慣性の法則-3

文字数 3,081文字

「ええー、そんじゃいくちゃん、絵のモデルさんやってんのかあ」
 真志穂(ましほ)はカラカラと豪快に笑った。
「笑いごとじゃないよ。もう、大変なんだから」
 郁也は唇を尖らせて、ただ座ってるだけが結構疲れること、時間を取られて自分の部活に差し障ることなどを真志穂に語った。真剣に参加している部活動ではなかったが、こうしたときに不平を述べるには便利な口実だ。真志穂は郁也の話を、時折笑いの合いの手を入れながら聞いた。
「それにさーあ」
 郁也は言い淀んだ。
「何」
「それがねえ」
「うん、何だよ」
 郁也は言おうか止めようか迷っていたが、結局言うことにした。 
「何でボクが、って思ってたんだけど」
 郁也は、数日前水上から聞いたことを真志穂に話した。  
 真志穂には大ウケだった。彼女は床をバンバン叩きながら、しばらくひとりで笑い転げていた。
 郁也は渋い顔で冷めかけた紅茶を口にした。 
「もう。どうして女のひとはこういう話好きなのかなあ」
「いや、そりゃだって」
 真志穂は、自分は女だからどうやったって男子校には入れないんだし、と理由になってるんだかなってないんだか、ちょっと郁也には分かりかねることを言った。
「でも、三年のどのひと、ってのが分かった訳じゃないし、どうせただの噂話だから。期待させて悪いけど」

 真志穂は、郁也の二歳年上の従姉である。高校進学を機に親(もと)を離れ、この街で姉の真梨絵と暮らしている。といっても、社会人の真梨絵は最近出来た彼氏の部屋に入り浸りで、ほとんどひとりの気儘な生活である。
 真志穂は郁也と逆のパターンで、女の子同士の諍いで心が疲れてしまい、引きこもりに近い状態で今春高校を卒業した。どうやら回復しつつある現在は、来春から、心機一転好きな分野の専門学校へ進もうと計画中だ。

 郁也の父方の従姉である真志穂は、母親似の郁也と違ってお世辞にも容姿に恵まれているとは言い難いが、持ち前のセンスの良さで郁也のよきアドバイザーとして協力してくれている。メイクやファッションに才能のあるこの従姉は、郁也を自分の着せ替え人形だと思っている節があり、郁也が遊びに行くたびに、やれモード系だのコンサバだのと、女物の服とメイクで郁也を好きに飾り立てる。郁也もそんな時間が大好きだ。 
 部屋に閉じ籠って家族以外の誰とも口を利かない日が多かった真志穂を気づかって、真志穂の両親は郁也がたびたび真志穂を訪ねるのを喜んでいる。彼らは二人が部屋で何をして遊んでいるか知らない。
「はい、出来上がり!。今日はね、ちょっとロリータっぽくまとめてみたんだけど、どうかな?」
 郁也の長くはない髪にリボンを飾り終え、真志穂は郁也を姿見の前に押し出した。
「あ……」
 鏡に映った自分ではない自分に、郁也は吸い寄せられた。言葉にならない。
「まほちゃん……」
「うーむ。やっぱりいくちゃんは、ギャルっぽいキツイ感じより、ふわっとカワイイ感じの方が似合うね。性格かな」
真志穂の言うとおり、ピンクと白のチェック地に細い黒のリボンベルトのワンピースを着けた郁也は、どこから見ても清楚なお嬢さんだった。衣装に合わせたピンク色っぽい薄化粧もステキ。唇がぷるっと光って、郁也はどきどきした。 
 右から見たり、左から振り返ったりして、鏡に映る女のコを飽きずに眺める郁也。自分の作品がこんなに気に入ってもらえて、真志穂も大満足だった。真志穂は道具をざっと片づけ、冷めた紅茶を飲み干した。
「……いくちゃん、いっそ、ほんとに女のコになっちゃえば」

 真志穂は、二つ年下のこの従弟が不憫だった。自分と比べてこんなに器量よしで「女のコ」の要素を申し分なく持っている繊細な郁也が、男性の身体を持って生まれてきたことは、何か悪質なジョークのような気がして、憤りすら覚える。
 郁也はその言葉に動きを止め、真志穂の前にすとんと腰を下ろした。 
「それって、あれでしょ。病院行ったり、戸籍変えたりっていう」
 真志穂は紅茶を淹れ直して、郁也に手渡した。温かいカップを大事そうに両手で持って、郁也は首を捻った。
「それはちょっと……」 
 真志穂は、気に障ったらごめんと、真剣な面持ちで言った。
「あのねいくちゃん、知ってると思うけど、今十六歳のいくちゃんは、身体つきも華奢でお肌もすべすべだよ。でもね、あと何年かしたら、身体はどんどん大人になって、そりゃそんなにゴツいマッチョ体形にはならないだろうけど、今ほどそういう格好、似合わなくなっちゃうかも知れないよ。もし身体を変えるなら、男性型で固定しちゃう前に手を打っておいた方が……」

 そうしたことを、郁也も知識として知らない訳ではなかった。従弟のことを、心から案じる真志穂の気持ちが、郁也はくすぐったく嬉しかった。
「ありがとう、まほちゃん」
 郁也は紅茶のカップを皿に戻した。
「もしボクの中に男のコの部分が全然なくて、もう、百パーセント、女のコばっかりだったら、きっとそうしようと決めちゃうと思う。でも」
 郁也は、座ったときに捲れてしまったワンピースの裾をいじりながら、考え考え言葉を継いだ。
「正直、六‐四、いいとこ七‐三くらいで、両方の気持ちがあるんだよね。いきなり女のコばっかりの中へ入っていくのも恐いし」
 真志穂の表情が硬くなった。まだ傷は塞がらないのか、それに気づいて郁也は分かってると言う代わりに頷いた。
「こういう可愛い女のコの格好すると、嬉しいし、まほちゃんの腕のお蔭だけど、似合ってると思う。でも、『これで毎日生活したい!』っていうのでもないんだ。紳士物のテーラージャケットは嫌じゃないけど、学ランは勘弁っていうか……」
 郁也はマスカラで更に長くなった睫毛を意識しながら、数回瞬きした。
「ときたま、学校が嫌で嫌でたまらなくなるんだけど、それは多分、あの学ラン着て男子校に入っていくことで、自分が否応なく男子の枠にきっちり固定されて、そこに合わない自分、はみ出す自分が、許されない、あってはならないものだ、って気にさせられるから、それが凄く息苦しいからじゃないかと思うんだ」

 郁也にとって、こんな打ち明け話が出来るのは、従姉の真志穂をおいてない。この従姉がこうして側にいてくれなかったら、もうとっくに、どうにかなってるに違いないと郁也は思う。
「それと……」
 郁也は睫毛を伏せた。
「これはちょっと、言ってもいいのかな。例えばね。おちんちんついてるの見るとがっかりするけど、おしっこするときは便利♪ っていうか……」
 真志穂は噴き出した。
「いくちゃん、それ面白過ぎるよぉ!」
「だってえ。そんな感じなんだもん」 
 郁也は我ながら、上手いこと言ったと思った。この微妙な感じ。嫌は嫌だけど、そこまで嫌じゃない。
「きっとさ、もっと自分が好きか、嫌いか、どっちかにはっきりしてたら、決められるのかな、と思うんだよね」
「そっかー。いくちゃん、もっとナルシストだったらよかったんだな」
「女のコの格好した自分を鏡で見て悦に入ってるんだから、そこそこ素質あるのにね。まだ足りないんだ」
 二人は顔を見合わせて笑った。
 人間関係に挫折した真志穂、小学校でいじめに遭った郁也。
「それ言ったらさあ、あたしも多分六‐四くらいだね。一応、女の方が六で」
「ふーん。そうなんだあ」
「多分。大体」
 まほちゃんって、ボクのことこんなに綺麗にしてくれるのに、そういえばどうして自分はいつも髪もバサバサで、Tシャツにジーンズとかなんだろう。
 郁也は、何となく、そこに従姉の屈折を嗅いだ気がした。 
 みんな、いろいろあるのかな?
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