第1話:千葉家の兄弟と個性

文字数 2,081文字

 千葉裕富は、九十九里で、有名な千葉一族の子孫の一人と言っても時代が古すぎてピンとこない。しかし、千葉常胤「つねたね」も代々、偉人が輩出される家系の先祖として戦前から地元で有名だった。千葉常胤は、千葉の礎を築いた千葉一族の中興の祖ともいえる人物である。合議体制をとる鎌倉幕府の13人の御家人に入ってないが源頼朝の信頼を得て第1代将軍、源頼朝の後見役として源氏を支える重要な役割を果たした。

 ここで、千葉常胤の人となりも述べておくことにする。平安時代後期の1126年に常胤の父、常重が大椎「現在の千葉市緑区大椎町」から現在の中央区亥鼻付近に本拠を移した事により千葉市の都市としての歴史が始まったといわれている。常胤は、1180年に石橋山の戦いで平家方に敗れた源頼朝が海を渡って房総に逃れてきた際、源頼朝の再起を助けた。源頼朝34歳、千葉常胤63歳の時です。

 また、鎌倉を本拠とするよう進言した。こういう点で鎌倉幕府の創設に重要な役割を果たした。千葉常胤を源頼朝は「父の様に慕っていた」との記録が「吾妻鏡」に残っている。その後、多くの功績を挙げ千葉氏は鎌倉幕府の中でも屈指の御家人となった。そのずっと後の子孫が父の千葉裕富と言う事になる。千葉家は子供が少なく1970年5月4日に長男の千葉裕一が誕生、3年後1973年4月12日に弟の千葉末吉が誕生した。

しかし、その後、子宝に恵まれなかった。現在の千葉家の跡取りは、長男の千葉裕一と次男の千葉末吉の2人だけだった。その後、野菜の畑、米の水田、落花生を周辺の7軒の農家と共に栽培していた。また釣りの得意で暇ができると自転車に釣り道具と魚を入れる箱を乗せて出かけた。そして、多くの魚を取ってきた。両親、千葉裕富と常子さんは、既に隠居部屋で過ごしていたが金利が良い時代にしっかりとお金を増やしていた。

 しかし、千葉裕富は、資産について奥さん以外には内緒にしていた。そして1980年頃、ハイエースバンを買って落花生の運搬をしていた。また、近所の仲間と大勢で釣りに行ったりして重宝がられていた。その頃、千葉裕富と息子の千葉末吉が運転免許を持っていた。2人ともいつも笑顔で仲間達にも信頼された。さらに収穫を終えた作物で形が悪くて出荷できない野菜、果物は、農家を手伝ってくれた人たちに無償提供した。

 その他、鶏、豚も飼育していて卵を売ったり卵を産まなくなった鶏は鶏肉として販売した。しかし、しっかり者の千葉末吉は、自転車で早朝、陽が上がると握り飯と漬け物、ゆで卵の醤油漬けを持って九十九里浜の岩場に向かった。その後、いろんな魚を釣って自宅に9時過ぎには帰って来た。多くの魚が捕れると、さばいて冷凍庫に入れて保存した。そして、必要なときに食料にしていた。豪華ではないが自給自足の生活をしていた。

 車、テレビ、ラジオ、洗濯機、ステレオ、クーラーを持っていた。ところが千葉裕一は、今までの千葉家らしくないタイプだった。とにかく本を読んで勤勉でそろばんも覚えが早く記憶力、計算力、交渉力に優れていた。その言葉通り中学に上がるとクラスでもトップクラスの成績で、特に算数は、まず間違える事が滅多になかった。だからと言って偉ぶるわけでもなかった。さらに親に言われたことを淡々と済ませた。

 この頃、千葉家では、海の幸、野菜、苺、落花生、米が十分手に入った。そして、祖父の千葉裕富さんが株でしっかりと資金をため家の増改築など金を出してくれた。そのため、あくせくする事もなかった。そして1986年、本千葉駅近くの県立千葉高校を受験して合格した。その後、実家を出て、本千葉駅と千葉高校の間に1ルームマンションを借りて登校するようになった。次男の千葉末吉も記憶力と計算力は良かった。

 おとなしい性格で言葉使いも丁寧で人に好かれるタイプだった。そのため、女性には年齢に関係なく可愛がられた。兄の千葉裕一は、高校に入ると、俺は家を出て千葉大か東京の大学に入りたいと言う様になった。一方、弟の千葉末吉も茂原高校に入ろうと中学に入ると勉強を始めて徐々に成績をあげた。この頃、千葉裕一は、高校合格のご褒美をねだった。そして、NECのバリュースターと言うパソコンを購入してもらった。

 その頃、まだ珍しかったADSLインターネット回線をこの地区で、一番先に導入した。その後、兄は、猛勉強をして中学での成績で何回もトップを取る秀才になった。やがて1986年念願の県立千葉高校を受検して合格を勝ち取った。そして、家を出て千葉高校の近くにワンルームマンションを借りてもらい1人で生活するようになった。もちろん学費、小遣いと両親の援助で生活していた。

 実家には、正月、春休み、5月の連休、夏休み、冬休みに帰って来た。父、千葉裕富は、敷地内の離れを壊してアパ-トを建てる事にした。この頃、はやり出した木造のメゾネット型2階建ての木造アパート7部屋を駐車場2台付きとした。アパートが完成すると成東、松尾、武村、蓮沼、九十九里から東京へ向かう若い人達の人気が高く3ヶ月で満室となった。
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