Rescue

エピソード文字数 3,382文字

【Rescue】

 メーゼが旅を始めて、あまり歳月が経っていなかったころの話である。

 彼女は放浪中であり、特に目的がなかった。
 ただ、気の向くままに、行きたいところへ赴いていた。

 知り合いに再会できるとは思えなかったし、何かに期待を寄せることもなかった。
 彼女は悲観的であり、どんなに努力しても、きっと良いことは起こらないだろうという予感があった。
 仮にあったとしても、それは偶然の産物。
 (すが)るものは何も無かった。

 そんなある時、彼女はとあるホテルに泊まった。
 古い建物であったが、暖房やシャワーも完備されていて、とても居心地の良いところであった。

 しかし翌朝、彼女はけたたましいベルに起こされることになった。
 廊下では従業員が大声で呼び掛けている。

 どうやら、建物のどこかで火事が起こったらしい。
 メーゼは三階の部屋に泊まっていたため、外に出るのは簡単だった。

 非常階段で下り、表に出た。
 建物の周囲には野次馬が集まってきていた。彼らは頭上を見上げている。

 彼らにならって、メーゼも顔を上げた。
 高い場所、十五階かそこらのフロアから、激しい火焔が出ていた。
 ホテルは二十階建てであり、どうやら、火が出ている階より上の宿泊客で、まだ避難できていない者がそれなりにいるらしかった。

 消防車も到着していた。
 水圧の高いホースで水を散布している。しかし、火はいっこうに弱まる気配がない。
 消火活動をおこなっている方々とは別に、救出に向かった隊員たちもいたようだが、やはり、十五階より上には行けないようだった。
 どうやら、階段が焼け落ちてしまっているらしい。

 メーゼは建物の中に入った。

 それは一つの義務感であった。
 何かを救える力を持ちながら、それを活用せず、ただ傍観しているだけの無関心さを、彼女は持つことができないのだ。

 階段を上がっていき、魔法で体を防御してから、炎上しているフロアまで移動した。

 冷却魔法で、燃えない道をつくる。
 それから耐熱性の縄梯子(なわばしご)を、上の階から下の階まで降ろした。

 これで階段を使わずとも、安全に避難ができる。

 メーゼは一つ一つの部屋を回り、残された人々に呼び掛けていった。
 彼らは順路に従って、どんどん移動していった。

 そんな中、とある一室に、逃げ遅れていた子供がいた。
 まだ五歳かそこらの女の子であった。

 傍らには母親らしき女性が倒れている。メーゼは彼女を確かめた。呼吸が止まってから、しばらく経ってしまったようだ。もう手遅れであることがメーゼにも分かった。

 その場を離れようとしない少女の手を引いて、下へと降りていった。

 亡くなった一部の方を除き、彼女は全員の避難を達成させたのである。

 ☆

 家族を失った者はそれなりにいた。
 ただ、子供だけ遺されてしまった……孤児になってしまったのは、例の少女、ジェニファーだけだった。

 保安局は孤児院に預けようとしたのだが、そこの定員は満杯であり、受け入れ体制が整っていなかった。順番待ちであり、すぐには入れない。もしも彼女の入居を認めてしまえば、不平等になってしまうからだ。

 彼女は保安局にある収容ルームに入れられることになった。
 そこは独房のような部屋であり、食事はきちんと得られるものの、自由は制限されていて、まともな教育は受けられない。
 里親が見つかるまで、そこで暮らすことになった。

「どのくらいで見つかりそうですか?」メーゼは職員に訊いた。
「わかりません。最近は引き取り手も少ないようですし、長い期間掛かるかもしれません。それに、里親になろうとする方は、孤児院のほうにおもむく可能性が高く、ここを訪問する可能性は少ないです。もちろん、我々も呼び掛けていくつもりですが」

 メーゼには時間があったし、多額の資金を保持していた。
 いろいろ考えた末、彼女はその少女を引き取ることに決めた。

 ☆

 家を借り、そこで養子を育てることにした。

 子供をどう育てるかについては、一応の知識があったし、仕事をしに出かける必要もなかったため、ずっと家で見守ることができた。

 自信があるわけではなかったが、不安も特になかった。

 図書館で借りてきた本を読みながら、ジェニファーの世話をした。
 衣食住に満ち足りた環境を、彼女に提供した。

 数年後には学校へと通い始め、勉強に取り組むようになっていった。

 メーゼと少女とのあいだに、ある程度の距離はあった。
 少女は、自分の置かれた状況を理解しているようだったし、誰に対しても心を閉ざしていた。

 初めのうちは、ほとんど言葉も交わさなかった。少女がメーゼに甘えてくることはなかった。自分で出来ることは、なるべく自分でおこなおうとしているようだった。

 だが、その距離は、ずっと平行線だったわけではない。
 食事を作ったり、看病したり……日常における、ひとつひとつのメーゼの行動が、少女の氷を溶かしていったのである。

 数年後、少女は普通に会話するようになり、元気も取り戻し始めた。
 引き篭もりがちだったのが、散歩もするようになった。

 ただ少女は、自分の実の母親について、メーゼに尋ねることは一切なかった。その記憶は、触れないほうが良いものとして、彼女の中で分類されているようであった。

 ☆

 引き取ってから十五年ほどが経過する。
 彼女は就職し、メーゼのもとを離れて暮らし始めた。
 業務内容は、技術の必要な難しいものであったが、彼女は必死に勉強し、専門の資格を取得したのである。

 その後の数年間は、彼女にとって最も充実した日々だったかもしれない。
 仕事はうまくいっていたようであり、天職と呼べるほど適していたらしい。

 しかし二十代後半で、彼女は退職することになった。
 検診で、癌が見つかったのである。

 ☆

 手術をし、悪性の腫瘍(しゅよう)ができている箇所は切除された。

 だが、数か月後に再発が確認される。
 全身に転移しており、手術することはできない。

 抗癌剤の量は増えていくことになった。

 闘病生活は苛酷であった。
 抜け落ちる髪、荒れゆく肌、頭痛と恐怖の日々、痙攣(けいれん)、味覚障害、幻聴……。
 食事をするたび吐くようになってしまう。胃が食事を受け付けないらしい。

 点滴に切り替え、寝ては起きるだけの生活が始まる。

 いつが昼でいつが夜なのかも、だんだん分からなくなっていった。

 個室。
 脇には白いテーブルがある。
 瓶に差してある花は、いつの間にか変わっていた。

 この前は赤だった気がする……でも、今は黄色だ。

 鏡を見る勇気はなかった。
 自分の体は、皮と骨だけになって、変わり果ててしまっているのだろう……。

 窓の近くで揺れる木陰を、彼女は見つめていた。

 ☆

 容態は悪化していった。
 一日の大半をずっと眠っていた。

 意識が戻るのは時々……。医者ももう、余命がわずかしかないことを、分かっているようだ。

 あらゆる感覚が失われつつある。

 そんな中、彼女はとある存在に気がついた。
 それは枕元で、こちらを見ていた。
 金色の髪、月のように……黄色い瞳をした少女……悲しげな顔をしている……。

 誰だろう……。

 彼女は記憶が混濁していて、メーゼと共に過ごした日々を、思い出せないのであった。

 ジェニファーは、(かたわ)らの少女へ手を伸ばした。悲しげだったので、慰めてあげようと思ったのだ。
 その、痩せ細った手を包み込むように、少女は優しく握り返した。

 微かなぬくもりが、手のひらに広がる。
 穏やかな気持ちで充たされていく。
 痛みや苦しみが、溶けていくようだった。

 目を(つむ)る。
 まるでゆりかごの中にいるみたいだ。

 気持ち良く眠れそうだと、彼女は思った。

 ☆

 草原に白い墓が並んでいる。
 メーゼはその一つに近寄ると、花を添えた。

 顔を上げ、しばらく空を眺めたあと、その場を去る。

 遠くのほうで、教会の鐘が鳴っていた。
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