとは全く思わない。
「だって、今だけでしょう? 私たちが自由に出来るのは……」
 少し寂しげな感じで、千代さんが言った。珍しい、彼女がこんな物憂げにするなんて。
「千代さん。縁談が持ち上がっているんだっけ?」
 千代さんは、その表情のまま僕を見た。そして、少し笑う。
「……ええ、そうなの。まだ、正式に決まったわけじゃないのだけど」
 そうか、それで記念に……。
「そうだね。行ってみようか、千代さんが記念になるというのなら」
 千代さんは、僕の返答に笑って見せた。まるで、大人の女性のように。

 流石に写真館は予約制なので、思い立った日には行けない。
 今日は、のんびりと過ごすことになった。
 千代さんは、いつもの元気が無い。縁談の話をしたのは失敗だったと思った。
 でも、結婚が決まってしまったら、もうここへは来られないだろう。
「縁談の相手の方、資産家の嫡男らしくて、うちの借金を肩代わりしてくれるんだって……」
「そう。桜井家(うち)にも、縁談の打診があったようだけど、本宅が勝手に断ってしまってね」
 ごめんね、って感じで僕は言った。多分、千代さんは知っているだろうから。
「写真館に行くのが最後って事で、良いのかな。
 僕らがこうして会うのは」
「正式な婚約までは、好きなことして良いって……。
 その婚約者の方が言ってくださって……」
 千代さんは、必死で僕にそう言ってきた。
 僕は、驚く。千代さんの様子にでは無く、その言葉の内容に……。
 普通は、婚約者の家で花嫁修業をするところだろう。
 家風に合う嫁になるように、しっかり仕込まれる。多分、僕の嫁になることに決まっても、本宅でじっくり仕込まれるだろう。

「伸也さん。あの、もし……もしよ。うちに借金がなくて、私と婚約することになったら嫌だった?」
 真剣に、『もしも』の話を千代さんはしている。
 もしも……そうだな、もしも千代さんが僕のものになってくれるのなら
「幸せだと思うよ。誰からも祝福される結婚を千代さんと出来たら、それはとても幸せなことだ」
 千代さんと僕は、お互い見つめ合ってしまっていた。
 幸せな未来の幻が、僕らには見えていたのかも知れない。

「だけど、夢だよ。僕らは、一緒にはなれない。
 僕にも、大学を卒業したら拒めない縁談が来る。僕は、その為にここにいるのだからね。
 でも、許される限りは一緒にいたいと僕も思うよ」
「ええ。そうね。一緒にいましょう」

 今までの、嫌な事を振り切るように千代さんは言う。
 千代さんは、できる限り。今の現状で、できうる限り、幸せになろうとしていた。
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