第14話 料理部の魔物

文字数 2,898文字

 文化祭当日。
 約束どおり、俺は朝の六時に登校した。
……いないってか、場所までは聞いてなかったな

 誰かと待ち合わせなんて久しぶり過ぎて、肝心なことを忘れていた。

 せめて連絡先でも交換していればよかったものの、迂闊すぎる。

まっ、ぶらついていたら見つかるか

 どうせ、あいつらの周りは騒がしいに決まっている。
 しかし、今日はどこもかしこも賑やかだった。

 早くも喧騒が馴染んでしまい、怒鳴り声すら気にならなくなる。

やっぱ、音楽室か?

 時計を見て、足を進める。

 この時間帯なら、大丈夫なはず。

 仕込みに忙しく、鉢合わせる可能性は低い。

……大丈夫、だよな

 ジジの所為でつい、気になってしまう。

 

 ――文化祭には魔物が棲んでいる。

 

 確かに出くわしたことはあるものの、ここ二年耳にした記憶はない。

少しだけ、覗いてみるか

 どういう風の吹き回しかは自分でもわからない。

 ただ、あいつらの所為なのは間違いないだろう。

偶然に出会うことすら恐れていたのに……。

ったく、なんで今になって

 誰よりも遅く来て、早く帰っていたのも――

 集会などの集まりに参加しなかったのも――

会いたくなかったからなのに……

合わす顔がないと思っていたのに……

 徐々に俺の歩みは遅くなっていた。

 それでも、確実に調理室へと向かっていた。

つか、この臭い……っ!

 そして、既視感に襲われる。

 あの時もこの臭いに導かれて、俺は調理室にやって来た。

 

 けど、今日は少しだけ違う。

 扉の前で、俺は立ち止まってしまった。

(……馬鹿が。行けよ。あの時と違って、わかってんだろ――!)

 中一の時にできていたことが、高一になってできなくなるなんて……。

 俺は成長しないどころか、退化してしまったのだろうか?

 

 あの時は何も考えず、衝動のままこの扉を開けることができたのに――

 誰かの輪の中に割って入ることができたのに――

 

 

(なにが……勇者だ)


 あの時は知らなかったから、勇敢でいられた。

 

 でも、知ってしまった今ではこのていたらくだ。

 

 文化祭に棲む魔物に立ち向かうことすらできず、こうして立ち竦んでいる。

 

 

(あいつらは戦っているのか?)

 下心満載だったようだが、困っている誰かがいたらきっと手を差し伸べるに違いない。

 ただ、楽しそう、面白そうという理由だけであいつらは平気で首を突っ込む。

 

 

(あいつらのほうが勇者らしいよな)

 そんな真似、俺には無理だった。

 誰かの輪の中に割って入るなんて、気づけばできなくなっていた。

(それでも、それでも――!)

 俺は扉を開け放つ。

誰だ! ケーキ焦がしてる奴は!
 そうして、三年前と同じ台詞を口にした。
……秋葉君

 けど、返ってきた呼びかけは違う。

 誰? じゃない。

 瞳にも表情にも、困惑以外を宿している。
 

 なんて、皮肉だ。

 月日は流れ、また一年と三年として出会うなんて。
 

 それも、あの時と似たような状況で。

秋葉君

 沢山の泣きそうな女子たちの中、彼女は気丈に振舞っている。

 料理部の部長。

 年上を感じさせる、凛とした雰囲気で俺の目の前までやってくる。
 

 けど、これ以上のリプレイは必要ない。

状況は?
 過去を振り払うよう、俺は事務的に問いただす。
 思い出と同じように彼女の張り詰めた瞳が緩みかけるも、踏み止まった。

スポンジ生地が十台全滅。

オーブンの不調による焦げが二台に、ふくらみが不充分なのが八台

 成長を誇示するみたいに、冷静に被害を報告。

もしかして、十台分の生地をまとめて?

 俺は惨状を目にして、その一つをつまむ。

 まだ温かいにもかかわらず、硬い。

 シロップでどうこうできる程度を超えている。

……うん

 素人レベルの失敗。

 考えられる原因はどうやら正解だったようだ。

量が増えるとリスクも増える。

材料の温度、状態、混ぜ方、スピード。許されるミスの範囲が一台とは別物になるんだ

 理論はこれくらい。

 この状況で責めても泣かれるだけだ。


 俺も成長しているんだ。

 言ってやりたいことはまだまだあるが、我慢する。

……涼子先輩。

俺に、手伝わせて貰えませんか?

 俺にはもう、誰かの輪の中に割って入る真似はできやしない。

 

 だから、お願いする。

 

 その中に入れて欲しい、と。

 

 

もちろん! 秋葉君が手伝ってくれるなら、私も心強いもん

 たった一言。

 簡単なことだったかもしれないけど、俺の心臓は早鐘のように鳴っていた。

 歓迎されてなお、そう易々と収まりそうにない。

とりあえず、残りの材料――卵と砂糖と粉とバターは?
 それを悟られぬよう、一息で俺は質問した。

えーと……ちょっと待ってね。

粉と砂糖は余裕がある。

けど、バターが二本だから九百で卵が……十個しかない

それを使ったとして、他のお菓子に影響は?

あと仕込むのが……カスタードクリームにムース。

……焼き菓子は終わってる? 

えーとなら……

圧倒的に卵が足りないか

 目に入るシュー生地。卵はアレのクリームで一杯一杯だ。

 余った卵白もムースに回すとなると、ビスキュイ生地に変えたとしてもまかなえはしない。

どうしよう……秋葉君

 涼子先輩が不安げに漏らし、嫌な記憶を触発する。

 それは文化祭じゃなくて、卒業式。


 俺は答えることができなかった。
 
 ――任せます、と投げ捨てた。

 

 最低だ。

 受け入れたくせして……!

ちょっと、待ってください

 俺は携帯を取り出す。

 あの時と違って、彼女はただの先輩じゃなくて大事な先輩だ。
 だから――できる限りのことはやってやる! 

『もしもし、しーくん?』
 お店に電話をかけると、母親が出た。
悪い、母さん。父さんに代われる?
『ん。了解』
 声色から察してくれたのか、理由も訊かずに応えてくれた。
『どうした?』
悪いけど、卵借りられる? 文化祭のケーキでしくった
『卵って何個だ?』
三十は欲しい
『きりが悪いな。一箱持っていけ』
ありがとう! すぐ取りに行くから――
……
とりあえず、五十は確保できた
 俺の答えに、料理部員たちは希望に満ちたように沸いた。

だから、その分の計量は終わらせといて。

それとシナモンスティックとかある?

うん、あるよ

だったらそれでアンフュゼ……あー、牛乳に入れて、一回沸かせといて。

沸いたら火から下ろして、ラップでいいから蓋して香りを閉じ込める

量は?

牛乳だけなら一リットル。もし生クリームが余ってるなら、半分それに置き換えて。

シナモンは二本。あと、カスタードで使った奴でいいからバニラの鞘もぶちこんで、焦げ防止に砂糖を百グラム。

失敗したジェノワーズはデタイエーー型抜きしたいんだけどサイズは……

 俺の意見を聞き入れ、涼子先輩は素早く指示を飛ばす。

 どうやらトラブル防止班は最低限で、継続作業に人数を割いていくようだ。


んじゃ、ちょっと行ってくる

 俺は動き出した教室を見て、走りだす。
 

 全員が本気だった。
 

 それを手伝おうっていうんだ。

 

 俺も本気になるしかない。

 

 じゃないと、彼女たちに対して失礼に当たる。

はっ……

 走っていると、ジジに追いかけられた日を思い出して俺は笑う。

 

 けど、振り返っても誰もいない。

 

 今日は一人きり。


 それでも――

 

(あの時より早く走る!)
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登場人物紹介

主人公、秋葉(あきば)

諸事情により名前は黙秘。作中でさえ語られないものの推理は可能。

ちなみに母親などから「しーくん」と呼ばれている。

両親がパティシエなこともあり、お菓子作りが得意。

高校1年生だが友達はおらず、クラスで孤立している。


芳野アキト。友人たちからは何故だか「閣下」と呼ばれている。

人を食ったような性格で、何を考えているのかわからない。

ピアノの腕前は天才と称されるほどだが、とある事情から距離を置いている。

秋葉と同じ高校1年生で、彼とは別の意味で浮いた存在。

十文字マキナ。友人たちからは「ジジ」の愛称で親しまれている。

見た目はチャラいものの、発言の多くが著作権に触れかねないほどのオタク。

元天才子役だが、とある事情から舞台を去っている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは幼馴染の関係。

猫田。下の名前は誰も知らない。友人たちからは「ねここ」と呼ばれている。

アキトやマキナと共にいるのが不思議なほど、特徴のない少年。それを自覚してか、語尾で頑張ってキャラ付けをしている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは同じクラス。

四宮初菜(しのみやはつな)、小学1年生。

秋葉の母親の後輩である、和佳子の娘。

年齢に見合わない仕草や影があり、見る人が見れば歪な少女。

江本祥子、小学6年生。初菜にとって、おねーさん的存在。

アキトたちと面識がある様子だが、その関係性は不明。

年齢の割に大人びていて、手が大きい。

四宮和佳子。初菜の母親で年齢は内緒。

秋葉父の教え子であり、秋葉母の後輩。現在は秋葉両親が営むカフェの従業員。

曰く、元キャリアウーマンらしい。旦那とは離婚している。

秋葉の母。女性の菓子職人パティシエール。

夫とは年が離れているからか、年齢の割に少女の面影を強く残している。

秋葉の父。元教師、元彫刻家。現在はパティシエ。

妻との出会いは学校の教師と生徒だが、関係を持ったのは卒業後。

涼子先輩。料理部の部長で高校3年生。

中高一貫なので、中学時代から秋葉のことを知っている。

だが、高校生になってからは一度も会っていない。


 秋葉のクラスの委員長。

 孤立している秋葉を気にかけている。

保険医。サボり癖のある秋葉とアキトが一番お世話になっている先生。

なのに、2人からは名前すら憶えて貰っていない


増田先生。

数学を教えている高校教師で、生徒からは嫌われている。

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