四.審問 十一
文字数 3,908文字
今は無人のアンフォラ商会裏倉庫事務所。
とはいっても、広さ十歩四方ばかりのがらんとした部屋には、小さな角テーブルに椅子が四脚あるだけだ。この倉庫を介して行き来する荷物の記録簿の棚も、荷札や荷造り道具を納める箱も見当たらない。やはりここでは、流通の記録は残さないのだろう。紛れもなく、この赤煉瓦の倉庫は、表に出せない荷を扱う場所なのだ。
事務室の奥の壁には、閉じられた鉄の扉がある。鉄格子の嵌められた小窓が付いていて、鉄の棒の隙間から、薄暗い倉庫の奥が窺える。
そんな事務所をぐるりと一瞥したユディートが、俺とカイファに目配せした。
今の俺たちには、彼女の意図が手に取るように分かる。
俺とカイファは、うなずくより早く、倉庫の奥へとつながるはずの鉄の扉の脇に身を潜めた。カイファが蝶番側、俺が取っ手側の壁に、体をくっつけて。
そんな俺とカイファを見て、玄関扉の前のユディートが、にんまりと笑った。そしてすうっと息を吸い、彼女はあらん限りの声を張り上げた。
「ねえ、ちょっと! 誰もいないの? お客が来たんだけど、誰か出てきてくれないかなあ……!」
そんな煽り文句が、煉瓦造りの倉庫中に反響する。
と思いきや、鋼鉄の扉の奥から、複数の足音が小走りに近付いてきた。
ふと扉を挟んだ向かいを見れば、鍵を握り締めたカイファが張り詰めた表情を見せている。両肩も、堅く強張らせているようだ。
そんな力み切ったカイファに向かって、俺は軽くうなずきかける。気付いたカイファが、ハッと顔を上げた。
俺にうなずき返す彼の頬は、少し緩んだようだ。
恋人を案じて逸る気持ちは分かるが、それでも余分な力は抜くべきだ。俺が微かな安堵を抱いた、次の瞬間。
ばあん、とシンバルでも打ち鳴らすような音が倉庫の壁をびりびりと震わせて、鉄の扉が勢いよく引き開けられた。
間髪を容れず、事務所の中へとなだれ込んできたのは、四人の男たちだ。
「あ? な、何だ? お前は……!!」
玄関の正面に傲然と立つ、黒衣の聖騎士ユディート。その凛とした姿に、男たちの注意は完全に引き付けられている。
……今だ。
サッと壁から離れたカイファが、倉庫への戸口へと跳び込んだ。ひと瞬きの間も置かず、俺も敷居をするりと潜り、渾身の力と腐れた全体重を掛けて扉を押し閉じた。
そして両脚と残った右腕を扉に向かって突っ張らせ、俺は自らを腐った閂へと変えたのだ。
「あっ!?」
格子窓から男の驚く声が聞こえた。
と、思う間もなく、わずかに開く鉄の扉が、つっかえ棒と化した俺の体をぐいっぐいっと押してくる。そんな扉の様子は、まるで暖炉に掛けられる、煮立ったポットの蓋のようだ。
魔術師たちが、力任せに扉を押し開けようとしている。だが既に半分無機物に近い、俺の屍者の体だ。鉄の扉を抑え込んだ俺の三つの手足は、それこそ骨材の斜交いのごとく、扉をがっちりと押さえ込む。
……なるほど。苦痛を感じない俺だからこそ、できる芸当ということか。
ちょうど俺の顔の辺りに、扉の付いた格子窓が位置している。その鉄格子越しに見えるのは、ペイルグリーンのフードを目深に被った男の横顔だ。食いしばった口元は、肌艶がいい。まだ若いようだ。
この男が、たぶん白鷺庵に押し入った魔術師の一人だろう。
俺の眼球が、うんうんと必死に扉を押すその男と、鉄格子越しにかち合った。
「げっ! “
叫んだ男が、扉からパッと飛び退く。居並んだ男たちが、一斉に俺の方へと振り向いた。八つの殺気立った目が、小窓から覗く俺の腐った顔を鋭く射貫く。
見渡したところ、ペイルグリーンのローブを頭から被った男が二人。
赤いローブの青年が一人。
それに緋色のローブの厳めしげな中年男が一人。
年かさや漂わす貫禄から察すると、この緋色の魔術師がユディートの言っていた『上役』だろう。アンフォラを追い返した『主任』とやらも、恐らくこの男だ。
ユディートの不満声が、再び響いた。
「ねえ、ちょっと聞いてるかなあ? 客に背中を向けるなんて、キミたち、揃って不心得者だねえ……」
今度は一斉にユディートへと向き返る男たち。
「客だと?」
威圧的な問いを放ったのは、やはり緋色の魔術師だった。この男は、にんまりと笑う腕組みのユディートを睨み、重ねて高圧的に問う。
「何の用だ? 我々を魔術結社中央会議第零局・暴力室と知って、ここへ来たのだろうな?」
殺気を隠そうともしない緋色の男を、平然と見つめるユディート。神がかった余裕の笑みを口元に湛え、左の目を細めた彼女が、腕組みのまま身を乗り出す。
「そのキミたち暴力室の魔術師が、寄ってたかって拉致してきた
「何をたわけた……」
そこまで口にした緋色の男の言葉が途切れた。何か悪い記憶を思い出したかのように、口調が低く、重苦しくなる。
「……“屍者”を追跡させた部下が、一人まだ戻らん」
男が肩越しに俺を一瞥した。その太い眉は怪訝に寄せられ、男の蒼い目に深い疑念と注意が覗く。またすぐにユディートへと向き直った男が、慎重に聞く。
「よもや貴殿が……? 貴殿は何者だ……?」
答える前に腰を探ったユディートが、あの銀色の羅殯盤を取り出した。彼女がぱちんと開くなり、羅殯盤から浮き上がった銀箔の羽根が、猛然と回り出す。
と見るや、羽根はぴたりと止まった。そしてまたくるくる回転しては、はたと停止する。
羽根が止まった回数は、全部で四回。その軸の先は、いずれも暴力室の魔術師たちだ。
結果を見届けたユディートが、ぱちんと羅殯盤を閉じた。
細めた左目で緋色の男を見つめ、意味ありげに唇を綻ばせる。途端に、緋色の男の両肩がびくっと毛羽立った。彼の感じた得体の知れない恐怖が、俺にも伝わってくるようだ。
ユディートの“死の微笑”に当てられたのだろう。まあそれだけは、緋色の男に同情しておいてやる。
と、ユディートの眼光が、ぎんっ、と俺を射すくめた。
……おっと。
こそっと首をすくめ、小窓の脇に隠れた俺の耳に、ユディートの声が聞こえてきた。
「一応、教えておいてあげるね。あたしはユディート。ユディート=ユーデット=サイラ。ユーデット聖廟騎士団“
緋色の男の肩がもう一度びくっと揺れた。じりっと半歩退き、男が屈辱的に呻く。
「“
忌々しげに一度言葉を切った男が、再び口を開いた。
「私は、
そこでユディートが、右手をひらひらと振った。実にうるさそうな、挑発的な仕草だ。
「ああ、
「どういう意味だ!?」
名宣りを遮られた男が、怒りの籠った問いをユディートにぶつけた。その短い問いに、彼女が淡々と答える。感情の動きは、やはり微塵も感じ取れない。
「今から輪廻の環に還るひとたちに名宣ってもらっても、意味はないから」
ユディートの表情が変わった。妙に醒めた、仕事師の顔に。そして左の瞳が、冴え冴えとした光を帯びてくる。
「キミたちは、揃って今日が第二の誕生日なんだね。おめでとう。ああ、“命日”って言った方が、キミたちには理解できるかな……?」
ユディートの非情な言葉と表情を前にして、緋色の男が低く怪訝につぶやく。
「あの『第二の誕生日』の言葉、あの羽根の羅針盤、それに、ユーデットの“継承名”……」
何か彼方の記憶を手繰り寄せ、慣れない思考を無理やり巡らせている、そんな雰囲気が緋色の男に漂う。
だがそんな主任の小声は聞こえないのか、魔術師の一人が憤怒も露わな言葉を洩らした。
「この女、言わせておけば……!!」
ぎりぎりと歯を噛み鳴らし、顔を真っ赤に怒張させて呻いたのは、その顔色とは対照的な、ペイルグリーンのローブの男だ。男が何か印を結び、怪しい呪文を唱え始めた。
「“炎の指よ、舌よ、汝の獲物を捕らえ、喰らい尽くせ……”!!」
男の薄緑のローブの裾が、室内なのにはたはたと翻る。同時に男が印を結ぶ両手に、炭火を思わせる光が満ちてきた。
男の体が熱を発散している。しかも結構な熱量だ。もしかしたら、この男がマイスタに酷いやけどを負わせたのだろうか。
だがユディートの凛とした佇まいに、何らの変化もない。ただ超然とした笑みを浮かべるばかりだ。聖廟で立石の魔術を寄せ付けなかった、あの時と同じように。
その彼女の足もとをぐるりと囲むように、炭火色の円が浮かび上がった。ちろちろと燻ぶる種火を思わせる、炎の魔法陣。中心に立つユディートの姿が、燃え立つ陽炎越しに揺らめいている。
これはかなり高度な魔術のように見える。ユディートは本当に……。