12

文字数 5,024文字

 とにかく広い。いや、広すぎる邸内だった。
 しかも内部は迷路のように通路が入り組んでいるように思えた。
 俊介は拳銃を握ったまま、とにかく走り続けるしかなかった。
 屋敷の外でさかんに銃声が聞こえた。
 ラリーか。あるいはFBIやSWATとマックスウェルのボディガードたちが撃ち合いを演じているのだろうか。
 前方に足音がして、立ち止まる。拳銃をかまえたとたん、目の前の通路をメイド服を着た若い女がふたり、血相を変えた様子で駆け抜けていった。
 ホッとして汗を拭い、俊介はまた歩き出す。
 長い通路の突き当たりに、アールデコ調にデザインされた木製の扉があった。
 その横に立って、そっとドアノブに手をかける。思い切り回して、室内に飛び込み、拳銃をかまえた。
 狭い部屋だった。木製のデスクと椅子。大きな書棚。マッキントッシュのパソコンが置いてある机の向こうに、紫のスーツを着た女が立ち上がった。
「誰だ!」俊介が叫ぶ。
 女は歯の根も合わぬほど震えていて、声も出ない様子だ。
 芝居だとすればアカデミー賞ものの演技だが、それはまぎれもなく本物の怯えのようだった。
「殺さないで。お願い!」
 女はうわずった声を絞り出した。
「あんた、ここの秘書か?」俊介が尋ねる。
「キャスリーン・ウェイド。上院議員の専任秘書官です」
「ロバート・マックスウェルを見なかったか?」
 彼女は黙って首を振った。
「本当だろうな?」
 キャスリーンはまた頷いた。青白い顔でぽつねんと立っていた。
「わかった。信じるよ」
 俊介がいって銃口を下げた。立ち去ろうとして、また彼女を見た。「あんたは早くここを出たほうがいい。今の仕事を失うかもしれないが、少なくともこの先、無事に生きていられるよ」
 そういってから踵を返した。
 扉に手をかけ、俊介が振り返ると、彼女はまた机の後ろにしゃがみ込み、今度ははっきりと声を上げて泣き出していた。

 俊介はまた走った。
 通路の窓から外を見ると、青い警光灯を明滅させながら、FBIの車両が次々と邸の前に到着していた。
「ようやく騎兵隊が駆けつけたか」
 そう独りごちて、また走る。
 さすがに息切れがする。何度か立ち止まり、膝に手をついてハアハアと背中を揺らす。そしてまた走った。
 前方――屋内で銃声が聞こえた。
 フルオートの連続射撃音。それからショットガンらしい野太い轟音。
 ラリーと彼らが撃ち合いをしているのだ。
「待ってろ!」
 俊介はそういい、絨毯を蹴るように駆けつづけた。


       ☆

「あんたは誰だ?」
 ラリーが訊くと、女は低い声で答えた。
「名前はキャスリーン・ウェイド。ロバート・マックスウェル上院議員の専任秘書官です」
 回り階段の途中にいる女の瞳は、氷のように冷たく光っていた。
 硝煙と血の臭いに満ちたこの場にいて、いきなり煙草を吸い始めても不思議のないような、奇妙な落ち着きぶりだった。
「オーケイ」ラリーは銃を降ろした。「上院議員がどこに逃げたか、知っているか?」
「もちろん」
 女がゆっくりとラリーの背後の扉を指差した。
 彼はそれにつられて階下を振り返った。
 ラリーが視線を外すと同時に、女は左手を飴色のソフトスーツの下に入れて、銀メッキの小型オートマティックを抜き出した。
 気配を察して向き直ったラリーは、その小さな銃口をまともに覗き込むことになった。
 女は銃をかまえたまま、腰を左右に振る優雅な仕種で、ゆっくりと回り階段を降りてきた。小型オートの引鉄に深く指がかかっている。
「撃つな。降参するよ」
 ラリーは銃をゆっくりと床に降ろして、銃把から手を離した。
 女が立ち止まり、真っ赤なルージュの唇を吊り上げ、婉然と微笑んだ。
「銃から離れて」
 ラリーは三歩ばかり、階段のステップを下りた。そして女の拳銃を凝視した。小さな銃口。おそらく・三二口径だ。威力は小さいが、頭や心臓に当たれば即死だ。何とか気を逸らして逆襲するしかない。
 しかし、チャンスは意外なところから訪れた。
 ラリーの後ろから、ふいに声がした。
 ――やっと再会できたな。
 俊介の声だ。
 振り向くと、階段下のフロアに彼が立っていた。
 女がハッとそっちに銃口を向けた。
 とっさにラリーは右足を上げ、ジーンズの裾をまくり上げた。その下からワルサーPPK/Sを抜き出して、ダブルアクションで女の利き腕を撃ち抜いた。
 小さな銀の拳銃が宙に舞った。
 サンバのステップを踏むように彼女がよろめいて後退ったとき、俊介が両手で保持した・三五七マグナムを二度、撃った。弾丸はふたつとも女の胸を貫き、彼女の躰は横の壁に叩きつけられ、血の跡を曳いて回り階段のステップにへたり込んだ。
 目を開いたまま、ピクリとも動かない。
 銃声の残響が消えた。
 あの俊介が躊躇なく女を撃ったことが意外だった。
「もしかして、彼女……なのか?」
 ラリーが訊くと、俊介は頷いた。「そう。ジェフとマギーを殺した女だ」
 俊介が階段を登ってきた。ふたりで女のところに歩み寄った。
 マネキン人形のように冷たい目で、女は死んでいた。
 真っ赤なルージュが異様に光って見えた。
「女を撃つのは嫌なものだな」
 ブレンテンを拾いながらラリーがいうと、俊介が同意した。「ああ。後味が悪い」

 回り階段を登り切ると、二階の通路が長く伸びていた。
 そこをふたりで歩き出したとたん、遠くから銃声が聞こえた。
 腹の底に響くような轟音。ライフルの発砲音のようだが違う。大口径の拳銃らしい。
 それも二発。
 ラリーと俊介は顔を合わせ、次の瞬間、走った。
 真正面にある大きな扉。俊介がノブを回し、ラリーが肩でぶち当たって中に飛び込んだ。
 そこはロバート・マックスウェルの私室だった。
 まるで大統領の執務室のように、背後に巨大な星条旗がかけられ、合衆国の国章であるハクトウワシのマークがいやというほどに目に飛び込んできた。その前に豪華な机があって、まさにホワイトハウスそのままの光景がそこにあった。
 ふたりは自分たちの目を疑った。
 まるで映画のセットを見ているかのようだった。
 茫然と立ち尽くすふたりの目の前に、”ブラッディベア”ゴドノフの姿がある。
 モスグリーンのアーミーコートをはおり、大きな黒いサングラスを顔にかけたままだ。右手に握られた巨大なリボルバーの銃口は下を向き、その先に、豪華な絨毯の上に倒れたロバート・マックスウェルの姿があった。
 ビッグハンティング用のマグナム弾を受けて、顔がほとんどつぶれた死体だった。
 硝煙に混じって血の臭いが鼻をつく。
 ゴドノフがゆっくりと顔を上げ、サングラス越しにラリーたちを見た。
「よほど虫の居所が悪いようだな。雇い主の顔をミンチにするとは」
 俊介がそういった。
「いいかげんにうんざりしていた。ナルシストは嫌いなんだ。湾岸戦争のとき、俺の部隊の上司に似たような男がいた。そいつのおかげで部下のほとんどが無駄死にをした。戦争が終わって、そいつを殺した」
「だったら気がすんだだろう?」
 ラリーがいうと、ゴドノフは無表情のまま、首を振った。
「個人的な問題はともかく、契約は契約だ。お前たちを殺す仕事は残っている」
「撃ち合いは回避できないわけか」
「そうだ。ステインシュネイダー」
 ゴドノフが拳銃を向けた。
 ラリーが撃った。腰の位置でかまえたブレンテンを三発。
 ゴドノフの胸の辺りがパッと裂けた。後ろによろめいて、ゴドノフが倒れた。
 右手の大型拳銃が飛んで、どこかで重たい金属の音を立てた。
 ラリーは煙をまとったブレンテンをかまえたまま、油断なくゴドノフを睨んでいた。が、相手が動かないため、銃口を下に向けて視線を逸らした。
 隣に立っている俊介が何かを思い出したらしく、ハッと目を大きく見開いた。
「気をつけろ。奴はボディアーマーを装着してるはずだ」
 その声とほとんど同時だった。仰向けになっていたはずのゴドノフが素早く上体を起こした。
 大型拳銃は遠くにすっ飛んだままだ。しかし彼はバックアップに秘匿していたらしいグロック19を懐から抜き、無造作に撃った。
 すさまじい速度で五発の連射。
 そのうち何発かが俊介に当たった。彼は苦痛に顔を歪めながら、俯せに倒れた。
 続いて一発がラリーの利き手を抉った。焼き串を刺し込まれるような痛みにラリーは歯を食いしばり、よろめいた。
 倒れず、何とか踏ん張って向き直る。
 ゴドノフは片膝をつき、姿勢を立て直していた。
 殺し屋は床に倒れた俊介を見てから、満足そうに笑みを浮かべた。
「これでおしまいとしよう」
 右手のグロックを向けてきた。
 ラリーはブレンテンをまだ握っていた。しかし撃ち返そうにも、拳銃は全弾を撃ち尽くし、スライドが後退したまま止まっていた。のみならず右腕が九ミリ弾で抉られ、麻痺している。
 このまま奴に撃たれるしかないのか。そう思ったとき、別の方角から銃声がして、ゴドノフの胴体に着弾の煙が散った。
 ゴドノフがまたよろめいた。
 見れば、バルコニーのある窓ガラスを破って、マクファーソンとグレイザーが室内に飛び込んできたところだった。ふたりはそれぞれM4A1アサルトライフルとシグ・ザウエル拳銃をかまえつつ、ゴドノフに向かって走ってきた。
「ボディアーマーだ。頭か下半身を狙え!」
 ラリーが叫んだが、間に合わなかった。
 ゴドノフが片手のグロックを連射し、ふたりを撃った。
 マクファーソンが顔を歪め、仰向けに転がった。グレイザーも身をよじりながら、カーペットの上に倒れ込んだ。
 ゴドノフのグロックは弾丸が尽きて、スライドが停まったままだった。
 右手の拇指でキャッチボタンを押して弾丸を落とし、左手を懐に入れて予備弾倉を取り出そうとしていた。
 ラリーは片膝をついた姿勢になり、ブレンテンの空弾倉を落とし、左足の太腿と脹ら脛の間に挟んだ。感覚のなくなった右手ではなく、左手で腰のマガジンポーチから予備弾倉を抜き、足で挟んでいた拳銃のグリップに叩き込んだ。間髪を容れず、スライドを閉じたブレンテンを左手で握ってかまえた。
 同時にゴドノフがグロック19を向けてきた。
 銃声は一発。
 その残響の中、真鍮の空薬莢が床を転がる渇いた音。
 仁王立ちになったゴドノフの額の真ん中に、赤い点があった。そこから一筋の血が流れ落ちた。
 大きく目を剥いたゴドノフ。その視線の焦点がふいに虚ろになったかと思うと、大きな躰が仰向けにどうと倒れた。
 ラリーは左手のブレンテンをまっすぐかまえたままだった。
 ゆっくりと息を吸い、吐いた。
 ゴドノフは足を広げてカーペットの上に倒れたまま、ピクリとも動かなかった。
 それを見届けてから、ラリーは相棒のところに行った。
 俯せに倒れたままの俊介。そっと引き起こすと、左の鎖骨と脇腹に弾丸が命中したらしく、服が真っ赤に染まっていた。呼吸は小刻みだが、意識はあった。
 目をしばたたき、俊介は血の気を失った顔でラリーを見上げた。
「奴を仕留めたか」
 しゃがれた声に、ラリーはうなずいた。
「傷の具合は?」
「大丈夫だ」
 とはいっても、鎖骨付近の銃創からの出血がひどい。俊介は無事なほうの手で、自分で圧迫止血をしている。
 それを見てから、相棒の躰をゆっくり床に下ろし、マクファーソンたちのところに向かった。
 二名のSWAT隊員たちはどちらも意識があった。マクファーソンは左腕の付け根辺りが血に濡れていた。グレイザーは太腿に何発か被弾しているようだ。どちらも動脈の破断はなさそうだ。
「そのままでいろ。すぐに助けが来る」
 ラリーがいうと、彼らはうなずいた。
「教官の射撃は凄いですね。左手だけでリロードして、正確に撃てるなんて」
 仰向けになったままのマイケル・マクファーソンに、ラリーが微笑んでみせた。
「もう教官じゃないよ。それに、さっきのは運が良かっただけだ」
「幸運も才能のうちだっていうぞ、相棒」
 後ろに俯せになったままの俊介の声。
 ラリーは振り向き、少しだけ笑った。
 やがて警官たちの乱雑な足音が重なりながら近づいてきた。

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