第65話ヤッターヤッターお母さんが助かったあ

文字数 1,466文字

「ヤッターヤッター、お母さんが助かったあ、死なないで済んだあ。
嬉しいな嬉しいな、バンザーイ、バンザーイ」
その様子を見ながら辰男も、真知子の命が助かったこと自体は嬉しかったのだが、これから先に待ち受けている未来図を想像すると、素直には喜べない自分がいた。
「脳の障害が起きていたとしても、それはどのくらいの程度なのか、またどれほどの期間になってしまうのか想像もつきやしない。
しかしその難題に対しても、立ち向かって行くという気構えだけは持ち続けるようにしよう」
と心に決めたのであった。
その後夕方となり、真知子への点滴による栄養剤の補給の準備を看護師さんにお願いしてから、その間に辰男は、疲れの見えていた娘たちを病院の玄関まで見送りにいった。
そして今晩は真知子の病室に泊まることにしたので、その足で近くのコンビニへと向かい、自分の夕食を購入してから個室へと戻って来た。
すると既に、真知子の左腕の静脈には点滴の針が刺してあり、真知子自身はスヤスヤと眠りについていた。
そこで辰男はベッドの横に腰を下ろし、二人きりになった静かな個室で想いを巡らせてみた。
「今回の混合液の注入は、本当に真知子の為になったのであろうか?
今までに培ってきた、すべての記憶が消え去ってしまった事に対し、真知子は本当に本望だったのか?
そしてお前の意見も聞くことも無く、俺の勝手な判断で事を進めてしまったことに関しては、悪かったとも思っている。
このような副作用を考えた場合、何もしないで自然の成り行きに任せた方が良かったのかも知れないな」
辰男の心の中には、まだどこかで交錯する部分が残っていたのであった。
そして辰男は真知子の顔に近づき、話し掛けてみた。
「真知子、やっと二人きりになれたな。
もう痛いところは無いか?
俺はなあ、どうしてもお前には死んで欲しくは無かったんだ。
もっと長生きして欲しかったんだ。
そしてこれから先も、ふたりで楽しい楽しい思い出を、たくさん作っていきたかったんだ 。
娘たちも、ここまで立派に成長することが出来たし、明るい家庭を築きたいと思っていた俺の夢も、叶えることが出来た。
どれもこれも真知子、すべてお前のお陰だと思っている。
いくら感謝しても感謝しきれないほどだ。
子供たちも大きくなり、これからが俺たち夫婦の第二の人生の始まりだと思っていた時に、52歳という若さで俺のことを残して一人きりで逝っちゃうだなんて、それはいくらなんでも早すぎるだろ。
お前の意見も聞かずに、勝手にこの治療を選んでしまったのは俺のエゴだったのかも知れない、許してくれ。
しかしお前の命を救うのには、この選択肢しか残されていなかったんだ。
俺の気持ちは分かってくれるよな、真知子」
そう言って辰男は、真知子の頭を優しく撫でまわした。
そして紙コップに入れてあったお茶を口に含んで、口移しで真知子に飲ませてから、またこう続けた。
「真知子、癌が治って良かったな。
たとえお前の記憶がすべて無くなっていたとしても、俺が一生守ってやるから安心しろ。
お前にとっては、今が新しい人生の出発点に立ったところだ。
これからも宜しくな」
そう言いながら辰男は、点滴を受けている真知子の右手と軽く握手を交わしたのだが、当の真知子はスヤスヤと眠り続けていたのであった。
そして辰男はテーブル席へと移り、ひとりで寂しく食事をとることにした。
その後、点滴の取り外しに来た看護師さんに、簡易ベッドの組み立てを手伝ってもらい、その日の夜は暮れていった。
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