過ぎ行く明けの明星
文字数 18,680文字
黒嶺結弦葉。この世界に住む、魔法少女の長と呼べる存在だ。
彼女がその座に就いてから約二年、急変的な改革により一時は混乱が生じたが、現在は立ち直り、マネジメントが軌道に乗りつつあった。
後ろには、二人の少女が彼女の顔を見上げていた。二人とも年齢は10歳前後で、一人はフリフリとしたピンクのワンピース、もう一人はセーラー服をオマージュしたようなワイシャツとミニスカート、黄色のリボンを身に纏っていた。彼女たちは魔法少女の変身した姿をしている。
エリー先輩、つまり黄更城エリーは、今や現役で最年長の魔法少女となっていた。
何なら、私の方から連絡しておこうか?今なら時間あるし。
そこで、一際大きく、刃を交える音が聞こえた。見ると、二人の魔法少女が真剣な眼差しで鎬を削っていた。片方は金髪のツインテールを揺らしながら、華麗な身のこなしで攻め続けている。もう一方は銀髪のセミロングで、右手に持つ大きな盾で攻撃を受け止めつつ、左手に持つ片手剣で隙を伺っている。
黄更城エリーと立河みどりの二人だ。二年が経った今でも、彼女らは先輩後輩であり友達に近い親しさを保っていた。二人はほぼ毎日、夕方になると、ここディースペースで運動も兼ねて勝負している。勝負といっても、体格が大きくキャリアもあるエリーが、みどりに教えるという場合が多い。ほとんどいつもここにいるから、魔法少女達の間では、”いつもの場所”でディースペースが連想されるのである。今日も学校が終わってすぐにここへ向かい、すでに2時間程度剣を振っている。
15歳になったエリーは、少し背が伸びて、一層大人びた容姿へとなった。対して10歳のみどりに大きな変化はなかった。敢えていうなれば、武器の変更が可能になった為、盾を一回り大きくして、片手剣を持つようになっていた。
そして振り向く間もなく、膝から崩れ落ちた。
…さて、少し休憩しましょうか。
『ゆかりとみながお前のこと探してるぞ』だって!
と、すぐに立ち直った。
この開き直りの速さが、みどりの最大の取り柄の一つであろう。みどりと別れた後、エリーは連絡を受けた二人の少女のもとを訪れた。少女達の相談というのは、髪の結び方についてであった。先輩であり、そして毎日その長い髪の手入れと巻くことを怠らないエリーに尋ねたかったのだ。
その日の夕方。少女たちの相談相手をし終えると、エリーは今日一日の出来事を思い返しながら、家路に向かっていた。
そうして、精魂尽き果てたような元気のない声で、家のドアを開けた。
彼女の両親が、仕事の都合上、海外へ渡る予定であったのだ。両親は世界を相手にする仕事に勤めている。この国にいるよりも、実際に取引先の多い国に自らが行く方が効率が良いとという理由であった。
両親と共に、エリー自身も海外へ旅立つつもりであった。すでに滞在する国の高校の入学試験はパスしており、面倒な諸々の手続きも両親があっさりとこなしていた。そのため、あとは渡航するだけであった。
そして、これを皮切りに、魔法少女を辞めることを決意していた。魔法少女の平均年齢は約10.5歳であり、大抵の場合、進学と共に離れていくことが多い。エリーに関しては進学と海外移住が重なったことが大きな要因であろう。
しかし、エリーは、出国一ヶ月前に迫った今日になっても、このことを誰にも打ち明けられずにいた。あの二人の少女のように、自分を信頼し、慕ってくれる仲間たちを悲しませたくないということ。また何より、長年務めていて、もはや生活の一部ともなっている魔法少女という役目を手放すことを、自分自身が躊躇っているのである。
月日は刻々と過ぎていく。直前になればなるほど、悲しみや後悔が大きくなっていくことは分かっていた。それでも彼女は口を開くことができなかった。魔法少女を辞めると、情報秘匿の為に、それらに関する記憶が抹消されてしまう。愛おしくてたまらないのだ。魔法少女であったあの日々が、あの時間が、あの仲間達が。
エリーは、そのまま翌朝になるまで部屋を出ることはなかった。
一見真面目に見える彼女だが、この時も睡眠欲が頭の中を支配しており、報告書の内容などどうでもいいから早く寝たいとさえ思っていた。死んだ目をしてキーボードを叩く結弦葉の元に、思わぬ客が舞い込んできた。
それにしても珍しいな、お前がここに来るなんて。どうしたんだ?
だから、今日来てみたんだ。
…その機嫌悪い理由が分からないんじゃあ、どうしようもできないなぁ。
というより、私よりもお前のほうがずっと一緒にいるだろ。なんか心当たりはないのか?
でも今僕が言うと、エリーのためにはならない。
だから、エリーにそれを話すように、結弦葉さんに手伝って欲しいんだ。
話を引き出せってことか?
再び一人になった結弦葉は、腕を組んで、エリーの原因について考えてみた。
あと一ヶ月ちょっとだし…、それが引っかかるのかな。
しかし、熟考する間もなく、眠りに落ちてしまった。
その背後から、革靴を鳴らす足音が聞こえた。
なにか一人で考え込んでないか?
結弦葉がピースペースに戻ると、すぐに数人の少女たちが群がり、囲い込まれてしまった。その中には昨日結弦葉を呼び止めた二人もいた。
あの、エリー先輩、何かあったんですか?
だから心配で…。
それから、廊下を歩いていると、
だがそれ以上に、魔法少女達のエリーに対する親しさというのを再確認させられた。これほどまでに彼女が気にかけられているとは、これほどまでに愛されているとは、と。
何が、あったのか。
アイツ、めちゃくちゃ心配してたよ、お前のこと。
しばらくして、少し落ち着きを取り戻すと、エリーはついに全てを打ち明けた。
エリーが辞めるという三文字を発した時、結弦葉は、目尻を下げ、少し頬を上げ、いつも見せないような優しい顔をした。そして、エリーを二つ返事で肯定した。
エリーの話が終わると、結弦葉は定型通りに、辞める際の説明を始めた。
マスコットのことは消えてしまうけど、まあ、私とか後輩のことは忘れないよ。
いつがいい?
しばらくしてもう一度落ち着くと、結弦葉から手を放し、半歩後ろに引いた。
ゆっくりと、はっきりと、自分の想いを伝えた。
涙で赤くなった目が見えなくなるほどの、満面の笑みであった。それを見た結弦葉は、実感が湧き始め、自然と目頭が熱くなった。彼女自身、人の泣く姿を見てもらい泣きする質ではなかったし、魔法少女が辞めていく瞬間もこの二年間で何度も立ち会ってきた。
しかし今回は違うのだ。例外であった。共に行動し、喜びを分かち合ってきたことも幾度となくあった親友が、こんな自分をいつまでも先輩と慕ってくれた最高の後輩が、巣立ちを迎えるのである。そんな時に見る、平生と変わらない笑顔が、いつになく物寂しかった。泣く姿を見せたくないという虚栄心と、何度も見たこの笑顔を忘れたくないという口惜しさの狭間を心の中で行き来していた。
結弦葉はふ―っと息を吐くと、
だいたい、一ヶ月後だな。
それまでに、せめて悔いのないように、な。
あぁ、話したら、なんだかスッキリしましたわ。
一人残された結弦葉には、満足とは程遠い、心にぽっかりと穴が空いてしまったような、虚無感と喪失感があった。夕暮れが裸木を黒く染めている。穏やかに吹く北東の風が、静かに服を揺らした。まだ少し肌寒い中、結弦葉は呆然と、まるで時間に置いてけぼりにされているかのように、その場に立ち尽くしていた。
すると、ピースペースの中心には、魔法少女達と笑顔で振る舞うエリーの姿があった。多く後輩達に囲まれ、袖や裾を引っ張られている。彼女も同様に、昨日はなかったことのように過ごしていた。
しばらくエリーを見ていると、次第にエリーは結弦葉の視線に気が付いた。話していた少女達に、ちょっと待っててくださいねと中断させると、こちらの方へ歩んできた。
もう大丈夫そうか?
普段通りのわたくしに戻れましたわ。
だから一つに絞って、それに専念することにしましたの。
んで、なににしたんだ?
だから、これに専念しようと思いますわ。
そのためか、以降ピースペースには落ち込んで佇んでいる子がちらほらと見るようになった。中にはエリーがいなくなることを嫌がって、泣きながら結弦葉の元へ駆け込んでくる子もいた。
最も親しく、そして毎日会っていたみどりには、結弦葉と話したその日の夜に全てを打ち明けた。孤児であるみどりは、今現在でもエリーの家に居候している。だが、黄更城一家がこの家を空けてしまうため、エリーの父親が代わりとして近くのアパートの部屋を手配した。
みどりに対しては、毎日の勝負で一切手を抜かず常に全力で戦うようになった。また、日々の身だしなみや、早寝早起き、掃除などどいった生活面に関しても、かなり細かく厳しく言うようになった。今まで我慢していたことを全て発散するように、徹底的に叩き込んだ。まだ伝えていないことが山ほどあったからであった。初めて出会ってから約3年間、ほぼ毎日顔を合わせていた。誰よりも一緒にいる時間が長かった分、誰よりも伝えたいことが多かったのである。
この日、結弦葉は最悪の目覚めをした。自分に付きまとうマスコットのシャウラが、彼女の顔面の上で飛び跳ねて起こそうとしたのである。
目を覚ましたと同時に怒りが頂点に達した結弦葉は、そのままシャウラを鷲掴みにして、壁に叩きつぶしてやろうかという勢いで起き上がった。しかし枕もとの時計を見るや否や、怒りは焦りに変わった。時計の針は、本来結弦葉が起きるべき時間の約一時間後を指していたのである。
寝坊の訳は前日にあった。この日は何故かポイントの消費が全体的に多かったのである。使用明細は逐一確認するために、夜更かしをして寝る時間が遅くなってしまったのだ。
結弦葉は急いで髪を整え、スーツ姿へと変身する。すると、何やら騒がしい声がピースペースで聞こえる。少し早歩きでそこへ向かってみれば、何十人もの溜息が彼女を迎えた。結弦葉は一瞬何が何なのか理解できず、キョトンとしていた。ふとピースペースを見渡してみると、皆の中心の先頭にはみどりが立っている。そして壁には、『エリー先輩ありがとう』の文字が書かれた紙が貼りつけてあった。なるほど全てに合点がいった。ここにいる魔法少女たちは全員、エリーのお別れ会をするための準備をしていて、そこでのお菓子やプレゼントのために、昨日ポイントを使ったのだろう。大体の準備が終わり、あとは主役のエリーが待つだけ、という時に、結弦葉がきてしまったようだ。一斉の溜息は、恐らくこれに原因があるのだろう。来ただけなのに、なんだか物凄く申し訳ない気持ちになってしまった。
結弦葉もお別れ会に参加しようと思い、ここでエリーが来るのを一緒に待った。しかし、伝えていた時刻になっても、エリーが姿を現さない。次第に少女たちの顔に焦りが見え始める。あわやパニックになるところだ。
年長のみどりが痺れを切らして、
すっかり手隙になった結弦葉は、不安そうであったり、暗い顔をしている少女達をなだめていた。
歩きながら探していると、キョロキョロと周りを見て、おどおどとしているエリーを発見した。すかさずエリーの元へ駆けていく。
みんな待ってますよ!
先程依頼がきたのですが、場所が分からなくて…。
リゲル、依頼主はどの辺にいるの?
そこには依頼人と特徴が合致する人物が立っていた。みどりはすぐに話しかけにいった。年齢はエリーと同じくらいの15~16歳ほどに見え、高級ブランドの一級品を身に纏っていた。そしてお嬢様口調である。
エリーは、彼女の整った顔立ちと、見栄っ張りな恰好と立ち振る舞いに見覚えがあった。やがて記憶の中から掘り当てると、驚いて瞠目した。依頼人である彼女は、かつて魔法少女であり、エリーに挑戦状を送って戦ったことがある、という過去を持っていた。しかし当の本人はエリーやみどりを見ても何も感じていないようだ。恐らく結弦葉が局長になって改革をする前に辞めてしまったので、記憶が無くなっているのだろう。
依頼主は白い肌が露になった左手を、黒い手袋をはめた右手で包みこんだ。
探すのを手伝ってくださいませんか?
快諾したエリーとみどりは二手に分かれて、周辺を捜索した。
再び一人になるエリー。
よく見れば、ここは何度も歩き、何度も迷子になった道ではないか。
忘れるわけがなかった。一歩一歩踏むたびに、美しく懐かしい思い出が鮮明に蘇ってくる。晴れの日も雨の日も、暑い日も寒い日も、いつもここを歩いていた。
一人で歩くこともあった。誰かと話しながらの時もあった。泣きながら歩くこともあれば、夜遅く真っ暗なこの道を駆け抜けたこともあった。
当たり前であったことが、日常的であったことであればあるほど、離れ難く、愛おしくなってくる。当分の間、この道はもう歩けない。今になってそれを実感し、一人郷愁の思いに浸っていた。
色々と思い返しながら歩いていると、正面に、ポツンと片方だけの手袋が置いてけぼりになっているのが見えた。意識を入れ替えるように、ふるふると頭を横に振ると、手袋の方へ歩いて行く。拾い上げた直後、向かい側からみどりが駆けつけてきた。
見つけてくださり、本当にありがとうございますわ!
数分経たないうちに、主役のエリーがピースペースに現れた。今度こそ少女たちは一斉にクラッカーを引いて、
この光景を少し遠くで見ていた結弦葉は、とある昔の出来事を思い出していた。
先輩やみどりさん以外の人とも、仲良くなれるでしょうか…。
イライラして、また苛めてしまったら……。
お前はもう年長の部類だから、しっかりとみどり達を支えてやってくれ。
わたくし、頑張ってみますわ。
今の結弦葉の視界には、沢山の笑顔に囲まれ、実に喜悦で幸せに満たされたエリーの姿があった。
それから皆に気づかれないよう、やおらにその場から立ち去った。
結弦葉は片付けのために再びピースペースを訪れた。勿論魔法少女は一人もおらず、口を付けた紙コップやお菓子の袋がいたるところに散乱していた。だが、食べ飲み残しは一切なかった。結弦葉は何も言わずそれらを拾い上げ、一つの袋にまとめ入れる。一つ一つが、魔法少女達が人の為に一生懸命に動き、貯めたポイントで生まれたものであった。既に役目を果たし終えた物だが、結弦葉はそれらをゴミだとは一切思っていなかった。
半分近く片づけを終えたあたりだろうか。袋を拾おうと身を屈めていた結弦葉の背後から、先輩、と彼女を呼ぶ声が聞こえた。その声に驚いた結弦葉は、肩を上げて、背筋をピンと伸ばした。そうしてすぐに振り向く。
エリーは発言してから恥ずかしくなったのか、また俯いて黙ってしまった。結弦葉は隣にいるシャウラに目配せすると、すぐにそれは彼女に耳打ちした。
現役の魔法少女であれば、一番の所持数だよ。
この6年間、いつどこにいても、決して休まずに依頼をこなしたことの成果だ。
本当に、よく頑張ったな。
わたくし、一人になるのは、とても怖くて不安なんです。
だから、この先も、いつまでも、どんな時でも、わたくしを見守っていてくれませんか…!
結弦葉は少し頬を上げて、
ここで泣くと、折り紙が濡れちまうぜ?
じゃあな。
向こうに行っても…、元気でやれよ。背を向けて自分から離れていくエリーを、ただ見つめていた。
結弦葉はもう涙を堪えるので精一杯だった。いち早くこの場からいなくなりたいと思う反面、この瞬間が一生続いてほしいとさえ思っていた。もうここでエリーを見ることは叶わない。それを祝福するには、なんとも時間が短すぎるのであった。朧げに見える先輩の姿を前に、誠意と感謝と込め、深々とお辞儀をした。
既にみどりは手配されたアパートに越しており、もともと居たエリーの家の部屋には、まるで未使用であるかのように、物一つの残っていない。思い出がたくさん詰まった部屋を手放すことにみどりは名残惜しく思っていたが、エリーと共に海外に行くわけにもいかないので、仕方なく引っ越した。エリーも、彼女の父親も、使用人もいないこの家でする事など何もなく、今日も午前中に掃除を済ませ、夕日を背に読書をしていた。
そんな時に、初めてドアをノックする音がした。以前の部屋と変わらずはぁいと返事すると、その人はドアを開けて入ってきた。
魚を食べるとこの二人は、まるで精密機械でも扱っている時のように、無口でテキパキと食べ始めた。それでいて上品で流れるように箸を運ぶ。みどりもエリーの躾を守り、姿勢良く丁寧に食した。特に長い会話もないまま、お互いに完食した。勘定のために定食屋のおばちゃんを呼ぶと、やって来たおばちゃんは二人の空き皿を見て驚嘆した。
ごちそうさまでしたと言って、二人は外に出た。目の位置にまで傾いた真っ赤な夕日が、この郷愁ある町を橙色に染めあげている。空の半分は藍色に変わり、日没の近さを告げていた。春の訪れを感じる柔らかい東風が二人の髪を揺らす。エリーは手を顔の横に添え、髪が乱れないよう抑える。夕日に焼けた彼女のその姿は、周密な影絵が動き出したような、真っ黒いシルエットを描いていた。
風が止むと、二人は歩き始めた。エリーはふっと小さく息を吸い、平生の優しい口調で声を発した。
それでもみどりさんは、先輩先輩って慕ってくださいました。
でも、いつもその気持ちが言えなかった。
それが、わたくしの唯一の後悔ですの。
みどりは言葉を返すことができなかった。今ここで喋れば、絶対に涙が共に流れ落ちるだろうと分かっていたからだ。
記憶力も土地勘もいいから、わたくしみたいに迷子になることもないでしょう。
もう、わたくしが注意しなくても、傍にいなくても、ちゃんと自分の力で生きていけますわ。
みどりさんといた日々は、とても楽しかったですわ。
またいつか、またどこかで会えましたら、もう一度、先輩と呼んでください。
抱き合った二人は言葉を介することなく、人目を気にせず、懸命に、枯れ果てるまで泣き続けた。
エリーは一人夕暮れを見ながら、紅茶を飲んでいた。この家も引っ越しの準備がほぼ整い、必要最低限のものや、ここに置いたままにする家具などだけがあるだけだった。毎日食事を取っていたこのダイニングルームも、大きなテーブルと8つの椅子を残して、何もかもなくなっている。
最後の一滴まで紅茶を飲み切ると、おもむろにカップをテーブルに置き、ダイニングルームを出た。向かった先は、屋上へと続く階段。幼少の頃から何度も駆け上がっていた階段だが、それも今日で最後だった。
息切れしながらも、なんとか屋上へ着いた。すぐに荒い呼吸を整えて、外に脚が乗り出すような形で腰を下ろす。寒暑なく無風の中で、目の前に広がる西の空をただただ見つめていた。いつのまにやら隣にはリゲルが、エリーと同じ目線で同じ空を見ていた。
あれは宵の明星、わたくしの最も嫌いな星ですわ。
光がゆっくりと消えてゆく様が、まるで死を表しているようで、嫌でしたの。
朝から耳がキンキンしますの!
本当にありがとう!
魔法少女は仲間だ、仲良くしないと!
それに、あんな素人に依頼を奪われたくないんですの。
あれは――――
やっぱり、エリーは物知りだね!
そ、そんな…。
それ以来、星を見ることが好きになった。
またある日は、
紅茶を飲むと、とてもリラックスしますの。
あなたも一杯どう?
人生の分岐点となった日も、記念日となった日も、日々の生活も、いつもと変わらない時間も、ずっと彼女の隣には、応援してくれる者がいた。もはや当たり前になっていたことだった。
そしてその日々が、今、終わろうとしている。白々しいおとぎの国にいたかのように。
エリーは、暗闇に光る大きな星から、隣に浮かぶリゲルに目をやった。
わたくしがプライドが高く、なかなか折れない性だったから、あなたに譲らなかったのでしょう。
君と一緒でよかった。
そしてちらりと時計を見た。まもなく18時半だった。
先代の局長さんのように人間の姿になれる為には、あとどれくらいかかりますの?
だから、相当な時間がかかるかな…と…。
あなたとの記憶が全て無くなろうと、わたくしは、今日のようにこの空を見つめています。
7年間ありがとう。
もしまた会えましたら、ティータイムの続きをしましょう…。
目を開けて、両手をゆっくりと離す。意識を失った少女は、基本的に次の日の朝までは目覚めない。結弦葉はエリーを抱え上げて、寝室まで連れて行った。
結弦葉はエリーをベッドの上に仰向けに寝かせた。大きな瞳を閉じて、深い呼吸を繰り返す彼女の寝顔をじっと見つめた。真っ白な肌に、手入れが行き届いた髪、曲線を描く長いまつ毛、誰もが憧れる高い鼻、潤いのある小さい唇。もう何回も、何十回も、何百回もみた寝顔だ。それが、こんなにも愛おしく、心苦しいものになるとは。
エリーの顔に、一つ、二つと水滴が滴り落ちる。一ヶ月前から、必死に堪え続けてきた涙が、遂に溢れ出してしまった。ゴシゴシと目を擦っても、すぐに視界が滲んでしまう。ベッドのシーツを握りしめて、必死に嗚咽を我慢する。なるべくエリーの顔を見ないようにして、落ち着きを取り戻すのを待つしかなかった。
しばらくして、感情の山場を越えると、すぐに結弦葉はエリーに背を向けてその場から立ち去った。リゲルは結弦葉と共に闇の中へ消えていき、エリーは独りとなった。
そしていつも通り、習慣化した”あること”を行なった。
なぜ日課にしたのか分からない。ある日、ある時から、ある場所で、ある誰かと共に、いつもこれを見ていた。思い出したくても、どうしても思い出せない。まるで、深い夢を見ていたように。
カーテンを開き、露の滴る窓を開く。瞬く間に冬の名残が身体を包み込んだ。肌寒さに少し身震いすると、白い吐息と共に天を仰ぐ。
藍色の東雲にある唯一つの星を、一心にじっと見つめた。自慢の髪色と同じ、黄金に輝く星、明けの明星を。