配達された二通の手紙

文字数 9,290文字

 キィ~コ、キィ~コ、キィ~コ
 闇の中にさび付いた自転車の音が近付いて来る、上手すぎる鼻歌と共に。
「誰だ!」
 陸軍二等兵の岩村と小田は同時に銃を構えた。

「あ、お願い、撃たないで!」

 闇の中から両手を高々と上げて現れた男は流暢な日本語を話した。
 しかし、その男の顔……どことなく日本人の特徴も備えてはいるが、その『濃さ』は日本人離れしている。
「日系二世か三世だな? 降伏でも迫りに来たか?」

 時は1945年、場所は硫黄島。
 岩村と小田は部隊が潜んだ洞穴の出入り口で寝ずの見張りに立っていた。
 
「いやぁ、ワタクシはナニ人でもないんですよ、72年後から来たんですけど」
「何を訳のわからない事を」
 二人は銃を構え直す。
「あ、撃たないで、あ、この鞄ですね? 武器なんか入ってませんよ」
 謎の男は鞄を投げ出す、すると中から封筒と便箋が飛び出した、しかし、まだ油断は出来ない、岩村が男に銃を向けたまま、小田が中身を改めた。
「岩村さん、本当に便箋と封筒だけです」
「ならば一体何をしに来た?」
 小田も再び銃を構える。
「あの、ワタクシ、ケン・ポストマンと申します」
「ポストマン? やはりアメリカ人か!」
「あ~、まあ、確かにポストマンは英語ですけどね……日本語で言えば郵便屋のケンちゃんってところです」
「郵便屋? アメリカの郵便屋か」
「いえ、どこの国の郵便屋でもないですよ、どの国にでも、どの時代にも現れる郵便屋なんです」
「岩村さん、そう言えばこいつ、72年後から来たなどと……」
「そうだな……貴様を信用したわけではないが、試しに一つ聞かせてくれ、72年後の日本はどうなってる?」
「平和ですよ、近くにちょいときな臭い国はありますけどね」
「72年後も日本はあるのだな?」
「あるどころか、世界第三位の経済大国です」
 それを聴いて、岩村と小田は思わず顔を見合わせた。
「では、この戦争には勝つのだな?」
「え~と、スミマセン、それは言えないことになってるんですよ、でもこれくらいまでは言っても良いでしょう、昭和は64年まで、まぁ、昭和64年は1週間しかなかったですから、実質63年までは続きますよ」
「つまり天皇陛下はそれまでお元気だということか?」
「そういうことになりますね……あの~、そろそろ手を下ろしても良いですか? 疲れてきたんですけど」
「いや、もうちょっとだけ待て」
 小田がポストマンの身体検査をし、ようやくポストマンは手をおろし、岩に腰掛けることを許された。

「で? ここに何をしに来た?」
「お手紙を受け取りにですよ、郵便屋ケンちゃんですから」
「手紙? 誰から?」
「お二人から」
「誰に?」
「お二人が届けたい人なら誰にでも……過去や未来にでも届けますよ……」
「……」
「……」
 72年後から来て、いつの時代でもどこへでも郵便を届けるなどと言う話を信用したわけではない……しかし、二人は何か書き残せるものなら書き残しておきたかった、自分たちの運命は察していたから……。

 そして1時間後、ポストマンは錆び付いて軋む自転車の音を残して去って行った。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「お前は誰だ! どうやってここまで入って来た!」
「あ~もうかなわんわ~、銃を突きつけられたかと思ったら今度は鉄パイプですか~」
 ケン・ポストマンが現れたのは1965年、紛争中の大学、学生が築いたバリケードの中。
 一時下火になりかけていた学生運動だが、アメリカのベトナム戦争本格参戦を受けて再燃していたのだ。
「質問に答えろ」
「え~と、ワタクシはケン・ポストマン、ご覧の通り郵便配達ですよ、ここに小田和子さんはいらっしゃいます?」
「小田和子なら同志だが、彼女に何の用だ?」
「ポストマンですからお手紙を届けに……ワタクシの胸のポケットからお手紙が覗いていますでしょう? それを小田和子さんにお届けするだけで良いんですけどね」
「これか? オイ、小田、手紙だそうだ」
「私に? こんな所まで?」
 手紙を受け取った和子が裏返してみると、差出人は小田良夫とある。
「え? 父から? ありえないわ」
「どうして?」
「だって父は太平洋戦争で亡くなったもの、私がまだ産まれて間もない頃に亡くなったから顔も写真でしか知らないのよ……アナタ、これってどういう悪戯?」
「信じる信じないはご自由ですよ、ワタクシの役目はそれをお届けすることだけでして、では……」

 和子はその手紙を無造作にジーンズの尻ポケットにねじ込んだ。
 20年前に亡くなって顔も覚えていない父からの手紙……それが本物だと信じたわけではないが、棄てる気にもなれなかったのだ。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「あの~、ここに岩村和夫さんはいらっしゃいます?」
 次にケン・ポストマンが訪れたのは、同じ日、同じ場所、ただしバリケードの外だ。
「君、こんな所をうろつかれちゃ困るな、公務の邪魔になるし、そもそも危険だぞ」
「はあ、スミマセン、お手紙をお届けに来たんですけど」
「おい、岩村、お前に手紙だそうだ……できるだけ速くここを離れてくれるかね?」
「はい、それはもう、ワタクシの用事はそれだけですから、でも直接お渡ししなければならないことになっているんですよ」
「自分が岩村ですが」
「ワタクシ、ケン・ポストマンと申します……あ~、お父様によく似てらっしゃいますね」
「は?」
 確かに似ていると言われるし、仏壇の上に飾られている写真を見ると、自分でも似ていると思う、しかし、郵便配達はせいぜい30歳位にしか見えない、20年前に硫黄島で亡くなった父を知っているとも思えないのだが……。
「20年前のお父様からのお手紙です、確かに届けましたよ」
「あ、ああ……ご苦労様です」
 和夫は首をひねりながらも手紙を胸ポケットにねじこんだ。
 20年前の父からの手紙だなどと……バカげている、しかし、バリケードを挟んで機動隊と学生運動家が対峙しているその最前線に、わざわざ危険を犯してまでも届けに来ると言うのは冗談や悪戯で出来ることではない……。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 和子は一人になれるのを待って手紙の封を切った。
 20年前からの手紙だなどと信じられるわけでもないが、手紙は相応に古ぼけていて妙にリアリティがある。

『和子へ。
 お前がこれを読むのは20年後になるんだそうだ、その頃お前は嫁に行っているかな? まだ少し早そうだな、勤めているのかな? それとも学生か……。
 俺は今、硫黄島の洞穴でこれを書いている、ケン・ポストマンと名乗る男が、20年後のお前に届けてくれるというんだ……胡散臭い話だが、もしお前がこれを読んでいるのなら、彼が言った事は本当なのだな……』
 確かに、あの郵便配達はケン・ポストマンと名乗った……。
 いやいや……彼の自作自演と言うことも考えられる。
『ケンが言うには、これを本当に俺が書いたのだと信じてもらうためには、他人が知りえない事を書けと……』
 その後しばらくはそのための情報が書かれていた。
 母の背中の痣、和子の腹のほくろ、和子が小さい頃暮らした家の様子……。
 和子はギクッとした……もしかしてこれは本物?
 そして、家の庭にあったハナミズキのことが書かれているに至って、確信した。
 母はそのハナミズキを随分と大切にしていた、父が大好きだったからと言うのがその理由で花をつけると良くぼんやり眺めていた、きっと父を思い出していたのだと思う、しかし、そのハナミズキは数年前に枯れてしまい、やむなく切ってしまったのだ。
和子もその木が春に咲かせる白い花が、秋につける赤い実が好きで、切らなくてはならなくなった時、すごく悲しかった事を良く憶えている……そして、この手紙を書いた人はそれを知っている……。
『おそらく俺は数日内に死ぬだろう、わが軍は追い詰められて、次々とやられてしまっている、全滅も時間の問題だ……正直に書こう、死にたくない……日本に戻って母さんやお前と暮らしたい……でも、この戦いは日本を、母さんとお前を守るための戦いだ、米英に日本を好き勝手にさせるわけには行かないんだ。 ケンはこの戦いの結末を教えてはくれなかったが、昭和の時代はまだまだ続き、日本は平和で繁栄するとだけ教えてくれた、彼の言葉を信じたい……お前達は平和な時代に幸せに暮らしてくれ、母さんは元気か? 母さんを困らせたり泣かせたりは決してしないで欲しい、母さんもお前も俺の大切な宝なのだから……お前達の顔をもう一度だけ見たい、今はそれだけが望みだが、それは叶いそうにない。 もし、本当にケンがこの手紙を20年後のお前に届けてくれるなら、母さんを頼むぞ、そしてお前も幸せになってくれ』

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 和夫は交代で摂る食事休憩の時間を利用して手紙を眺めた。
 切手は貼っていない、当然消印もない、ケン・ポストマンと名乗った男の自作自演の可能性を疑った、しかし、古びた感じは作り物とも思えない、そもそもそんな手の込んだ事をする理由も見当たらない。
 訝しがりながらも、和夫は封を切った。

『和夫へ
 俺はこの手紙を硫黄島で書いている、ケン・ポストマンと名乗る不思議な男が現われて、いつでも、誰にでも、何処へでも手紙を届けてくれると言う。
 和枝に……俺の妻、お前の母に宛てて書こうかとも思ったのだが、俺が出征した時、まだ小さくて充分に話すことが出来なかったお前に宛てて書く事にした』
 和夫は戦地から届いた父の手紙を読ませてもらったことがある、母はそれを仏壇の奥深く大事にしまっていて、和夫が警察官を志すと告げた時、取り出して見せてくれたのだ。
 その筆跡に良く似ている、右肩上がりにならず四角四面の特徴的な文字……。
 理性的には信じられる筈もない、しかし心情的には信じられる……いや、信じたい。
『ケンが言うには、この手紙が本物だと信じてもらうために、身内でなければ知り得ない事を書けと……お前は憶えていてくれているだろうか、出征の前日、最初で最後のキャッチボールをしたな、子供用のグローブなどないから俺のグローブをお前がはめて、大きすぎて扱えずに頭や身体に何度もボールをぶつけていた、もっとお前とキャッチボールがしたかった、野球を教えてやりたかった』
 憶えている……まだ五歳位で出征の意味など良くわからなかったが、父母の様子から父が遠くへ行ってしまい、しばらくは帰れないことだけは察していた、それで自分からグローブとボールを持ち出して父にキャッチボールを教えてくれと頼んだのだ、父は最初びっくりしたような顔をしていたが、嬉しそうに応じてくれた……確かに大人用のグローブは重く、大きく、ボールを何度も身体に受けてしまったことも憶えている、頭に当った時は痛くて泣きたかったが、泣いてしまったら父が止めてしまうと思って懸命にこらえていたことも……。
『俺はおそらく生きては帰れないだろう、正直、死ぬのは怖い、死にたくはない、父親としてお前に色々と教えてやりたかった、二十歳になったお前と酒を酌み交わしたかった、お前も俺に似て強情だからきっと喧嘩もすることになっただろうと思う、死んでしまったら喧嘩もできなくなってしまうな、それが残念だ……一つだけお前に頼みがある、俺は日本を、母さんやお前を守るために戦っている、ケンが言うには日本はこの先ずっと平和で発展して行くんだそうだ、お前は兵隊になどならずに済むだろう、だが、俺達のように国を、愛するものを守るために戦って死んでいった者がいる事は忘れないでくれ、そして、平和な時代が続くならば、どんな形でも良い、その平和を守るために働いてくれ、そして母さんを守ってやってくれ……頼みごとが二つになってしまったな、だが、今、俺が願う事はそれだけだ……どうか達者で暮らしてくれ、そして母さんにもよろしく言っておいて欲しい』
 手紙の最後の方、書き始めは四角四面だった文字の角が取れてぐずぐずになってしまっている、父の心の内を垣間見た気がした。
 和夫はその手紙を押し頂いて丁寧に戻し、胸ポケットに厳重にしまった。
 手紙が本物かどうかなどどうでも良い、今、自分は間違いなく父の声を聞いた、そう思えたのだ。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

和子は手紙を読み終えてしばらく、立ち上がることが出来なかった。
【母さんを困らせたり泣かせたりは決してしないで欲しい、母さんもお前も俺の大切な宝なのだから】
 まだ一歳かそこらの頃に出征して帰らなかった父。
 母は女手一つで自分を育て上げてくれて、大学にまで行かせてくれた。
 学生運動に身を投じたのは、世の中の不公平を正すため、二度と母のような思いをする女性を作らないよう、戦争のない社会にするため。
 しかし、今自分がやっている事は母を困らせ、泣かせている……。
 世の中を根本から変えて行くには共産化革命しかない、そう思った、日本と言う国を根こそぎひっくり返さなければいけない、と。
 だが、父は日本を守るために戦い、死ぬ事を覚悟していた、父にとって、日本を守ると言う事は、妻を、娘を守ることと同義だった。
 父が守ろうとした日本を、自分は今壊そうとしている、母を守りたいと言う気持ちは同じなのに……。

 和子は混乱した。
 理想を追って学生運動に参加したものの、深く関わるにつれて矛盾も感じるようになっていたのだ。
 学生運動の究極の目標は共産化革命、そのためには団結しなければいけないはずなのに、様々なグループに分かれていがみ合っている、僅かな理想の違いも容認しない強硬な姿勢はいかがな物かと思わないではいられない、そして自分が属しているグループ内でも権力争いのようなものが存在する、本来は力を合わせなければいけないはずなのに……。

(とにかく一度、頭を冷やして良く考え直さないといけないな)
 和子はそう思った。
 そして戦場のようになってしまっているバリケード内を見回す。
 改めて眺めてみるとこれが自分の理想としている世界の姿だとは思えない、余りに深く運動にかかわってしまってそれが見えなくなっていたのかも知れない……。

 しかし、ここを抜け出すと言うのは簡単なことではないのも事実。
 本来、政治的な思想を同じくする者の集まりなのだから、考えが変われば出るも入るも自由な筈なのだが、現実はそうではない。
 もし、今ここから出て行くと宣言すれば裏切り者扱いされて吊るし上げられる事は確実、おそらくリンチに遭うことになってしまうだろう。
 チャンスはバリケードが破られた時、その時に制圧された振りをしながら投降するしかない。

 和子はバリケードの最前線に陣取ってチャンスを待つことにした。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 バリケードの外では対策が練られていた。
 学生側からの動きはない、にらみ合いは長期化する一方だ。
 機動隊からの突入も議論されたが、学生にケガをさせることは世論が許さない、と言うよりもマスコミに吊るし上げられる、裁判ともなれば弁護士が機動隊側のどんな小さなミスも許さずに衝いて来るだろう。
 人質がいるわけでもないこの状況ではあくまで動きを待って制圧するのが上策と結論付けられた。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 バリケードの内側もまた焦れていた。
 大学の施設に立て籠もって困らせること、今や目的はそうなってしまっている。
 それならば機動隊が動かないのは好都合の筈だが、そうも言えなくなって来ている。
 まず、食料が底を突いて来た、人間、腹が減ると苛立ちやすくなるもの、些細なことで口論が絶えず、立て籠もりは限界に近くなって来ている。
 
 幹部の中から『打って出るべきだ』と言う声が上がる、このままにらみ合っていても何も生まれない、と。
 しかし、リーダーは動こうとしなかった。
 機動隊と一戦交えることが目的ではなかった筈だ、と。
 そしてバリケードの中は強硬派と慎重派に二分されて、険悪なムードに包まれた。
「この腰抜けがぁ! 貴様にリーダーの資格なぞない!」
 ついに強硬派幹部がリーダーを角棒で殴りつけ、リーダーは崩れ落ちた。
 和子はここぞとばかり悲鳴を上げた。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽
 
 その悲鳴はバリケードの外にも響いた。
 機動隊は事態の急変に備えて強行突入の準備を整えた。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 バリケードの内側では和子の悲鳴が引鉄となって、強硬派と慎重派の乱闘が始まっていた。
 そして、和子も強硬派に胸倉をつかまれた、その手には鉄パイプが握られている。
 和子はもう一度、今度は何の思惑もなく、ただただ、殺されると言う恐怖で悲鳴を上げた。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 それを合図にしたように機動隊はバリケードを破って突入した。
 バリケードの中で内紛が起こっている、そもそも暴力沙汰を収めるのは警察官本来の職務なのだ。
 和夫は先頭に立って突入した。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 最初に和夫の目に飛び込んで来たのはヘルメットを飛ばされ、直接頭に鉄パイプの一撃を受けようとしている和子の姿。
 今、まさに鉄パイプが振り下ろされようとしている。
 和夫は間に割って入り、右腕で鉄パイプを受けた。
 左には盾をつけていたが、重く大きい盾を使ったのでは間に合わないと判断しての事だった。
 右腕から鈍い音がした、骨にひびが入ったようだ……しかし、それで怯んでいる暇はない、左に構えた盾に肩を押し当てて体当たりをかます。
 鉄パイプ男はあっけなく吹っ飛び、後続の機動隊に取り押さえられた。
 右腕を負傷した和夫だが、へたり込んだ和子を抱き寄せるようにして盾の陰に保護した。
 そして、続々と踏み込んで来た機動隊は、学生を瞬く間に制圧した。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「腕、大丈夫ですか?」
 和子もバリケードの中に立てこもっていた一人、当然連行の対象だ。
 和夫は和子を保護してバリケードの外に出すと、警官に引き渡そうとした。
 その時、和子は和夫の腕を心配してそう声をかけた。
 学生運動の制圧では罵声しか浴びせられたことがない、和夫は面食らった。
「大丈夫……でもないかな、骨折はしていないようだが」
「すみません、私の為に……」
「職務ですから……でも、あの悲鳴はもしかしてあなたが?」
「はい、あのまま篭城を続けると仲間内で暴力沙汰になりそうで……」
「我々が突入するきっかけを作ろうと?」
「二度目のは単純に怖かったからですけど……殺されるかと」
「確かにあのまま頭に鉄パイプを振り下ろされていたら危なかったですね」
「はい、命の恩人です」
「いや……まあ、職務ですから……でも、そういう事を言う運動家は初めてですよ」
「少し考える所があって……」
「何かあったんですか? バリケードの中で」
「ええ……不思議な郵便配達が、何処からともなく入って来て」
「郵便配達人? それはもしかしてケン・ポストマン?」
「え? ええ、確かにそう名乗りましたけど」
「彼は誰からの手紙をあなたに?」
「父からの……でも不思議なんです、父は20年前に硫黄島で戦死してるのに……」
「でも、その手紙は本物だったんですよね?」
「ええ、今はそう信じてます」
「確かに不思議な郵便配達ですね」
 和夫は胸ポケットから手紙を取り出して和子に示した。
「不思議な縁ですね、実は先ほど私も20年前に硫黄島で戦死した父からの手紙を受け取ったんですよ……」

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「和彦、男の子だろう? ボールがぶつかった位で泣くな」
「泣いてないやい!」
「へえ、目に水が溜まって見えるけどな」
「汗だよ!」
「はは、そうか、疑って悪かったよ、今度は上手く捕れよ」

 和夫は五歳になる息子、和彦とキャッチボールの最中。
 傍らでは妻の和子が親子のキャッチボールをカメラに収めて笑っている。

 あの後、不思議な郵便配達人、ケン・ポストマンから受け取った手紙を見せ合った和夫と和子は、父親同士が硫黄島での戦友で、同じようにケンに手紙を託した事を知った。
 そして、お互いの父親の仏壇に手を合わせるために家を訪問し会い、母親同士も意気投合して互いに墓参りをしあうようになり、家族ぐるみの交流はやがて……数年後、和夫と和子は結婚した、和彦はその長男である。
 
 数日後。
「この写真いいね、これ、絶対泣いてるよな」
「ふふふ、強情な所があなたにそっくりよ」
「仕方ないさ、お祖父ちゃんの代から岩村家の伝統だからな」
「この写真、お父さんたちに見せてあげたいわね……」
「そうだな、共通の孫だからな、見せてあげたいな、平和な日本で、あなたたちの孫は元気に、そして強情に育っていますって手紙を添えてね……」

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

 キィ~コ、キィ~コ、キィ~コ。
 今日もケン・ポストマンはこの世界のどこかでちょっとさび付いた自転車をこいでいます、上手すぎる鼻歌を響かせながら。
 彼はどの時代にも、何処へでも、誰にでも、きっと手紙を届けてくれる不思議な郵便配達なのです。
 あなたが、どうしても誰かに大事な事を伝えたいと願った時、ケン・ポストマンは何処からともなく現われるかも知れませんよ。
 心からそう願えばきっと……。
 ほら、どこからか鼻歌が聞こえてきませんか?


            (終)

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「あれ? なんか鼻歌が聞こえないか?」
「ええ、聞こえるわ……この声、何だかどこかで聴いたことがあるような……」
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