第2話 Dr.ハルセの苦悩

文字数 2,197文字

ハルセは自分の勤務する病院までの道すがらターナーの言った言葉を思い出していた。
なぜ、いつも通りに接したはずなのにいつも通り自分は回復しないのか?
戦いは終わったはずなのにどうして元に戻らないのか?
**

自分の気力が戻っていないことは自分が一番よくわかっていて一番恐怖に感じていることだ。


このままもう以前のようには戻れないのだろうか?
自分も年だ。第一線を退いて教育に回ることもいいだろう。

しかし、それが本当に自分の望みなのだろうか?


実際に今回の患者回復のニュースは全国的に報道され、ハルセを知らない人をも驚かせた。

おかげでこれまでのある領域での有名人枠を超えて、ハルセの名は知られることとなった。


今より良い条件でウチで働かないか?というオファーや講演依頼は殺到した。

結果を出し、世間にも認められ、この上なく喜ばしいはずなのに、

心の底では何故か冷めた目で見ている自分に気づいている。


特に周りが喜んでくれる分、余計に自分との感じ方の落差に戸惑ってしまう。

常にイライラし、緊張しているのがよくわかる。にもかかわらず、ふとした時にぼーっとしてしまう。

頭や体が重い。気分が晴れない。

自分はどうしてしまったのだろうか?
**

忙しく働くことや、上を目指すために邁進することには慣れているが、

休むことはほとんどしてこなかった。


だから「休め」という言葉を掛けられると

そんなに自分はダメなのかと必要以上に否定的に受け取ってしまう。


こんなことは初めてだ。

うまくいかない壁にぶつかることには正直慣れている。

医療や治療は一筋縄ではいかない。


この患者にうまくいった方法でも別の患者ではまったく効果がないこともザラだ。

だからこそいつも真摯に患者に向き合いうまくいく方法を探し当ててきた。


うまくいかなければうまくいく方法を考えればいい。調べればいい。


しかし、今回はそれが通用しない。

うまくいかなかったわけではなく、うまくいったのに自分の調子が上がらないのだ。


やりたいのにやれない。

そのくやしさからにじむイラつきは、ついつい周囲にぶつけてしまう。

うまくやりたいはずなのに。


八方塞がり


これが今のハルセの状態だ。


はぁ
ハルセは深いため息とともに病院に到着し、医局へと戻っていった。
「あっお疲れ様です。先生」
「あぁ、お疲れ」
「今日は機嫌よさそうじゃん?」
「そうかぁ~?」
ハルセの様子を若手医師達が注意深く伺っている。
「よぉ!ハルセ、戻ったか?」
「あぁ、行ってきた」
「どうだった?」
「まぁ、別にどうってこともないよ」

この男の名前はイノウ


ハルセの同期で医局入局以来ずっと一緒に働いてきた同志でもある。

真面目一辺倒のハルセとは違い、イノウは、腕は良いが気さくで要領がいい。


すぐに自分ひとりで問題を抱え込んでしまう性格のハルセにとって

追い込まれたときにイノウの軽口に何度も救われてきた。


正反対のハルセとイノウだが、なぜだかウマが合いこれまでお互いうまくやって来た。

「ハルセがカウンセリングとはな、カウンセラー可愛かったか?」
「いや、かわいいって言う感じじゃなかったな。こう、なんかきつい感じだった」
「そっか、残念だったな」
「まぁ、美人ではあったけどな」
「ならいいじゃないか!よかったじゃないか!仕事抜けて美人と話しができて」
「まぁ、そうだな」
「これでお前も元に戻るだろう」
「あぁ、そうだな」

イノウはハルセの不調に気づいていた。


イノウは当時からハルセが患者にのめりこんでいることに危機感を抱いていた。


ハルセはいつも患者に真摯に向き合うが今回ばかりは常道を逸していた。

「やりすぎだ」
「それじゃあ、お前の身が持たない」

「他の患者もいるんだから」


しかし、その声はハルセには届かなかった。


誰も患者を理解しようとできない中でハルセだけが必死だった。

あの患者が助かったのは奇跡としか言いようがなく、

イノウは、その奇跡はハルセが起こしたんじゃないかとは思っている。


ハルセの熱心さに刺激され、周りのスタッフもだんだん治療にのめりこんでいった。

あの時の患者に関わったスタッフは不思議に恐ろしいほどの一体感に包まれていた。


世間でどう思われている人間か。

自分がこの患者についてどう思うか。


そんなことはどうでもいい。

ただただ、自分たちの仕事の手を止めなかった。


医師、看護師、コメディカルそれぞれの第一線が担当として集められ、患者の回復に寄与した。

誰もが何かもっと良い方法はないかと考え、話し合い、行動した。

その神がかった上昇志向は、お互いを尊敬し、尊重することにつながった。


小さなことでも上手くいけばみんなで喜び、共有し、連帯感はさらに強まった。

スタッフ全員で手をつなぎ進んでいっているような感覚はそれぞれが随所で感じ取れた。


難局をひとつひとつ乗り越えれば乗り越えるほどその空気感は、場を高揚させ、

連帯感はより一層強まった。


スタッフたちの士気が上がれば上がるほど、ハルセへの信頼感もまし、のしかかる重圧はより強まっていった。


ハルセは、この道の専門だからというプライドがあった。

上手くいっているときには最悪の状態をシュミレーションし、難局に差し掛かればまた新たな一手を考えた。


常に緊張した状態で一息つく暇などなかった。

後悔はなにひとつないが、もう一度やれと言われればできる気はしない。
それがハルセの本音だった。

ハルセはやり切った。


医師として人間として

本当に精いっぱいにやり切った。

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登場人物紹介

ハルセ(50代)

△△病院医師

情熱にあふれ、患者、治療、医療に真っ向から向き合う。

ある重症患者の治療に関わった後に心身ともに疲労感を抱え、ターナーのカウンセリングを受けることになった。

ターナー(年齢不詳)

〇×病院カウンセラー

サバサバした長身の美人。患者思いの優しい面もあるが、カウンセリングはスパルタ

ターナーの元に来る患者が少しでも心安らぐことを目指してカウンセリングに奮闘する!

今回は人と関わる仕事に潜む問題「共感疲労」の問題がテーマ。

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