第3話 雅美の球歴

文字数 1,498文字

 石川雅美は小学校三年生の時に野球に興味を持った、両親に連れられて三歳年上の兄の試合を見に行き、エースで四番の兄をカッコいいと思って自分もああなりたいと思ったのだ。
 兄は中学に上がるとサッカーの方に行ってしまったが、四年生になった雅美は少年野球チーム・サンダースに入り本格的に野球を始めた。
 ポジションはもちろんピッチャー、一番目立つからと言うのがその理由だ。
 小学生くらいだと男の子と女の子で体格や体力の差はないが、ことボールを投げると言うことに関しては差がある場合が多い、男の子は小さいうちから父親にキャッチボールを教えられるからなのだろう、雅美はその頃から体も大きく力もあったが、キャッチボールの経験はあまりなかったので肩の筋肉はあまり発達していなかった、キャッチボール慣れしている男の子に比べてボールは遅い。
 だが雅美は負けん気が強い、キャッチャーのようにボールを担ぐフォームだと男の子に負けなかったのでそのフォームが身につき、それは今でも基本的に変わらない。
 だが、そのフォームがずっと固定されるには別の要因もあった。
 雅美はあまり熱心に一つのことを追求するのは得意ではない、ピッチングに関しても同じで、ただ投げているだけではつまらないとばかりに変化球を投げ始めた、そしてその頃TVで見たのがフィル・ニークロ投手の記録映像だった。
 なんだかわけのわからない変化の仕方をするボールがある、雅美は教則本を調べてナックルの投げ方を憶えて試してみると、大抵はドロンと落ちるだけだったが、時折不思議な変化をすることがある、それが面白くて雅美はピッチング練習にナックルを混ぜるようになった、担ぐような投げ方はナックルボーラーに共通の投げ方、雅美のフォームはたまたまナックルボールに向いていたのだ。
 そして五年生の時、監督から声を掛けられた。
 監督は、まだ肩や肘が出来上がっていない小学生には変化球を投げさせない方針だったので怒られると思ったのだが、そうではなかった。
 ナックルボーラーの選手寿命が長いのを見ればわかるように、ナックルは肩や肘に負担を掛けない、その上で雅美のナックルボールを『面白い』と感じたのだ。
 その当時、六年生男子の速球派がいたのだが、長身で細身、腕をしならせるようなフォームだったので球数は投げさせられないと言うチーム事情もあった。
 そして、ナックルボーラーと速球派と言う全く異なるタイプのピッチャーによる継投が確立し、チームは全国大会にまで駒を進めた。
 中学生になると、野球少女の受け皿として発足したばかりのガールズリーグで野球を続け、女子野球部がある高校を選んで進学し、女子プロ野球のセレクションに合格と野球を続けて来た。
 中学時代に身長は170センチまで伸び、高校時代にはすっかり体も出来上がってストレートの球速も伸び、ナックルとのスピードの落差も大きくなって切れ味も増した。
 高校を卒業すると迷わず女子プロ野球の門を叩いた。
 以前、女子プロ野球は一企業を親会社とし、親会社が合同入団テストに合格した選手を各チームに振り分けると言うシステムを取っていたが、横浜レッドシューズは横浜にある企業を親会社とする独立採算制でスタートした、女子プロ野球全体を抱えていた企業は赤字に苦しんでいて、他の企業の参入は大歓迎だったのだ。
 高校時代から野球少女の間では有名だった雅美は、レッドシューズの人気を高める最終兵器であり、
 
 いくつかの偶然に助けられたが、雅美の野球人生は順風満帆だった。
 そして今、新たなステージに挑戦しようとしているのだ。
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