2 ナポレオンからの贈り物

文字数 2,456文字



 それは、4年前(1812年)春のことだった。
 3月、高まるロシアの脅威を前に、フランスは、オーストリアと同盟を結んだ。その少し前に、フランスは、プロイセンとも、同盟を取り付けている。

 5月に入ると、ナポレオンは、ドレスデン(ドイツ。ザクセン王国の首都)に同盟国の国王を集めた。フランス皇帝への忠誠を確かめる為だ。
 フランツ帝も、皇妃マリア・ルドヴィカを連れて、ドレスデンへ向かった。





 この時、レオポルディーネは、下の弟妹たちと、叔父のヨーハン大公と共に、ドレスデンにほど近い、プラハ(この時は、オーストリア領)で待っていた。

 帰ってきた、父の皇帝は、疲れ切っていた。
 そして、義母の皇妃マリア・ルドヴィカは、不機嫌だった。

 マリア・ルドヴィカは、皇帝の3番めの妃だった。レオポルディーネ達には、継母に当たる。義母は、長女マリー・ルイーゼとは年も近く、仲が良かった。
 皇妃マリア・ルドヴィカの実家は、ナポレオンに、イタリアの領土を奪われていた。彼女は、大のナポレオン嫌いだった。もちろん、かわいがっていた義理の娘(マリー・ルイーゼ)(年齢は4歳しか違わなかった)とナポレオンの結婚には、大反対だった。ナポレオンの花嫁候補に、マリー・ルイーゼの名が上がらぬよう、自分の兄との仲を取り持とうとしたくらいだ。

 だが、さしもの皇妃も、強大な権力にはかなわなかった。

 マリー・ルイーゼとナポレオンとの代理結婚がウィーンで行われた折。花嫁の年若い母(皇妃マリア・ルドヴィカ)は、フランスからの全権大使を、しきりと徴発して、憂さを晴らしていたものだ。





 ドレスデンからプラハに帰ってきた皇妃(義理の母)は、しきりと、皇帝()を責めていた。
 レオポルディーネにはよくわからなかったが、父の皇帝は、危ういところで、ナポレオンの口車に乗せられそうになったのだそうだ。

「ロシア戦線で、オーストリア皇帝自らが、指揮を取る? 馬鹿馬鹿しい! いつからオーストリアは、フランスの傀儡国家になったのです!」
皇妃は、怒り狂っていた。

 皇帝は気まずそうな顔をし、もう疲れたからと言って、寝てしまった。




 1週間後。
 馬の蹄や御者の声で、にわかに外が騒がしくなった。
 美々しいフランスの車列が、前庭いっぱいに、到着していた。

 (マリー・ルイーゼ)が、叔父のフェルディナント大公に付き添われて、到着したのだ。彼女は夫から、しばし、家族と過ごす許可を与えられていた。彼女の夫(ナポレオン)の方は、ポーランド、そこから、ロシアへの戦役に旅立っていったのだけれども。

 肉親の間柄ではあったが、オーストリア側の迎え入れは、正式の典礼(プロトコル)に則って行われた。フランス側が、それを望んだからだ。帝王ナポレオンの意志だった。

 またしても、皇妃(義母)はお冠だったが、父のフランツ帝は、むしろ喜んだ。(マリー・ルイーゼ)が、フランス皇妃として大事にされている証だと思ったのだ。


 マリー・ルイーゼは、大量のみやげものを持参してきた。





 皇妃(義理の母)には、ガウンと宝石が渡された。マリア・ルドヴィカは、凍りつきそうな冷たい態度で、じろりと見やったが、結局は、受け取った。
 下の、弟妹たちには、おもちゃやケーキが贈られた。

 レオポルディーネは、白いドレスを贈られ、度肝を抜かれた。なめらかな触り心地の生地は、絹だった。ウエストの位置が、ひどく高い。
「パリの流行なのよ」
(マリー・ルイーゼ)が囁いた。
「ほら。後ろに長い裳裾(トレーン)を引きずっているでしょ?」

 ドレスにはそれによく合う帽子や、宝飾品も添えられていた。

「これ、ナポレオ……お義兄様が?」
「ええ。私は、あなたには、フランスの絵画の方が喜ぶと言ったのよ。でも、(ナポレオン)は、『妹の生活に輝きを添える為に』って。ほら! カードが添えてあるわ」

 レオポルディーネは、頭の良い娘と評判だった。
 彼女への土産物は、その土地の本や絵画、楽譜、それに珍しい貴石(それも原石)など、知識を刺激するものが多かった。身を飾るものが贈られることは、滅多になかった。
 レオポルディーネも、それが当たり前だと思っていた。
 だが……。


「妹の生活に輝きを添えるため……」
 レオポルディーネは、カードを読み上げた。筆圧の強い、堂々とした字体だった。

 侍女の手で、ドレスが、箱から取り出された。
 白いドレスには、繊細なレースがふんだんにあしらってあり、美しかった。ドレスに添えられたネックレスとイアリングは揃いで、赤い瑪瑙がアクセントになっている。

 レオポルディーネは、自分が着ているドレスを見た。実用一点張りのそれは、生地も厚く、また、いかにも野暮ったく見えた。この白のドレスの前では、あらゆる色は、くすんで見える。

 ……このドレスとともに添えられる、輝き。
 15歳のレオポルディーネは思った。
 ……私にも添えられる、輝き……。

 彼女は、自分の容貌に、自信がなかった。あまりにハプスブルク的だと思った。特に、唇が。
 レオポルディーネは、鏡を見ることが大嫌いだった。
 それでも、このドレスを着た自分の姿を見てみたいと思った。首に、赤いネックレスをつけて……。


「あら。白いドレスなんて! そんなの、すぐに薄汚れてしまうわ!」
背後から覗き込んで、皇妃が揶揄した。
「男にものを選ばせたら、ダメなのよ。特に、中年の男には、ね!」
皇妃に決めつけられ、ナポレオンの妻(マリー・ルイーゼ)はむくれた。







 「きれいだったの? そのドレス」
 フランツが尋ねた。
 レオポルディーネの話につられたのか。ドイツ語だった。レオポルディーネは答えた。
「ええ、とても」
「パパが選んだんだね?」
「多分」

 おおかた、妹か、親しい女官にでも頼んだのだろう。だが、少なくとも、「ドレス」を選んだのはナポレオンだ。本や絵画ではなく。

「本当に、すごく素敵なドレスだったわ。なめらかで着心地も良くて。だからね、フランツ」
いたずらっぽい笑みを、レオポルディーネは甥に向けた。
「あなたが、フランスの服ばかり着る気持ちが、私には、よくわかるわ」
幼いフランツの顔に、ぱっと笑みが弾けた。







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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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