第30話 絶対に怒らせてはいけない人

文字数 1,226文字

「さっきの話なんだけどね」



優和が突然確信に触れてきた。



「明美が気にしすぎているんだと思うよ」



明美は、優和の顔を見た。
至極穏やかな表情だ。
穏やかさを努めているといってもいいくらいだった。



正人はさっきの話が何か全く見当つかなかったが、そこで質問するのは間違っていると思った。
もはや正人はいていないも同然だった。
会話に入る資格はない。
でも参加しない資格もない。
正人にはただそこにいる義務があった。
誰に言われたわけでもなかったが、それは事実だった。



「私は別にそんなんじゃないから」



それはあたかも大人な対応とでもいうような感じだった。
明美はその態度にただ腹が立った。
それは明美がただ勘違いしているとでもいうかのようなものの言い方だった。
そして何も知らない正人からしてみれば今の会話だけでは全面的に明美に非がある様にしか思えないように感じられた。
だからここで感情的になっても明美が一方的に怒っているだけにしか見えない。
そしてもはや明美が正人のラインを消してしまったことで、その証拠となるものがなかった。
明美は自分の愚かさを悔いた。
あの頭のいい優和が証拠を残しているとも思えない。
そしてその明美の考えは当たっていた。
ここで口論する前に、すでに勝敗は決まっていた。
口論することで、立場が悪くなるのは、明美だった。
そのことに優和は気づいているのだった。
だから優和は余裕だった。
正人はラインのやりとりについて知っているはずだった。
しかしたとえ正人が何を言おうが、優和はしらばっくれるくらいなんとでもなかった。
明美は悔しかった。
それに気づいた時にはもうすでに優和の無罪を正人の前で告白する機会を明美自らが設けてしまったも同然だった。



でも明美は諦めたくなかった。
明美は優和をどうしても困らせてやりたかった。
優和は明美をある意味信じていた。
勇の前ではあのことについて告白しないと思っていた。
確かに明美はその常識があった。
たとえ他人の子どもの前だとしても、子どもを傷つけることは絶対に言えない。
それがたとえ優和の子どもであったとしても、だ。
明美は言うつもりはなかった。
ただ悔しかった。
どうしても気持ちが居たたまれなかった。
明美は決して言うつもりはなかったが、優和を脅すためにその話を匂わす程度のことは言ってみたかった。



「さっきの話なんだけどね」



今度は明美が話し始めた。



「やっぱり私には絶対できないから。悪いんだけど」



優和の顔色が一瞬にして変わる。
優和にとって、その話は暗黙の了解でここではしないはずだった。
それは明美も承知していた。
だから明美はそれ以上話すつもりはなかった。
しかし優和はそんな明美の意図が分かるはずはなかった。
明美は優和を本当に怒らせてしまったのだ。
そして明美はその事の重大さに気づいていなかった。
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