第50話:断絶

文字数 2,120文字

「救うためにこの街を作ったのですか?」
 彼女の言葉で、心のどこかが熱を帯び始めていた。

「あなたは、この街についてどこまで理解している?」
「ここに住んでいる人の多くは、おそらく両方の性を持っているわけではない、ということは認識しています」
 あらわになったユノの下腹部には、ただの女性器以外、何らの器官もついていなかった。

「やはり、知識というのは偉大で厄介ね」
 微かに笑みを浮かべた彼女は、「あなたが考えている通り、この街にいる人間は、少なくとも身体的には女性でしかない」と加えた。

「じゃあ、どうやって子供を」
「この場所には、もともとどんな役割があったと思う?」
「役割?」と口にしたところで、先ほど見た、診察室のような場所が頭に思い浮かんだ。「病院?」

「まぁ、大きく外れてはいない。もう少し厳密に言うなら、富裕層が体外受精と出産、療養を行う施設というところ。精子卵子バンクとしての機能もある」
「彼女たちは、その事実を――

「もちろん知らない。女性器同士の接触で妊娠すると思っている」
「そんな嘘を信じて」
「実態を知る(よし)がないのだから、仕方がないでしょう」

「……そうか。あとは前提として、どちらかに男性性の発現があった場合のみ妊娠する、と教えているのですね」
 おそらく、施設のカメラなどを通じて親密な女性同士を洗い出し、健康診断などと適当な口実をつけて、受精卵を子宮内に移植しているのだろう。

「もちろん。街における性行為までは追いきれないから、ある程度言い訳の余地は残しておかないとね。まぁ、確実に関係のある二人が分かれば、妊娠してもらうこともあるけれど」
 彼女は悪びれる様子もなく、淡々と言葉を(つむ)ぐ。

「なぜ、こんなことをしているんですか?」
 率直な疑問が口をついた。

「今のような事態を防ぐため」
「今のような事態?」
「激しい好意や、性的な衝動による様々な不幸を防ぎたかったから。もちろん、女性に対してそういう感情を抱く女性もいるけれど、割合としては少ないでしょう?」

「同性だけを集めておけば、激しい好意が生まれる可能性は低くなる」
「そう。医学が発達したことで、生殖に性行為も愛も必要なくなった。であれば、そういった存在はもはや、様々な問題を招く危険因子でしかない」

「しかし、愛は幸福を与えるものではないのですか?」
「幸福を与えるから何? 麻薬だって、その人に幸福を与える」
「それは同列で語れるものではないでしょう。麻薬は依存症でボロボロに」
「愛だって同じでしょ? 今回のようなケースを引き起こす」

「でも、
 とそこまで言って、スムーズに反論が出てこないことに愕然(がくぜん)とする。
 間違えなく何かがおかしいと心が叫んでいるものの、それが言葉にならない。
「だからと言って、偽りの中で生活させるのが――

 何とか言葉を続けると、
「なんの役にも立たたない理想論を振りかざさないで」
 彼女は椅子から腰を上げ、声を荒げた。
 一瞬にして、いくつもの深いしわが顔に浮かぶ。

 けれど、こちらが言葉を失っているとすぐに表情を落ち着け、「怒りというのは、自信のなさの表れね」とつぶやいた。
 一層の疲れをにじませた彼女は、体をいたわるように腰を下ろす。

「あなたは、これが正しいことだと信じているのですか?」
「昔は間違えなく信じていた。でも、今はせめぎ合っている」
「何がそこまで」

「そうねぇ……。きっと、人は自分が世の中に貢献しているという確信が欲しいのだと思う。自分が正しく、善であることは、貢献の具体的な中身として相応しい」
 彼女はそこまで言って一息つき、「そして、自分や自分の行為と対比されるものを悪と見定めれば、より自らが善であることを信じやすい」と続けた。

「そこまで認識していて、なぜ?」
「なぜ、この偽りを続けているか? だって、今さら自分の行為を否定できる? 過去の人生の方が、未来の人生よりもよっぽど長いのに」

 自嘲(じちょう)するように言った彼女に、私は何の言葉も返すことができない。
 黙ったままでいると、彼女は小刻みに震える手で、ティーカップに口をつけた。
 わずかな静寂が、部屋の中に満ちる。

「さて、種明かしはおしまい。この情報をどう使うのかはあなたに任せます」
 しばらくして、決意を固めたように彼女は言った。

「街の人たちに伝えても良いと?」
「その覚悟で話しました」
「でも、どうすれば良いか分かりません」
 心情が、素直に言葉として漏れ出た。

「あなたが正しいと思うことをするしかないでしょう。将来考えが変わる可能性があっても、今間違っていると思うことはできないのだから。ただし」苦し気な彼女は、短く数回呼吸をした。「ただし、疑いなさい。正しいと思うことをしつつ、その正しさを疑いなさい」

 私が視線を合わせると、彼女はかすかな微笑みを作る。
 さらに荒くなった呼吸が、あたりに音をまき散らした。
 
 大丈夫ですか、という言葉が口から出る直前、
 彼女はうめき声をあげて、執務机に倒れこむ。
 
 慌てて駆け寄ると、その口元に泡のような唾液。
 瞬時に、かつて物語の中で見た描写が脳裏によぎる。
 目の間の出来事が示す、いくつかの可能性も――
 
 意思の制御を受けない絶叫が、のどをつく。

 そして、断絶。
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