末姫の秘密?

文字数 6,356文字

 電信を使って連絡が入ってから十五分も経たぬうちに、司令部に老侯爵は現れた。
 まさに爆音を響かせ、単車で司令部の真ん前まで乗り付けてきた。
 本来単車は、偵察隊の伝令作業に使うもので、中将のような指揮官が乗る乗り物ではない。
 しかし、明らかに、シヴェール中将侯爵は、これを趣味的に乗り回していた。
 それがつまり、先ほどの爆音の正体なのだ。
 軍用単車は、隠密行動を優先させるため魔精気の爆発した後の排煙管に大きな消音機を取り付けている。これは、同時に内燃機の内部での魔法連鎖の速度を制限する作用がある。
 出口を細め音を絞っているわけだから、魔精気は本来の魔法効力の半分くらいしか力を出せないわけである。
 つまり、消音機を外せば単車は一気に速度が出せるようになる。
 これがシヴェール侯爵の単車の爆音の理由なのだ。
 速く走りたいがために、中将は単車の消音機を取り外しているわけだ。これはもう、軍用に適しているなどと逆立ちしても言える代物ではない。

「ほーっほ! 今日は魔精の吹けが最高じゃったわい。さすが王国最速の単車フェリンじゃ」
 単車のハンドルを叩きながらシヴェールが言った。
「えらい早いお着きで、シヴェール侯爵」
 ベラネチェ参謀長がゴーグルをかけたままの侯爵に、若干いびつな笑顔を向け言った。
「途中で郵便隊の速達便輸送車のゴロールと競争になってのう、軽くぶっちぎって来た。わはは」
 シヴェールはそう言うと、腹の底から愉快そうに笑った。
 とにかく頑丈そうな老人だった。背は低いのだが、がっしり体型で、白い口髭の横、右頬に大きな傷跡があった。
「まあ、とにかく中にどうぞ、姫司令様がお待ちです」
 ベラネチェは、シヴェールを司令官車に導いた。

 まだ出陣前であるから、クリスティーナは朝から軽装軍服のままだ。
 その軍服の長いスカートを優雅に翻し、クリスはシヴェールを特別製の客車に招き入れた。
「シヴェール侯爵、お疲れ様です。おかけになってね」
 クリスは、作戦図の広がった机の前に置かれた椅子を、自ら引いて老侯爵に勧めた。
「こりゃ末姫様、かたじけない」
 シヴェール侯爵は、片手をひょいと上げなら腰を下ろした。
「して侯爵、確認したい事とは?」
 ベラネチェが立ったまま老侯爵に訊いた。
「お前さん、あれだろう、儂が機甲軍を突出させろと言いに来たと思っておるだろう?」
 シヴェールが意地悪そうに微笑みながら言った。
「あれ、違うんですか?」
 シヴェール侯爵は、微笑んだまま首を横に振った。
「残念だが大外れだ」
 椅子に座ったシヴェールは、立ったままのクリスとベラネチェを交互に見上げ話し始めた。

「今朝のう、武闘王と朝食を一緒にした」
「あら、お父様と。何か今回の作戦の事、仰っておりました?」
 クリスは、そう言うと侯爵の向かい側の席に腰を下ろした。
「うむ、だからやって来たのだ」
 シヴェール侯爵は、そう言うとかけていたゴーグルを外し、それを卓上の地図の横に置いた。
 そして、すっと腕を伸ばし地図のある個所を指さした。
「平原の侵入段階で、敵の反撃は予想されない。平原の北部に広がるこの湿地帯が、どの兵科の進撃も阻むため、長城要塞から平原への防衛線は、この一帯に集中する」
 老侯爵が、地図の上の指を移動させながら言った。
「マリソル姫が総軍司令部に作らせた今回の作戦案も、この湿地帯への対応に苦労したようで、敵の打撃部隊が集中する個所にどこまで兵力を集めるかに力点が置かれた。その為の末姫殿の主軍への輸送部隊集中であり、機甲軍の出番は序盤は控えるようにという案にまとまったわけじゃ。まあ、これには儂も異存はない。だがな、今朝の食事中に武闘王があることを言い出したのだよ」
 侯爵は、そう言うと地図の一点を示した。
「もしバドラーの八軍に、一個戦車団を預け、この湿地の北限を先行させたら、面白いのではないかと、王は仰った」
 そう言うと、老侯爵はクリスに片目を瞑って見せた。
「つまりだ、そりゃ儂にこの案を末姫に託せ、ちゅうアレだったわけだな、ははは、王がタダで飯を食わせるなど珍しいとは思ったが、まあそういうからくりだった次第じゃ」

 一線を引いても、武闘王は戦略に造詣が深い。
 初陣の末娘を案じ、奇手を思いつき老侯爵に伝言を頼んだというわけだ。
 このあたり、父は娘姉妹にもそれぞれの立場やプライドがあることを理解している証拠だ。
 もし表だってクリスに王が指示を出したら、総軍司令官である長姉マリソルの面子が立たない。
 だが、第三者がこっそり助言し、クリスが作戦を変更したとなれば、娘たちの誰も傷つくものはない。
 しかし、そうは言ってもつくづく末娘に甘い父王であった。
 それはクリスも心得ているようであった。
 クリスは軽く肩をすくめこう言った。
「パパもお節介なものね。まあ、あたしじゃ逆立ちしても思いつかないだろう作戦だから。いいんですけどね。ところで、これってやはり妙案なのかしらベラネチェ参謀長?」
 クリスが、まだ立ったままのベラネチェに聞いた。

 ベラネチェは、改めてシヴェール侯爵が示した地図の一点を見て唸った。
「なるほど、ここには狭いが硬い地盤の街道が続く地域。戦車は通れる。しかし、街道部は細い回廊で湿地帯に外れれば戦車は動けない。たとえそれが軽戦車でも…」
 そこで一度言葉を切ったベラネチェは、すぐに武闘王の真意に気付いた。
「つまり、ここを戦車が進むことは敵も想定していない! 敵に気取られなければ、かなりの速度で機甲部隊を長城要塞の際まで接近させられる。姫様、この作戦は大いにありです」
 首を持ち上げたベラネチェが、さっと髪をかき上げながらクリスに言った。
 シヴェールが満足そうに頷いた。
「さすが武闘王、目の付け所が違うだろう。そもそもマリソル姫が赤ひげ軍をここに配置したのは、強力な火砲部隊が敵と遭遇せずに長城要塞攻略の支援位置に進軍させる狙いじゃったろうが、王はその上を行く電撃的な機甲部隊の移動を企図したわけじゃ。要塞の直前まで火砲を持ち込めるという意味でも、戦車をここに進めるのは奇手にして妙手。赤ひげ軍には、うちの軍から、第二独立重戦車大隊を派遣しようと思う、どうかねベラネチェ少将?」
 シヴェールに言われ、ベラネチェは頷きかけた。
 だが、そこにクリスの鋭い指摘が飛んできた。
「ここに戦車行かせたら、南の戦力足りなくならないかしら? それと、赤ひげさんの軍の補給には、鉄路隊は使えないわよね、街道自体に鉄路を敷いたら車が進めなくなりますもの。鉄路隊の支援なしで、重戦車は進撃速度を維持できる?」
 赤ひげは、第八軍司令のバドラーの愛称だが、自ら好みこの名を使うので、第八軍は通称赤ひげ軍の名で呼ばれているのだった。
 ベラネチェは、数秒思案してから髪をかき上げ答えた。
「まあ黒熊一個大隊なら問題ないでしょう。南部の作戦正面に青軍の新戦車が来たとしても、おそらく汎用戦車の赤鯱で対抗出来ると思いますし、シヴェール老侯爵の軍にも黒熊が一個大隊残ります。輸送は自動貨車団をかき集めましたら速度が大きく落ちることもないかと思われます」
 シヴェール侯爵が、ここで口を挟んだ。
「赤ひげの所には、装甲輸送車が極端に少ない。重装備輸送用の大型無蓋車ばかりじゃ。これまでは、魔導砲による制圧と短い突進の繰り返しが主戦術だったからな。高速の迂回戦はおそらくあ奴には初めてとなる。誰か知恵のある人間を遣わせた方がいいかもしれんな」
 ベラネチェが、ふむと呟く。
「大規模部隊の迅速機動に長けた人物ですな、ううむ、だったら我が軍のオスコシュ参謀少佐になるか」
「誰かね、それは?」
 シヴェールが訊ねる。
「西域での水都包囲戦のとき、カターナ半島に逃げた敵軍への追撃作戦を立案した俊英です。六軍指揮下の軽装竜騎兵連隊に赴任しております」
 シヴェールが。軽く口を開き「ほお」と漏らした。

 シヴェールが感嘆の声を上げたのも無理はなかった。
 ベラネチェが語ったのは、西域でヴェラネチェが立てた都市包囲作戦の序盤で、その包囲から抜け出てしまった敵軍が、堅牢な要塞のある半島へ逃げ込もうとするのを、自前の快速装甲部隊だけで追い越し待ち伏せし、一網打尽にしたという痛快なる勝利を挙げた作戦だったのだ。
 これは、包囲主軍に居たシヴェールも知っていたし、本国でも大いに話題になった。
「いいわね、最高の人選だと思うわ」
 クリスはそう言って頷いた。
 軍師による講義は、死ぬほど嫌いだったクリスであるが、別に作戦術が嫌いだったわけじゃない。
 クリスは、他人から押し付けられて物事を習うのが大嫌いなのだ。
 その代わり、自分が気になったことは徹底的に独自に調べ上げ吸収する。
 だから、この時の戦いにもクリスは興味を持ち、自分で調べ知っていた訳である。
 だがクリス、気になることはとことん調べるが、興味がないことは全く手を付けない。そのせいで、だれもが知っていて当然のはずの知識が抜けていたりするのだった。
 これこそが、姉たちが、そして武闘王の家臣たちがクリスの司令官就任に際し危惧した点でもある。
 アンニフリードの言った通り、クリスはある面では本当にお馬鹿なのだった。

 まあ、そんなクリスの身の上はともかく、この王から託された作戦を実施するのに、オスコシュ少佐は不可欠なのは間違いないようであった。
「ベラネチェ参謀長、呼んでみて、その人」
 クリスがすぐに指示を出した。
 ベラネチェが司令部者の表の扉を開き、当番士官のベテルギウスを呼んだ。
 若い士官学校出たての少尉は、話を聞くとすぐに外に駆けていった。軽装竜騎兵連隊の野営場所は、司令部地域のすぐとなりなのだ。
 そう、あのバカでかい列車砲をはさんだもう一本の線路の反対側が野営地なのだ。

 数分もかからずに、長身に赤いスカーフ、参謀の証であるそのスカーフをひらめかしたオシュコシュ少佐が現れた。
「お呼びでしょうか、ラジ・オスコシュであります」
「ああ、久しぶりだねオスコシュ少佐。すまないけど、別の部隊に出向して、指南役になってくれないかね」
 ベラネチェがそう言いながら、髪をかき上げ、オスコシュに椅子にかけるよう身振りで示した。
「原隊を離れろと言うことですか。いかなる理由で?」
 ベラネチェがオスコシュの顔を覗き込みながら、先ほどの話を掻い摘んで伝えた。
 まあ奇手であるから、オシュコシュの表情は明らかに驚きの色に満ちた。
 しかしすぐに、これが有効な作戦だと認識し深く頷いた。
「なるほど、赤ひげ将軍に高速移動戦術を指南しろと仰るわけですね」
「そういうこっちゃ」
 シヴェール侯爵が、にまっと笑って答えた。
「わかりました。赤ひげ中将は、かなりのへんこつと聞いておりますが、私で大丈夫ですか?」
 オスコシュは正直に不安を口にした。
「ううむ、まあ、確かに頑固で狭量でどケチだが、戦争はうまい。理にかなう話には、耳を貸すはずじゃ」
 ここで、それまで黙ってやり取りを聞いていたクリスが口を挟んできた。
「あたし、赤ひげさんの弱点知ってるの、それ使えるかも」
「は?」
 三人の軍人は、若干十六歳の総指揮官に視線を集めた。
「赤ひげさんは、掛札で大勝ちしてる時は、支離滅裂なお願いでも二つ返事で承諾するわよ」
 シヴェールが目を丸くした。
「なんと! あの財布に三重に紐巻くどケチが?」
「うん、これね、パパが赤ひげさんに大負けしてる時に、赤ひげさんにおねだりしたら、いいよって言って私にくれたのよ」
 そう言ってクリスティーナが見せたのは、軍服の上から首にかけられた大きな赤い宝石のネックレス。
「ああ! 今まで気付かなかった! どこかで見たことあると思ったんだ!」
 ベラネチェが絶叫した。
「す、すごい宝石ですね。なんですか、これ?」
 オスコシュが目を見張りながら訊いた。
「ルビアンの涙。先王がバドラー家に与えた国宝級の秘宝じゃ!」
 シヴェール侯爵が呆れたという顔で告げた。
「素敵でしょ? あたしは、欲しいと思ったものはね、とりあえずおねだりする主義なの」
 クリスはニコーッと笑う。
 まったく悪びれてない。
「ま、まさか、だから、武闘王にあの戦艦オストヴィンドもそんなのりで…」
 ベラネチェがため息を吐きながら呟いた。
「ね、だから、話がうまく進まなかったら、わざと賭けに負けてみてね」
 クリスがオスコシュに片目を瞑りながら言った。
「あ、あう、はい、姫君」

 数分後、シヴェールとベラネチェ、オスコシュの三人は司令官室から外へ出てきた。
「しかし驚いた、末姫が赤ひげ将軍の家宝を貰い受けていたとは」
 ベラネチェが首を振りながら言った。
「普通渡さんじゃろ、いくら相手が姫であっても」
 シヴェールも呆れた顔で肩をすくめる。
「しかも、あの赤ひげ吝嗇将軍からですよ! どれだけのおねだり上手なんですか?」
 ベラネチェの言葉を聞き、オスコシュが呟いた。
「これは一種の特殊能力ではないでしょうか?」
 三人が顔を見合わせた。
「特殊?」
「能力?」
 オスコシュが頷く。
「どうも末姫君は、苦もなく他人の物を手に入れてきている人生を歩んできている様に見受けられます。つまり、この能力を発揮して、それを成してきたのではと思いまして」

 クリスティーナ姫の幼少期の話は、王国家臣の間でもかなり有名なものが多い。
 姫の祖母、先王の后レニアーナが大事にしていた神馬ブロンジェを五歳の誕生日に貰い受け、その次の日には城内の馬場で乗りこなしていた、とか。そもそも神馬は人を背に乗せぬ定めの生き物なのだが。
 その他にも、先王崩御の三日前に、先王の大事にしていた白玉のゴブレットを譲り受け、幼年学校の遠足に持参したとか。
 とにかく物に執着する話は枚挙に尽きない。
「なるほど確かに。しかし、これは何かの役に立つ力なのか?」
 ベラネチェがそう言って首をかしげる。
「ううむ、ただ単に末姫君が得をしておるだけでないのかのう」
 シヴェールも首をかしげる。
「私は、いつかこの力が、王国に何かを齎すのではないか、そんな予感を覚えたのですが」
 オスコシュが二人とは違った表情で言った。
「何処からそういう発想が湧くのか、理解しがたい」
 ベラネチェが眉を寄せながらオスコシュに言った。
「まあ、あくまでも私の第六感です。お気になさらずに」
 若い少佐は、将軍たちにさっと頭を下げ引き下がった。
「明後日には出陣じゃで、儂はとっとと戻る。そんじゃ、あとはよろしくな」
 老侯爵はそう言うと、ゴーグルをきりっと嵌め、自分の愛車に跨った。
「帰り道、お気をつけて」
 ベラネチェがぺこっと頭を下げた。
 片手をひょいと上げると、シヴェールは単車の魔精気機関に火を入れ、一気に回転レバーを引き上げた。
 極限まで高出力化された軍用単車の改良型フェリンは、もの凄い勢いで飛び出していった。
「達者な老将軍さまですね」
 あっという間に遠ざかる単車を見送りオシュコシュが言った。
「うむ、あれはまだ十年は現役だろうな」
 単車の姿はそのも間に小さくなり、ブロロというあの爆音だけが風に乗っていつまでも聞こえてきていた。
 作戦開始までもうあまり時間は残っていない。オシュコシュは大急ぎで赤ひげの元に向かわねばならなかった。


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