第53話娘たちにも話した

文字数 2,774文字

その様子を見ていた娘たちは
「お母さん、今日は疲れちゃったのかな?」
と心配をしていたのだが、俺はその時、他のことを考えていた。
「真知子の本当の病状を娘たちには、いつ話そうか?
いつまでも隠してはおけないからな。
食器を洗い終わってから話すとするか」
その後、俺も手伝い、全ての洗い物が済んだ所で娘たちには無言で手招きをして、リビングに来るようにと誘った。
そしてソファーに座らせてから、娘たちが怪訝そうな顔をする中、俺は二人に顔を近づけて小さな声で内緒話を始めたのである。
「実を言うと今日の病院での検査の結果、お母さんの体に大変なことが分かったんだ」
その言葉に、娘たちの目の色が一瞬にして変わった。
そして俺は、そのまま話を続けた。
「最近お母さんが痛いって言っていた喉にも癌の転移が見つかったのだけれども、それ以外の肝臓と膵臓にも実は転移していたんだ。
そこで先生が言うのには、その中でも膵臓に転移してしまった癌が重篤な状態になっているそうなんだ。
下手をすると、あと数ヵ月しかもたないかも知れないって」
それを聞いた娘たちは急に息遣いも激しくなり、こんな言葉を漏らしたのであった。
「え、うそ。
お母さん死んじゃうの?」
「どうしよう、信じられない」
そこで俺は自分で考えている全ての事を、娘たちへ正直に話すことに決めた。
「そこでだ、お前たち二人にお願いがあるんだ。
お父さんたちがいま、つくばの研究所で進めている研究がある。
それはどんな種類の癌でも完治させてしまうという、夢のような新薬の開発なんだ。
しかしそれは、もう少しの所までは来ているのだが、まだ完成には至っていない。
その薬さえ出来上がれば、お母さんの命も救うことが可能だと思う。
そこで是非とも、その薬の研究を急いで進めるためにお父さんを、つくばの研究所へとまた行かせてくれ。
申し訳ないが、お父さんの我が儘を聞いて欲しい。
梓、本当に済まないが、大学を休学してお母さんのサポートをしてくれないか?
2ヶ月間だけ頼む。
それと祥子も、高校生活を送りながらで構わないので、出来る範囲で協力してくれ。
俺はつくばの研究所に戻って、お母さんの命を救うことの出来る新薬を、必ず完成させてみせるから」
すると梓が涙を流しながら、こう言った。
「お父さん、分かったよ。
私だってお母さんが、この世の中から居なくなるなんて絶対に嫌だから。
私の出来ることなら何でもするよ。
だからお父さんも頑張ってよね」
そしてその隣にいた祥子も、声を詰まらせながら言った。
「お父さんお願いよ。
必ず完成させてよね、私も頑張るから」
その後3人はテーブルの上で手を握り合い、これから起こるであろう、どのような試練にも、立ち向かって行くことを固く誓い合ったのであった。
そして翌日、月も変わり、次女の祥子は高校へ向かい、長女の梓も大学への休学届けの申請へと出掛けていった。
そして家には俺と真知子の二人だけとなり11時を過ぎた頃、俺は真知子に聞いてみた。
「お昼には何が食べたい?」
すると真知子は掠れた声で
「ドーナツとアイスクリームが食べたい」
と返答してきた。
「またドーナツかよ、お前は昔から本当にドーナツとアイスクリームが好きだよな。
そのくせ太らないんだよ。
その点、俺は食べた分だけ太っちゃうから、これでも節制しているんだけどな」
と俺が言うと真知子が、その言葉に反応した。
「この嘘つき」
と言いながら、俺の顔をジロリと睨んだのだ。
そして次の瞬間、お互いに顔を見合わせて笑ったのであった。
それは俺にとっては、久し振りに見る、嬉しい真知子の笑顔でもあった。
その後、俺は
「じゃあ買い物に行って来るから」
と言い残し、自転車に乗り、出掛けていった。
そして買い物を済ませ家へと戻り、真知子の好きなアイスクリームをリビングで手渡したのである。
するとそれを受けとるなり
「有り難う、このアイスが一番好きなんだ。
よく覚えていてくれたわね」
と言いながら真知子がニコリと笑った。
すると俺は
「当たり前だろ、俺だってかみさんの好物ぐらいは分かってるよ」
と言って、スーパーで貰ってきたスプーンを真知子に手渡した。
そして二人して、そのアイスを半分ほど食べ終わった時であった。
真知子が俺に急に、こう告げたのだ。
「昨日の夜から腰の辺りが痛くなってきたの、どうしてだろう?」
俺はその言葉を聞いてドキッとした。
何故ならばその言葉は、姉が膵臓癌で亡くなる直前に発した言葉とリフレインしていたからであった。
すると俺は真知子の不安を少しでも和らげようとして
「俺たちもお互いに歳をとって来たからなあ。
運動不足もあるし、寝違えもあるし、そんなの俺もしょっちゅうだよ」
と言って誤魔化したのであった。
その後、アイスクリームも食べ終わり、次にティッシュをテーブルの上に、たくさん敷き詰めてから、その上にドーナツ8個を綺麗に並べてみた。
すると真知子の目が輝いたのである。
そして俺が
「どうぞ、お好きなものを」
と薦めると真知子は何の迷いも無く、ホイップクリームが挟んであるドーナツをサッと手に取った。
そして俺が冷蔵庫の中から牛乳を持ってきて、二人して食べ始めたのである。
俺が1個2個と食べ終わり、3個めのドーナツに手を伸ばした時だった。
真知子のドーナツを食べる手が進んでいなかったので、心配になり聞いてみた。
「どうした、食欲が無いのか?」
すると真知子が、こう返してきた。
「ううん、違うの。
小さく千切って食べようとしても、昨日よりも喉が痛いし、なんか引っ掛かる感じもするの。
いったい、どうなってるんだろう?」
その顔は、とても不安げだった。
そして言葉を続けた。
「ねえ私、この先どうなるの?
もう助からないんじゃ無いの?
本当のことを教えて」
しかし俺は真知子の心情を思うと、とてもでは無いが本当の病状を話すことは出来なかった。
そして少し間を置いてから、こう説明をした。
「来週、検査入院をするだろう。
そこで真知子の遺伝子変異を調べて、どの治療が最も有効なのかを精査してくれるんだ。
先生も言っていたけれども、最近は分子標的薬などの比較的副作用の少ない飲み薬も開発されて来ているから、心配はいらないってさ。
先生たちのことを信じて任せておけば、また元気になれるから。
だから悪いけど俺は明日、つくばの研究所に戻らせてもらうよ。
いま大事な実験の準備中なんだ。
それから梓が就職に関してのインターンの予習の為、暫くの間、うちに居ると言ってたから、何か頼みたい事があったら梓に言ってくれ」
すると真知子は、いくらか安心したかのような表情を見せ、軽く頷いていた。





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