「その名はコクリコ!!」

文字数 4,627文字

 ~~~カヤ・メルヒ~~~



 階段を駆け上がるようにしていった妙子さんを見送ると、わたしは居間を通り抜けて縁側に出た。
 缶ビールを手に、その場に腰を降ろした。
 
 深夜になっていた。
 曇天で、星も月もすっかり隠れていた。
 家の中から漏れる光が、わずかに庭の闇を薄めていた。
 
 ちりちりと、こめかみに微弱な電流のようなものが走った。
 
 ──ルヒ……。
 ──カヤ……メルヒ……。

 若い男性の声が鼓膜を叩く。

「……あら、ご指示ですか?」

 ──我が名は情報……統制……官アリ・ジェンナ。
 ──12諸侯……会議の講評を申し……伝える。

 クロスアリアからの念話だ。
 王族・士族の有力者たちによって構成される12諸侯会議の講評を、専属の情報統制官であるアリ・ジェンナが伝えてきたのだ。

 念話の術の明度は、術者の練度によって違いが生じる。
 言葉の端々にノイズがかっているのは、単純にアリ・ジェンナの術が未熟だからだ。
 最高レベルの術者であるわたしがかければ、それこそ被術者の像まで結ぶことが可能だが、家格と世渡りだけが取り柄の士族のお坊っちゃまでは、まあこんなものだろう。

「拝聴させていただきます」

 わたしは内心せせら笑いながら返事をした。


 曰く。

 ──9……連勝は喜ぶべ……き結果だが、望……外のものではない。
 ──歴代の……クロスアリアの姫……巫女たちの努力の結晶と呼べるものだ。
 ──努々(ゆめゆめ)、己ひと…りの力と慢心することのないよう……に。
 ──さ……らに数多くの試合を重ね、術を磨け。
 ──格下の相手ばか……りではなく、格……上の存在を相手に戦い、もって……クロスアリアの威信と矜持を示すのだ。

 ……要約すると、調子に乗るな、もっと稼いでこいってことね?
 馬車馬のように働いて死ねってことね?
 12諸侯会議に集うジジババたちの姿を思い出して、わたしは心底イライラした。

「誠に汗顔の至りです」

 プルタブを開けると、プシュッと小気味よい音がした。
 
 ──今……何……か音がしましたか?

 アリ・ジェンナが怪訝そうな声を出す。

「そうですか? わたしには何も聞こえませんでしたが……ああ、もしかしたら、こちらの虫の音かもしれませんね。ええ、こっちの虫は複雑な声で鳴くのですよ。プシュッ、カシュッ、トットット……」

 お酌のしぐさ付きで、わたしは適当な返事を返した。

 ──そ、そうか……なるほど。

 アリ・ジェンナは気を取り直すように咳払いした。

 その後も、お小言は続いた。
 ちくちくと、ぐちぐちと、延々と。

 勝ったのに褒めてくれない。
 労を労う言葉すらない。
 そのくせ、負ければ盛大に罵られるのだ。
 すべてが己のせいであるかのように責められるのだ。

 安全なところで指図するだけの連中が……っ。

 死ね。
 今すぐ死ね。
 わたしの目の届かないところで、ゴミ虫のように死ね。


「あ……」

 ぼたぼたと、ビールが膝にこぼれた。

「あららら……。あーあーあ……」

 力が余って、アルミ缶を握り潰してしまった。

「あーあ、もったいない……え? ああいや、こっちのことです。アクシデントがあったので、申し訳ないですけど念話切らせていただきます。いずれにしろ、ご講評は承りました。皆様にはこうお伝えください。女衆頭(にょしゅうがしら)カヤ・メルヒ。女官の長として、また姫巫女の筆頭目付として、粉骨砕身誠心誠意、力の限りを尽くしますと」




「さて、と……」

 念話を打ち切ると、わたしは庭の暗がりに向けて空き缶を放った。
 それは地面に落ちることなく、空中でピタリと制止した。
 
「──いいかげんに出てきたらどうなんです?」
 
 植え込みの脇の闇に溶け込むように、そいつは潜んでいた。
 ずっと、念話の始まる前から。

「……どこの勢力の者かは知りませんがね。わたしは今、機嫌が悪いんです。誰でもいいから八つ当たりしたい気分なんです。出てくるなら今のうちですよ?」

「……おや、お気づきでしたかにゃ?」
 かえってきたのは年若い少女の声だった。

 ……にゃ?
 
 語尾に疑問を抱いていると、その人物は暗がりからするりと滑り出てきた。

「けっこう上手く隠れたつもりだったんですけどにゃー。さすがはカヤ・メルヒ。慧眼ですにゃ」

 ヒューマノイドタイプの多元世界人。
 身長は160くらい。
 細く引き締まった体を、顔まですっぽりと覆う黒装束に包んでいた。
 声の感じからすると、歳は二十歳を超えてはいまい。
 だが足運びや重心には、並々ならぬ落ち着きがある。
 武術家の気配……といったら近いだろうか。タスクさんや御子神さんに通じるものがある。

「ま、どっちでもいいんですけど……」

 わたしは掌を天にかざした。

「こっちとしては、全力で黒焦げにするだけですから」

 五指の間にバチバチと紫電が弾ける。

「にゃー!? 出てくれば許してやるって言ったのに、騙したのかにゃ!?

 少女はぱっと後ろへ飛び退いた。
 両手をぶんぶか振って、必死に害意のないことをアピールしている。

「許すなんて言ってないでしょう。いきなり雷に撃たれるか、覚悟を決めてから撃たれるか選ばせてあげただけです」

「さっきからなんで全力でケンカ腰なのにゃ!? もっと平和的にいこうにゃ!」

「だからさっきから言ってるでしょうが! すこぶる機嫌が悪いから! 誰でもいいからひねり潰したい気分なんですって!」

「なんでちょいちょい表現過激にするにゃ! ずるいにゃ! さっきはそこまで言ってなかったにゃ!」

「人様の庭先にそんな格好して潜んでるようなやつに、ずるいなんて言われる筋合いはないんですー!」

「口尖らすんじゃないにゃ! 子供か! ──ああもうわかったにゃ! 今すぐ脱ぐから、それでいいにゃ!?

 少女は素早く黒装束を脱ぎ捨てた。

「これでいいにゃ!?

 天パがかったフワフワの短髪、くりくり大きな目。どちらも黄金を丸めたような金色だった。
 赤いフリフリのミニスカートと黒いチューブトップという派手な格好が、赤銅色の肌によく映えている。
 そして最大の特徴──短髪の間から大きな耳が、お尻からぴょこんと尻尾が、それぞれ突き出ている。
 
「これはこれは……」

 素直に驚いた。

「珍しい。ノーマのネコ族じゃないですか……」

 放浪世界ノーマ。
 一カ所に定住せず、全員が巨大な母船に乗って多元世界を渡り歩く、漂泊の世界の名だ。
 総人口が1万人ぐらい。
 主たる人種はネコ族。
 何十年か前に母船がペトラ・ガリンスゥに襲われたという話だったが……。
 
「ゾラン家のコクリコ。今は縁あって、略奪世界ペトラ・ガリンスゥの外務長(がいむちょう)を務めてるにゃ」

「……ペトラ・ガリンスゥの外務の長ってわけですか」

「そうゆーことにゃ。お偉いさんなのにゃ」
 ふふんと胸を張るコクリコ。

 
 ……そう言えば、思い当たる節がある。

 少し前のこと。
 わたしとタスクさんは、御子神さんのお母さんの家に呼ばれた。 
 トンテンカンテンと家の改修工事の槌音が響く中、ペトラ・ガリンスゥとの因縁を聞かされた。
 娘を嫁にやる約束を反故にし、惣領(そうりょう)であるハイデンをその場で殺害したこと。
 仇討ちの手が、こちらにも及ぶかもしれないこと。

「なるほどつまりは……」

 バヂバヂバヂバヂッ。

「にゃー!?

 電撃を浴びせると、コクリコは悲鳴を上げてのたうち回った。

「なんで!? なんでにゃ!? なんでビリビリするにゃ!? 言われたままに服も脱いで、従順そのものだったのに、なんでこんなことするにゃ!?

「だって、仇討ちにしにきたんですよね? ハイデンさんの」

「違うにゃ! 誤解にゃ! そんなつもり毛頭ないにゃ!」

 電撃を止めると、コクリコは「死ぬかと思ったにゃ……! 死ぬかと思ったにゃ……!」と声を震わせながら自らを抱きしめた。

「……本当に、仇討ちしに来たんじゃないんですか?」

 再確認すると、コクリコはがばりと顔を上げた。

「本当に違うにゃ! 信じてくれにゃ! もうビリビリしないで欲しいにゃ! その指をわきわきさせるしぐさも怖いからやめて欲しいにゃ! トラウマになるにゃ!」

 必死の形相だった。

「ハイデンさんが死んで、ライデンさんが重傷で、一気に力関係が変わったにゃ! ぶっちゃけクーデターが起こったにゃ! みゃーは新しい惣領の部下で! だから仇討ちなんて滅相もないにゃ!」

「……なるほど」

 力がすべて、みたいなお国柄みたいだったし、あるいはそういうこともあるのだろうか。

「や……やっと納得してもらえたようだにゃ……」

 肩を竦めて了解の意を伝えると、コクリコはほうと胸を撫でおろした。

「しかし……さすがはカヤ・メルヒにゃ。残忍にして冷酷。聞きしに勝るとはこのことにゃ」

 ……ほう。

「……そういえばあなたさっき、わたしの名を呼ぶ時、さすがは(・ ・ ・ ・)とか言ってましたけど、それはどういう意味合いのさすが(・ ・ ・)なんです?」

「なんだそんなことかにゃ。簡単にゃ。交渉相手のことだからいろいろ調べたにゃ。クロスアリアの女衆頭カヤ・メルヒ。カムザの村の小作人の娘。文武の才に恵まれ、齢二十歳にして王族士族を除いた文官の頂点に立った生きる伝説。頭もキレるが、もっとヤバいのはその雷法(らいほう)……。ケルンピアの星穹舞踏会(せいきゅうぶとうかい)で酔っぱらって絡んできた龍族の武官をドラゴンステーキにした武勇伝は有名ですにゃあ」

 ……ほう。

「他にも色々知ってるにゃ。掃除も片付けも出来ない系女子で、部屋は床が見えない有り様。ちゃんと作れる数少ない料理は目玉焼きだけ、しかもちょいちょい卵の欠片が入ってる。極めて酒癖が悪く、ほとんどの居酒屋から出禁をくらっていて、ついたあだ名がカミナリ……」

 バリバリバリバリッ。

「にゃー!? 死ぬ! 死ぬ! 死ぬにゃ! 許してくれにゃ! みゃーが悪かったにゃー!」

 ゴロンゴロンと地面の上をのたうち回るコクリコ。

「調子に乗って悪かったにゃ! すっかりしっかり反省してるにゃ! こんがりじっくり焼ける前に助けてにゃ!」

 ブスブスと何かが焦げる臭いが辺りに立ち込める。

「……それ以上言ったら殺しますよ?」

「もうすぐ死ぬとこにゃ! お願いだから助けてにゃー!?

「しょうがないですねえ。じゃあ、これからはわたしのことを神様と呼びなさい。もしくはご主人様と」

「どんだけ上から目線なのにゃ!?

「麗しく美しいカヤ様、でもいいですよ?」

「それ、ちょっとでも譲歩したつもりなのかにゃ!?

「まあ嫌だというならそれまでの話です。あなたの命もそれまでですが」

「言うにゃ! 言うから許してにゃ! ネコの丸焼きにはなりたくないにゃ!」

「じゃあはいどうぞ。麗しく美しい至高の御方、カヤ様よ?」

「なんか増えてるにゃー!?


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