第三章 三日目・絶望がくる、絶望がくる、絶望がくる(二)

文字数 4,740文字

 正宗は七穂が来る時、手に小冊子を持って待っていた。小冊子には『機械と緑の町』と書かれてあった。
 正宗はもう惑星にロボットが存在する状態になってしまうのを諦めた。惑星売却の利益も諦めた。
 とはいえ、無生物の星にする気も、負債を残す気も全然なかった。

「最低限、植物を植えよう、できれば、動物もお願いしよう。そうすれば、ロボット文明に価値が付かなくても、観賞用惑星や他の星との抱き合わせ用には使えるさ」

 価値は低い。だが、マイナスではない。それでOKじゃないか。
 それに、元は戦争で滅んだ〝いわくつきの星〟だ。もう、それでいい。
 正宗が開き直った心境で七穂を待っていると、灰色の地面から、あの忌まわしいプレス機まがいの灰色のエレベーターが、ゆっくりと現れた。

 今回、エレベーターの扉は通常のように開いていった。
 エレベーターの灰色の扉が開いた先には、紺のパジャマを着て裸足の七穂が、栗色の髪をボサボサにして、俯き加減に立っていた。
 正宗は七穂の姿に違和感を持った。それでも、エレベーターの入口に立っている七穂に向かって、手にした小冊子を差し出した。

「七穂さん。星のことなんですけど。星に推進装置を付ける件は、品物がないようなので、無理かもしれません。それで、考えたんですけど、こんなのはいかがでしょう」
 七穂は受け取ることなく、正宗の差し出した小冊子を小さな手で軽く押し戻した。
 七穂は小さく呟くような声で話す。
「いいの」

 服装も態度も、明らかに今までと違った。いつもの七穂は能天気なお代官様なのに、今日はまるで『学校の怪談』の背後に立つ幽霊のようだ。
 正宗は表情を覗おうとしたが、七穂は拒否するように、顔を合わせようとしないかった。

 正宗は高い場所から大盛りの卵の入った籠を地面に下ろすような細心さで、優しく声を掛けた。
「あのー、七穂さん。何がいいんですか」
 七穂は少しの間を置いて俯いたまま答える。
「私、何だか嫌になっちゃった」

 正宗はビックリした。正宗は一歩を反射的に踏み出し、下から見上げるように七穂の顔色を窺った。
 そこには、いつもの明るい七穂の顔はなく、影が差し、泣いているようにも見えた。
「体調不良ですか?」

 七穂はゆっくりと暗い顔を振った。
「もう、何だか、どうでも良くなっちゃった。ロボットの星も、創造者をやるのも」
 正宗は頭から爪先に向かって、血が音を立てて急降下していくのを感じた。
 上司が鬱になった! 突如、まるで地軸をも狂わす大地震発生のように、最悪の事態がやってきた。

 正宗たち公社員には「創造者の指示なく仕事を進めてはいけない」という厳しい職務規程がある。これに違反すると即刻、解雇である。つまり、七穂が鬱になって職場放棄すると、仕事は進められないのだ。
 創造者の九十九・九パーセントまで、仕事の出来栄えはともかくとして、星を完成させる。

 つまり、言い換えれば、千回に一回は星が完成しないのだ。正宗は、まさに今、その〝千回に一回の危機〟に直面していた。
 ロボの星はクズ星になりかねない。それは低価格というだけで、損失は出ない。
 だが、惑星自体が完成しないとなれば、作りかけのテーマパークと同じ。その時点で百パーセント不良債権だ。

 もちろん、この場合は正宗は悪くない。けれども、会社は今まで投入した資金と最終的な星の売却益でしか、正宗を評価しない。それに、創造者の職場放棄は、補佐役を兼ねている正宗にとって免責事項ではないのだ。

 以前にも創造者と関係をこじらせて降格、減俸処分を受けた係長がいた。係長は自分のせいではないと証拠を集め、訴訟を起こした。しかし、地裁、高裁、最高裁と、全て敗訴した。 
 どの裁判所の判決文においても『惑星開発における創造者との良好な関係の維持は担当責任者の責任』と明記されたのだ。

 弁解は無駄。泣いても喚いても、公社の決定は覆らない。それゆえ内部では、魔女裁判とさえ言われていた。
 正宗は動揺しつつも、どうにか正確な状況を把握すべく、優しい声で語りかけた。
「七穂さん。よければ、理由をお話しいただけませんか」

 七穂は上を向き、正宗とは顔を合わせないようにし、半ば正宗を拒絶する。
「言いたくない。でも、もう終わったの」
 この感触は拙い。どうにか原因を聞き出して、対処しなければ。俺も魔女裁判に掛けれらて処分される。

 正宗は気持ちを抑え付け、優しい口調を心がけた。
「こんな私でも、お役に立てるかもしれませんよ」
 七穂は何も言わなかった。
 正宗は七穂にもう少し近寄ろうとしてエレベーターのドアの溝に足を伸ばしかけた。そこで正宗は本能的に危険を感じ、足を引っこめた。

 ザシュン。エレベーターのドアが七穂の立つ反対の左側から、加速したギロチンのような速度で閉じた。
 エレベーターの扉の鋭さと威力は、正宗が手に持っていた小冊子の端が綺麗に切断されていることからも、切れ味の凄さが窺えた。

 正宗の心臓が猛烈に早く、歯止めが利かなくなったマシンガンのように脈打った。
「足を、あの世に足を持っていかれるところだった……」
 そんなに驚いてはいられない。エレベーターの動作が示す危険な行為は、七穂の拒絶する心そのものである。つまり、それほどに七穂の心は正宗を拒絶しているのだ。

 拙い。本当に辞めるのか。こんなに唐突にか。
 正宗はエレベーターの扉いっぱいに顔を近づけ、中の七穂に向けて叫んだ。
「七穂さん。七穂さん。ここを開けください。そして、話し合いましょう。力になりますから」

 正宗の呼びかけも空しく、扉は開かない。やってきた時と同じく、エレベーターはゆっくり地面に沈んでいく。
 エレベーターは着実に、正宗の未来を象徴しているかのように、ゆっくりゆっくりと硬く冷たい無味無乾燥な地面に沈んでいくのだった。

 どうしよう、どうしよう、と焦っても、良い考えは浮かばない。とうとうエレベーターが正宗の頭の高さまで沈んでいった。
 正宗は地面に這いつくばって、エレベーターの中にいる七穂に向け、咄嗟の思いつきを大声で叫んだ。
「ルクレールを訪ねて。彼は、心の苦しみを消し去る力があるから」

 ハッキリ言って出任せである。とはいえ、七穂はこの世界から帰る時には〝創造者様の控え室〟に行かねばならない。
 控え室に行く間に、必ず受付を通る。だから、こう言えば、七穂は源五郎の奴に何か話すかもしれない。

 そうなれば、ひょっとして応接が百戦錬磨の源五郎なら、どうにか七穂を思い留まらせてくれるかもしれなかった。
 エレベーターは正宗の絶叫と共に地下に消えた。何もない星に一人ぽつんと正宗は取り残された。正宗の全身から力が抜け、心が掻き乱された。
「行ってしまった……」

 正宗はあまりに予想外の事態に、為すべが全然なかった。突如として何の予兆もなく訪れた終焉。
 振り返ると、そこには何もない硬い無機質な地表が広がっていた。水分が少ない空に雲はなく、遥か遠くに山陰がボンヤリと見えるのみ。
 固い地面には動く物もなく、生き物の気配もない。風は止み、世界が死んだように止まっているようだった。

 もし、七穂が戻ってこなければ、この星はまた更地に戻すしか選択肢がなくなる。そうなれば、その時点で負債の額と自分の評価が決定する。
「源五郎。やってくれるだろうか?」

 もし、七穂が源五郎に相談しなかったら? 源五郎が七穂に気がつかなかったら?
 嫌な考えが頭の中を、大岩が崖を滑落するかのように、ただ朦々と砂塵を巻き上げて過ぎてゆく。
 正宗はヨロヨロと立ち上がると、会社に電話を入れた。

 源五郎に事情を話し、協力してもらおうとした。
 電話からトーンの高い少女の声が聞こえてきた。
「はい、こちら受付のソミュアです」
「惑星開発課第八方面係の正宗ですけど、源五郎をお願いします」

 声のトーンが急に下がり、ボソリと愚痴った。
「なんだ、身内かよ」
 だが、すぐに声のトーンが先ほどの音に戻った。
「あ、いえ、こちらのことです」
 どうやら、近くに創造者が来たみたいだ。もしかして、七穂か! それなら何をしても手遅れだ。

 ソミュアがのんびりした口調が返ってきた、
「ルクレールちゃんは今、お出掛けしています」
 源五郎が席を外している! 時間的に言えば、源五郎たちが昼休みに入る時間だ。このままアウトか。
 正宗はドキドキしながら尋ねる。
「すいません。今あなたの近くにいる創造者はウチの七穂でしょうか」

「いえ、違いますよー」
「ありがとうございました」

 正宗は電話を切った。とりあえず、助かった。七穂がいるわけがない。まだ、時間的に余裕があるはずだ。落ち着くんだ、俺。
 正宗は一縷の望みに賭け、惑星開発事業部に電話を掛けた。
「はい、惑星開事業部、総務課総務係、秀吉です」

 助かった。後輩の秀吉だ。こいつなら、秀吉の上司の武田係長と違って、話が早い。焦りながらも少し、ホッとした。
「俺だ。正宗だ。緊急事態だ。すぐに創造者用の見学パスの発行を頼む」

 普段ならば創造者は、自分の世界から〝創造者様の控え室〟にやってきて、受付を通り、現場に来る。そのため、普段は必要のない場所には立ち入れないシステムになっている。
 だが、惑星開発事業部で見学パスを発行してもらえば、社内の大抵の場所に移動できるようになるのだ。

「わかりました。本来なら前日までに申請していただくんですけど、正宗先輩のためなら昨日のうちに書類を貰ったことにして、こちらで記入します」
「助かる。それと、昼休みに入る前で悪いんだけど、今すぐ欲しいんだ」

 秀吉は勘よく、正宗の窮状を察してくれた。
「了解です。本当はダメなんですけど、武田係長に内緒で、先にパスを発行してから書類を作成します」
 まだ、安心はできない。相手は精神だけの創造者なので身が軽い。

 七穂は一瞬で何十光年も移動できる。ところが、正宗は質量がある体なので、移動する時はシャトル輸送で帰らなければならない。
 今の正宗では、七穂には絶対に追いつけない。もっとも、テレポートという非常手段もある。
 けれども、テレポートは経費がかかる。経費削減が厳しくなっている昨今では、生きるか死ぬかの事態でないと、管理課の旅行出張係が認めてくれない。

 いや、もしかすると管理課なら、遺体をシャトル便で輸送を考えるかもしれないが。
 とにかく、時間が全然ない。正宗は早口にまくし立てた。
「本当なら俺が渡したいんだが、今、出先なんだ。すまないが、発行が終わったらエビゾリ座G67担当の七穂に渡るように手配してくれないか。七穂はもう帰るかもしれないんで、大至急で頼む」

「本当に急ぎなんですね。わかりました。どこかで足止めしてもらい、その間に渡るよう、手を打ちます」
「すまない。本当に助かる」

「いえいえ、こっちも困ったら助けてくださいよ。それじゃあ」
 電話は切れた。後は、七穂に「源五郎を探してでも会おう」という意思があり、源五郎に会えればいいのだが、それは運次第だろう。
「やれることは、やった」

 正宗は捻り鉢巻を外し、腹巻にしまうと、背中の灰色の翼を広げて、フラフラと早すぎる帰路についた。
 正宗がオフィスに帰ると、源五郎からも誰からも連絡がない。夜が暗くなるまで、開発中止という最悪の事態を考えさせられながら、ただ、待つしかなかった。
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