Ⅰ.

文字数 3,483文字


「逢月《あづき》のこと、俺は自分の子供みたいに思ってるよ」
 二人で鍋を突いていると、雄大《ゆうだい》がそんなことを言った。
 酔いが回っているせいもあるかも知れない。
 私と違って檸檬酎ハイを一缶空ける頃には、雄大はすっかり酔ってしまうのだ。
 おまけに、サ行がタ行になって聞き取りにくくなるものだから、こうして雄大と呑んでいると会話をするのがだんだん億劫になる。

「母性っていうかそんな感じのが沸くんだよなぁ。……これって変かな?」
 母性じゃなくて父性じゃない男だし、と返すと、雄大はトロントした目擦って徐に横になった。
 私より大きい27センチの足がこたつ布団からはみ出て、たむいたむい、と私の膝の上に踵を擦り付けられる。
 私は、こんな時の雄大のことを同い年なのに子供っぽく感じる。
 それは、雄大が言ったような〝自分の子〟という感覚では無くて、小学生の女子が同級生の男子に呆れるような、そんな感覚に似ている。

「ねぇ、寝ないでよ。家だけどデートなんだし」
 うーん、と一応といった返事をして、雄大は目をつぶってしまう。
 付き合ってから半年で、雄大は変わった。
 コタツで食事し、その途中で寝っ転がるなんていい意味で打ち解けてきた証拠かも知れない。けれど、付き合って間もない頃、少し高いレストランを予約して気取っていた雄大も今思うと、それほど嫌いではなかったのに。
「食べてすぐ横になると太るよ」
 私は独り言のように言い聞かせながら、鍋からロールキャベツを一つすくった。
 トマトベースの鍋の素をたっぷり吸ったから、キャベツがほんのり赤く色づいているよつに見える。
かぶりつくと汁が垂れるから、私は箸でそれを二つに割ることにした。

 あ、と思わず声を出すと、雄大がむくりと起き上がった。
「なに、どうしたの?」
「いや、ロールキャベツ。箸で簡単に切れたから驚いて」
 何それ、と雄大が可笑しそうに笑った。
「キャベツの中心に近いところの葉っぱ、一番柔らかいところを使うのがポイントなんだよ。そっちの方が食べやすいし」
 ポイントというか当たり前だけど、と得意そうにいつもより大きな声で、雄大は私に教えた。


✳︎
 自宅に帰ると、私は父の帰宅時間に合わせた遅めの食卓についた。
 今日は、運が悪い。
 そんな風に思ったのは、皿の中身がさっき雄大の家でも食べたトマト味のロールキャベツだったからだ。

 そんなことを考えていたせいで変な顔でもしていたのか、顔を上げると、何かいいだけな母と目が合った。
「雄大君の家だったんでしょ?ご飯食べてないの?」
「食べてないよ」
「そう、雄大君ってお料理上手なんだっけ。ママよりも上手いんでしょ」
「……そうでもないよ」
 母に嘘をついたまま、ロールキャベツをフォークで二つに割ろうとする。
 一度、雄大の家で食べるから夕食はいらないと言った時、その日から一週間くらいは機嫌が悪かったことを、当の本人は覚えてないらしい。
 雄大の家に行く時は、一日に二度夕食を食べるという些細な努力をしている事も永遠に気が付くことはないのだろう。
 ママの料理が気に食わないんでしょ、とある毎に母から愚痴を言われる方が遥かにしんどいから、そんな努力なんて容易いのだけれど。

「雄大君、今度うちに呼んだらどうだ?」
 父がロールキャベツのキャベツだけを噛みながら、呑気なことを言う。
「ママは別に良いけど、人の子どもに料理を作るのは嫌。雄大君は料理上手だし、私は逢月のママなんだし」
 うちには呼ばないよ、と私は不満そうに口を尖らせた母をなだめて、手元に目を移す。
 私の皿のロールキャベツは、フォークを使っても切ることが出来ない。
 キャベツが固くて、いつまでも首の皮一枚というようになったまま、繋がっているのだ。

 ふと、雄大に言われたことを思い出して、私は父の皿を覗いてみた。
 父は、ドッキリ百連発のテレビに目を取られながらも、なんなくフォークでロールキャベツを切っていた。
「パパのやつの方が、中心に近い葉っぱを使ってるの?」
 何の話よ、と母は私を軽くあしらって、父と同じようにテレビを眺め出した。
 手元では、なんの苦労もなくロールキャベツを二つに割りながら、母はそうしていた。


✳︎
「逢月のことを思っているのに」
 幼い頃から言われた続けたものだから、私は母の言葉をよく覚えている。
 生まれつき食の細かった私のために、母はよくコンソメスープを作っていた。
 ニンジンやキャベツ、肉団子やご飯、マロニーなんかも入れてコンソメで煮込むのだ。
 後々聞くと、発育測定で体重が軽いと指摘されたため、とにかく食べさせなくてはいけない、と母が考えたメニューだったらしいが、私は決まってその中のキャベツを吐き出した。
 何故そうしたのか、自分でもわからないけれど、私は一向にキャベツだけは食べようとしなかったらしい。

「逢月のことを思っているのに」
 そう言って、母は吐き戻したそれを私の口に再び入れた。
 自分のよだれで濡れたそれの舌触りが気持ち悪くてもう一度吐き出そうとすると、母は私の口を手で押さえた。
 それから、ちゃんと噛みなさいと私の頬を強くつねった。


✳︎
「それは、愛されてないって事だよ」
 何日か経ってから、あの日のロールキャベツのことを話すと、雄大は憤ったような声を出した。
 それから、俺だったら自分よりも逢月の方に柔らかい葉を使うと、それが常識だとも言った。

「それだけで、そんな些細なもので決まるものかな。愛されてるかって」
「逆に、そういうので決まるものだよ。どんなに些細なことでも、相手を思えなかったら愛してないんだよ」
 そうなのかな、そうだよと言い合っているうちに面倒になって、私は黙った。
 耳元に、ドライヤーの温風と雄大から漂う酒の匂いを感じる。
 近頃の雄大は私が家に泊まる時、どんなに酔っ払っていても私の髪を乾かしてくれる様になった。
 嬉しい気もするけれど、本当は小っ恥ずかしい。
 私のことを〝自分の子どもみたい〟と言った雄大はこんな時、我が子の髪を乾かしてやってる気持ちになるのだろうか。
 なんて考えると、ふいに母の顔が浮かんで、余計に複雑な気持ちになった。

「さぁ、終わったよ。もう遅いから寝よう」
 ドライヤーを切った雄大に言われて時計を見ると、もう夜中の1時を過ぎていた。
 そう気が付いたとたん、外のシンとした空気が気になって、なんだかそわそわとしてしまう。
「……トイレ一緒に行ってあげようか?」
「べ、別に怖くないし!」
 笑う雄大を置いて、私はトイレに向かう。
 雄大の家のトイレは、少し怖い。
 築20年の物をリノベーションしたから、便器は自動で開く最新の物だし、壁紙や床なんかも張り替えたてで綺麗だ。ついでに、小ぶりの生花なんかかがお洒落に飾ってあるのに、他の部屋と比べておかしなくらい寒くて、私はそれを不可解に思うから怖かった。

「怖いなら、ドアを開けてすればいいじゃん」
「やだよ、音とか聞こえちゃうでしょ」
「別にいいじゃん。そんなこと」
 雄大は、何故か怒っている様だった。
 トイレの扉を閉めようとした時、雄大が自分の足を挟んでそれを止めた。
「小さいうちは、親と入ったりするでしょ。それと同じじゃん」
「同じじゃないよ。私は小さくないし、雄大は親じゃないでしょ」
 私の言葉に、雄大の眉間のシワが詰まる。

 ブォーン、と新聞配達のバイクが通り過ぎた音がする。
 静かな夜の空気が薄まった時、こちらに手を伸ばした雄大が私の頬を強くつねった。
「逢月のためを思っているのに」
 ぎゅっと、つねる手に力がこもるのを感じる。
 嫌だよ、と私はその手を降り解き、トイレの扉を閉めた。
 一息ついて便座に座ると、ひやりとした温度が脊椎一つ一つに染みていく様な気になって、私は急に冷静になった。
「ねぇ、私たち別れようか」
 気づけば、ドアの向こう側にいるであろう雄大にそう言っていた。
 雄大からの返事を待たなくとも、もう私の気持ちは冷え切って、固まってしまったようだった。
「なんで?俺は、逢月のためを思ってるのに」
「愛しているかは些細なことで決まるって、言ったのは雄大の方じゃない」
 私は言って、息を吐いた。
 花瓶に生けられている造花のハボタンは、まるでキャベツみたいだな、と思う。
 雄大は、私を自分の子供のように思っていると言ったけれど、それは、些細な出来事で手を出してしまう程度の愛だ。
 だから、扉を開けたらきちんと別れ話をしようと思う。
 それに、愛しているかということは、きっと、キャベツの柔らかいところを使うかで決まるものではないのだから。

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