第1話
文字数 4,716文字
一
測量士の木村 和彦 はこれまでごく普通の人生を送ってきた。激しい浮き沈みもなければ、それに伴うスリルやドラマもなかった。自宅から通える国立大学の工学部に進み、その後実務経験を積んで、測量士の資格を取った。特に熱意があってこの仕事を選んだわけではないが――そもそも一体誰が激しい情熱を持って測量士になりたいと願うものなのだろう?――かといってまったく興味がなかったわけでもない。今思えば子どもの頃から道路脇で三脚の付いた機械を覗き込んでいるおじさんたちをぼおっと見ていたな、と彼は思った。だとすると、あながち自分に合った職業といえなくもないのだろう。
今の会社に入ってからは実にさまざまな現場に足を運んだ。始めはアシスタントとしての役割が多かったが、最近は責任のある仕事も任されている。山奥にある大規模な工事現場や、ひどく入り組んだ橋梁 の建設予定地も担当した。同僚たちとは大体うまくやっている。給料はそれほど高くはないが、少ないと感じたことはあまりない。
三十二歳で結婚して、今では子どもが二人いる。上が女で、下が男だ。娘が六歳で、息子は四歳になった。もともとあまり外出を好むタイプではないので、休日はもっぱら家にいる。ときどき家族四人で近くの公園に行ったりもする。車はトヨタのプリウス。
まさか自分が三十八歳になるなんてな、とときどき思う。若い頃には自分がそんな歳まで生きるのだとは想像もできなかった。とにかく目の前の一日一日を生きるだけで精一杯だった、ということもある。そもそもあまり将来のことを考えるのが好きではなかった、ということもある。でもその一番の理由は、高校時代の同級生であるMの存在が大きいだろう。
言い忘れていたが、彼の妻はMの妹である。四歳年下。もっとも高校時代、あるいはちょくちょく会っていた大学時代にも、妹のことなんか特に気にしたことはなかった。彼女は一般的な美人というわけではなかったし、控えめで、いつも隅で本を読んでいたからだ。たまに顔を合わせることがあっても、軽く会釈 するだけですぐにどこかに引っ込んでしまった。
Mは二十九歳で自殺した。木村と同じ高校を出て、都心にある私立大学の文学部に進んだ。でもろくに勉強をせず、ほとんどの時間、一人で好きな本を読んで過ごしているようだった。現実的な木村と、空想的なMとは不思議とうまが合った。彼の話を聞いているだけで、自分まで創造的な人間になったような気がしたものだ。Mは在学中から短編小説を書いていた。
「測量士K」というのが後 にMによって木村に付けられたあだ名だ。彼はカフカの小説を読んだことはなかったものの――というかどんな海外小説を読んだこともない――その名の響きがなぜかそれなりに気に入っていた。
「Kは依頼を受けてある村に測量にいくんだが、いつまで経っても仕事を始めることができない。なぜなら一体誰が依頼をしたのか分からないからだ」とMは言った。
「そういう、シュールな話なんだ」と木村は言った。
「まあそうだな。カフカはそういった小説を好んで書いた。俺はその城の中に何があるのかすごく気になるんだが」
「何があったんだ?」
「いや、そこまでは書かれていない。というかKはそこに辿り着くことさえできないんだから」
「それが結末なのか?」
「いや、結末はない。これは未完の小説なんだ。カフカは続きを書くことなく、四十歳で結核でこの世を去った」
「ふうん」
木村はその話を聞いたあとに、何度か実際にカフカの『城』を読もうとしたのだが、その手の本に慣れていないせいもあって、やがて挫折してしまった。あまりにも長過ぎるし、あまりにも冗長過ぎたのだ。やっぱり俺は現実的な人間なんだな、と彼は思った。
その会話を交わしたのが二十六か、七くらいのときで、その数年後にMは自ら命を絶つことになる。猛スピードで突っ込んでくる電車に躊躇 なく飛び込んだのだ。その葬式で、数年ぶりに彼の妹と顔を合わせた。彼女はなぜか、さほど悲しんではいないように見えた。まるでそういった事態がもたらされるのを、もうずっと前から予感していたみたいに。
その後何度か別の機会に顔を合わせ、二人は次第に親しくなっていった。性格的にはあまり接点はないようにも思えるのだが――彼女は兄に似て空想的、木村はとことん数字の世界に生きている――彼女といると、彼は心からリラックスすることができた。さらにそれだけでなく、彼女の世界を見る縮尺 や、焦点の位置が、必ずしも一定ではないかもしれない。でもそれはそれでいいのだ、と彼は思った。なにしろいろんな人間が、この世には生きているのだから。
二人の子どもたちも、それぞれ似たような傾向を受け継いでいるように思えた。娘の方はしっかりして――もちろん比較的、という意味だが――現実的。息子の方はいつも空想に耽 っている。そういえば彼はこの間不思議な絵を描いた。
「お父さんこれなんだか分かる?」と彼はその絵を見せて言った。
「ええと・・・。なんだこれは? このピンクの部分が目かな。こりゃタコじゃないかな?」
「ブッブー。タコじゃないよ。だって脚が八本じゃないでしょ?」
「そういえばそうだな。じゃあなんなんだこれは?」
「これは馬人間なんだよ」
「馬人間?」
「そう。馬人間。頭が人間で、身体が馬なの。ここが脚と、脚と、脚と、脚で、これが尻尾」
「そうか、馬人間か。馬人間は何を食べて生きているの?」
「そんなのニンジンに決まっているじゃない。ニンジンばっかり食べていると馬人間になっちゃうんだよ」
「だから君はニンジンを食べないんだ」
「うん」と彼は言って、深く頷いた。
結婚して、最初の子どもの妊娠が分かったとき、妻は泣いた。木村は始め彼女がなぜ泣いたのか理解できなかった。あるいは子どもが欲しくなかったのかもしれない。でもそんな話は以前には一度も聞いたことがなかった・・・。
でも話を聞くうちに、それが兄に対する一種の罪悪感から来たものなのだと分かった。彼女はMの性質を、ある程度ではあるがやはり同じように引き継いでいた。芸術家的性向とでも呼べばいいだろうか。それは彼にはまったく理解できない種類の精神的傾向だった。
「あの人は二十九で死んだの」と彼女は言った。
「うん」と彼は言った。「そうだな」
「ほんとは私も二十九で死ぬべきなんじゃないかと、ときどき思うの」
ちなみに彼女はそのとき二十八歳だった。あと四カ月で二十九になる。
「そんなこというなよ」
「でもほんとうにそう思うの。あの人は一種の確信を持って死んでいったの。そして私の中の何かを持っていった。その部分は二度と戻ってはこない」
その言葉は彼を少し傷つけたが、かといって嫉妬したわけではない。彼は現実的な人間だったし、すでに死んだ妻の兄を妬 んだところでどうしようもないと分かっていたのだ。だからただ彼女のことを抱き締めた。
「いいかい? 我々は今を生きている。彼は死んでしまったが、僕らは生き続けなければならない。ねえ、子どもができるんだよ。君はきっと自分だけが幸せになることに罪悪感を抱いているのさ」
彼女はそこで不思議な顔で彼のことを見た。彼は少々ばつが悪かったものの、とにかくじっとしていようと努めていた。その瞳の奥には、不思議な渦のようなものが見えた。グルグルと回り、しかし、中心に何があるのか見ることができない。「測量士K」というあだ名が、なぜかふと頭に蘇 ってきた。
「私はあなたと結婚してよかったと思う」としばらく経ったあとで彼女は言った。「それはたしかなこと」
Mは大学を卒業したあと――結局六年かかったが――アルバイトをしながら小説家を目指していた。木村が就職してからは忙しくなってあまり会う機会もなくなってしまったが、それでもたまに連絡は取り合っていた。木村のまわりには、なぜか彼と話をしたいという友人がたくさん集まってきたのだが――それは彼が聴き上手だったからかもしれない――それでもMについてだけは特別な感情を抱いていた。木村は彼に対して一種の敬意を抱いていたのだ。俺は単なる凡人だが、あいつは何か特別なものを持っている。何か普通の人間が持たないものだ。
もっとも彼一人が評価したところで小説家として大成できるわけではない。Mはぶつぶつと現状に文句を言いながらも、なんとか自らの作品を書き上げようと四苦八苦していた。「これ以外道がないんだよ」と彼はよく言っていたものだった。
「君はすごいよな」とあるファミレスで夕食を共にしながら木村は言った(ちなみに勘定は当然のごとく彼が払った)。「自分の力で何かをつくり上げているんだ」
「いや、まだ何も大したことはしちゃいないさ」とMはハンバーグ定食を掻 き込みながら言った。ずいぶん空腹であったようだった。「これはちょっと味付けをし過ぎだな・・・。まあいいや。何の話だったっけ? そう、俺がまだ何も成し遂げていない、ってことだ。まったく。本当に嫌になっちゃうよ」
「でも書き続けてはいるんだろう?」
「まあね。だって書かないと俺は死んじゃうからさ。そういう体質なんだ」
「昔からそうだったっけか?」
「いや、それはここ数年のことだ。昔はとにかくひたすら他人の書いた本を読んでいた。それで十分だったんだ。でも今では違う。今は俺は俺自身の物語を書かなければならない」
「出版社に持っていったりしたのか?」
「持っていったよ」と彼は言って、疲れたように首を振った。「でもあいつら読みもしないんだ。当社では持ち込みは受け付けていません、だとさ。是非新人賞にご応募ください、だと」
「それで、賞に送っている」
「まあね。ほとんどの場合一次選考すら通らないがな」
「でも書きながら成長しているんだろう?」
「まあそうだな。それだけが生きる希望だ」
話はその後かつての同級生たちの話題になった。木村は知り合いが多いからそういった話をよく聞かせられるのだ。誰がどこに就職したのか。誰が誰と結婚したのか・・・。
「もうそれくらいでいいよ」とある程度話が進んだところでMは言った。「もう聞きたくない」
「あんまり興味ないんだろ?」と木村は言った。「たぶんそうだろうとは思っていたんだが」
彼は頷いた。「正直にいうとそうだ。彼らが結婚したいのならすればいい。独立して事業を始めたいのならそうすればいいんだ。でも俺には関係ないね」
「誰とも連絡取ってないのか?」
「まあ、そうだな。君とだけだ」
「でもどうして俺だけなんだ? 俺なんて退屈な人間もいいところじゃないか。測量士で、毎朝同じ時間に起きて、会社に行く。現場で働いて、いつも似たような時間に戻ってくる。それ以外は特に何もしていない」
「趣味は?」
「趣味なんてないよ。ただそうだな、ときどき長い散歩をする。それくらいだ。あとはテレビを観たり、音楽を聴いたりする」
「付き合っている人は」
「いたけど別れた。きっと退屈だったんだろう」
「きっと君の良さを理解できなかったのさ」
「そうだといいがね」
測量士の
今の会社に入ってからは実にさまざまな現場に足を運んだ。始めはアシスタントとしての役割が多かったが、最近は責任のある仕事も任されている。山奥にある大規模な工事現場や、ひどく入り組んだ
三十二歳で結婚して、今では子どもが二人いる。上が女で、下が男だ。娘が六歳で、息子は四歳になった。もともとあまり外出を好むタイプではないので、休日はもっぱら家にいる。ときどき家族四人で近くの公園に行ったりもする。車はトヨタのプリウス。
まさか自分が三十八歳になるなんてな、とときどき思う。若い頃には自分がそんな歳まで生きるのだとは想像もできなかった。とにかく目の前の一日一日を生きるだけで精一杯だった、ということもある。そもそもあまり将来のことを考えるのが好きではなかった、ということもある。でもその一番の理由は、高校時代の同級生であるMの存在が大きいだろう。
言い忘れていたが、彼の妻はMの妹である。四歳年下。もっとも高校時代、あるいはちょくちょく会っていた大学時代にも、妹のことなんか特に気にしたことはなかった。彼女は一般的な美人というわけではなかったし、控えめで、いつも隅で本を読んでいたからだ。たまに顔を合わせることがあっても、軽く
Mは二十九歳で自殺した。木村と同じ高校を出て、都心にある私立大学の文学部に進んだ。でもろくに勉強をせず、ほとんどの時間、一人で好きな本を読んで過ごしているようだった。現実的な木村と、空想的なMとは不思議とうまが合った。彼の話を聞いているだけで、自分まで創造的な人間になったような気がしたものだ。Mは在学中から短編小説を書いていた。
「測量士K」というのが
「Kは依頼を受けてある村に測量にいくんだが、いつまで経っても仕事を始めることができない。なぜなら一体誰が依頼をしたのか分からないからだ」とMは言った。
「そういう、シュールな話なんだ」と木村は言った。
「まあそうだな。カフカはそういった小説を好んで書いた。俺はその城の中に何があるのかすごく気になるんだが」
「何があったんだ?」
「いや、そこまでは書かれていない。というかKはそこに辿り着くことさえできないんだから」
「それが結末なのか?」
「いや、結末はない。これは未完の小説なんだ。カフカは続きを書くことなく、四十歳で結核でこの世を去った」
「ふうん」
木村はその話を聞いたあとに、何度か実際にカフカの『城』を読もうとしたのだが、その手の本に慣れていないせいもあって、やがて挫折してしまった。あまりにも長過ぎるし、あまりにも冗長過ぎたのだ。やっぱり俺は現実的な人間なんだな、と彼は思った。
その会話を交わしたのが二十六か、七くらいのときで、その数年後にMは自ら命を絶つことになる。猛スピードで突っ込んでくる電車に
その後何度か別の機会に顔を合わせ、二人は次第に親しくなっていった。性格的にはあまり接点はないようにも思えるのだが――彼女は兄に似て空想的、木村はとことん数字の世界に生きている――彼女といると、彼は心からリラックスすることができた。さらにそれだけでなく、彼女の世界を見る
視点が
彼を面白がらせた。それは正確には間違った視点かもしれない。二人の子どもたちも、それぞれ似たような傾向を受け継いでいるように思えた。娘の方はしっかりして――もちろん比較的、という意味だが――現実的。息子の方はいつも空想に
「お父さんこれなんだか分かる?」と彼はその絵を見せて言った。
「ええと・・・。なんだこれは? このピンクの部分が目かな。こりゃタコじゃないかな?」
「ブッブー。タコじゃないよ。だって脚が八本じゃないでしょ?」
「そういえばそうだな。じゃあなんなんだこれは?」
「これは馬人間なんだよ」
「馬人間?」
「そう。馬人間。頭が人間で、身体が馬なの。ここが脚と、脚と、脚と、脚で、これが尻尾」
「そうか、馬人間か。馬人間は何を食べて生きているの?」
「そんなのニンジンに決まっているじゃない。ニンジンばっかり食べていると馬人間になっちゃうんだよ」
「だから君はニンジンを食べないんだ」
「うん」と彼は言って、深く頷いた。
結婚して、最初の子どもの妊娠が分かったとき、妻は泣いた。木村は始め彼女がなぜ泣いたのか理解できなかった。あるいは子どもが欲しくなかったのかもしれない。でもそんな話は以前には一度も聞いたことがなかった・・・。
でも話を聞くうちに、それが兄に対する一種の罪悪感から来たものなのだと分かった。彼女はMの性質を、ある程度ではあるがやはり同じように引き継いでいた。芸術家的性向とでも呼べばいいだろうか。それは彼にはまったく理解できない種類の精神的傾向だった。
「あの人は二十九で死んだの」と彼女は言った。
「うん」と彼は言った。「そうだな」
「ほんとは私も二十九で死ぬべきなんじゃないかと、ときどき思うの」
ちなみに彼女はそのとき二十八歳だった。あと四カ月で二十九になる。
「そんなこというなよ」
「でもほんとうにそう思うの。あの人は一種の確信を持って死んでいったの。そして私の中の何かを持っていった。その部分は二度と戻ってはこない」
その言葉は彼を少し傷つけたが、かといって嫉妬したわけではない。彼は現実的な人間だったし、すでに死んだ妻の兄を
「いいかい? 我々は今を生きている。彼は死んでしまったが、僕らは生き続けなければならない。ねえ、子どもができるんだよ。君はきっと自分だけが幸せになることに罪悪感を抱いているのさ」
彼女はそこで不思議な顔で彼のことを見た。彼は少々ばつが悪かったものの、とにかくじっとしていようと努めていた。その瞳の奥には、不思議な渦のようなものが見えた。グルグルと回り、しかし、中心に何があるのか見ることができない。「測量士K」というあだ名が、なぜかふと頭に
「私はあなたと結婚してよかったと思う」としばらく経ったあとで彼女は言った。「それはたしかなこと」
Mは大学を卒業したあと――結局六年かかったが――アルバイトをしながら小説家を目指していた。木村が就職してからは忙しくなってあまり会う機会もなくなってしまったが、それでもたまに連絡は取り合っていた。木村のまわりには、なぜか彼と話をしたいという友人がたくさん集まってきたのだが――それは彼が聴き上手だったからかもしれない――それでもMについてだけは特別な感情を抱いていた。木村は彼に対して一種の敬意を抱いていたのだ。俺は単なる凡人だが、あいつは何か特別なものを持っている。何か普通の人間が持たないものだ。
もっとも彼一人が評価したところで小説家として大成できるわけではない。Mはぶつぶつと現状に文句を言いながらも、なんとか自らの作品を書き上げようと四苦八苦していた。「これ以外道がないんだよ」と彼はよく言っていたものだった。
「君はすごいよな」とあるファミレスで夕食を共にしながら木村は言った(ちなみに勘定は当然のごとく彼が払った)。「自分の力で何かをつくり上げているんだ」
「いや、まだ何も大したことはしちゃいないさ」とMはハンバーグ定食を
「でも書き続けてはいるんだろう?」
「まあね。だって書かないと俺は死んじゃうからさ。そういう体質なんだ」
「昔からそうだったっけか?」
「いや、それはここ数年のことだ。昔はとにかくひたすら他人の書いた本を読んでいた。それで十分だったんだ。でも今では違う。今は俺は俺自身の物語を書かなければならない」
「出版社に持っていったりしたのか?」
「持っていったよ」と彼は言って、疲れたように首を振った。「でもあいつら読みもしないんだ。当社では持ち込みは受け付けていません、だとさ。是非新人賞にご応募ください、だと」
「それで、賞に送っている」
「まあね。ほとんどの場合一次選考すら通らないがな」
「でも書きながら成長しているんだろう?」
「まあそうだな。それだけが生きる希望だ」
話はその後かつての同級生たちの話題になった。木村は知り合いが多いからそういった話をよく聞かせられるのだ。誰がどこに就職したのか。誰が誰と結婚したのか・・・。
「もうそれくらいでいいよ」とある程度話が進んだところでMは言った。「もう聞きたくない」
「あんまり興味ないんだろ?」と木村は言った。「たぶんそうだろうとは思っていたんだが」
彼は頷いた。「正直にいうとそうだ。彼らが結婚したいのならすればいい。独立して事業を始めたいのならそうすればいいんだ。でも俺には関係ないね」
「誰とも連絡取ってないのか?」
「まあ、そうだな。君とだけだ」
「でもどうして俺だけなんだ? 俺なんて退屈な人間もいいところじゃないか。測量士で、毎朝同じ時間に起きて、会社に行く。現場で働いて、いつも似たような時間に戻ってくる。それ以外は特に何もしていない」
「趣味は?」
「趣味なんてないよ。ただそうだな、ときどき長い散歩をする。それくらいだ。あとはテレビを観たり、音楽を聴いたりする」
「付き合っている人は」
「いたけど別れた。きっと退屈だったんだろう」
「きっと君の良さを理解できなかったのさ」
「そうだといいがね」