12
文字数 5,024文字
とにかく広い。いや、広すぎる邸内だった。
しかも内部は迷路のように通路が入り組んでいるように思えた。
俊介は拳銃を握ったまま、とにかく走り続けるしかなかった。
屋敷の外でさかんに銃声が聞こえた。
ラリーか。あるいはFBIやSWATとマックスウェルのボディガードたちが撃ち合いを演じているのだろうか。
前方に足音がして、立ち止まる。拳銃をかまえたとたん、目の前の通路をメイド服を着た若い女がふたり、血相を変えた様子で駆け抜けていった。
ホッとして汗を拭い、俊介はまた歩き出す。
長い通路の突き当たりに、アールデコ調にデザインされた木製の扉があった。
その横に立って、そっとドアノブに手をかける。思い切り回して、室内に飛び込み、拳銃をかまえた。
狭い部屋だった。木製のデスクと椅子。大きな書棚。マッキントッシュのパソコンが置いてある机の向こうに、紫のスーツを着た女が立ち上がった。
「誰だ!」俊介が叫ぶ。
女は歯の根も合わぬほど震えていて、声も出ない様子だ。
芝居だとすればアカデミー賞ものの演技だが、それはまぎれもなく本物の怯えのようだった。
「殺さないで。お願い!」
女はうわずった声を絞り出した。
「あんた、ここの秘書か?」俊介が尋ねる。
「キャスリーン・ウェイド。上院議員の専任秘書官です」
「ロバート・マックスウェルを見なかったか?」
彼女は黙って首を振った。
「本当だろうな?」
キャスリーンはまた頷いた。青白い顔でぽつねんと立っていた。
「わかった。信じるよ」
俊介がいって銃口を下げた。立ち去ろうとして、また彼女を見た。「あんたは早くここを出たほうがいい。今の仕事を失うかもしれないが、少なくともこの先、無事に生きていられるよ」
そういってから踵を返した。
扉に手をかけ、俊介が振り返ると、彼女はまた机の後ろにしゃがみ込み、今度ははっきりと声を上げて泣き出していた。
俊介はまた走った。
通路の窓から外を見ると、青い警光灯を明滅させながら、FBIの車両が次々と邸の前に到着していた。
「ようやく騎兵隊が駆けつけたか」
そう独りごちて、また走る。
さすがに息切れがする。何度か立ち止まり、膝に手をついてハアハアと背中を揺らす。そしてまた走った。
前方――屋内で銃声が聞こえた。
フルオートの連続射撃音。それからショットガンらしい野太い轟音。
ラリーと彼らが撃ち合いをしているのだ。
「待ってろ!」
俊介はそういい、絨毯を蹴るように駆けつづけた。
☆
「あんたは誰だ?」
ラリーが訊くと、女は低い声で答えた。
「名前はキャスリーン・ウェイド。ロバート・マックスウェル上院議員の専任秘書官です」
回り階段の途中にいる女の瞳は、氷のように冷たく光っていた。
硝煙と血の臭いに満ちたこの場にいて、いきなり煙草を吸い始めても不思議のないような、奇妙な落ち着きぶりだった。
「オーケイ」ラリーは銃を降ろした。「上院議員がどこに逃げたか、知っているか?」
「もちろん」
女がゆっくりとラリーの背後の扉を指差した。
彼はそれにつられて階下を振り返った。
ラリーが視線を外すと同時に、女は左手を飴色のソフトスーツの下に入れて、銀メッキの小型オートマティックを抜き出した。
気配を察して向き直ったラリーは、その小さな銃口をまともに覗き込むことになった。
女は銃をかまえたまま、腰を左右に振る優雅な仕種で、ゆっくりと回り階段を降りてきた。小型オートの引鉄に深く指がかかっている。
「撃つな。降参するよ」
ラリーは銃をゆっくりと床に降ろして、銃把から手を離した。
女が立ち止まり、真っ赤なルージュの唇を吊り上げ、婉然と微笑んだ。
「銃から離れて」
ラリーは三歩ばかり、階段のステップを下りた。そして女の拳銃を凝視した。小さな銃口。おそらく・三二口径だ。威力は小さいが、頭や心臓に当たれば即死だ。何とか気を逸らして逆襲するしかない。
しかし、チャンスは意外なところから訪れた。
ラリーの後ろから、ふいに声がした。
――やっと再会できたな。
俊介の声だ。
振り向くと、階段下のフロアに彼が立っていた。
女がハッとそっちに銃口を向けた。
とっさにラリーは右足を上げ、ジーンズの裾をまくり上げた。その下からワルサーPPK/Sを抜き出して、ダブルアクションで女の利き腕を撃ち抜いた。
小さな銀の拳銃が宙に舞った。
サンバのステップを踏むように彼女がよろめいて後退ったとき、俊介が両手で保持した・三五七マグナムを二度、撃った。弾丸はふたつとも女の胸を貫き、彼女の躰は横の壁に叩きつけられ、血の跡を曳いて回り階段のステップにへたり込んだ。
目を開いたまま、ピクリとも動かない。
銃声の残響が消えた。
あの俊介が躊躇なく女を撃ったことが意外だった。
「もしかして、彼女……なのか?」
ラリーが訊くと、俊介は頷いた。「そう。ジェフとマギーを殺した女だ」
俊介が階段を登ってきた。ふたりで女のところに歩み寄った。
マネキン人形のように冷たい目で、女は死んでいた。
真っ赤なルージュが異様に光って見えた。
「女を撃つのは嫌なものだな」
ブレンテンを拾いながらラリーがいうと、俊介が同意した。「ああ。後味が悪い」
回り階段を登り切ると、二階の通路が長く伸びていた。
そこをふたりで歩き出したとたん、遠くから銃声が聞こえた。
腹の底に響くような轟音。ライフルの発砲音のようだが違う。大口径の拳銃らしい。
それも二発。
ラリーと俊介は顔を合わせ、次の瞬間、走った。
真正面にある大きな扉。俊介がノブを回し、ラリーが肩でぶち当たって中に飛び込んだ。
そこはロバート・マックスウェルの私室だった。
まるで大統領の執務室のように、背後に巨大な星条旗がかけられ、合衆国の国章であるハクトウワシのマークがいやというほどに目に飛び込んできた。その前に豪華な机があって、まさにホワイトハウスそのままの光景がそこにあった。
ふたりは自分たちの目を疑った。
まるで映画のセットを見ているかのようだった。
茫然と立ち尽くすふたりの目の前に、”ブラッディベア”ゴドノフの姿がある。
モスグリーンのアーミーコートをはおり、大きな黒いサングラスを顔にかけたままだ。右手に握られた巨大なリボルバーの銃口は下を向き、その先に、豪華な絨毯の上に倒れたロバート・マックスウェルの姿があった。
ビッグハンティング用のマグナム弾を受けて、顔がほとんどつぶれた死体だった。
硝煙に混じって血の臭いが鼻をつく。
ゴドノフがゆっくりと顔を上げ、サングラス越しにラリーたちを見た。
「よほど虫の居所が悪いようだな。雇い主の顔をミンチにするとは」
俊介がそういった。
「いいかげんにうんざりしていた。ナルシストは嫌いなんだ。湾岸戦争のとき、俺の部隊の上司に似たような男がいた。そいつのおかげで部下のほとんどが無駄死にをした。戦争が終わって、そいつを殺した」
「だったら気がすんだだろう?」
ラリーがいうと、ゴドノフは無表情のまま、首を振った。
「個人的な問題はともかく、契約は契約だ。お前たちを殺す仕事は残っている」
「撃ち合いは回避できないわけか」
「そうだ。ステインシュネイダー」
ゴドノフが拳銃を向けた。
ラリーが撃った。腰の位置でかまえたブレンテンを三発。
ゴドノフの胸の辺りがパッと裂けた。後ろによろめいて、ゴドノフが倒れた。
右手の大型拳銃が飛んで、どこかで重たい金属の音を立てた。
ラリーは煙をまとったブレンテンをかまえたまま、油断なくゴドノフを睨んでいた。が、相手が動かないため、銃口を下に向けて視線を逸らした。
隣に立っている俊介が何かを思い出したらしく、ハッと目を大きく見開いた。
「気をつけろ。奴はボディアーマーを装着してるはずだ」
その声とほとんど同時だった。仰向けになっていたはずのゴドノフが素早く上体を起こした。
大型拳銃は遠くにすっ飛んだままだ。しかし彼はバックアップに秘匿していたらしいグロック19を懐から抜き、無造作に撃った。
すさまじい速度で五発の連射。
そのうち何発かが俊介に当たった。彼は苦痛に顔を歪めながら、俯せに倒れた。
続いて一発がラリーの利き手を抉った。焼き串を刺し込まれるような痛みにラリーは歯を食いしばり、よろめいた。
倒れず、何とか踏ん張って向き直る。
ゴドノフは片膝をつき、姿勢を立て直していた。
殺し屋は床に倒れた俊介を見てから、満足そうに笑みを浮かべた。
「これでおしまいとしよう」
右手のグロックを向けてきた。
ラリーはブレンテンをまだ握っていた。しかし撃ち返そうにも、拳銃は全弾を撃ち尽くし、スライドが後退したまま止まっていた。のみならず右腕が九ミリ弾で抉られ、麻痺している。
このまま奴に撃たれるしかないのか。そう思ったとき、別の方角から銃声がして、ゴドノフの胴体に着弾の煙が散った。
ゴドノフがまたよろめいた。
見れば、バルコニーのある窓ガラスを破って、マクファーソンとグレイザーが室内に飛び込んできたところだった。ふたりはそれぞれM4A1アサルトライフルとシグ・ザウエル拳銃をかまえつつ、ゴドノフに向かって走ってきた。
「ボディアーマーだ。頭か下半身を狙え!」
ラリーが叫んだが、間に合わなかった。
ゴドノフが片手のグロックを連射し、ふたりを撃った。
マクファーソンが顔を歪め、仰向けに転がった。グレイザーも身をよじりながら、カーペットの上に倒れ込んだ。
ゴドノフのグロックは弾丸が尽きて、スライドが停まったままだった。
右手の拇指でキャッチボタンを押して弾丸を落とし、左手を懐に入れて予備弾倉を取り出そうとしていた。
ラリーは片膝をついた姿勢になり、ブレンテンの空弾倉を落とし、左足の太腿と脹ら脛の間に挟んだ。感覚のなくなった右手ではなく、左手で腰のマガジンポーチから予備弾倉を抜き、足で挟んでいた拳銃のグリップに叩き込んだ。間髪を容れず、スライドを閉じたブレンテンを左手で握ってかまえた。
同時にゴドノフがグロック19を向けてきた。
銃声は一発。
その残響の中、真鍮の空薬莢が床を転がる渇いた音。
仁王立ちになったゴドノフの額の真ん中に、赤い点があった。そこから一筋の血が流れ落ちた。
大きく目を剥いたゴドノフ。その視線の焦点がふいに虚ろになったかと思うと、大きな躰が仰向けにどうと倒れた。
ラリーは左手のブレンテンをまっすぐかまえたままだった。
ゆっくりと息を吸い、吐いた。
ゴドノフは足を広げてカーペットの上に倒れたまま、ピクリとも動かなかった。
それを見届けてから、ラリーは相棒のところに行った。
俯せに倒れたままの俊介。そっと引き起こすと、左の鎖骨と脇腹に弾丸が命中したらしく、服が真っ赤に染まっていた。呼吸は小刻みだが、意識はあった。
目をしばたたき、俊介は血の気を失った顔でラリーを見上げた。
「奴を仕留めたか」
しゃがれた声に、ラリーはうなずいた。
「傷の具合は?」
「大丈夫だ」
とはいっても、鎖骨付近の銃創からの出血がひどい。俊介は無事なほうの手で、自分で圧迫止血をしている。
それを見てから、相棒の躰をゆっくり床に下ろし、マクファーソンたちのところに向かった。
二名のSWAT隊員たちはどちらも意識があった。マクファーソンは左腕の付け根辺りが血に濡れていた。グレイザーは太腿に何発か被弾しているようだ。どちらも動脈の破断はなさそうだ。
「そのままでいろ。すぐに助けが来る」
ラリーがいうと、彼らはうなずいた。
「教官の射撃は凄いですね。左手だけでリロードして、正確に撃てるなんて」
仰向けになったままのマイケル・マクファーソンに、ラリーが微笑んでみせた。
「もう教官じゃないよ。それに、さっきのは運が良かっただけだ」
「幸運も才能のうちだっていうぞ、相棒」
後ろに俯せになったままの俊介の声。
ラリーは振り向き、少しだけ笑った。
やがて警官たちの乱雑な足音が重なりながら近づいてきた。
しかも内部は迷路のように通路が入り組んでいるように思えた。
俊介は拳銃を握ったまま、とにかく走り続けるしかなかった。
屋敷の外でさかんに銃声が聞こえた。
ラリーか。あるいはFBIやSWATとマックスウェルのボディガードたちが撃ち合いを演じているのだろうか。
前方に足音がして、立ち止まる。拳銃をかまえたとたん、目の前の通路をメイド服を着た若い女がふたり、血相を変えた様子で駆け抜けていった。
ホッとして汗を拭い、俊介はまた歩き出す。
長い通路の突き当たりに、アールデコ調にデザインされた木製の扉があった。
その横に立って、そっとドアノブに手をかける。思い切り回して、室内に飛び込み、拳銃をかまえた。
狭い部屋だった。木製のデスクと椅子。大きな書棚。マッキントッシュのパソコンが置いてある机の向こうに、紫のスーツを着た女が立ち上がった。
「誰だ!」俊介が叫ぶ。
女は歯の根も合わぬほど震えていて、声も出ない様子だ。
芝居だとすればアカデミー賞ものの演技だが、それはまぎれもなく本物の怯えのようだった。
「殺さないで。お願い!」
女はうわずった声を絞り出した。
「あんた、ここの秘書か?」俊介が尋ねる。
「キャスリーン・ウェイド。上院議員の専任秘書官です」
「ロバート・マックスウェルを見なかったか?」
彼女は黙って首を振った。
「本当だろうな?」
キャスリーンはまた頷いた。青白い顔でぽつねんと立っていた。
「わかった。信じるよ」
俊介がいって銃口を下げた。立ち去ろうとして、また彼女を見た。「あんたは早くここを出たほうがいい。今の仕事を失うかもしれないが、少なくともこの先、無事に生きていられるよ」
そういってから踵を返した。
扉に手をかけ、俊介が振り返ると、彼女はまた机の後ろにしゃがみ込み、今度ははっきりと声を上げて泣き出していた。
俊介はまた走った。
通路の窓から外を見ると、青い警光灯を明滅させながら、FBIの車両が次々と邸の前に到着していた。
「ようやく騎兵隊が駆けつけたか」
そう独りごちて、また走る。
さすがに息切れがする。何度か立ち止まり、膝に手をついてハアハアと背中を揺らす。そしてまた走った。
前方――屋内で銃声が聞こえた。
フルオートの連続射撃音。それからショットガンらしい野太い轟音。
ラリーと彼らが撃ち合いをしているのだ。
「待ってろ!」
俊介はそういい、絨毯を蹴るように駆けつづけた。
☆
「あんたは誰だ?」
ラリーが訊くと、女は低い声で答えた。
「名前はキャスリーン・ウェイド。ロバート・マックスウェル上院議員の専任秘書官です」
回り階段の途中にいる女の瞳は、氷のように冷たく光っていた。
硝煙と血の臭いに満ちたこの場にいて、いきなり煙草を吸い始めても不思議のないような、奇妙な落ち着きぶりだった。
「オーケイ」ラリーは銃を降ろした。「上院議員がどこに逃げたか、知っているか?」
「もちろん」
女がゆっくりとラリーの背後の扉を指差した。
彼はそれにつられて階下を振り返った。
ラリーが視線を外すと同時に、女は左手を飴色のソフトスーツの下に入れて、銀メッキの小型オートマティックを抜き出した。
気配を察して向き直ったラリーは、その小さな銃口をまともに覗き込むことになった。
女は銃をかまえたまま、腰を左右に振る優雅な仕種で、ゆっくりと回り階段を降りてきた。小型オートの引鉄に深く指がかかっている。
「撃つな。降参するよ」
ラリーは銃をゆっくりと床に降ろして、銃把から手を離した。
女が立ち止まり、真っ赤なルージュの唇を吊り上げ、婉然と微笑んだ。
「銃から離れて」
ラリーは三歩ばかり、階段のステップを下りた。そして女の拳銃を凝視した。小さな銃口。おそらく・三二口径だ。威力は小さいが、頭や心臓に当たれば即死だ。何とか気を逸らして逆襲するしかない。
しかし、チャンスは意外なところから訪れた。
ラリーの後ろから、ふいに声がした。
――やっと再会できたな。
俊介の声だ。
振り向くと、階段下のフロアに彼が立っていた。
女がハッとそっちに銃口を向けた。
とっさにラリーは右足を上げ、ジーンズの裾をまくり上げた。その下からワルサーPPK/Sを抜き出して、ダブルアクションで女の利き腕を撃ち抜いた。
小さな銀の拳銃が宙に舞った。
サンバのステップを踏むように彼女がよろめいて後退ったとき、俊介が両手で保持した・三五七マグナムを二度、撃った。弾丸はふたつとも女の胸を貫き、彼女の躰は横の壁に叩きつけられ、血の跡を曳いて回り階段のステップにへたり込んだ。
目を開いたまま、ピクリとも動かない。
銃声の残響が消えた。
あの俊介が躊躇なく女を撃ったことが意外だった。
「もしかして、彼女……なのか?」
ラリーが訊くと、俊介は頷いた。「そう。ジェフとマギーを殺した女だ」
俊介が階段を登ってきた。ふたりで女のところに歩み寄った。
マネキン人形のように冷たい目で、女は死んでいた。
真っ赤なルージュが異様に光って見えた。
「女を撃つのは嫌なものだな」
ブレンテンを拾いながらラリーがいうと、俊介が同意した。「ああ。後味が悪い」
回り階段を登り切ると、二階の通路が長く伸びていた。
そこをふたりで歩き出したとたん、遠くから銃声が聞こえた。
腹の底に響くような轟音。ライフルの発砲音のようだが違う。大口径の拳銃らしい。
それも二発。
ラリーと俊介は顔を合わせ、次の瞬間、走った。
真正面にある大きな扉。俊介がノブを回し、ラリーが肩でぶち当たって中に飛び込んだ。
そこはロバート・マックスウェルの私室だった。
まるで大統領の執務室のように、背後に巨大な星条旗がかけられ、合衆国の国章であるハクトウワシのマークがいやというほどに目に飛び込んできた。その前に豪華な机があって、まさにホワイトハウスそのままの光景がそこにあった。
ふたりは自分たちの目を疑った。
まるで映画のセットを見ているかのようだった。
茫然と立ち尽くすふたりの目の前に、”ブラッディベア”ゴドノフの姿がある。
モスグリーンのアーミーコートをはおり、大きな黒いサングラスを顔にかけたままだ。右手に握られた巨大なリボルバーの銃口は下を向き、その先に、豪華な絨毯の上に倒れたロバート・マックスウェルの姿があった。
ビッグハンティング用のマグナム弾を受けて、顔がほとんどつぶれた死体だった。
硝煙に混じって血の臭いが鼻をつく。
ゴドノフがゆっくりと顔を上げ、サングラス越しにラリーたちを見た。
「よほど虫の居所が悪いようだな。雇い主の顔をミンチにするとは」
俊介がそういった。
「いいかげんにうんざりしていた。ナルシストは嫌いなんだ。湾岸戦争のとき、俺の部隊の上司に似たような男がいた。そいつのおかげで部下のほとんどが無駄死にをした。戦争が終わって、そいつを殺した」
「だったら気がすんだだろう?」
ラリーがいうと、ゴドノフは無表情のまま、首を振った。
「個人的な問題はともかく、契約は契約だ。お前たちを殺す仕事は残っている」
「撃ち合いは回避できないわけか」
「そうだ。ステインシュネイダー」
ゴドノフが拳銃を向けた。
ラリーが撃った。腰の位置でかまえたブレンテンを三発。
ゴドノフの胸の辺りがパッと裂けた。後ろによろめいて、ゴドノフが倒れた。
右手の大型拳銃が飛んで、どこかで重たい金属の音を立てた。
ラリーは煙をまとったブレンテンをかまえたまま、油断なくゴドノフを睨んでいた。が、相手が動かないため、銃口を下に向けて視線を逸らした。
隣に立っている俊介が何かを思い出したらしく、ハッと目を大きく見開いた。
「気をつけろ。奴はボディアーマーを装着してるはずだ」
その声とほとんど同時だった。仰向けになっていたはずのゴドノフが素早く上体を起こした。
大型拳銃は遠くにすっ飛んだままだ。しかし彼はバックアップに秘匿していたらしいグロック19を懐から抜き、無造作に撃った。
すさまじい速度で五発の連射。
そのうち何発かが俊介に当たった。彼は苦痛に顔を歪めながら、俯せに倒れた。
続いて一発がラリーの利き手を抉った。焼き串を刺し込まれるような痛みにラリーは歯を食いしばり、よろめいた。
倒れず、何とか踏ん張って向き直る。
ゴドノフは片膝をつき、姿勢を立て直していた。
殺し屋は床に倒れた俊介を見てから、満足そうに笑みを浮かべた。
「これでおしまいとしよう」
右手のグロックを向けてきた。
ラリーはブレンテンをまだ握っていた。しかし撃ち返そうにも、拳銃は全弾を撃ち尽くし、スライドが後退したまま止まっていた。のみならず右腕が九ミリ弾で抉られ、麻痺している。
このまま奴に撃たれるしかないのか。そう思ったとき、別の方角から銃声がして、ゴドノフの胴体に着弾の煙が散った。
ゴドノフがまたよろめいた。
見れば、バルコニーのある窓ガラスを破って、マクファーソンとグレイザーが室内に飛び込んできたところだった。ふたりはそれぞれM4A1アサルトライフルとシグ・ザウエル拳銃をかまえつつ、ゴドノフに向かって走ってきた。
「ボディアーマーだ。頭か下半身を狙え!」
ラリーが叫んだが、間に合わなかった。
ゴドノフが片手のグロックを連射し、ふたりを撃った。
マクファーソンが顔を歪め、仰向けに転がった。グレイザーも身をよじりながら、カーペットの上に倒れ込んだ。
ゴドノフのグロックは弾丸が尽きて、スライドが停まったままだった。
右手の拇指でキャッチボタンを押して弾丸を落とし、左手を懐に入れて予備弾倉を取り出そうとしていた。
ラリーは片膝をついた姿勢になり、ブレンテンの空弾倉を落とし、左足の太腿と脹ら脛の間に挟んだ。感覚のなくなった右手ではなく、左手で腰のマガジンポーチから予備弾倉を抜き、足で挟んでいた拳銃のグリップに叩き込んだ。間髪を容れず、スライドを閉じたブレンテンを左手で握ってかまえた。
同時にゴドノフがグロック19を向けてきた。
銃声は一発。
その残響の中、真鍮の空薬莢が床を転がる渇いた音。
仁王立ちになったゴドノフの額の真ん中に、赤い点があった。そこから一筋の血が流れ落ちた。
大きく目を剥いたゴドノフ。その視線の焦点がふいに虚ろになったかと思うと、大きな躰が仰向けにどうと倒れた。
ラリーは左手のブレンテンをまっすぐかまえたままだった。
ゆっくりと息を吸い、吐いた。
ゴドノフは足を広げてカーペットの上に倒れたまま、ピクリとも動かなかった。
それを見届けてから、ラリーは相棒のところに行った。
俯せに倒れたままの俊介。そっと引き起こすと、左の鎖骨と脇腹に弾丸が命中したらしく、服が真っ赤に染まっていた。呼吸は小刻みだが、意識はあった。
目をしばたたき、俊介は血の気を失った顔でラリーを見上げた。
「奴を仕留めたか」
しゃがれた声に、ラリーはうなずいた。
「傷の具合は?」
「大丈夫だ」
とはいっても、鎖骨付近の銃創からの出血がひどい。俊介は無事なほうの手で、自分で圧迫止血をしている。
それを見てから、相棒の躰をゆっくり床に下ろし、マクファーソンたちのところに向かった。
二名のSWAT隊員たちはどちらも意識があった。マクファーソンは左腕の付け根辺りが血に濡れていた。グレイザーは太腿に何発か被弾しているようだ。どちらも動脈の破断はなさそうだ。
「そのままでいろ。すぐに助けが来る」
ラリーがいうと、彼らはうなずいた。
「教官の射撃は凄いですね。左手だけでリロードして、正確に撃てるなんて」
仰向けになったままのマイケル・マクファーソンに、ラリーが微笑んでみせた。
「もう教官じゃないよ。それに、さっきのは運が良かっただけだ」
「幸運も才能のうちだっていうぞ、相棒」
後ろに俯せになったままの俊介の声。
ラリーは振り向き、少しだけ笑った。
やがて警官たちの乱雑な足音が重なりながら近づいてきた。