命
文字数 2,176文字
その後の進路は、いままでとは全く違うものとなった。
夜の世界から抜け出し、新しい生活環境を求めて引っ越しまでした。
レンタカーで車を借り、少ない荷物は賢太郎の手伝いもあって短時間で運べた。
「人脈は、どんどん利用しない手はないよ」
出前で頼んだ蕎麦を咀嚼しながら、賢太郎は言う。
「でも、自力で見つけたいのよ」
何一つ調度品のない部屋で、自分の声は無駄に反響した。
「まあでも一紗の気持ちは分からなくもないけどな。初めて一紗に接客してもらった日、実は某有名音楽プロデューサーとあの店で待ち合わせしててさ。なのに、お金のことで揉めて、、、、すっぽかされた上に、デビューが他の子に決まってしまったからって……。まさに知り合いのコネだったんだけど、やっぱり楽したらダメだなーって思ったよって、何ニヤニヤしてんの?」
指摘されて、私はさらに目を細めた。
「いや、親身に相談に乗ってもらったことってないから。素直に嬉しいなっていう気持ちと、不謹慎かもしれないけど、賢太郎がすっぽかされたおかげで、こうして今一緒に居られるのかなーって思っただけ」
賢太郎は、私の頭をくしゃっと撫でながら「可愛いヤツ」とつぶやいた。
すぐに仕事は見つからなかったものの、自分が何を糧として生きていくのか、その答えはすでに出ていた。
ふとした時、兄が遺した心の叫びが甦る。
たくさん虫を殺してごめんね。
たくさん心を殺してごめんね。
明日も殺すかもしれない。
その前に殺されないといけない。
ごめんね。
失われた命もあれば、失われる寸前の命もある。
改めて兄からの手紙を引っ張り出してくるなり、一語一語を噛み砕いてみた。
兄が残したいくつもの点は、私の未来を繋ぐ強力な道となる。
動き出すまでに時間はかからなかった。
夢を夢のままで終わらせたくはない。
環境保全団体や、絶滅危機に瀕している野生生物の研究・調査を行う団体を、片っ端から調べた。職を探す過程で、こんなにも気分が高揚したのは初めてだった。
何社か電話をして面接を受けに行った。
正直、自分のような経歴では門前払いを食うだろうと覚悟していたが、タイミングが良かったのかもしれない。埼玉と東京の二社は、面接に応じてくれた。
埼玉の団体は、森づくりを主な目的としていた。顔の見える環境保護活動をスローガンに掲げている。職場の雰囲気や、面接に応じてくれた職員にも概ね好感は持てたが、自分はもっと「動物」に関わった仕事がしたいのだと、帰路に着くあいだに気づいてしまった。
場所を変えて、翌日は東京の団体へと足を運んだ。
私より、ひとまわり年上の女性職員が顔を見せた。
すぐに彼女は名刺と、イラストや写真で溢れた御社のパンフレットを手渡してきた。
柔らかな声で、主な仕事内容を説明し始めた。
国内の絶滅危惧種はもちろん、人間によって傷つけられた野生生物の救護を活動としているという。
初めて耳にすることばかりだった。渡されたばかりのパンフレットをメモ代わりに、あれこれ持参したペンで書き込んでいった。
「救わなければならない生き物は年々増えているのに、従業員の数は減少傾向にあるの」
女性職員は、壁に掛かっていた環境省のカレンダーに視線を移した。耳慣れないヒオドシジュケイと言う、キジ目キジ科の艶やかな色の鳥がこちらを見ている。
その後、これまでボランティア活動はしたことがあるかどうか、どういった取り組みに興味があるのかなど簡単に訊かれた。どの質問に対しても、私は決して背伸びをせず、率直に答えた。
ブラウスの袖を押し上げ、女性職員は腕時計を見た。
「最後に」
私は、改めて椅子に座りなおした。
パンフレットの下に埋もれていた私の履歴書を、女性職員は再び手に取った。
「あなた、絵を描けるの?」
その質問に、やや照れ笑いを浮かべながら控えめにうなづいた。
「その特技、生かせるかもしれないわよ? どう? 一緒にここで働いてみない?」
断る理由はなかった。
「じゃあ、早速なんだけど、明日までに絶滅種のニホンオオカミを題材とした絵を描いてきてもらえない? ある企業とのコラボを企画中なのよ」
それから、ニホンオオカミの説明が始まった。まさかすぐに自分が戦力になるとは予想していなかったので、全身に漲るものがあった。
ニホンオオカミの生態について、資料を交えながらあれやこれやと話しが進むうちに、頭の中で、亡き兄と空間を共にした白い部屋と黒い部屋がそれぞれ動物の形を成してきた。
「自分の存在知って欲しさに、あらゆる動物との接触を試みるニホンオオカミ……」
私がボソッとつぶやくと、女性職員が顔を上げた。
「すいません。何色かボールペン貸してください!」
私の勢いに押されて、女性職員は慌てて後ろのキャビネットから四色ボールペンを選んで渡した。
外に出ると、燃えるような橙色の夕焼けが町全体を染めていた。
駅はすぐ目の前だったが、一駅分、歩くことにした。
人通りの多い道を抜け、早速、携帯を取り出す。
「今日も、頑張ったね」
まだ何も一日の報告をしていないのに、彼は労いの言葉を送ってくれた。
緊張モードは一気に解け、自然と口元が綻んだ。
夜の世界から抜け出し、新しい生活環境を求めて引っ越しまでした。
レンタカーで車を借り、少ない荷物は賢太郎の手伝いもあって短時間で運べた。
「人脈は、どんどん利用しない手はないよ」
出前で頼んだ蕎麦を咀嚼しながら、賢太郎は言う。
「でも、自力で見つけたいのよ」
何一つ調度品のない部屋で、自分の声は無駄に反響した。
「まあでも一紗の気持ちは分からなくもないけどな。初めて一紗に接客してもらった日、実は某有名音楽プロデューサーとあの店で待ち合わせしててさ。なのに、お金のことで揉めて、、、、すっぽかされた上に、デビューが他の子に決まってしまったからって……。まさに知り合いのコネだったんだけど、やっぱり楽したらダメだなーって思ったよって、何ニヤニヤしてんの?」
指摘されて、私はさらに目を細めた。
「いや、親身に相談に乗ってもらったことってないから。素直に嬉しいなっていう気持ちと、不謹慎かもしれないけど、賢太郎がすっぽかされたおかげで、こうして今一緒に居られるのかなーって思っただけ」
賢太郎は、私の頭をくしゃっと撫でながら「可愛いヤツ」とつぶやいた。
すぐに仕事は見つからなかったものの、自分が何を糧として生きていくのか、その答えはすでに出ていた。
ふとした時、兄が遺した心の叫びが甦る。
たくさん虫を殺してごめんね。
たくさん心を殺してごめんね。
明日も殺すかもしれない。
その前に殺されないといけない。
ごめんね。
失われた命もあれば、失われる寸前の命もある。
改めて兄からの手紙を引っ張り出してくるなり、一語一語を噛み砕いてみた。
兄が残したいくつもの点は、私の未来を繋ぐ強力な道となる。
動き出すまでに時間はかからなかった。
夢を夢のままで終わらせたくはない。
環境保全団体や、絶滅危機に瀕している野生生物の研究・調査を行う団体を、片っ端から調べた。職を探す過程で、こんなにも気分が高揚したのは初めてだった。
何社か電話をして面接を受けに行った。
正直、自分のような経歴では門前払いを食うだろうと覚悟していたが、タイミングが良かったのかもしれない。埼玉と東京の二社は、面接に応じてくれた。
埼玉の団体は、森づくりを主な目的としていた。顔の見える環境保護活動をスローガンに掲げている。職場の雰囲気や、面接に応じてくれた職員にも概ね好感は持てたが、自分はもっと「動物」に関わった仕事がしたいのだと、帰路に着くあいだに気づいてしまった。
場所を変えて、翌日は東京の団体へと足を運んだ。
私より、ひとまわり年上の女性職員が顔を見せた。
すぐに彼女は名刺と、イラストや写真で溢れた御社のパンフレットを手渡してきた。
柔らかな声で、主な仕事内容を説明し始めた。
国内の絶滅危惧種はもちろん、人間によって傷つけられた野生生物の救護を活動としているという。
初めて耳にすることばかりだった。渡されたばかりのパンフレットをメモ代わりに、あれこれ持参したペンで書き込んでいった。
「救わなければならない生き物は年々増えているのに、従業員の数は減少傾向にあるの」
女性職員は、壁に掛かっていた環境省のカレンダーに視線を移した。耳慣れないヒオドシジュケイと言う、キジ目キジ科の艶やかな色の鳥がこちらを見ている。
その後、これまでボランティア活動はしたことがあるかどうか、どういった取り組みに興味があるのかなど簡単に訊かれた。どの質問に対しても、私は決して背伸びをせず、率直に答えた。
ブラウスの袖を押し上げ、女性職員は腕時計を見た。
「最後に」
私は、改めて椅子に座りなおした。
パンフレットの下に埋もれていた私の履歴書を、女性職員は再び手に取った。
「あなた、絵を描けるの?」
その質問に、やや照れ笑いを浮かべながら控えめにうなづいた。
「その特技、生かせるかもしれないわよ? どう? 一緒にここで働いてみない?」
断る理由はなかった。
「じゃあ、早速なんだけど、明日までに絶滅種のニホンオオカミを題材とした絵を描いてきてもらえない? ある企業とのコラボを企画中なのよ」
それから、ニホンオオカミの説明が始まった。まさかすぐに自分が戦力になるとは予想していなかったので、全身に漲るものがあった。
ニホンオオカミの生態について、資料を交えながらあれやこれやと話しが進むうちに、頭の中で、亡き兄と空間を共にした白い部屋と黒い部屋がそれぞれ動物の形を成してきた。
「自分の存在知って欲しさに、あらゆる動物との接触を試みるニホンオオカミ……」
私がボソッとつぶやくと、女性職員が顔を上げた。
「すいません。何色かボールペン貸してください!」
私の勢いに押されて、女性職員は慌てて後ろのキャビネットから四色ボールペンを選んで渡した。
外に出ると、燃えるような橙色の夕焼けが町全体を染めていた。
駅はすぐ目の前だったが、一駅分、歩くことにした。
人通りの多い道を抜け、早速、携帯を取り出す。
「今日も、頑張ったね」
まだ何も一日の報告をしていないのに、彼は労いの言葉を送ってくれた。
緊張モードは一気に解け、自然と口元が綻んだ。