水無月(二)Wデート

文字数 2,449文字

『由紀子さん、今度のデートですけど、母が一緒でもいいですか?』
 直樹からそんなメールが届いた。
 直樹の母、美沙子とは先月の旅行以来会っていない。その時にアドレスを交換し、旅行後はお礼のメールをしあったが、それっきりになっていた。たまには会ってみたい、あの時は本当に楽しくて姉のように感じられたのだから。
 でも、直樹と三人で会うとなるとどんな感じになるのだろう? 姉ではなく姑になってしまうのだろうか? そんな不安を抱えながら、由紀子は待ち合わせ場所へ向かった。
 その店に入ると、もうすでに直樹たちは来ていた。慌てて近づくと、なんとそこにはもうひとり連れがいた。美沙子の隣に座っていたのは、品のあるグレーがかった髪の中年男性だった。由紀子はピンときた、この人が例の……
「遅くなってすみません。お母さんお久しぶりです」
「こんにちは由紀子さん、どうぞ座って」
 いつもの美しい笑顔で美沙子が言った。
「母さん、まず黒木さんを紹介しなくちゃ」
「そうね、由紀子さん、こちらは黒木さん。亡くなった主人の古くからのお友だちなの」
(やっぱり、この人なんだ)
「黒木さん、このお嬢さんが直樹の大切な人なんですよ」
「初めまして、黒木です。直樹君のことは小さい時から知っているんですよ。よろしくね」
 美沙子と並んでも遜色のないその見た目に、旅先で見かけた美沙子のネイルが重なり、由紀子はこれで納得がいくと思った。美沙子はこの黒木のために、女を磨いていたのだろう。
「初めまして、真中由紀子です。こちらこそよろしくお願いします」
「由紀子さん、今日こうして四人で会うことにしたのは、母が話したいことがあるというからなんです」
 直樹のその説明に、由紀子はついこの間、政興がみんなを集めて驚きの告白をしたことが思い出された。でも、今度は驚くことはないだろう、黒木のことはすでに承知済みなのだから。
「由紀子さんに旅行の時、黒木さんのことを打ち明けたでしょ? その時に話した通り、黒木さんとはずっとお友だちでいるつもりだったし、直樹に私の想いを打ち明ける気もなかったの。
 でもね、黒木さんに由紀子さんの話をしたら――」
「そこからは、私が話しましょう」
 黒木が美沙子の話を引き継いだ。
「私は、直樹君と娘の凜がそれぞれ結婚したら、美沙子さんにプロポーズをしたいと考えていました。妻が亡くなってしばらくして、美沙子さんはかけがえのない人だと気づいたからです。とは言っても、長い間友人関係だった女性に、妻に先立たれたからといって伴侶にしたいと申し込んでいいものだろうかと迷ってもいました。美沙子さんの気持ちもわかりませんし、直樹君と凜のことも気がかりでしたから。
 ところが今回、直樹君にそういうお相手が現れたことを凜に話したら、思いもかけない答えが返ってきたのです。
 これを機会に、自分のことは気にせず、お父さんのこれからを考えてほしいと言われました。女の勘は鋭いというか、私の美沙子さんへの想いを凜には見抜かれていたわけです。
 娘としては複雑だったのでしょう。亡き母のことを思うと切なくもあるけれど、美沙子さんならきっと母のことをいつまでも忘れずに大切にしてくれる……だから私は大丈夫、と」
 そこからは、直樹が話し始めた。
「母は自分も黒木さんと同じ気持ちだと付け加え、僕にその話をしました。正直ショックでした。凛さんとは違い、母の想いに全く気づいていませんでしたから。男は鈍感ですね。それに、母が誰かの元へ行くなんて、これまで考えもしませんでしたし。
 でも、母には母の人生があるわけだし、僕には由紀子さんがいる、そう思えば、すんなりと母の幸せを祝福できることに気づいたんです。それに、相手は小さい頃から知っている黒木のおじさんだというのですら、こんな安心なことはありません」
 
 今回も、やはり由紀子は驚かされる羽目になった。自分の存在によって、黒木と美沙子が結ばれることになる?!
 三人で盛り上がっているところに水を差すわけにはいかない。由紀子は複雑な気持ちを顔に出さないよう、笑顔で隠した。
 みんないい人たちだ。何より直樹は誠実で心から私を愛し、求めてくれている。私が望めばこの人たちの家族になれるというのに、いったい何が不足というのだろう? どうして心から嬉しいと思えないのだろう?
 私がいつまでも煮え切らずにもし直樹との関係が壊れたら、お母さんたちはどうするだろう? 私の決断は、お母さんたちの幸せにまで影響を及ぼすことになるのだろうか?
 純粋な恋愛を楽しむというより、結婚へ結婚へと話が進んで行く……年齢的に仕方のないことかもしれないが、こうもがんじがらめになっていく周囲の状況に、由紀子はどこか息苦しさを覚えた。引き返せないレールの上をただ前へ前へと背中を押されて歩いているような気がして……
 
 美沙子と黒木は、黒木の亡き妻の墓参りに行くと言って席を立った。家族ぐるみの長い付き合いの果てに、本当の家族になるなんて、人の人生はわからないものだと、由紀子は思った。
「由紀子さん、驚かせてしまってすみません。それに、なんか一層僕たちの関係に圧力をかけることになってしまったみたいで。
 もちろん、ゆっくり考えてもらっていいんですよ。母たちのことはもう決まったことで、僕たちとは切り離して構わないのですから」
 由紀子の不安を見透かすように、直樹は由紀子を気遣った。
(そうだった、この人は気遣いの人だったんだ)
 しかし、この日のデートはいつもより重苦しい空気が漂い、由紀子はあまり楽しめなかった。私たちの間には、常に結婚という二文字がついて回っている……これでますます、それから目をそらすことができなくなってしまった。
 由紀子は、このモヤモヤした気持ちを妹の早紀子に聞いてもらおうと思った。こういうことに関しては、驚くほど的確なアドバイスをしてくれるあの妹に。

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