過ぎ行く明けの明星

文字数 18,680文字

 革靴の音が高らかに響く。黒い床と窓のない壁の広々とした通路。そこに等間隔に付けられた幾つもの小さな照明が光る中、スーツ姿の”彼女”は、肩まで伸びた黒髪を靡かせながら、堂々と自信有り気にその路を進んでいた。

 

 黒嶺結弦葉。この世界に住む、魔法少女の長と呼べる存在だ。

 彼女がその座に就いてから約二年、急変的な改革により一時は混乱が生じたが、現在は立ち直り、マネジメントが軌道に乗りつつあった。

先生ー!ゆづ先生ー!
 背後から甲高く可愛らしい声が聞こえた。結弦葉は歩みを止め、ゆっくりと振り返る。

 後ろには、二人の少女が彼女の顔を見上げていた。二人とも年齢は10歳前後で、一人はフリフリとしたピンクのワンピース、もう一人はセーラー服をオマージュしたようなワイシャツとミニスカート、黄色のリボンを身に纏っていた。彼女たちは魔法少女の変身した姿をしている。

 この通路は、ピースペースと云う仮想空間と、普段結弦葉がいる管理室を結ぶ廊下である。ピースペースとは、所謂魔法少女の共有スペースである。リアルでは、女の子が魔法少女であるかどうかを判別することが難しい。そこで彼女たち同士が交流を深められるようにするためにこの空間が設置された。実際に、ピースペースは魔法少女の友達と集まる不可欠の場所として役目を果たしているようだ。
ゆかり、みな、どうかしたのか?
 結弦葉は身体を彼女たちに向けた。
あの、エリー先輩、どこにいますか?
 澄んだ大きな瞳を輝かせて、桃色の唇を開いている。

 エリー先輩、つまり黄更城エリーは、今や現役で最年長の魔法少女となっていた。

エリーか?ん~まあ、いつもの場所だろう。
と、少し苦笑いをして答えた。
今日もまた、いつもの場所ですかぁ。
多分だけどな。

何なら、私の方から連絡しておこうか?今なら時間あるし。

ほんとですか!?ありがとうございます!
 二人は深々とお辞儀をすると、タッタッと靴音を鳴らして走っていった。
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 別の仮想空間。先程とは裏腹に、天井と床は白く、広大な地平線は淡く虹色になっている。ディースペースと呼ばれる空間であり、ここでは唯一魔法少女に武器の使用が許可されている。武器は一人に一つ適切な武器が選ばれるが、ポイントによって好きに変更することができる。魔法少女は自分の武器をつかって、仮想敵と呼ばれるプログラムなどと闘い楽しんでいる。


 そこで、一際大きく、刃を交える音が聞こえた。見ると、二人の魔法少女が真剣な眼差しで鎬を削っていた。片方は金髪のツインテールを揺らしながら、華麗な身のこなしで攻め続けている。もう一方は銀髪のセミロングで、右手に持つ大きな盾で攻撃を受け止めつつ、左手に持つ片手剣で隙を伺っている。

 黄更城エリーと立河みどりの二人だ。二年が経った今でも、彼女らは先輩後輩であり友達に近い親しさを保っていた。二人はほぼ毎日、夕方になると、ここディースペースで運動も兼ねて勝負している。勝負といっても、体格が大きくキャリアもあるエリーが、みどりに教えるという場合が多い。ほとんどいつもここにいるから、魔法少女達の間では、”いつもの場所”でディースペースが連想されるのである。今日も学校が終わってすぐにここへ向かい、すでに2時間程度剣を振っている。

 15歳になったエリーは、少し背が伸びて、一層大人びた容姿へとなった。対して10歳のみどりに大きな変化はなかった。敢えていうなれば、武器の変更が可能になった為、盾を一回り大きくして、片手剣を持つようになっていた。

油断していますわよ!みどりさん!
 一瞬の判断が遅れ、あっという間にみどりは背後を取られる。

 そして振り向く間もなく、膝から崩れ落ちた。

また膝カックンされたぁ~。
 みどりが悔しがりながら、自分を見下ろすエリーを見る。
まだまだ読みが甘いですわね。

…さて、少し休憩しましょうか。

 エリーはおもむろに腰を下ろすと、みどりも上体を起こして、足を伸ばした。
そういえば、先輩。
 みどりは丸い瞳をエリーに向ける。
どうしましたの?
先輩って、今いくつでしたっけ?
 エリーは呆れた顔をして、
あなたの5つ上ですわ。だから、15歳ですの。
あっ、そっか!もうすぐ高校生だって言ってましたもんね!
まったく…ちゃんと覚えていて欲しいですわ。
はーい…。
 返事をしたみどりだが、そこには反省の色は一つも見えなかった。
エリー先輩は、将来はどうするんですか?
ど、どうするとは?
うーんと、ゆづ先輩みたいに、これから高校生になっても、ずっと魔法少女は続けるんですか?
 エリーの表情が、一瞬にして暗くなった。
……。
…先輩?
俯いたエリーの顔を、上目遣いをして覗き込むみどり。
その…ですね。
はい。
実は――――
エリー!
 開いた口からようやく言葉が出るかという時に、マスコットのリゲルが会話に割り込んできた。
…なんですの?
 意を決した発言を妨げられたエリーは、明らかに苛立っていた。
ゆづはさんから連絡だよ!

『ゆかりとみながお前のこと探してるぞ』だって!

…分かりましたわ。すぐに行きます。
 立ち上がった時のエリーの声は、普段よりもワントーン低く感じた。
エリー先輩…。
ごめんなさい、みどりさん。お話の続きは、また今度にしましょう?
 エリーは物哀しげにディースペースから退出した。
先輩、何か大事なこと隠してるのかな…。
 残されたみどりは、エリーの言葉やその声遣を思い返して、一人悶々としていた。
たしかに、少し様子が変な気がしましたね。
 そう言って、みどりの傍から現れたのは、マスコットのポルックスだった。
ポルックスもそう思う?
ええ、珍しいですからね。エリーさんがあんなに…。
うーん……ん、まぁいいや、今度話してくれるって言ってたし。

と、すぐに立ち直った。

 この開き直りの速さが、みどりの最大の取り柄の一つであろう。
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 みどりと別れた後、エリーは連絡を受けた二人の少女のもとを訪れた。少女達の相談というのは、髪の結び方についてであった。先輩であり、そして毎日その長い髪の手入れと巻くことを怠らないエリーに尋ねたかったのだ。

 その日の夕方。少女たちの相談相手をし終えると、エリーは今日一日の出来事を思い返しながら、家路に向かっていた。

 そうして、精魂尽き果てたような元気のない声で、家のドアを開けた。

ただいま~…。
 自室へ向かう途中、彼女は今日も一日を悔やんでいた。
また、言えませんでしたわ…。
 エリーは、日本の高校へ進学する予定はなかったのである。

 彼女の両親が、仕事の都合上、海外へ渡る予定であったのだ。両親は世界を相手にする仕事に勤めている。この国にいるよりも、実際に取引先の多い国に自らが行く方が効率が良いとという理由であった。

 両親と共に、エリー自身も海外へ旅立つつもりであった。すでに滞在する国の高校の入学試験はパスしており、面倒な諸々の手続きも両親があっさりとこなしていた。そのため、あとは渡航するだけであった。


 そして、これを皮切りに、魔法少女を辞めることを決意していた。魔法少女の平均年齢は約10.5歳であり、大抵の場合、進学と共に離れていくことが多い。エリーに関しては進学と海外移住が重なったことが大きな要因であろう。

 しかし、エリーは、出国一ヶ月前に迫った今日になっても、このことを誰にも打ち明けられずにいた。あの二人の少女のように、自分を信頼し、慕ってくれる仲間たちを悲しませたくないということ。また何より、長年務めていて、もはや生活の一部ともなっている魔法少女という役目を手放すことを、自分自身が躊躇っているのである。

 月日は刻々と過ぎていく。直前になればなるほど、悲しみや後悔が大きくなっていくことは分かっていた。それでも彼女は口を開くことができなかった。魔法少女を辞めると、情報秘匿の為に、それらに関する記憶が抹消されてしまう。愛おしくてたまらないのだ。魔法少女であったあの日々が、あの時間が、あの仲間達が。

エリー!今日の晩ごはんは何だと思う?
 エリーが自家撞着を続けてばかりで陰鬱となっていながらも、リゲルは能天気に彼女にかまってくる。いつもは軽く受け流すだけなのだが、今日に限っては少し癪に障った。
今は、一人にしてくださいませんか。
どうしたの?元気がないね。いつものエリーじゃあないみたいじゃないか。
うるさい!ちょっとは黙っていてください!
 エリーは部屋の扉を強く閉じた。開いてあろうがなかろうが、マスコットはすり抜けることができるのだが、リゲルは、今回はそうしようとしなかった。普段以上に喜怒哀楽の激しいエリーを見て、自分の軽率な言動に反省したのだろう。

 エリーは、そのまま翌朝になるまで部屋を出ることはなかった。

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 夜になり魔法少女達が寝静まった後、結弦葉は管理室に一人籠もって書類を書いていた。彼女はこれでも地球上の管理ではトップの身。地球に滞在していない上層部への報告や連絡は絶えず行わなければならなかった。この時の結弦葉は日中のようなスーツ姿ではなく、白のTシャツに短パンとラフな格好に変わっている。本来これが通常の結弦葉で、スーツや他の服装は外出用で、魔法少女の能力のひとつである変身で補っている。

 一見真面目に見える彼女だが、この時も睡眠欲が頭の中を支配しており、報告書の内容などどうでもいいから早く寝たいとさえ思っていた。死んだ目をしてキーボードを叩く結弦葉の元に、思わぬ客が舞い込んできた。

結弦葉さん。
ぅうおああっっ!!!
 背後からの突然の声に驚き、ビクッと背筋が立つ。頭いっぱいにあった眠気は一瞬にして吹き飛ばされた。
なんだリゲルか~。びっくりした…。

それにしても珍しいな、お前がここに来るなんて。どうしたんだ?

実は、エリーのことで、ちょっと…。
 その声には、無表情なマスコットからでもわかる哀愁が漂っていた。
エリー?
うん、最近、元気がないんだ。それに、ちょっとピリピリしてる気がしてさ…。
ふむ…そうか…。
と、顎に手を当てる。
結弦葉さんならエリーの助けになるんじゃないかって思ってさ。

だから、今日来てみたんだ。

う~ん…。

…その機嫌悪い理由が分からないんじゃあ、どうしようもできないなぁ。

というより、私よりもお前のほうがずっと一緒にいるだろ。なんか心当たりはないのか?

うん、心当たりというか、僕はその理由は知ってるんだ。

でも今僕が言うと、エリーのためにはならない。

だから、エリーにそれを話すように、結弦葉さんに手伝って欲しいんだ。

???

話を引き出せってことか?

そうなんだ。お願いできるかな?
あ、あぁ。分かった。
 まだ頭の整理が追い付いていなかったが、リゲルからの頼みを承諾した。リゲルはお礼を言うと、スッといなくなってしまった。

 再び一人になった結弦葉は、腕を組んで、エリーの原因について考えてみた。

エリーか…。最近なにかあったような、なかったような…。
 首を傾げたり、天を仰いだりしながら、エリーの内情を追ってみる。
そういえば、あいつももうすぐ高校生だな。

あと一ヶ月ちょっとだし…、それが引っかかるのかな。

 結弦葉は更に思考を巡らせようと、ベッドに横になった。

 しかし、熟考する間もなく、眠りに落ちてしまった。

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 翌朝、エリーは昨晩何事もなかったかのように、街を歩いていた。歩き慣れた道だ、迷う筈がない、と誇示するように、堂々と。

 その背後から、革靴を鳴らす足音が聞こえた。

エリー。
 エリーは動じることなく振り向いた。そこには、スーツ姿の結弦葉が、手をズボンのポケットに入れて立っていた。
ゆづ先輩、どうかしましたの?
エリー、最近お前、なんか元気ないよな?

なにか一人で考え込んでないか?

……。
 エリーは俯いて、そのまま立ち去ってしまった。結弦葉はエリーのあとを追うことなく、一分前の言動を後悔するようなしけた顔で、彼女の後ろ姿を見つめた。


 結弦葉がピースペースに戻ると、すぐに数人の少女たちが群がり、囲い込まれてしまった。その中には昨日結弦葉を呼び止めた二人もいた。

先生、先生。

あの、エリー先輩、何かあったんですか?

 少女たちは瞳を潤わせながら結弦葉の顔を見上げる。
エリーか?どうして?
エリー先輩、なんだか悲しそうだったんです。

だから心配で…。

 今の結弦葉には、彼女達の質問には晩のリゲルと同じような回答しかできなかった。

 それから、廊下を歩いていると、

ゆづ先輩!
 と、また呼び止められた。聞き慣れた声である。
みどり、どうした?
エリー先輩、どこか具合でも悪いんですか?
へ?
いや、昨日会ったら、なんか、いつもと違うなーって…。
 みどりにも、結弦葉はまともな回答を返せなかった。

 だがそれ以上に、魔法少女達のエリーに対する親しさというのを再確認させられた。これほどまでに彼女が気にかけられているとは、これほどまでに愛されているとは、と。

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夕方になって、結弦葉は再びエリーに近づいた。
エリー。
…ゆづ先輩。
どうか答えてくれないか。

何が、あったのか。

……。
……。
 やはり俯くエリー。しかし、今朝のようにその場を離れようとはしていない。なにか思い込んでいるようだった。
進学について、か?
…はい。
と、下を見たまま、返事だけをした。
…昨日、リゲルが私のもとに来たんだ。

アイツ、めちゃくちゃ心配してたよ、お前のこと。

リ、リゲルが…!?
エリーは目を見開いて、顔を上げた。
それに、みどりも、他のたくさんの後輩達も、みんなお前のことが気になってたよ。
…!
 驚いた表情のまま、瞳の奥が滲み始める。それを隠すように再び俯くと、早歩きで結弦葉のもとへ向かった。そして結弦葉の服をぎゅっと掴むと、嗚咽を我慢するように泣き出した。結弦葉はエリーの背に手を回し、何も言わずゆっくりと時を待った。


 しばらくして、少し落ち着きを取り戻すと、エリーはついに全てを打ち明けた。

 エリーが辞めるという三文字を発した時、結弦葉は、目尻を下げ、少し頬を上げ、いつも見せないような優しい顔をした。そして、エリーを二つ返事で肯定した。

 エリーの話が終わると、結弦葉は定型通りに、辞める際の説明を始めた。

…魔法少女を辞めても、そこで出会い、培った人間の付き合いは記憶からは消えない。

マスコットのことは消えてしまうけど、まあ、私とか後輩のことは忘れないよ。

あ、ありがとう…ございますわ…。
 その声は今にも泣き声に押し負けてしまいそうな、弱々しいものだった。
魔法少女の記憶が無くなる時、少しの間、意識不明の状態になる。そのタイミングも自分で選ぶことができるんだ。

いつがいい?

 エリーは何か喋ろうとしたが、また感情がこみ上げてきて、嗚咽に変わってしまった。

 しばらくしてもう一度落ち着くと、結弦葉から手を放し、半歩後ろに引いた。

…では、わたくしが旅立つ日…飛行機に乗る日、その前日の18時半にしてくださいな。

 ゆっくりと、はっきりと、自分の想いを伝えた。

 涙で赤くなった目が見えなくなるほどの、満面の笑みであった。

 それを見た結弦葉は、実感が湧き始め、自然と目頭が熱くなった。彼女自身、人の泣く姿を見てもらい泣きする質ではなかったし、魔法少女が辞めていく瞬間もこの二年間で何度も立ち会ってきた。

 しかし今回は違うのだ。例外であった。共に行動し、喜びを分かち合ってきたことも幾度となくあった親友が、こんな自分をいつまでも先輩と慕ってくれた最高の後輩が、巣立ちを迎えるのである。そんな時に見る、平生と変わらない笑顔が、いつになく物寂しかった。泣く姿を見せたくないという虚栄心と、何度も見たこの笑顔を忘れたくないという口惜しさの狭間を心の中で行き来していた。


 結弦葉はふ―っと息を吐くと、

…わかった。

だいたい、一ヶ月後だな。

それまでに、せめて悔いのないように、な。

 エリーは変わらず笑顔のまま、
はい、もちろんですの。


あぁ、話したら、なんだかスッキリしましたわ。

と満足気であった。そうしてくるりと回れ右をすると、
それでは結弦葉さん、ごきげんよう。
と、上品に手を振って立ち去っていった。

 一人残された結弦葉には、満足とは程遠い、心にぽっかりと穴が空いてしまったような、虚無感と喪失感があった。夕暮れが裸木を黒く染めている。穏やかに吹く北東の風が、静かに服を揺らした。まだ少し肌寒い中、結弦葉は呆然と、まるで時間に置いてけぼりにされているかのように、その場に立ち尽くしていた。

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 翌日、結弦葉はいつも通りピースペースに向かった。昨日の出来事は、夢でも見ていたのではないかというような感覚であった。とにかく、感情を明日に引っ張らないようにすることが大事であると、自分に言い聞かせて、何食わぬ顔でみんなに挨拶しようと思っていたのである。

 すると、ピースペースの中心には、魔法少女達と笑顔で振る舞うエリーの姿があった。多く後輩達に囲まれ、袖や裾を引っ張られている。彼女も同様に、昨日はなかったことのように過ごしていた。

 しばらくエリーを見ていると、次第にエリーは結弦葉の視線に気が付いた。話していた少女達に、ちょっと待っててくださいねと中断させると、こちらの方へ歩んできた。

ゆづ先輩、昨日は、どうもありがとうございました。
と、軽くお辞儀をする。
お、おう。

もう大丈夫そうか?

ええ。

普段通りのわたくしに戻れましたわ。

そうか、そりゃあ良かった。
わたくし、あのあと、自分が残り一ヶ月で何をするべきなのかな、ということを考えてましたの。
うん。
この短い期間でわたくしが出来ることは限られていますわ。

だから一つに絞って、それに専念することにしましたの。

それはいい考えだな。

んで、なににしたんだ?

はい。皆さんに伝えたいこと、言いたかったことを、隠さず正直に話すことですの。
なるほど。
記憶は失われてしまいますが、それでも悔い無く終わりたいんですの。

だから、これに専念しようと思いますわ。

 結弦葉は安心した顔で、
うん、そうか。
と、相槌だけ返した。
さて、忙しくなりますわよ~。
 エリーは待っている後輩たちの元へ戻っていった。
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 それから、エリーは己の決意に従って行動し、自分と面識があった魔法少女一人一人と会っていった。そして、自分は来月にはいなくなるということ、自分が最後に伝えたいことを、誰一人欠くことなく話していった。

 そのためか、以降ピースペースには落ち込んで佇んでいる子がちらほらと見るようになった。中にはエリーがいなくなることを嫌がって、泣きながら結弦葉の元へ駆け込んでくる子もいた。

 最も親しく、そして毎日会っていたみどりには、結弦葉と話したその日の夜に全てを打ち明けた。孤児であるみどりは、今現在でもエリーの家に居候している。だが、黄更城一家がこの家を空けてしまうため、エリーの父親が代わりとして近くのアパートの部屋を手配した。

 みどりに対しては、毎日の勝負で一切手を抜かず常に全力で戦うようになった。また、日々の身だしなみや、早寝早起き、掃除などどいった生活面に関しても、かなり細かく厳しく言うようになった。今まで我慢していたことを全て発散するように、徹底的に叩き込んだ。まだ伝えていないことが山ほどあったからであった。初めて出会ってから約3年間、ほぼ毎日顔を合わせていた。誰よりも一緒にいる時間が長かった分、誰よりも伝えたいことが多かったのである。

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 日数はあっという間に経ち、エリーの約束の日は三日前にまで迫っていた。

 この日、結弦葉は最悪の目覚めをした。自分に付きまとうマスコットのシャウラが、彼女の顔面の上で飛び跳ねて起こそうとしたのである。

 目を覚ましたと同時に怒りが頂点に達した結弦葉は、そのままシャウラを鷲掴みにして、壁に叩きつぶしてやろうかという勢いで起き上がった。しかし枕もとの時計を見るや否や、怒りは焦りに変わった。時計の針は、本来結弦葉が起きるべき時間の約一時間後を指していたのである。

 寝坊の訳は前日にあった。この日は何故かポイントの消費が全体的に多かったのである。使用明細は逐一確認するために、夜更かしをして寝る時間が遅くなってしまったのだ。


 結弦葉は急いで髪を整え、スーツ姿へと変身する。すると、何やら騒がしい声がピースペースで聞こえる。少し早歩きでそこへ向かってみれば、何十人もの溜息が彼女を迎えた。結弦葉は一瞬何が何なのか理解できず、キョトンとしていた。ふとピースペースを見渡してみると、皆の中心の先頭にはみどりが立っている。そして壁には、『エリー先輩ありがとう』の文字が書かれた紙が貼りつけてあった。なるほど全てに合点がいった。ここにいる魔法少女たちは全員、エリーのお別れ会をするための準備をしていて、そこでのお菓子やプレゼントのために、昨日ポイントを使ったのだろう。大体の準備が終わり、あとは主役のエリーが待つだけ、という時に、結弦葉がきてしまったようだ。一斉の溜息は、恐らくこれに原因があるのだろう。来ただけなのに、なんだか物凄く申し訳ない気持ちになってしまった。

 結弦葉もお別れ会に参加しようと思い、ここでエリーが来るのを一緒に待った。しかし、伝えていた時刻になっても、エリーが姿を現さない。次第に少女たちの顔に焦りが見え始める。あわやパニックになるところだ。

 年長のみどりが痺れを切らして、

ちょっと様子を見てくるね!
と、一旦ピースペースから外に出た。

 すっかり手隙になった結弦葉は、不安そうであったり、暗い顔をしている少女達をなだめていた。

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 みどりはエリーの自宅から少し距離が離れたところに来ていた。ポルックスにエリーの居場所を尋ねたところ、ここの近くにいるということだった。

 歩きながら探していると、キョロキョロと周りを見て、おどおどとしているエリーを発見した。すかさずエリーの元へ駆けていく。

エリー先輩!どうしたんですか?

みんな待ってますよ!

 エリーはみどりを見て、すぐに安心した顔に変わった。
みどりさん、丁度いいところに来てくださいましたわ。

先程依頼がきたのですが、場所が分からなくて…。

 それを聞いて、またか、というようにみどりは微笑んだ。
それじゃあ、一緒に探しましょうか。

リゲル、依頼主はどの辺にいるの?

こっちだよ!
 はきはきした声で言うと、リゲルはその方向に目線を向けて伝えた。
いきましょう、先輩!
…ありがとうございますわ、みどりさん。
 依頼主の場所はここからさほど遠くなかった。エリーは伝えれてた道の一つ隣を歩いてしまっていたため、辿り着けなかったのであった。

 そこには依頼人と特徴が合致する人物が立っていた。みどりはすぐに話しかけにいった。年齢はエリーと同じくらいの15~16歳ほどに見え、高級ブランドの一級品を身に纏っていた。そしてお嬢様口調である。

 エリーは、彼女の整った顔立ちと、見栄っ張りな恰好と立ち振る舞いに見覚えがあった。やがて記憶の中から掘り当てると、驚いて瞠目した。依頼人である彼女は、かつて魔法少女であり、エリーに挑戦状を送って戦ったことがある、という過去を持っていた。しかし当の本人はエリーやみどりを見ても何も感じていないようだ。恐らく結弦葉が局長になって改革をする前に辞めてしまったので、記憶が無くなっているのだろう。

 依頼主は白い肌が露になった左手を、黒い手袋をはめた右手で包みこんだ。

手袋を片方、落としてしまいましたの。

探すのを手伝ってくださいませんか?

と、二人に頼んだ。

 快諾したエリーとみどりは二手に分かれて、周辺を捜索した。


 再び一人になるエリー。

 よく見れば、ここは何度も歩き、何度も迷子になった道ではないか。

 忘れるわけがなかった。一歩一歩踏むたびに、美しく懐かしい思い出が鮮明に蘇ってくる。晴れの日も雨の日も、暑い日も寒い日も、いつもここを歩いていた。

 一人で歩くこともあった。誰かと話しながらの時もあった。泣きながら歩くこともあれば、夜遅く真っ暗なこの道を駆け抜けたこともあった。

 当たり前であったことが、日常的であったことであればあるほど、離れ難く、愛おしくなってくる。当分の間、この道はもう歩けない。今になってそれを実感し、一人郷愁の思いに浸っていた。


 色々と思い返しながら歩いていると、正面に、ポツンと片方だけの手袋が置いてけぼりになっているのが見えた。意識を入れ替えるように、ふるふると頭を横に振ると、手袋の方へ歩いて行く。拾い上げた直後、向かい側からみどりが駆けつけてきた。

あ~、また先に見つけられちゃいましたね~。
 それから、二人で急いで依頼主の元へ戻った。
これで、間違いないですか?
 エリーは発見した手袋を差し出した。
まさにこれですの!

見つけてくださり、本当にありがとうございますわ!

 彼女は嬉しそうに手袋を手にはめた。
それでは、わたくし達はこれで。
 エリーは背を向けてその場をあとにしようとした。
ちょっと、お待ちください!
と、呼び止められ、ふっと振り返る。
貴女、過去にどこかでお会いしたことありまして?
…さぁ、人違いじゃあ、ありませんの?
 それだけ言って、エリーは再び歩き始めた。
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 一足先に、ピースペースにみどりが戻ってきた。
今度こそ、エリー先輩来ますよ!
 魔法少女達は一気にアタフタし始める。それでもすぐに冷静さを取り戻し、静寂のもとでエリーを待ちわびた。少女たちが作るこのただならぬ独特な緊張感を、結弦葉は逆に楽しんでいた。

 数分経たないうちに、主役のエリーがピースペースに現れた。今度こそ少女たちは一斉にクラッカーを引いて、

エリー先輩!今までありがとうございました!!
 と、声を合わせて言った。
ふふっ、こちらこそ、どうもありがとうございますわ。
 それに満面の笑みでお礼をするエリー。台本はここまでで、それからは魔法少女達が、我先にとプレゼントや花束を持ってエリーのもとへ駆け寄る。エリーは、いつものように、いやいつも以上に後輩に囲まれていた。

 この光景を少し遠くで見ていた結弦葉は、とある昔の出来事を思い出していた。

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2年前、結弦葉が新たに魔法少女の長になって間もない頃だった。彼女は突然エリーを呼び出し、自分の思い描く構想を説いていた。
…とまぁこんな感じに、皆で共有できる場所を作って、魔法少女同士の交流を増やそうと思っているんだ。
それは素敵なお考えですわ!
 エリーは目を輝かせていたが、急に、暗く視線を下に落とした。
…ですが……、
 結弦葉は相手のペースに合わせるよう、あえて喋らずにじっと待っている。
…わたくし、うまくやれるかどうか不安ですわ。

先輩やみどりさん以外の人とも、仲良くなれるでしょうか…。

イライラして、また苛めてしまったら……。

 かつてないほどに憂いの表情を浮かべるエリーを前に、結弦葉はゆっくりとしゃがんで、エリーを見上げた。
大丈夫。今のエリーだったら、きっと他の子とも仲良くできる。

お前はもう年長の部類だから、しっかりとみどり達を支えてやってくれ。

 温かい表情で、じっと目を見つめた。
…はい。

わたくし、頑張ってみますわ。

 不安の種が完全に消えたわけではなかったが、エリーのその返事には、不安定で揺らいでいた意志が、地に足を着けたような決意に変わったように見えた。
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 結弦葉は、2年前のあの不安でいっぱいであったエリーの顔を思い出していた。

 今の結弦葉の視界には、沢山の笑顔に囲まれ、実に喜悦で幸せに満たされたエリーの姿があった。

エリー。お前は、立派な先輩だよ。
 結弦葉の言葉には、優しさと感嘆と、そして尊敬が混ざり合っていた。

 それから皆に気づかれないよう、やおらにその場から立ち去った。

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 お別れ会は夜にはお開きとなった。参加者は小中学生が中心である為、あまり夜遅くまではできないのだ。

 結弦葉は片付けのために再びピースペースを訪れた。勿論魔法少女は一人もおらず、口を付けた紙コップやお菓子の袋がいたるところに散乱していた。だが、食べ飲み残しは一切なかった。結弦葉は何も言わずそれらを拾い上げ、一つの袋にまとめ入れる。一つ一つが、魔法少女達が人の為に一生懸命に動き、貯めたポイントで生まれたものであった。既に役目を果たし終えた物だが、結弦葉はそれらをゴミだとは一切思っていなかった。

 半分近く片づけを終えたあたりだろうか。袋を拾おうと身を屈めていた結弦葉の背後から、先輩、と彼女を呼ぶ声が聞こえた。その声に驚いた結弦葉は、肩を上げて、背筋をピンと伸ばした。そうしてすぐに振り向く。

…なんだぁ、エリーかぁ。
 エリーは、真っ赤な花束や、折り紙でできた飾り、手作りの本であったりを、両手いっぱいに抱えていた。
ここの片づけは私がやっておくから、お前は早く寝な。明日も早いんだろ?
はい、ありがとうございますわ…。
 返事をしたエリーだったが、すぐにまた息を吸って、結弦葉を見上げる。
先輩、わたくしのポイントは、いくつございますか?
えっ、急にどうしたんだ?
 思いがけない問いに、啞然として目を丸くした。というのも、ポイント制が発足してからの2年間、エリーは一度も消費したことがなかったのである。

 エリーは発言してから恥ずかしくなったのか、また俯いて黙ってしまった。結弦葉は隣にいるシャウラに目配せすると、すぐにそれは彼女に耳打ちした。

エリー、お前のポイントは、現在8214Pだ。

現役の魔法少女であれば、一番の所持数だよ。

この6年間、いつどこにいても、決して休まずに依頼をこなしたことの成果だ。

本当に、よく頑張ったな。

 エリーは抱えていたものをぎゅっと少し強く抱きしめると、
そのポイント全てを使って、最初で最後の、一度だけのわがままを、聞いていただけませんか…?
 結弦葉は黙ってエリーを見つめている。
もし、これから、わたくしが窮地に立たされたり、命の危険に晒される時があったら、その時は…、わたくしを助けてくださいませんか…?
 えっ?と結弦葉が返す前に、エリーはプレゼントを更に強く抱きしめ、迫るように結弦葉を見上げる。
今までずうっと皆さんに助けていただきました。

わたくし、一人になるのは、とても怖くて不安なんです。

だから、この先も、いつまでも、どんな時でも、わたくしを見守っていてくれませんか…!

 歯を食いしばり、身体がふるふると小刻みに震えている。だがその大きな目だけは、真っすぐに結弦葉だけを見つめていた。

 結弦葉は少し頬を上げて、

…わかった。いつ如何なる時でも、私はお前を助け、守ることを約束する。
…ありがとうございます…、本当に、ありがとうございます…。
 一安心して気が緩んだのか、数滴の涙が、エリーの頬につたった。
ほら、そしたら早く寝なって。

ここで泣くと、折り紙が濡れちまうぜ?

 と、からかわれると、エリーはくしゃっとした笑顔をした。
色々と…お世話になりました。

じゃあな。

向こうに行っても…、元気でやれよ。

 背を向けて自分から離れていくエリーを、ただ見つめていた。

 結弦葉はもう涙を堪えるので精一杯だった。いち早くこの場からいなくなりたいと思う反面、この瞬間が一生続いてほしいとさえ思っていた。もうここでエリーを見ることは叶わない。それを祝福するには、なんとも時間が短すぎるのであった。

ゆづ先輩。わたくしは、幸せでしたわ。
 もう結弦葉に聞こえない位置まで離れてしまっていたが、エリーの口から意図せずに呟かれる。

 朧げに見える先輩の姿を前に、誠意と感謝と込め、深々とお辞儀をした。

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 月日は更に流れ、最終日を前日に控えた夕方のことである。

 既にみどりは手配されたアパートに越しており、もともと居たエリーの家の部屋には、まるで未使用であるかのように、物一つの残っていない。思い出がたくさん詰まった部屋を手放すことにみどりは名残惜しく思っていたが、エリーと共に海外に行くわけにもいかないので、仕方なく引っ越した。エリーも、彼女の父親も、使用人もいないこの家でする事など何もなく、今日も午前中に掃除を済ませ、夕日を背に読書をしていた。

 そんな時に、初めてドアをノックする音がした。以前の部屋と変わらずはぁいと返事すると、その人はドアを開けて入ってきた。

ごめんくださいまし。
 初めての来客はエリーだった。エリーはくつろいで横になっているみどりと目が合うと、部屋全体を見渡した。相変わらず物は多いが、それら全てきちんと整理整頓されており、実にまとまりのある空間である。一か月前に見た部屋の散らかり具合とは見違えるほどに片付いていて、綺麗であった。
どうかしたんですか?
 本をパタンと閉めて、首を上げてエリーの顔を見る。
今日はこちらを使おうと思って、やって来ましたの。
 エリーが上品に手帳を開けて、その中からスッと一枚の紙を取り出した。その紙を見ると、思わずみどりは、あっと声を出した。『ごはんをごちそうする券』、この長方形の小さい紙切れには、丸文字でこう書いてある。3年前のエリーの誕生日に、みどりがプレゼントとして渡したものだった。エリーは今日まで使うことなく、大事に取っておいたのである。
 当然だがまだ小学生であるみどりの手持ちの金は少なく、エリーがいつも行くような高級一流レストランに食べに行くことなどまず無理である。結局行きついたのは、最寄りの都会駅から2つ先の駅にある、小さいこじんまりとした定食屋だった。これを見たエリーは、逆にみどりさんらしいと喜んでいた。メニューも少なくて助かると言って、エリーはすぐに焼き魚定食に決める。あたふたして決められないみどりは、最後は同様に焼き魚定食を注文し、ご飯を大盛りにしてもらった。


 魚を食べるとこの二人は、まるで精密機械でも扱っている時のように、無口でテキパキと食べ始めた。それでいて上品で流れるように箸を運ぶ。みどりもエリーの躾を守り、姿勢良く丁寧に食した。特に長い会話もないまま、お互いに完食した。勘定のために定食屋のおばちゃんを呼ぶと、やって来たおばちゃんは二人の空き皿を見て驚嘆した。

まぁ~、随分と綺麗に魚を食べるんだねぇ~。
 一本の背骨が、途切れることなく魚の頭と繋がっている。小骨は皿の端にまとめられ、身も皮も余すことなく食べて無くなっている。この鮮やかな食べあとを見て余程感動したのか、定食屋のおばちゃんは少し安くしてくれた。


 ごちそうさまでしたと言って、二人は外に出た。目の位置にまで傾いた真っ赤な夕日が、この郷愁ある町を橙色に染めあげている。空の半分は藍色に変わり、日没の近さを告げていた。春の訪れを感じる柔らかい東風が二人の髪を揺らす。エリーは手を顔の横に添え、髪が乱れないよう抑える。夕日に焼けた彼女のその姿は、周密な影絵が動き出したような、真っ黒いシルエットを描いていた。

 風が止むと、二人は歩き始めた。エリーはふっと小さく息を吸い、平生の優しい口調で声を発した。

みどりさん、わたくし達が初めて出会った日のこと、憶えていますか?
 みどりは苦笑いをして、
あたり前じゃないですか。
 そっと、目を閉じた。その心の奥には、当時の記憶がまるで最近起こった出来事であるかのように、鮮明に蘇ってくる。両親を事故で亡くし、一人孤独となったみどりは、ポルックスの導きで魔法少女となった。その後安住の地を求めて各地を転々とし、この都会へ辿りついた。しかしこの時のエリーは気が強く、自分よりも強い魔法少女を次々と街から追い出していた。年齢も経験も低いみどりが勝てる筈もなく、一度は都会から追い出されてしまった。
…最悪の出会いでしたわね。
 エリーは結んだツインテールを、左手でくるくると弄っている。
その後、ゆづ先輩のおかげで居候することになって…。
 みどりが苦い思い出から話を進める。
今じゃあもう、わたしにとってエリー先輩は、一番仲の良い魔法少女です。
 このときにみどりは定食屋を出てから初めてエリーの顔を見た。エリーもまた視線に気づき、みどりの方を見つめ、歩みを止めた。
この3年間、わたくしが綺麗好きなせいで、何度も口うるさく言う時がありましたわよね。

それでもみどりさんは、先輩先輩って慕ってくださいました。

 身体ごとみどりの方に向け、両手を前で組む。
とても嬉しかった。

でも、いつもその気持ちが言えなかった。

それが、わたくしの唯一の後悔ですの。

 みどりは言葉を返すことができなかった。今ここで喋れば、絶対に涙が共に流れ落ちるだろうと分かっていたからだ。

 エリーは震える唇から、また小さく息を吸う。
みどりさん、あなたはもう立派な大人の一員です。

記憶力も土地勘もいいから、わたくしみたいに迷子になることもないでしょう。


もう、わたくしが注意しなくても、傍にいなくても、ちゃんと自分の力で生きていけますわ。

 瞳を潤し、いつもの、あの天使のような笑顔を見せる。
今日まで、本当にありがとうございました。

みどりさんといた日々は、とても楽しかったですわ。

またいつか、またどこかで会えましたら、もう一度、先輩と呼んでください。

 みどりの眼から堪えていた大量の涙が溢れ出し、大声をあげてエリーの胸へ駆けていった。エリーも耐えることができずに、大粒の涙をボロボロと流し始めた。

 抱き合った二人は言葉を介することなく、人目を気にせず、懸命に、枯れ果てるまで泣き続けた。

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 最終日。時刻は17時30分。

 エリーは一人夕暮れを見ながら、紅茶を飲んでいた。この家も引っ越しの準備がほぼ整い、必要最低限のものや、ここに置いたままにする家具などだけがあるだけだった。毎日食事を取っていたこのダイニングルームも、大きなテーブルと8つの椅子を残して、何もかもなくなっている。

 最後の一滴まで紅茶を飲み切ると、おもむろにカップをテーブルに置き、ダイニングルームを出た。向かった先は、屋上へと続く階段。幼少の頃から何度も駆け上がっていた階段だが、それも今日で最後だった。

 息切れしながらも、なんとか屋上へ着いた。すぐに荒い呼吸を整えて、外に脚が乗り出すような形で腰を下ろす。寒暑なく無風の中で、目の前に広がる西の空をただただ見つめていた。いつのまにやら隣にはリゲルが、エリーと同じ目線で同じ空を見ていた。

…ちょうど目の前に見える、一際に輝く星がありますわよね?

あれは宵の明星、わたくしの最も嫌いな星ですわ。

 リゲルは黙ってその星を見つめる。
この星は、沈む太陽のように段々と光を失っていき、夜の訪れと共に見えなくなりますの。

光がゆっくりと消えてゆく様が、まるで死を表しているようで、嫌でしたの。

 黄昏の空を眺めるエリーの胸中には、これまでの半生が走馬灯のように流れていた。
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 エリーが魔法少女になったのは、およそ7年前。早朝にポストに投函していた手紙に、興味本位で名前をかいたことが始まりだった。
やあ!僕はリゲル!今日から魔法少女の君の手助けをするよ!
う、うるさいですわ!

朝から耳がキンキンしますの!

 間もなくして、初めての依頼をこなした。とある男性の落とし物を探すというものだった。
おおっ!たしかに私のパスケースだ!

本当にありがとう!

 両親と学校の教師以外の大人に、初めてありがとうと言われた彼女は、これまでにない達成感に満たされていた。
 一年後、エリーの街に新しい魔法少女がやって来たのだが、すぐに追い出してしまう。
エリー!どうしてそんなことをするんだい!?

魔法少女は仲間だ、仲良くしないと!

この街にはもう何人も魔法少女がいますわ!

それに、あんな素人に依頼を奪われたくないんですの。

駄目だよエリー!協力していかないと!
うるさいですわ!
 今思ってみれば、これがリゲルとの初めての喧嘩だった。
 リゲルは探求心が強く、なにより純粋な奴だった。
エリー、朝早くから何を見ているんだい?
え?あの空に見える星ですわ。

あれは――――

 と、軽く説明をした。本に書いてあった内容を復唱しただけなのだが。
そうなんだ!

やっぱり、エリーは物知りだね!

べ、べつに、これくらいふつうですわ…。
それに、あの星の輝き、なんだかエリーの髪色に似ていて綺麗だね!
えっ!?

そ、そんな…。

 褒められることも増えたエリーも、つい顔が火照ってしまう。

 それ以来、星を見ることが好きになった。


 またある日は、

エリーはいつもそれを飲んでいるね。
ええ。

紅茶を飲むと、とてもリラックスしますの。

あなたも一杯どう?

僕達はそういったものは飲めないから…。
 このように自分に関係のないことでも、エリーについて疑問に思ったことは鬱陶しいくらいに全て質問してきた。
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 何もかも思い出した。

 人生の分岐点となった日も、記念日となった日も、日々の生活も、いつもと変わらない時間も、ずっと彼女の隣には、応援してくれる者がいた。もはや当たり前になっていたことだった。

 そしてその日々が、今、終わろうとしている。白々しいおとぎの国にいたかのように。

 エリーは、暗闇に光る大きな星から、隣に浮かぶリゲルに目をやった。

…リゲル、あなたとは、いつも喧嘩ばかりでしたわね。

わたくしがプライドが高く、なかなか折れない性だったから、あなたに譲らなかったのでしょう。

 エリーの話し声は、いつも以上に、静かで、穏やかなトーンだった。
それでも、わたくしはリゲルが監査役でよかったと思ってますの。
 リゲルも目を合わせて、
僕もだよ、エリー。

君と一緒でよかった。

 ふふっと微笑むエリー。

 そしてちらりと時計を見た。まもなく18時半だった。

欲を言うなら、一度でいいから、あなたと一緒に紅茶が飲みたかったですわ。

先代の局長さんのように人間の姿になれる為には、あとどれくらいかかりますの?

先代のトップのようになるためには、監査役として数多くの功績を収めなければならないんだ。

だから、相当な時間がかかるかな…と…。

 珍しく、リゲルが自信なさげに話している。エリーはこの機を逃さず、
それに、あなたはお調子者だから、他のマスコットよりも時間がかかりそうですわね。
とからかった。
えー!ひどいよー!
ふふふっ、冗談ですわ。
 エリーは笑顔のまま、
ずっと、待ってますわ。

あなたとの記憶が全て無くなろうと、わたくしは、今日のようにこの空を見つめています。

…さようなら、リゲル。

7年間ありがとう。


もしまた会えましたら、ティータイムの続きをしましょう…。

 ゆっくりと目を閉じ、横向きに倒れ込んだ。
 直後、そこに結弦葉が現れ、エリーが意識を失っているのを確認する。その後、目を瞑り、両手で彼女の頬に触れると、結弦葉の手の甲に魔法陣が浮かび上がった。魔法少女を辞める人に対しておこなう、記憶を改ざんするための魔法だ。これが完全に終了することで、その少女は魔法少女としての能力を完全に失うこととなる。

 目を開けて、両手をゆっくりと離す。意識を失った少女は、基本的に次の日の朝までは目覚めない。結弦葉はエリーを抱え上げて、寝室まで連れて行った。


 結弦葉はエリーをベッドの上に仰向けに寝かせた。大きな瞳を閉じて、深い呼吸を繰り返す彼女の寝顔をじっと見つめた。真っ白な肌に、手入れが行き届いた髪、曲線を描く長いまつ毛、誰もが憧れる高い鼻、潤いのある小さい唇。もう何回も、何十回も、何百回もみた寝顔だ。それが、こんなにも愛おしく、心苦しいものになるとは。

 エリーの顔に、一つ、二つと水滴が滴り落ちる。一ヶ月前から、必死に堪え続けてきた涙が、遂に溢れ出してしまった。ゴシゴシと目を擦っても、すぐに視界が滲んでしまう。ベッドのシーツを握りしめて、必死に嗚咽を我慢する。なるべくエリーの顔を見ないようにして、落ち着きを取り戻すのを待つしかなかった。


 しばらくして、感情の山場を越えると、すぐに結弦葉はエリーに背を向けてその場から立ち去った。リゲルは結弦葉と共に闇の中へ消えていき、エリーは独りとなった。

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 翌日。まだ空が薄暗い内の夜明け、エリーは普段通り目が覚めた。彼女自身、昨日の夕方から記憶がなく、気が付いたらベッドの上で横になっていたというのである。

 そしていつも通り、習慣化した”あること”を行なった。

 なぜ日課にしたのか分からない。ある日、ある時から、ある場所で、ある誰かと共に、いつもこれを見ていた。思い出したくても、どうしても思い出せない。まるで、深い夢を見ていたように。


 カーテンを開き、露の滴る窓を開く。瞬く間に冬の名残が身体を包み込んだ。肌寒さに少し身震いすると、白い吐息と共に天を仰ぐ。

 藍色の東雲にある唯一つの星を、一心にじっと見つめた。自慢の髪色と同じ、黄金に輝く星、明けの明星を。

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登場人物紹介

黒嶺 結弦葉 (くろみね ゆづは)

21歳

田舎生まれ田舎育ち

魔法少女歴10年のベテラン

跡継ぎ問題に悩まされている

シャウラ

マスコットと呼ばれる白くて丸い地球外生命体

結弦葉を魔法少女に引き込む

渋い声

爺さん

結弦葉の隣の家に住む老人
よく田んぼに落っこちる

黄更城 エリー  (きさらぎ エリー)

13歳

魔法少女歴4年

都会出身

超一流企業の社長の一人娘

リゲル

エリーと共にいるマスコット
若々しい男の人の声

立河 みどり  (たちかわ みどり)

8歳

魔法少女歴1ヶ月の新人

孤児

ポルックス

みどりと共にいるマスコット
落ち着いた女の人の声 

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