第14話 朝比奈 2

文字数 2,851文字

 遮光カーテンを引いた医務室には、かすかにクラシックの管弦楽が流れていた。花の香りが漂い、気持ちをリラックスさせるはずだ。
 そこに置かれたカウンセリング用の椅子に、しかし小川は深く腰かけず、むしろ身を乗り出して朝比奈に説明していた。
「……それでですね、運搬用のロボットは乗用タイプがいいと思います。ドームの広さを考えて。移動の負担が減りますから。これを将来的には十台ほど配置できたら便利になりますよ。椎葉室長から予算がもらえるかどうか政府に確認中ですが、とりあえず一台分の経費は確保しました」
「そ、そう」
 朝比奈医師が困惑ぎみにうなずいた。およそカウンセリングとはかけ離れた口調でまくし立てている小川の前で。
「じゃあ、これで作りますね」
 小川は端末に映し出していた完成予定のCGを閉じた。
「あのね、小川博士」
 小川は制作の方向性が決まり、明日からその作業に取りかかれると思うと気持ちがせいた。
「不安なこととか、ストレスとか……その……なさそうね」
 問いかけを途中で切り上げて朝比奈はタブレットからカルテを入力した。
「あの?」
 何か悪いことをしたような気分になって小川は朝比奈に声をかけた。
 朝比奈は手を止め、ひとつ深呼吸をした。
「こちらに来てから気分の浮き沈みなどはありませんか?」
 言われて小川は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。
「実は……自分が死亡したニュースを見て…泣きました。家族にすまなくて」
 そう……、と朝比奈医師は思慮深げな表情をしてうなずいた。
「それから?」
「それだけです」
 自分の弱さを告白するのは、恥ずかしい。だから小川は目を閉じて朝比奈を見ないようにした。
「……それだけ?」
「はい。あとはここで一心に仕事と研究に励むのが両親へのせめてもの償いになるかと…自分がやれるのはこれだけですし」
 朝比奈は椅子を回転させ机のほうに体を向けた。
「ロボ研に来るのは、なぜかメンタルが強い人ばかり。歴代メンバーを集めて開発中の火星に送りたいわ。皆さんサンプルにならない規格外だもの」
 小川が目を開けると、薄く微笑みをたたえた朝比奈と視線が合った。
「子どもは親なんかほっといて外に飛び出していく。振り返りもしないで。親はいつまでも心配しているっていうのに」
「朝比奈先生、お子さんは?」
 小川は恐る恐るたずねてみた。
「いないわ。欲しかったけど」
「あ……すみません」
「もう気にしてない。ずいぶん前のことだし。ここに集まって来るのはそんな人ばかり。ソフィアだって子どもを産めなかった」
 朝比奈のデスクには、小さなフォトが飾ってあった。いまと全く変わらない姿の朝比奈と寄り添う軍服の男性。朝比奈は花の冠に純白のドレスを身につけている。おそらくは結婚式のときのものだろう。二人の笑顔がまぶしいくらいに輝いている。
「亡くなった夫よ。ハリン・朝比奈。」
 小川の目線に気づいたのか、朝比奈が教えてくれた。朝比奈氏は面長で青い目をしていた。
「ね、フラステク議長に似ているでしょう?」
 瞳を輝かせて朝比奈は小川に詰めよった。小川は勢いに押されてうなずいた。
「え、ええ……? 目が」
「そう、目が似ているの。それに答えに詰まったときに耳たぶをさわるクセとか…」
 朝比奈は嬉しげに語った。
「来月いらっしゃるのよね」
「いや、ここに来るわけじゃないですよ」
「わかっている。でも一度くらい直接お会いしたいわ。ファンとしては」
 ファンとして……小川は朝比奈の情熱に苦笑した。
「ね、笑わないで聞いてくれる?」
 改まった表情で朝比奈が小川を見つめた。
「なんでしょうか」
「あのね……私、フラステク議長は夫じゃないかと思うの」
 小川は一瞬、朝比奈が何を言っているのか分からなかった。けれど当の本人は、しごく真剣な顔をしている。
「私は夫の遺体を見ていない」
 小川の頬がこわばった。朝比奈の瞳が暗くゆれた。
「あの発電所の事故で出動して、ハルカの近くで亡くなったみたい。だから遺体は回収されずじまい」
 汚染されたか、ひどく痛んでしまったか。いずれにしても、非常事態だったのだろう。
「なら、議長とは無関係じゃないですか」
「彼は背格好や仕草が夫とよく似ている。議長が議員として初当選したのは夫が亡くなってから二年後。『何か細工する』なら十分な時間だと思わない?」
 細工。それには不穏な響きが含まれていた。政府関係者は被験体になる……まだ開発中の最先端技術の。
 まさか、瀕死の朝比奈氏を『作り替えた』のか。でも何の目的で?
 小川は田嶋を思い出していた。――の半分は機械――田嶋も何かの事故でそうなったのかも知れない。
「とかってね!」
 朝比奈は、ぱっと微笑むとコントローラーでカーテンを開けた。
 夏の陽光が診察室に満ちてくる。小川の重苦しい疑念は溶けていった。
「冗談よ、冗談。たんなる私の妄想だから。カウンセリングは終了。引き続きお薬飲んでね。それから、夏風邪を引かないように。こんど健康診断があるから」
「旦那さまのこと、大好きだったんですね」
「あら、今でも愛しているわよ」
 そう話す朝比奈は写真と同じくらいに美しかった。特定のパートナーを持たないまま、小川は過ごしてきた。もし、こんなふうに心の深いところから愛する人がいたならば、ここへは来なかっただろうか。
「小川博士は『私と仕事、どっちが大事なの?』って言われたことがあるでしょう?」
 小川は思わず胸に手を当て顔をしかめた。
「それ先日、丸子博士にも言われました。ぼく、そんなふうに見えますか?」
「そうとしか、見えないわ」
 小川は、ここの住民たちが百戦錬磨のこなれた年齢であることを実感させられた。
「そういえば、端末に来月に避難訓練ありの連絡が来てましたが、何をするんですか?」
 小川は無理やり話題を変えた。
「シェルターが作動するかどうかをね。予告なしでいきなり始まるから八月は気が抜けないわよ」
 朝比奈はいつもの明るさを取り戻し、いたずらっ子のように笑った。
「所長と事務室長と医局長の三役で持ち回り。今回は私が非常ボタンを押す役目だから楽しみなの」
「楽しみですか」
 小川は椅子から立ち上がり白衣に袖をとおすと、衿もとを整えた。
「あの、サエコさんってどなたかご存知ですか? 調べても分からなくて」
 朝比奈は小川を見つめたまま、しばし沈黙した。
「カナタから聞いたの?」
「はい。お母さまはサエコ……って」
 朝比奈はタブレット用のペンで机を数回たたいた。
「サエコは九条博士の前妻の名前」
「前妻?」
「そう、ソフィアは二番目の奥さま……ソフィアに聞かなくて正解ね。命拾いしたわよ」
 小川は冷や汗がどっと吹き出す感覚を味わった。手のひらの汗を白衣でぬぐう。
「彼女ね、学生時代から九条博士の愛人だったの」
「!」
 朝比奈は頬杖をついて、ふふっと笑った。
「だから言ったでしょ? ここにはそんな人しか集まらないんだって」
 かすかに眉間にしわをよせ、歪んだ笑みを朝比奈は見せた。
「瑕(キズ)のない人なんて、貴方くらいなのよ」
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