第1話

文字数 4,236文字

第1章 しこり(その1) 

 その女は小柄で愛らしい顔立ちだった。
 その女を見たとき、山室純一はアルバイトの女子大生がついたのかと思った。
 しかし『ジャスミン』と名乗った女の声が思いのほか低く落ち着いていたので、山室はあらためて彼女の横顔を見直した。
 薄暗い店内と厚い化粧のためはっきりとはしなかったが、その横顔には成熟した女の雰囲気が漂っているようにも見えた。
 そんな山室の視線を感じてか、ジャスミンはわずかに含み笑いをした。
「お客さん。あたしの年を考えてるんでしょ?」
「い、いや……。う、うん……」
「別に隠さなくてもいいよ。たいていのお客さんはそうだから……。あたし、ちっちゃくて丸顔だから、若くっていうか、幼く見えるんだよね」
 ジャスミンは、あわてて目をそらせた山室を悪戯(いたずら)っぽく見ながら言った。
「2日前についたお客さんなんか、あたしのことを『女子高生か?』なんて聞くんだよ。いくらなんでもそれはないよね。こんな店で女子高生が働いてたら、それこそ一発でお縄になっちゃうものね。あたし、こう見えてもそれなりの年だから、安心して遊んでってね」
 山室が入ったその店は、いわゆるお触りパブと言われるもので、それぞれの席がほかの席からは見えないような構造になっていて、客はついた女の乳房を自由に触ることができる店だった。
「お客さん、なんか落ち着かないみたいだけど……」
 八分目まで氷がつまったグラスにウィスキーを注ぎながら、ジャスミンが小さく言った。
 ジャスミンは、普通に座っていても太腿からお尻の一部までがあらわになり、乳房も上半分が丸見えとなるベビードレスのようなコスチュームをまとっていた。
 そして、ジャスミンがウィスキーをかきまわそうとして、膝の高さまでしかないテーブルにかがみ込んだとき、山室は彼女の乳房のほとんどを眺めることができた。
「お客さん、うちみたいな店は初めて?」
 ジャスミンは、つくった水割りを山室の前におきながらさりげなく尋ねてきた。
 山室は、ジャスミンの乳房からあわてて目をそらすと、ひとつ咳ばらいをした。
 ジャスミンの問いかけが、からかうような、あるいは小馬鹿にするような調子のものであれば、山室はそれを無視したかもしれなかった。
 しかしあまりに自然でさりげない問いかけだったため、山室にはそれがジャスミンの気づかいから出た言葉のように感じられた。
 山室は、自分を飾ることなく素直に返事をした。
「うん、俺、こういう店に入ったのは初めてなんだ……」
「ふーん。やっぱりね……。一目見たときからちょっと違うって感じていたんだ。いつも相手にしているお客さんだったら、水割りをつくる時間なんてないんだから。わきに座ったと思ったら、すぐにおっぱいを触ったり、お尻に手を伸ばしたりしてくるんだ。でもお客さんはそうじゃなかったから……」
 そう言うと、ジャスミンは山室の横顔に目をやりながらやさしく微笑んだ。
 山室は、彼女の視線を避けるようにグラスに目を落とすと、つぶやくように言った。
「初めてだからどうしていいかわからないんだ……。それに……、こんなことを言うと笑うだろうけど、いまこうしていても、見ず知らずの女の子のおっぱいなんかを触っちゃまずいだろうって思っているよ……」
「きゃはははは…………」
 ジャスミンが大きな笑い声をあげた。彼女はそのまま笑い続け、しばらくして、ようやく両目のふちをおしぼりで拭うと言った。
「ごめんね……。お客さんがあんまり面白いことを言うもんだから、涙が出るほど笑っちゃった。こんなに笑ったの、ほんとにひさしぶり。笑ったらのどが渇いちゃった。ねえ、あたしも水割りを飲んでいい?」
「うん……」
 ジャスミンは、胸元から見える乳房を隠す素振りも見せずに、テーブルにかがみこんで水割りをつくると、一気に半分ほどを飲み干した。
「ごちそうさま。ひさしぶりにおいしいお酒を飲んだ気がする。やっぱり楽しく飲むとおいしいね。ところでお客さん。ちょっと聞いてもいい?」
「…………?」
「女のおっぱいを触っちゃまずいって思ってる人が、どうしてこんな店に入ろうと思ったの?」
 ジャスミンからまたしても悪戯(いたずら)っぽく見つめられた山室は、頭をボリボリと掻きながらぼそっと言った。
「会社のお得意さんの接待でね……。お得意さんがこの店を気に入ってるんだって。だから二次会は必ずここなんだそうだ。俺は地方の営業所からこの春に転勤になって、今回が初めての接待当番でね。お得意さんに引っ張られるようにしてこの店に入ったしだいさ……。お得意さんはあっちの席にいるんじゃないかな……」
 山室は、お得意さんがいる席に向かってあごをしゃくったあと、グラスに目を落として言葉を続けた。
「ところでこの店の通常コースは1時間なんだってね?」
「うん、そうだよ」
「それじゃ、あと45分か……。そのあいだ、俺の世間話につき合ってくれるかな……?」
 またしてもジャスミンが笑い声をあげた。
「ち、ちょっと、お客さん……」
 ジャスミンは、必死になって笑いを抑えながら言った。
「あのね、つき合うもなにも、ここではお客さんは、あたしのおっぱいを自由に触っていいってことになっているの。それにね、お客さんに触ってもらわないとあたしも困るんだ。ほら、あそこに立ってる男が見える?」
 ジャスミンの視線の先をたどっていくと、ワイシャツに蝶ネクタイをした中年の男が壁際に立って、油断なくあたりに目を光らせていた。
 ジャスミンが心なしか声をひそめた。
「あの人、この店の用心棒っていうか、お目付け役っていうか……、とにかく店の中でおかしなことが起きないように見張ってるんだ。
 お客さんの中には、本番までさせろって迫ったり、女の子にからんだりする人もいるんだけど、そういうときにあの人が駆けつけてきて、ちょっと凄みをきかすんだよね。そうするとたいていのお客さんはおとなしくなっちゃうんだ。
 そういう意味ではあたしたちのことを守ってくれてるんだけど、あたしたちがお客さんにしっかりサービスしているのかもチェックしてるんだ。
 手抜きをしていたり、お客さんが満足していないと、あの人からすぐに支配人のところに報告がいって、あたしたちは叱られたあげくにお給料を減らされちゃうんだ。
 お客さんがあたしと世間話をして満足だって思っても、あの人はそうは思わない。お客さんがあたしに触りもせずに帰ったら、それこそ何にもサービスしなかったって、あたしはこっぴどく叱れちまうんだよ。だからあたしが困らないように、お客さんはあたしに触らないとダメなの」
 ジャスミンは山室に身体を寄せると、いきなり彼の右手をつかんでベビードレスの下に導いて左の乳房にあてがった。
「あっ……」
 思わず驚きの声をあげた山室にかまわず、ジャスミンは乳房の上に自分の手を強く押し当てると、山室を見上げてペロっと舌を出した。
「お客さん、驚かせてごめんね。でもこうでもしないと、お客さんはあたしに触らないで帰っちゃうような気がしたの……。ねえ、あたしのおっぱいってけっこう触り心地がいいでしょ? たいていのお客さんはそう褒めてくれるんだよ」
 ジャスミンの突然の行動に、はじめは驚いた山室だったが、右手が伝える乳房の感触はすぐに山室の中の男の本能を刺激した。
 お金で女の乳房を触っているということに後ろめたさを感じながらも、山室の中でジャスミンの豊かな乳房を堪能したいという欲望が膨れ上がった。
 山室は、無言で右手を押さえているジャスミンの手を左手ではずすと、ゆっくりと乳房を揉みはじめた。
「ふふふ……、やっぱりお客さんも男だったんだ……。でもいい感じ……。上手だわ、ソフトなタッチで……」
 ジャスミンが甘い声でささやいた。
 わきの下から乳房の上部を触っているときだった。
 人差し指の先が何かコリっとした硬いものに触れた気がした。
 山室はとっさに手の動きを止めた。
 その動きに呼応するようにジャスミンが目を開けた。
「ねえ、どうかしたの……?」
「い、いや、何でもない……」
 自分の勘違いによるものかどうかを確認するため、山室は、再び乳房のその部分を慎重に触った。
 勘違いではなかった。ジャスミンの乳房には5ミリほどの大きさの硬いしこりがあった。
 山室は、右手をゆっくりと乳房からはずすと、ベビードレスの下から抜き出した。
「お客さん、今度は右のおっぱいを触りたいの?」
 ジャスミンが無邪気に尋ねてきた。
「いや、もう触らなくていい……」
 山室の固い口調にジャスミンは驚いたようだった。
 ジャスミンはあわてて身体を起こすと言った。
「急にどうしたの? あたしのおっぱい、良くなかった?」
「そんなんじゃないんだ……。ところでちょっと訊くけど、きみは自分のおっぱいをいつも触ってるかい?」
「自分で触る……? いつも嫌というほどお客さんに触られてるんだ。自分で触ることなんてないよ」
「それじゃ、いまここで左のおっぱいのわきの下に近いところを触ってごらん」
 ジャスミンは、山室をしらけた顔で見ながらつぶやくように言った。
「お客さんって、まともな人かと思ってたけど、意外と変な趣味があるんだね。女が自分で自分のおっぱいを触ってるところを見たいだなんて……。でも、まあ、お客さんのリクエストには応えないとね……」
 ジャスミンは、右手をベビードレスの下に差し入れると、ゆっくりと乳房を触りはじめた。
 その様子をじっと見つめていた山室が声をかけた。
「下の方じゃなくてもっと上の方……、わきの下に近いところ……」
 乳房を触っていたジャスミンの手が突然止まった。
「……ちっちゃいけど、硬いしこりみたいなものがある……」
 山室はうなずいた。
「すぐに医者に診てもらった方がいい……」
「医者に診てもらう……? こんなちっちゃいしこりで……? もしかしてお客さんってお医者さん……?」 
 ジャスミンは、自分の乳房に手を当てたまま、驚いた表情でつぶやいた。
「いや、医者なんかじゃない。一介のサラリーマンだよ……。とにかく早く医者に行った方がいい……」
 そう言って立ち上がると、山室は出口に向かって歩きだした。
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