最終章 神は『全てに救い』をお与えになる
文字数 2,936文字
「ありがとう、僕達の主を選んでくれて」
少年は不思議な輝球を幾つも作り、部屋を暖めていた。
「別に」
少年の言葉に恥ずかしくて素っ気ない返事をしてしまった。
「どうして僕達を選んでくれたの?」
「………………」
どうしてか。全てを憎み、世界に失望した自分が何故少年達の神を選んだのか。この世界に希望はない。一部の人々が冨を独占し、大多数の人々が喘ぎ苦しんでいる。先進国だろうと発展途上国だろうと貧困が人々を貧しくしているこの世界。なのに、自分は何を見出したと言うのか? 微かな希望か? それでも世界は変わらないと言うのに。
「どちらでも良かったのかも知れないな。どの道、世界は変わらない」
「世界を変えるのは君達自身の意志だよ。君がお父様を選んだ理由には必ず訳があるんだ。お父様が君を選んだのにも」
「世界を変えるか……随分大層なことを言うじゃないか」
「世界を変えた人達も最初はそうだった。でも、立ち上がった。形振り構っていられなかったから? それだけじゃないんだ。誰もが参加しなくてはならないんだ。世界が歪んだ時、人は良心に従って悪に不服従しなければならない。そうしなければ世界は歪んだ儘だからだよ」
「自分の問題すら如何こう出来ない者が世界のあれこれに口を出すのは順番が逆だと思うがね」
「君の問題は世界の問題の一部でもある。でも、為政者達は世の中の人々にこう言うんだ。『そんな下らないことに取り掛かっている暇があれば少しでも仕事しろ』ってね」
皮肉だ。その仕事を良くする為に世界を変えようとしているのに社会は「余計なことをするな。黙って仕事しろ」と毒づく訳だ。
だとすれば自分達は黙してはいけない訳か。良心に従うのであれば。
「解ったよ。あんたの根勝ちだ。私の問題は世界の人々の問題でもある」
「ありがとう」
少年は安らかな表情で感謝の念を素直に述べ伝えた。そして、少年は語り掛ける。
「君の人生はこれからも苦難だよ。でも、どんな時でも忘れないで欲しい。君の傍には常に誰か居て支えてくれる者達が居るって言う真実に」
苦難か。苦難に参与しなければ人は神の御心を知ることは出来ない。苦難を知ることで弱さを知り、優しさを知る。弱い時こそ強い。弱さと言う躓きこそあらゆる強さの源なのだ。
「さて、僕達は種を蒔く訳だ。これが何時芽吹くのかは神のみぞ知るってものだね」
少年は微笑んでいる。そして、自分に呼び掛ける。
「子冬」
それは少年が初めて自分の名を呼んだ瞬間だ。少年は恥ずかしげもなく自分の眼を瞳で正視して語る。
「愛しているよ」
それはありふれた言葉だった。『家族』に送る挨拶みたいなもので何とも陳腐な言葉だった。これから世の中に信仰告白を行う者に対する科白として簡潔極まりない凡庸な言葉だ。
だが、それで良かった。この少年の言いたいことは何となく解る。世界そのものが『家族』として看る様に自分も『家族』として看ると言うことか。そして、少年は続けて言う。
「生きて」
それは余りにも皮肉な言葉だった。生きることに絶望した自分に生きてと言う。逆だ。いや、同じか。大事な者だから先に逝って欲しくない。お互いに死んで欲しくない訳か。
「ミカエル」
初めて少年の名を呼んだ。少年は微笑み、問い返す。
「何だい?」
「私はこれから多くの絶望を味わうだろう。全ての希望が全ての絶望に染まるかも知れない。私は憎悪故に悪魔と共に道を歩むかも知れない。その時が来たら私を主と共に召しに来てくれないか? そして、願わくはこの道を歩む者達に加護を与えてくれないか?」
「神がそれを望まれる、ならばね」
「そうか……」
願わくは、家族の安全も頼みたかったが、高望みだろう。
生きろ、ミカエル、我が家族よ、生きろ、世界に居る我が『家族』よ。私の憎しみを受け続けた家族に微かな生き甲斐と幸せを、私に愛を教えた者達に長き命を。そして、願わくは、『家族』よ。
「ところで小説の名は決めた?」
少年は不意に尋ねてきた。
「ある組織について、なんてどうだろうな? 正直、何を伝えたいのか判らなくなりそうなんでな」
少年は困った様に微笑み、助言してくる。
「題名が大切なんだよ。著者の何を訴えたいのか表れるからね」
「ふむ」
そう言えば何かを書く時、自分は気取った題名を付けて本題から外れ易い傾向が多い。端的に言えば物事の本質を短い言葉で表すのが下手糞なのだ。それは自分が単なる馬鹿なのだろうが、あまり認めたくない事実だった。
自分の主張したいことか。
シギント・システムの危険性と有用性?
同盟国が進めている巨大なシステム構築に対する警鐘?
もしくはシステムに対する神の啓示を公表すること?
それも良いが少し違う気がした。世界に自分自身を伝えること。だが、それは同時に怖いものでもあった。
「だが、この題名は駄目だと思う。色々な意味で、文学的にも、宗教的にも、あらゆる意味で駄目な題名だと思う」
「それは何?」
「神は『全てに救い』をお与えになる」
「良いんじゃない?」
「何処が、だ?」
「他の人の真似して栄誉を得るのが君の望みかい?」
「………………」
要はこう言うことだろう。在りの儘の自分を世界に見せ付けろと。全く以っておっかない天使だ。油断も隙もありはしない。それを言ったら自分の性癖とかも晒さなきゃいかんだろうに。全くあの少女のことを言えた義理ではない。自分も人間失格の烙印を押される様なことを沢山やってきたのだから。
それでも少年は自分を見詰める。その純粋な瞳に覗かれると自分は弱い。
「解ったよ。性がない。どの道避けられん道だ。あんたは罪人の告白を天でなり、地上でなり眺めていろ」
「大丈夫。使徒達も幾度となく投獄されたから」
何が大丈夫だ。
だが、使徒達は投獄された際に確かに天使に助け出される場合もあった様な気がする。
「ひょっとして助けてくれるのか?」
「神がそれを望まれる、ならばね」
それは卑怯な答えだ。使徒達は牢獄の中でも宣教を行い、宣教活動を続けた筈だ。この少年、打ち解けていく移ろいの中で少し印象が変わった。
無邪気と言うか何と言うか子供っぽいところがある。それを言ってしまえば自分もまだまだ子供同然の大人だが。
「まあ、そっちの方があんたらしいのかもな」
「何が?」
「いいや、私の心の中の感想だ。特に大したことではない」
少年は不思議そうにこちらを見詰める。天使の力を使えば心なんて読めそうなものだが、それをしないのは少年らしい。
「君の幸運を祈るよ。君の歩む道に主と僕達が共にいますことを」
そう言って一瞬室内を突風が吹いたと思ったら、少年は消えていた。
風の様に気儘に去って行った。
本当に少年らしい。愛に縛られて居そうで自由な者だ。
何時かは自分も辿り着けるのだろうか?
そして、何時かは解き明かせるのか?
自分が信じる信仰告白。
神は『全てに救い』をお与えになる。
少年の謳う声が聴こえる様だ。まるでもう『全てに救い』は訪れていると云わんばかりの穏やかで神秘の音色だ。部屋に残った微かな風がその音を強調していた。
― 了 ―