第3話 ハエトリグモはサザンカに生きてほしい

文字数 799文字

 その日からチズの日課にカタシの花びらをぬいとめることが加わった。
 カタシの花びらが落ちる度、チズはその花びらを運んで元の位置に結びつけた。しかし最初のうちは一日にひとひらだった花びらは、日に日に舞い落ちる数を増やしていった。老婦人や女中が来る前に結びつけないと彼女らにカタシの花びらを捨てられてしまうので、チズは巣をカタシのいる和室へと移した。とにかく少しでも長くカタシの傍にいたかった。
「僕が必ず元通りにします」
 チズの言葉にカタシは何も言わなかった。最初の頃と変わらない調子でチズに接した。
 けれども話が出来る程元気な時間はじりじりと減っていった。
 チズの献身でカタシの花びらの数は変わっていない。だのに命はひとひら、またひとひらと散っているようだった。加えてチズが留めた花びらも、日に日に白から茶に変わり、カタシは美しささえ失くしていった。
 そんなある日の午後、女中は座卓に向かっている老婦人にお茶を差し入れながら申し出た。
「奥様、こんなみっともない花、捨てましょう。サザンカにしては妙な枯れ方ですし、虫が湧いたら大変です。お庭のサザンカもまだ見頃ですから」
 梁の上でチズは血が凍りつく思いだった。いずれ起こると思っていた事態がとうとう起きた。
 人間には敵わない。チズは俊敏で強い仲間が人間に殺されたのを見たことがある。弱い自分があの女中と老婦人を止めてカタシを守れるはずがない。だがチズはカタシを見捨てられない。焦燥と無力感でチズは体が震えた。
 だが老婦人は意外にも首を縦に振らなかった。
「いいのよ、このままで。きっとこの子は、まだ咲いていたいの。それを他人がとやかく言うことではないわ」
 老婦人はカタシのかさかさとした花びらを指で優しく撫でた。
「咲いていたいだけ、咲かせておいてあげましょ」
 老婦人の目じりに柔らかなしわが刻まれた。女中は不服そうに和室を下がり、チズは安堵の息を吐いた。
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