第5幕 日本で海から一番遠い場所

文字数 3,275文字

「おはようございまーす」
 八月最初の日曜日――。
 昨日の夕立ちのおかげもあって、とっても爽やかな朝七時。
 愛ちゃんと誠クンが、あたしの住んでるマンションの駐車場に仲良くやって来たわ。
 パパは、上りと下りにそれぞれ二駅ずつ離れた二人のおうちまで迎えに行くつもりだったんだけれど、
『頼華ちゃんちは小学校の近くだし、登校するのとほとんど変わらないから大丈夫よ』
 ってことで、結局真ん中のあたしんちに集合することになったの。
 二人とも厚手のハイソックスに登山用のトレッキングブーツを履いて、かなり本格的なスタイルだった。
 さっすがは、お金持ちカップルね。
「で、ガー。ナンであんたがココにいるのよっ!?
 しかも黒の長靴姿って……。
「さ、沢登りって聞いて……」
 んもうっ! とりあえず普通の靴で行って、現地で履き替えればいいじゃない!
「あら、誘ってあげなきゃかわいそうでしょ。ナンてったって好奇心のかたまりなんだから」
 むきーっ! なら、お洒落にも最低限の好奇心持ってよ!
 ふぅ……。
 そうなの、うちのママとガーのママは、とーっても仲良しなの。源家の夏休みの行楽予定なんて、決まったそばから若林家に筒抜けってわけ。
 大体、社会科の自由研究があるたびに、あたしたち四人がダブルデートしてるのをママたちはよーく知ってるわけだから、誠クンが来るって決まった時点で、こうなることは覚悟しておくべきだったわ……。

 とにもかくにもマンションを出発し、渋滞気味の東名高速道路から圏央道経由で関越自動車道へ。
 埼玉県を抜け、群馬県に入ってすぐの藤岡ジャンクションから、今度は上信越自動車道を一時間ほど走ると佐久インターチェンジだった。
 我が家の愛車テンちゃん――ナンバーが10――の運転席にはママ、助手席にはジャンケンに負けたパパ。二列目には愛ちゃんとあたしが座って、三列目に誠クンとガー。
 愛ちゃんとあたしは、いくらでもおしゃべりすることがあるんだけれど、誠クンとガーは一体ナニを話すんだろうと思って聞き耳たててみたら……、
「ヒトがまだ小さな哺乳類だった頃からもうその超能力は存在してて、天敵に襲われた時とか天変地異が起こった時に、一匹だけは群れと別行動で、わざわざ条件の悪いルートから逃げるよう、遺伝子に選択的にプログラムされてたんじゃないかと思うんです」
「なるほどぉ……。確かに、いつも全員が共通のルートで逃げてたら、かえって種族が全滅しちゃう可能性はあるもんね。逆に条件の悪いルートから逃げた一匹だけが助かる、って激レアなケースに進化が対応したわけかー」
「だけど、超能力を持ったその一匹が逃げ切れないリスクは圧倒的に高いですから……」
「一千万人に一人まで減っちゃった!」
「そう!」
 うげー。
 どーでもいーことで意見が一致してるー。
「ちょっと、ガー! あたしを珍獣扱いしないでくれる?」
「ち、違いますよ、ライチ。仮の話ですよ、仮の話!」
「ふんっ、あっかんべーだ!」
「うふふ。ねぇ、見て見て、頼華ちゃん。小さなダムがあるわ」
「あ、ホントだ! すっごーい」
 佐久インターチェンジから南下して佐久市役所の前を抜け、千曲川に注ぐ雨川沿いの細い県道に入ってしばらく進むと、突然、湖が現れたの。
 カーナビの画面を見たら、それは愛ちゃんの言う通り防災用の砂防ダムだったわ。
 緑色の水面に夏の太陽がキラキラ反射して、まるで映画のワンシーンでも観てるみたいにキレイだった。
「そろそろ駐車場があるはずなんだけどな……」
「おっ。ほら、あそこに看板が! 着いたぞー、みんな」
「ママ、運転おつかれさまー。やだ、他に誰も来てないみたいね、パパ」
「おぅ。ここは穴場中の穴場だな。さぁ、早速出発しようか」
 ガラガラの駐車場に車を止めて、そこからしばらくは整備された林道だった。
 小説の取材が目的の愛ちゃんは時々メモをとり、誠クンは愛ちゃんのために何枚も写真を撮ってたわ。
 確かに上りは上りだけれど、これ、別に長靴とかじゃなくてもよかったんじゃあないかしら……。
 でも、そんな余裕があったのは、最初の1キロだけだった。
 林道が突然行き止まりになったと思ったら、そこからは幅1メートルほどの急坂になっちゃったの。
 それもただの急坂じゃないわ。足元は岩だらけ、そこらじゅうに木が倒れてて、ついでに水がザーザー流れてるのよ。
 沢登りっていうか、ガケ登りよ、これ!
 みんなが顔を見合わせたわ。
「よ、よし、運動神経がいい誠クンは先頭を行ってくれ。次が愛ちゃん、そのあとにママ。それから大河、頼華、俺の順番だな。みんな手袋を忘れるなよ。残り1キロだから、転ばないように気をつけて、ゆっくり登ろう」
 パパの号令で登る決心はついたけど、そこからはホントに地獄だった。
 さすがに空手マスターの誠クンは、後ろの愛ちゃんに気を使いながらも、時々シャッターを押したりしてたみたいだけれど、ママはギャーギャー叫びながら案山子みたいに両手を広げてヨタヨタしてるし、ガーはメガネが曇って前が見えてないし、運動音痴のあたしは何度も滑ってパパに助けられたわ。
 残り半分を過ぎてからは、さらに傾斜がキツくなり、沢の幅も狭くなって、
『もうダメ!』
 いよいよそう思った時、急に目の前が開けて山の中腹に出たの。
 そしてそこには、白い柱が建ってた。
〈日本で海岸線から一番遠い地点〉
「きゃーっ! やったー!」
「ライカちゃん、やっと着いたねー。わたし、自分で言い出したくせに、途中でくじけそうになっちゃった」
「ここが『海から一番遠い場所』かー。確かに鬼が集まりそうな、不思議な雰囲気があるね」
「ボク、感動ですよ! 今まさに、日本列島のヘソにいるんです!」
 みんなで一斉に柱に駆け寄って、何枚も何枚も写真を撮ったわ。愛ちゃんとあたし、愛ちゃんと誠クン、パパとママとあたし……。
 さすがに、ガーとのツーショットだけは遠慮したけどね。
「さぁ、みんな。少し遅くなったけど、お昼ごはんにしよう」
「はーい」
 それはホントに素敵なランチだった。木漏れ日の下に花柄のシートを敷いて、ママが作ってくれたお弁当をみんなで食べたの。普段は少食なガーまで大口を開けて、おいしそうにサンドイッチにパクついてた。
 だけど、そんないい思い出だけで終われないのが、このあたし。そう、帰りの沢下りで、思いっきり転んじゃったのよ。
 上りとは逆に、パパを先頭にして、あたし、ガー、ママ、愛ちゃん、誠クンの順に下っていったんだけれど、調子に乗ってパパを追い越した途端、モノの見事にスッテーンよ。
 それも一歩目で斜めに滑ったもんだから、それこそ何メートルも止まることができずに、沢をゴロゴロ転がり落ちちゃった、ってわけ。
 森と空と沢――緑と水色と茶色――が猛スピードでシャッフルされて、上下の感覚が粉々になった。
「頼華っ!」
「頼華ちゃん!」
「ライチ!」
「いててて……。ヤダぁ、おしりがビショビショ……」
「ケガはないか!?」
「うん、パパ……。大丈夫……」
 ママと愛ちゃんが両側からハンカチで、体中を優しく拭いてくれたわ。
 対照的に『目の前で起こったことがとても信じられない』っていう表情で呆然……というより愕然としてたのが、ガーと誠クンよ。
「こんな極端に条件の悪いところなら、滑った瞬間に無意識に体勢を立て直して、超能力で走り降りられるはずなのに、ナンで……」
 え?
 乙女の絶体絶命のピンチに、またその話!?
 だからぁ、池田クンの言う通り、いつ発揮できるか分からない身軽さなんて、初めからないのと同じなんだってば!
 あたしはクラスで一、二を争う運動音痴の源頼華なのよ。超能力の話なんて、キレイさっぱり忘れてよ! もうっ、ホントにイヤ!
「ガーなんて、大っ嫌い!」
「ええっ!?」
 その日から……、ガーとは一切しゃべらなくなった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み