瓶の中身は
文字数 3,493文字
取り立てて予定のない木曜日の朝。僕は特に目的もなく海へと向かった。
一番近い海岸まで自転車で10分というこの街へ越して来た時から、いつかそんなことをしてみたいと思っていた。
コンビニへ寄ってアイスでも買って、食べながらブラブラと浜辺を散歩する。そんないかにも地元民みたいな『何気なさ』に憧れていたのだ。
海なし県で生まれ育った僕は、海に過剰な幻想を抱いている。訳ありの美少女が海岸線を眺めていたり、金髪幼女(実は王族)が人探しをしていたり、見たこともないキレイな貝殻から、知らない歌が聞こえて来たりするはずだ。
そんな物語のはじまりみたいな出来事を期待して、僕は海岸に足を踏み入れた。そうして拾ったのが、鬼入りの瓶だ。
僕の手のひらよりも少し大きめの、水色の瓶だった。波打ち際で波が寄せるたびに、少しずつ砂に埋もれてゆく。
手に取ってみたのは、思ったよりも汚れていなかったから。にじんではいるけれど、ラベルの文字も読み取れる。
『天邪鬼 』
ラベルには殴り書きの文字で、そう書いてあった。ご丁寧なことに但し書きのようなものも書いてある。
『嘘しか言わない鬼 今すぐ放り投げて関わり合いになるな』
カサリと瓶の中で、何かが動く気配がする。腕にゾワリと鳥肌が立ち、僕は瓶を取り落とした。
それは但し書きに従った訳ではなく、生理的な嫌悪感に近かったと思う。現に鳥肌がおさまると、僕は好奇心から落とした瓶を拾った。
ラベルの隙間から、赤いものがチラリと見える。『きっとカニかヒトデか、そんな感じのものが入っている』。そう思っているはずなのに、やけに心臓がどきどきと存在を主張した。
僕はわざと無造作に瓶をつかんで、中を覗き込んだ。
「だ・か・らぁ! 俺様は天邪鬼なんかじゃねぇっつーの! この高貴なツノが見えねーの? 金色だぜ?」
瓶の中にはやたらと口数の多い、小さな赤鬼が入っていた。鬼は瓶を覗き込んだ僕と目が合うと、まくし立てるように喋りはじめた。
「なんだよまた男かよ! なんで俺様を拾うのはどいつもこいつも野郎なんだよ。てめぇ、男のくせに海なんか来てんじゃねぇよ! 山へ行け山へ! 男なら山だろ? 登れよ!」
全くもって理不尽だ。僕だって瓶入りの鬼なんか拾うより、訳あり美少女と砂浜に座って、一緒に雲に名前とかつける方が良い。
……ちょっと待った。『嘘しか言わない鬼』なんだろう? だったら本心は『男だオ・ト・コ! らっきー! よくぞ海へ来てくれたな! 俺様を拾ってくれて嬉しいぜ!』ってことか?
僕は迷わずに振りかぶった。遠投の要領で、沖に向かって思い切り瓶を投げ捨てる。瓶はゆるやかな放物線を描き、七月の日差しをチカチカと乱反射させてから、ドボンと水音を立てて海中へと沈んでいった。
僕は溶けはじめたソーダ味のアイスを袋から出して、振り返らずに浜辺を後にした。
と、ここできれいに終わって欲しかった。結論から言うと、胡散臭いにも程がある小鬼は今も僕のそばにいて、瓶の中でぷいぷいと悪態をついている。暑苦しいったらない。
「これはいわゆる、取り憑かれてるってことなのかなぁ」
御祓 にでも行った方が良いだろうか?
「悪縁もまた、縁のうちってな!」
天邪鬼がレモン味の黄色い飴玉を、ガリガリとかじりながらヒヒヒと笑いながら言った。こいつの主食は飴なんだとさ。
僕は大げさにため息をついて、縁切り寺をググる。うむ、日帰りで行ける距離にあるな。午後から行ってみるか。
あの時、沖に向かって投げ捨てた瓶は、波に乗ってあっという間に戻って来た。何度投げ捨てても同じだ。客観的に考えると気味が悪いし対処に困る。なのに、どうにも深刻にならないのは、こいつの物言いが原因だろう。
「寺はやめとけ! 坊さんなんてロクなもんじゃねぇぞ。なんの力もねぇくせに、むにゃむにゃ経を読んだだけで何万円も取られるんだぞ」
やけに人間臭くて、あっけらかんと明るい。瓶に閉じ込められている悲哀とかないんだろうか?
「んあ? 鬼にも事情ってもんがあるんだ。ほっとけよ! 時々飴玉くれれば、俺様に文句はねぇよ」
居座る気満々だ。そこんとこ、許可した覚えはない。
ラベルの但し書きは、警告文とも感じられる不穏なものだ。危険があるのだろうか? 『嘘しか言わない鬼』。でもコレ、全部が嘘なら対処は難しくないんじゃないかな?
『この、生意気な中学生みたいな言動が、全て計算されたもので、僕の警戒心をゆるめるためのもの』。
そう考えると僕はすでに、こいつの術中にハマっているのかも知れない。
そのうちなんか吸い取られたり、悪事を唆されたりするのだろうか?
「天邪鬼じゃないなら何なのさ。鬼は鬼なんだろう? けっきょく、鬼って何なの? 妖精? 妖怪?」
僕はとりあえず質問してみることにした。『嘘しか言わない』を、検証してみる必要がある。
「妖精? 良いなソレ! 俺様にきれいな羽根とかあって、葉っぱのドレスとか着てたらきっと可愛い女の子が拾ってくれるよな!」
はぐらかした……のか? 見た目通りのツンデレ脳筋鬼じゃない?
カニの甲羅ように赤い身体、金髪というよりも黄色いザンバラな髪の毛から見える二本のツノ、下半身には律儀に虎柄のパンツを履いている。見事に昔話や絵本に出て来る、ステレオタイプの鬼だ。
「なんで瓶の中にいるの? 悪さして閉じ込められてんの?」
核心に触れてみた。僕や周りの人間に害があるなら、面白がっている場合ではない。好奇心は猫を殺すのだ。
「嫌いじゃねーし。居心地、そんな悪くねーし」
拗ねたように、照れているように言う。そういえば飴玉を入れるために瓶の蓋を開けた時も、逃げる素振りは見られなかった。
「好きで入ってんの⁉︎」
「それもちょっと違うっつーか……」
言いよどみ、視線をさまよわせる。
「でも、あんたに悪さはしねぇ。約束する! 捨てねぇでくれ! 少しの間だけでいい!」
すがるように見上げないで欲しい。
「『天邪鬼』の看板背負ってる鬼の、そんな約束信じる人がいると思う?」
突き放すように言ってみる。……あーあ、うなだれちゃったよ。
そもそも、僕の中での天邪鬼は『素直な言葉を口に出来なくて、ひとりで泣いている捻くれものの寂しがり屋』みたいなイメージだ。
こいつは、まさにそんな感じなんだよね。そこはかとない小者感といい、いかにも『事情があってこうなってます』みたい様子といい。
これでも、解き放ったら世界を覆う闇とかになっちゃったりしてね!
想像したら笑いが込み上げてきた。全然似合わない。ラスボス感、皆無。
「事情を話すつもりはないの? 僕じゃ力になれない?」
ちょっと優しくしてみた。
「ばっ、バカ野郎! 同情なんかしてんじゃねぇ! もっと警戒しろよ! 俺様は鬼……なんだぞ! オニ!」
くっ、匂わせてんな! 訳あり感が半端ない。ヤバイなぁ、ちょっと一緒に酒でも呑みながら、身の上話聞いてやりたくなってきた。……すっかり絆 されてしまった。
「仕方ないなぁ……」
僕は風呂場へ石けんと洗面器を取りに行った。使い古したハンカチも持って部屋に戻る。
「僕、予定切り上げて、襲名の儀式受けて来るからさ。風呂でも入って待っててよ。きみ、ちょっと臭いよ!」
ポカンと口を開けている天邪鬼を、瓶から出してお湯を張った洗面器にポトリと落とす。
僕がこの街に越して来たのは、祖父の引退に伴い、代々受け継いできた『陰陽師』の名を襲名する儀式のためだ。
あの時……。海に投げ捨てた瓶が、嘘みたいに波に乗って戻って来た時。こうなるような気がしたんだよなぁ。たぶんこれが、僕の最初の仕事だ。
それとも、こいつが僕の……最初の相棒になるのかな?
どちらにしても、まずは儀式を済ませてからだ。爺ちゃん、今日は確か庭の草取りするって言ってたよな。しまった! 今行くと儀式の前に手伝わされるかも。
押し入れから麦わら帽子を取り出して被り、出かける準備をしながら聞いてみる。
「ねぇ、ビールと日本酒、どっちが好き?」
天邪鬼はハンカチを頭からかぶって、泣きそうな声で言った。
「……ビール。キンキンのやつ……」
「了解」
僕は笑いをこらえて応えた。
こいつ、一杯呑ませればすぐに口を割りそうだ。こんな天邪鬼、そりゃあ瓶に閉じ込められるよなぁ。
外に出ると、真上に差し掛かった太陽が、容赦なく照りつけていた。僕はちょっとやる気が削がれて、ダラダラと自転車のペダルを踏み込んだ。
海へ行ったら厄介ごとの詰まった瓶を拾った僕の、ある夏の日のお話だ。
おしまい
一番近い海岸まで自転車で10分というこの街へ越して来た時から、いつかそんなことをしてみたいと思っていた。
コンビニへ寄ってアイスでも買って、食べながらブラブラと浜辺を散歩する。そんないかにも地元民みたいな『何気なさ』に憧れていたのだ。
海なし県で生まれ育った僕は、海に過剰な幻想を抱いている。訳ありの美少女が海岸線を眺めていたり、金髪幼女(実は王族)が人探しをしていたり、見たこともないキレイな貝殻から、知らない歌が聞こえて来たりするはずだ。
そんな物語のはじまりみたいな出来事を期待して、僕は海岸に足を踏み入れた。そうして拾ったのが、鬼入りの瓶だ。
僕の手のひらよりも少し大きめの、水色の瓶だった。波打ち際で波が寄せるたびに、少しずつ砂に埋もれてゆく。
手に取ってみたのは、思ったよりも汚れていなかったから。にじんではいるけれど、ラベルの文字も読み取れる。
『
ラベルには殴り書きの文字で、そう書いてあった。ご丁寧なことに但し書きのようなものも書いてある。
『嘘しか言わない鬼 今すぐ放り投げて関わり合いになるな』
カサリと瓶の中で、何かが動く気配がする。腕にゾワリと鳥肌が立ち、僕は瓶を取り落とした。
それは但し書きに従った訳ではなく、生理的な嫌悪感に近かったと思う。現に鳥肌がおさまると、僕は好奇心から落とした瓶を拾った。
ラベルの隙間から、赤いものがチラリと見える。『きっとカニかヒトデか、そんな感じのものが入っている』。そう思っているはずなのに、やけに心臓がどきどきと存在を主張した。
僕はわざと無造作に瓶をつかんで、中を覗き込んだ。
「だ・か・らぁ! 俺様は天邪鬼なんかじゃねぇっつーの! この高貴なツノが見えねーの? 金色だぜ?」
瓶の中にはやたらと口数の多い、小さな赤鬼が入っていた。鬼は瓶を覗き込んだ僕と目が合うと、まくし立てるように喋りはじめた。
「なんだよまた男かよ! なんで俺様を拾うのはどいつもこいつも野郎なんだよ。てめぇ、男のくせに海なんか来てんじゃねぇよ! 山へ行け山へ! 男なら山だろ? 登れよ!」
全くもって理不尽だ。僕だって瓶入りの鬼なんか拾うより、訳あり美少女と砂浜に座って、一緒に雲に名前とかつける方が良い。
……ちょっと待った。『嘘しか言わない鬼』なんだろう? だったら本心は『男だオ・ト・コ! らっきー! よくぞ海へ来てくれたな! 俺様を拾ってくれて嬉しいぜ!』ってことか?
僕は迷わずに振りかぶった。遠投の要領で、沖に向かって思い切り瓶を投げ捨てる。瓶はゆるやかな放物線を描き、七月の日差しをチカチカと乱反射させてから、ドボンと水音を立てて海中へと沈んでいった。
僕は溶けはじめたソーダ味のアイスを袋から出して、振り返らずに浜辺を後にした。
と、ここできれいに終わって欲しかった。結論から言うと、胡散臭いにも程がある小鬼は今も僕のそばにいて、瓶の中でぷいぷいと悪態をついている。暑苦しいったらない。
「これはいわゆる、取り憑かれてるってことなのかなぁ」
「悪縁もまた、縁のうちってな!」
天邪鬼がレモン味の黄色い飴玉を、ガリガリとかじりながらヒヒヒと笑いながら言った。こいつの主食は飴なんだとさ。
僕は大げさにため息をついて、縁切り寺をググる。うむ、日帰りで行ける距離にあるな。午後から行ってみるか。
あの時、沖に向かって投げ捨てた瓶は、波に乗ってあっという間に戻って来た。何度投げ捨てても同じだ。客観的に考えると気味が悪いし対処に困る。なのに、どうにも深刻にならないのは、こいつの物言いが原因だろう。
「寺はやめとけ! 坊さんなんてロクなもんじゃねぇぞ。なんの力もねぇくせに、むにゃむにゃ経を読んだだけで何万円も取られるんだぞ」
やけに人間臭くて、あっけらかんと明るい。瓶に閉じ込められている悲哀とかないんだろうか?
「んあ? 鬼にも事情ってもんがあるんだ。ほっとけよ! 時々飴玉くれれば、俺様に文句はねぇよ」
居座る気満々だ。そこんとこ、許可した覚えはない。
ラベルの但し書きは、警告文とも感じられる不穏なものだ。危険があるのだろうか? 『嘘しか言わない鬼』。でもコレ、全部が嘘なら対処は難しくないんじゃないかな?
『この、生意気な中学生みたいな言動が、全て計算されたもので、僕の警戒心をゆるめるためのもの』。
そう考えると僕はすでに、こいつの術中にハマっているのかも知れない。
そのうちなんか吸い取られたり、悪事を唆されたりするのだろうか?
「天邪鬼じゃないなら何なのさ。鬼は鬼なんだろう? けっきょく、鬼って何なの? 妖精? 妖怪?」
僕はとりあえず質問してみることにした。『嘘しか言わない』を、検証してみる必要がある。
「妖精? 良いなソレ! 俺様にきれいな羽根とかあって、葉っぱのドレスとか着てたらきっと可愛い女の子が拾ってくれるよな!」
はぐらかした……のか? 見た目通りのツンデレ脳筋鬼じゃない?
カニの甲羅ように赤い身体、金髪というよりも黄色いザンバラな髪の毛から見える二本のツノ、下半身には律儀に虎柄のパンツを履いている。見事に昔話や絵本に出て来る、ステレオタイプの鬼だ。
「なんで瓶の中にいるの? 悪さして閉じ込められてんの?」
核心に触れてみた。僕や周りの人間に害があるなら、面白がっている場合ではない。好奇心は猫を殺すのだ。
「嫌いじゃねーし。居心地、そんな悪くねーし」
拗ねたように、照れているように言う。そういえば飴玉を入れるために瓶の蓋を開けた時も、逃げる素振りは見られなかった。
「好きで入ってんの⁉︎」
「それもちょっと違うっつーか……」
言いよどみ、視線をさまよわせる。
「でも、あんたに悪さはしねぇ。約束する! 捨てねぇでくれ! 少しの間だけでいい!」
すがるように見上げないで欲しい。
「『天邪鬼』の看板背負ってる鬼の、そんな約束信じる人がいると思う?」
突き放すように言ってみる。……あーあ、うなだれちゃったよ。
そもそも、僕の中での天邪鬼は『素直な言葉を口に出来なくて、ひとりで泣いている捻くれものの寂しがり屋』みたいなイメージだ。
こいつは、まさにそんな感じなんだよね。そこはかとない小者感といい、いかにも『事情があってこうなってます』みたい様子といい。
これでも、解き放ったら世界を覆う闇とかになっちゃったりしてね!
想像したら笑いが込み上げてきた。全然似合わない。ラスボス感、皆無。
「事情を話すつもりはないの? 僕じゃ力になれない?」
ちょっと優しくしてみた。
「ばっ、バカ野郎! 同情なんかしてんじゃねぇ! もっと警戒しろよ! 俺様は鬼……なんだぞ! オニ!」
くっ、匂わせてんな! 訳あり感が半端ない。ヤバイなぁ、ちょっと一緒に酒でも呑みながら、身の上話聞いてやりたくなってきた。……すっかり
「仕方ないなぁ……」
僕は風呂場へ石けんと洗面器を取りに行った。使い古したハンカチも持って部屋に戻る。
「僕、予定切り上げて、襲名の儀式受けて来るからさ。風呂でも入って待っててよ。きみ、ちょっと臭いよ!」
ポカンと口を開けている天邪鬼を、瓶から出してお湯を張った洗面器にポトリと落とす。
僕がこの街に越して来たのは、祖父の引退に伴い、代々受け継いできた『陰陽師』の名を襲名する儀式のためだ。
あの時……。海に投げ捨てた瓶が、嘘みたいに波に乗って戻って来た時。こうなるような気がしたんだよなぁ。たぶんこれが、僕の最初の仕事だ。
それとも、こいつが僕の……最初の相棒になるのかな?
どちらにしても、まずは儀式を済ませてからだ。爺ちゃん、今日は確か庭の草取りするって言ってたよな。しまった! 今行くと儀式の前に手伝わされるかも。
押し入れから麦わら帽子を取り出して被り、出かける準備をしながら聞いてみる。
「ねぇ、ビールと日本酒、どっちが好き?」
天邪鬼はハンカチを頭からかぶって、泣きそうな声で言った。
「……ビール。キンキンのやつ……」
「了解」
僕は笑いをこらえて応えた。
こいつ、一杯呑ませればすぐに口を割りそうだ。こんな天邪鬼、そりゃあ瓶に閉じ込められるよなぁ。
外に出ると、真上に差し掛かった太陽が、容赦なく照りつけていた。僕はちょっとやる気が削がれて、ダラダラと自転車のペダルを踏み込んだ。
海へ行ったら厄介ごとの詰まった瓶を拾った僕の、ある夏の日のお話だ。
おしまい