二回の表~パームボール

文字数 5,101文字

 百二十人の応募者の中から入団テストに合格したのは、計二十九人。栄治たちは、小学生の下級生クラスで、これから高浜レンジャースの一員として六年間通して更に激しいレギュラー争いや野球の基礎と実践を学んでいく事となる。

 栄治の野球人生は、まだ始まったばかりだ。
 
 春の陽気に包まれて親子三人は久しぶりに雄介の運転する車に乗り込んで海岸線を走っていた。
 大田大輔君のご両親から譲っていただいたチケットで千葉ロッテマリーンズのデイゲームを観戦しにマリーンスタジアムにやって来た三人は、仲良くスタジアムに入っていった。
 栄治と雄介の朝と夜の練習は、毎日欠かさず続けていた。雄介は、小学校に進学した事や高浜レンジャースに入団した事で栄治の練習メニューを少しだけ変える事にした。

 栄治は、先天性の欠指症の為、どうしてもボールの握りがボールを挟むような握りになってしまう事は、分かっていた。なので、ストレートやカーブは、投げづらい事は雄介だけでなく栄治自身も分かっていたが、球種がスプリットやスライドフォーク中心でいわゆる緩いボール。つまりカーブやチェンジアップなどが皆無に近い投球スタイルは、クローザーならともかく先発型の栄治にとってある程度球種や球速の幅を広げる必要が有った。

「栄治~!投げてみろ~!」
 雄介は、毎日百球の投げ込みを百二十球に増やしてそのプラス二十球を新しい変化球の練習に充ててみる事にした。雄介が考えた新しい変化球は、あまりプロの投手でも投げていない「パームボール」だった。

 栄治は、このチェンジアップ系の緩い変化球を習得するのにそんなに時間もかからず、むしろ簡単に投げられるようになっていた。恐らくこの変化球の握りが中指を必要とせずに小指と親指、場合によっては薬指を使って手の平で包んで押し出すように投げる「パーム」つまり手の平を意味する独特の握り方だった事が中指を必要としない上で雄介が考えるに栄治に一番似合った「緩(ゆる)い変化球」として選択されたからだろう。

 栄治は、学校の勉強もしっかりとこなしていた。野球一筋では、何が起こるか分からない人生に於いてリスキーなのは、父親の雄介のケースがそれを大きく物語っていた。母の妙子は、栄治が小学校に進学して空いた時間が出来た事でパートタイムで元の職場である食品会社の事務に復職した。

 五月に入って、ゴールデンウイークの時期に高浜レンジャースは、新入団生の歓迎会を地元の公民館を貸し切って大々的に行っていた。

 雄介と妙子も父兄参観の様な感じで、歓迎会に参加して会食を楽しんでいた。

「栄治君のご両親ですね?監督の大平と申します」
 雄介と妙子の元に監督の大平とピッチングコーチの千明が挨拶に来た。
「私どもは、彼をいずれエースピッチャーに育て上げようと考えています。勿論(もちろん)、お父さまのマンツーマンの指導も続けていただいて構いません」
 大平は、少し酒が入っていたせいもあり上機嫌で雄介に話しかけていた。
「ところで、最近栄治君が新しい変化球を覚えたようですが……」
 千明の唐突な質問に雄介は、右手でパームボールの握りを見せながら、
「これ、ですか?」
「はい。チェンジアップ系のパームボールですかね?」
「緩い変化球をそろそろ覚えさせた方が良いと思いまして……」
 妙子は、千明と雄介のやり取りを少しだけ気にしながらひたすら飲んで食べていた。
「パームボールは、確かに速球派で先発ピッチャーの栄治君には、緩い変化球として打者には有効に使えるとは思いますが、バッターのタイミングが合った時には長打される危険性をはらんでいます。一試合につき数球だけ効果的と思われる場面でのみ使うべきかと思いますが……」
 千明がピッチングコーチとしての意見を率直に雄介に伝えた。
「まあ、今日は会席(かいせき)なので、堅苦しい話はそこまでにしときましょう!」
 大平が、そう言って場の空気を少しだけ緩和した。少し落ち着いたタイミングで黙って飲み食いを続けていた妙子が、急に堰(せき)を切ったように大平と千明に向かって、
「あの子。うちの栄治は人一倍の、いえ人三倍の努力と才能を持っています!どうかよろしくお願いします!」
 雄介は、少し苦笑いをして妙子の方を見て目配せでこれ以上喋らない様にと促したが、
「そのパーンボールとやらもあの子が自分で考えて投げるでしょう。私の自慢(じまん)の息子です!栄治は必ず成功します!」
 大平と千明は妙子の勢いにやや圧倒されながらも、やや引きつった笑顔で対応していた。
「ええ!必ず栄治君を立派なピッチャーに育て上げてみせます。期待していてくだい!」
 大平がそう言って席を離れかけたその時、妙子はまたしても甲高い声で、
「フレーフレー、栄治!それっ!フレッフレッ……」
 そこまでで雄介が慌てて妙子の暴走を止めに入って、現場は一同爆笑の渦に包まれた。

「お前さぁ~、遠慮(えんりょ)と言う言葉を知れよ!」
 夕方になり、歩いて帰宅していた雄介は、一緒に歩いていた妙子にそう言い聞かせていたが、妙子はハイテンションのままだった。
「だってさぁ~、何かあの二人ムカついたんだもん!偉そうにさっ!」
  雄介は、ミーティングの為公民館に残してきた栄治の事を少し心配しながらも妙子の興奮を鎮める作業に帰宅するまでの十数分間ひたすら徹していた。

 
 ゴールデンウイークの真っただ中。練習試合が組まれて、雄介と妙子は朝から大忙しだった。手作り弁当を作る妙子。今度は絶対に失敗しない様にタブレット端末のビデオ操作の練習に没頭する雄介。栄治は、一足早くチームの練習のため高浜レンジャースのホームグラウンドまで一人で歩いて出かけていった。

 雄介と妙子が、グラウンドの外野に着いた頃、栄治を始めとした高浜レンジャースの選手たちが大きな声を張り上げて各々の練習に励んでいた。この日の対戦相手は、地元の千葉市でも有名な強豪チーム「磯辺(いそべ)シャークス」で、午前中は新入団生も含めた下級生クラスの試合。午後は高学年のクラスの試合の予定が組まれていた。
監督の大平とピッチングコーチの千明は、各ポジションの先発メンバーを入念に選んでいた。

 午前九時。主審がプレイボールの声を張り上げて一試合目が始まった。ホームの高浜レンジャースは後攻で、一回表のマウンドに上がった先発ピッチャーは、背番号七十七番を与えられた奈良栄治だった。キャッチャーは大田大輔。あの宝来真二も一番バッターのライトで先発要員に選ばれていた。

 お互いに挨拶をして、いよいよ試合開始。雄介は、ひたすらタブレットで栄治の雄姿を今度こそ一球も逃さずに撮影する意気込みで気合が入っていた。妙子は、珍しく大人しく観戦している様子だった。

 栄治は、精神を統一して相手の一番バッターと対峙した。
 応援の声と野次(やじ)が飛び交う中、栄治が第一球を少し時間をかけて投じた。
「カーン!」と言う金属音が大きく鳴り響いた。打球は、レフト戦ギリギリに飛んだが判定はファールだった。外野の芝の上で観戦していた親御さん達は、大きなざわめきと溜息(ためいき)の両方を同時に発していた。

栄治は、大きく息を吐いて初めて自分の投げる球がヒット性の当たりをされた事で左打者である相手の一番バッターを冷静に見つめ直した。
「深めに握って様子を見ようかな……」
 栄治は、マウンド上で静かに呟いてグローブの中でボールを一球目よりも深く挟んでしっかりと握った。二球目のフォークボールは、相手のバッターに軽々と見逃された。これでワンボールワンストライク。栄治は、首を左右に振っててリラックスを心がけて三球目を、今度は早いタイミングでクイック気味に投げた。
 ボールは、やや外角へ不規則な変化をしながら低めいっぱいにコントロールされた。
見送り。これでワンボールツーストライク。栄治は、グローブの中でボールを握り替えてまたクイック気味に四球目を投じた。
 綺麗(きれい)な金属音が球場全体に鳴り響いて、打球は栄治が投じたパームボールをミートして、右中間を切り裂くように抜けていった。俊足(しゅんそく)を飛ばして一気に三塁まで到達した相手の一番バッターは、少し微笑んで小さくガッツポーズをしてみせた。
栄治は、やや自信を失って次の二番バッターに対してスクイズを警戒(けいかい)し過ぎてフォアボールで出塁(しゅつるい)させてしまう。
「こら~!栄治~!逃げるな!」
 妙子が、ついに我慢の限界を超えて不(ふ)甲斐(がい)無(な)いピッチングを続けていた栄治に喝を入れた。雄介も妙子と同じ心境だった。

 三番バッターに対して栄治は、初球浅めの握りのスプリットを投じた。これもジャストミートされたが、運良く前進守備のセカンドが正面で早い打球のゴロをさばいて、スタートを切っていた三塁ランナーを見てホームゲッツーに仕留めた。

 まだセカンドにランナーが居るものの、これで落ち着きを取り戻した栄治は相手の四番バッターをスプリットとスライドフォークで三球三振に仕留めた。

 二回の表からの栄治のピッチングは、ようやく勢いに乗った様子で相手のバッター陣に対して三振の山を築いていった。攻撃陣も宝来真二や大田大輔。栄治自身も長短打を交えて放ち、六回までに八点を取った。

 七回表。ここまで初回を除いてほぼ完璧なピッチングを見せていた栄治は、残り三人となったこの日のピッチングを振り返りながら、慎重に持ち味の高速変化球を駆使(くし)して三者凡退に仕留めて見事に完封勝ちを収めた。この日の栄治のピッチング内容は、七回三安打。四死球一。十七奪三振。自責点ゼロという申し分ないものとなった。

「危なかったねぇ~!でも初回だけでしょ?悪かったのは?」
 妙子は、黙って自分が撮影したビデオを再生確認している雄介の顔を覗(のぞ)き込みながら、何故か?不機嫌そうに見える雄介の様子を気にしていた。

「栄治。まだまだだな……」
 不満そうな表情の雄介は、そう言って帰り支度を始めた。
 妙子は、そんなに最初から完璧なピッチングを求めない様に雄介に促したが、雄介は厳しい表情のままだった。

 試合が終わってミーティングも終わった栄治が帰宅したのは、午後五時過ぎ。スタミナたっぷりの焼き肉定食を用意していた妙子は、
「お疲れさま!よく頑張ったね!」
 と栄治を称えたが、雄介は一人ビールを飲みながら栄治を玄関まで出迎える事はしなかった。
「ただいま。お父さん……」
 やや気落ちした声で、栄治は雄介に近づいて、
「僕、やっぱりパームボールなんて投げたくない!僕は僕のピッチングをするんだ!あんなへんてこな球は、もう投げないよ!」
 そう叫んでから栄治は、汗を流すために一人で浴室に入っていってしまった。
 雄介は、よりいっそう不機嫌そうな表情でビールをひたすら飲み続けていた。
「あの子の好きなように投げさせてあげた方がいいと思うよ!」
 妙子は、雄介にビールのつまみのキムチを差し出して小さく溜息をついた。
「打たれたことを怒ってるんじゃない。少し自信過剰(かじょう)な気がしてね。最近の栄治は……周りから将来のエースを嘱望(しょくぼう)されて慢心(まんしん)なんじゃあないのか?」
 雄介は、最近の栄治の様子を見ていて気になった部分を妙子には素直に話した。

 次の日から、栄治は雄介との朝と夜のメニューの二十球のパームボールの練習を拒むようになってしまう。雄介は、それでも栄治に毎回パームボールを投げさせた。いつか必ずこの緩い変化球に助けられる日が来る。そう信じていた。

 人生に於いて自分の考えを信じて疾走する事は、決して悪い事ではない。しかし、時にはゆったりとして歩幅や速度に変化をつける事も長い目で見ると理にかなっているはずだ。   
雄介の考えている事が、しっかりと栄治に伝わるまで少しの時間を要する事になる。
 
 これでこの物語の二回表の話は、終わりです。
 
 追記~
 パームボールは、後に栄治にとって大事な球種となります。それは、栄治自身が成長していく中で疑心から確信に変わるのです。速い球だけでは、先発ピッチャーとして寿命を縮めかねない。人生に於いてもピッチングに於いても緩急(かんきゅう)をつける事が大切だという事は、間違いない事実なのですから。
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