トリメタ編(1)
エピソード文字数 2,353文字
トリメタ……
「知ってるでしょ?」
ナギはまだ16歳。世の中のことはまだよくわからない。それでも、リンが言う通り、トリメタのことは知っていた。
トリメタ。
それは、昨年カラミティストームに襲われて大規模な被害を受けた国。被害はそれだけにとどまらず、国のエネルギーを作り出すコア・ステーションが竜巻にやられたために有害なコアインシストが発生し、汚染によって壊滅してしまった。それ以来、誰も、トリメタに行かなくなった。
リンはこれから、その国に行くという。ナギの知らない何かを知るために。
そう言えば、グラディを保護した人達は、まるでトリメタのコアインシスト汚染を想起させるような、白いガード服を着ていた。
ウルブスも、トリメタと同じく、コアインシストに汚染されてしまったのだろうか。グラディの変調は、そのせいだったのだろうか。
トリメタに、一体何があるというのだろう?
「日が暮れないうちに出発するわよ。乗って」
乗ってと言われて驚いた。いつの間にか、目の前にレトロな感じの黒い車が停まっている。運転席に座っているのは、ピンセルだ。
リンと行動を共にするピンセル。彼は喋らない。沈黙のドライバー。
「乗らないならいいわよ。紐で縛って引っ張ってってあげる。着いた頃にはボロボロね」
リンがまた悪魔のように笑って脅すので、ナギは慌てて飛び込んだ。
「ピン、行き先はトリメタ。南部に行って。北部にはすぐには入れないと思うから」
「……」
エンジンの音もなく、静かに揺れて車が走り出す。ナギは身を縮めて、不安に染まる瞳に窓の外の景色を映した。
不思議だった。森の中を車は進んで行く。だが森に車道などない。それでも車はスムーズに直進する。ナギが後ろを見ると、そこは車など通れない木々の林立だ。木が車を避けてる?
「ぶつからないわよ。空間の隙間を走ってるから」
リンがナギの疑問に答えた。でもそれでナギが納得できるはずがない。空間の隙間? ナギは不思議な車に乗り込んでしまったことを、今さらながら不安に思った。
ナギ達を乗せた車は、森を抜けて川の上や小さな町さえ抜けて行った。車は右にも左にも曲がらず、まっすぐ走って行く。車の前方に障害物はないが、通り過ぎた後にはやはり道などなかった。
リンは窓の外を見ている。一体この少女は何者なんだろう? まるでわからない。いや、わかっていることが何もない。
ナギの肩の上には、メルカートおじさんの形見になってしまったインコが、顔を自分の羽に埋めて眠っている。ナギは考えようとするのをやめた。本当は今すぐ泣き出したかった。魂さえ吐き出してしまうほど、泣きわめきたかった。
太陽は地平線に隠れてしまったらしく、空はすっかり夕暮れのカーテンに覆われている。見たことのない景色ばかり、窓の外を流れていく。
一番星が明るく見える頃、車はトリメタの入り口に着いた。
岩人形のような門番が、錠前をジャラジャラ言わせながら近づいて来る。
「旅のお方ですか? パスポートをお願いします」
「そんなものないわ」
「それでは、今から入国審査を行いますので、手続きをお願いします」
「めんどくさいわね。急いでるんだけど」
「すぐ終わります。だいたい三時間程度で」
「三時間がすぐ? バッカじゃないの!?」
「あ、あの、パスポート、あります!」
リンがさらに門番に罵声を浴びせそうなので、ナギは慌ててパスポートを門番に差し出した。ランスからもらったフリーパスポートだ。門番はすぐに温和な表情になり、
「ようこそ、旅人さん。どうぞお入りください」
門番の声に応えて大きな門が開いた。
入国してすぐに、ナギ達は門番に勧められたホテルに入った。二名と言ったリンに、ピンセルはどうするのかとナギは尋ねたが、ピンはいつも別行動よとリンはそっけなく答えた。
「二名様で、2000ペスになります」
リンが何か言おうとする前に、ナギが私が出しますと言って支払いを済ませた。
「この国をあちこち見てみたいの。ガイドさんをしてくれそうな人はいないかしら?」
リンが尋ねる。フロントマンは、はてと首を傾げたが、
「それでしたら、私の娘に案内させましょう」
ロビーのソファーに腰掛けて新聞を読んでいた紳士が、そう言って近づいて来た。
「私はこのホテルのオーナーをしております。ようこそ我が国へ。あのカラミティストーム以来、観光のお客様はすっかり減ってしまって、私どものような商売は虫の息になっていたところです。わざわざ訪ねてくださるなんて、本当にありがたいことです」
オーナーは満面ニコニコして握手を求めて来たが、リンは腕組みを解かない。ナギが仕方なくされるがままに握手をした。
「明朝、娘のメアリィをこのロビーで待たせておきましょう。今日はどうぞ、ごゆっくりお休みください」
オーナーは笑顔を絶やさずそう言って、ソファーに戻って行った。
部屋は掃除が行き届いていて、暖かい色調の風景画が飾られていた。靴を脱いで白いベッドに横たわると、足が痺れるように痛んだ。
頭の中を覗けば、そこには恐怖と不安しかない。生きていることさえ奇跡に思える。何が起こり、何が起ころうとしているのだろう。今はあのリンという少女に運命を預けるしかないのだろうか。
「よーこそ、よーこそ」
ナギの人差し指にちょこんととまったインコ。今はこのインコだけが、ナギを癒してくれる。
「お前に名前をつけてあげなきゃね」
「よーこそ、よーこそ」
インコは首を振って同じ言葉を繰り返す。
ナギは、やっと、少しだけ笑うことができた。
「知ってるでしょ?」
ナギはまだ16歳。世の中のことはまだよくわからない。それでも、リンが言う通り、トリメタのことは知っていた。
トリメタ。
それは、昨年カラミティストームに襲われて大規模な被害を受けた国。被害はそれだけにとどまらず、国のエネルギーを作り出すコア・ステーションが竜巻にやられたために有害なコアインシストが発生し、汚染によって壊滅してしまった。それ以来、誰も、トリメタに行かなくなった。
リンはこれから、その国に行くという。ナギの知らない何かを知るために。
そう言えば、グラディを保護した人達は、まるでトリメタのコアインシスト汚染を想起させるような、白いガード服を着ていた。
ウルブスも、トリメタと同じく、コアインシストに汚染されてしまったのだろうか。グラディの変調は、そのせいだったのだろうか。
トリメタに、一体何があるというのだろう?
「日が暮れないうちに出発するわよ。乗って」
乗ってと言われて驚いた。いつの間にか、目の前にレトロな感じの黒い車が停まっている。運転席に座っているのは、ピンセルだ。
リンと行動を共にするピンセル。彼は喋らない。沈黙のドライバー。
「乗らないならいいわよ。紐で縛って引っ張ってってあげる。着いた頃にはボロボロね」
リンがまた悪魔のように笑って脅すので、ナギは慌てて飛び込んだ。
「ピン、行き先はトリメタ。南部に行って。北部にはすぐには入れないと思うから」
「……」
エンジンの音もなく、静かに揺れて車が走り出す。ナギは身を縮めて、不安に染まる瞳に窓の外の景色を映した。
不思議だった。森の中を車は進んで行く。だが森に車道などない。それでも車はスムーズに直進する。ナギが後ろを見ると、そこは車など通れない木々の林立だ。木が車を避けてる?
「ぶつからないわよ。空間の隙間を走ってるから」
リンがナギの疑問に答えた。でもそれでナギが納得できるはずがない。空間の隙間? ナギは不思議な車に乗り込んでしまったことを、今さらながら不安に思った。
ナギ達を乗せた車は、森を抜けて川の上や小さな町さえ抜けて行った。車は右にも左にも曲がらず、まっすぐ走って行く。車の前方に障害物はないが、通り過ぎた後にはやはり道などなかった。
リンは窓の外を見ている。一体この少女は何者なんだろう? まるでわからない。いや、わかっていることが何もない。
ナギの肩の上には、メルカートおじさんの形見になってしまったインコが、顔を自分の羽に埋めて眠っている。ナギは考えようとするのをやめた。本当は今すぐ泣き出したかった。魂さえ吐き出してしまうほど、泣きわめきたかった。
太陽は地平線に隠れてしまったらしく、空はすっかり夕暮れのカーテンに覆われている。見たことのない景色ばかり、窓の外を流れていく。
一番星が明るく見える頃、車はトリメタの入り口に着いた。
岩人形のような門番が、錠前をジャラジャラ言わせながら近づいて来る。
「旅のお方ですか? パスポートをお願いします」
「そんなものないわ」
「それでは、今から入国審査を行いますので、手続きをお願いします」
「めんどくさいわね。急いでるんだけど」
「すぐ終わります。だいたい三時間程度で」
「三時間がすぐ? バッカじゃないの!?」
「あ、あの、パスポート、あります!」
リンがさらに門番に罵声を浴びせそうなので、ナギは慌ててパスポートを門番に差し出した。ランスからもらったフリーパスポートだ。門番はすぐに温和な表情になり、
「ようこそ、旅人さん。どうぞお入りください」
門番の声に応えて大きな門が開いた。
入国してすぐに、ナギ達は門番に勧められたホテルに入った。二名と言ったリンに、ピンセルはどうするのかとナギは尋ねたが、ピンはいつも別行動よとリンはそっけなく答えた。
「二名様で、2000ペスになります」
リンが何か言おうとする前に、ナギが私が出しますと言って支払いを済ませた。
「この国をあちこち見てみたいの。ガイドさんをしてくれそうな人はいないかしら?」
リンが尋ねる。フロントマンは、はてと首を傾げたが、
「それでしたら、私の娘に案内させましょう」
ロビーのソファーに腰掛けて新聞を読んでいた紳士が、そう言って近づいて来た。
「私はこのホテルのオーナーをしております。ようこそ我が国へ。あのカラミティストーム以来、観光のお客様はすっかり減ってしまって、私どものような商売は虫の息になっていたところです。わざわざ訪ねてくださるなんて、本当にありがたいことです」
オーナーは満面ニコニコして握手を求めて来たが、リンは腕組みを解かない。ナギが仕方なくされるがままに握手をした。
「明朝、娘のメアリィをこのロビーで待たせておきましょう。今日はどうぞ、ごゆっくりお休みください」
オーナーは笑顔を絶やさずそう言って、ソファーに戻って行った。
部屋は掃除が行き届いていて、暖かい色調の風景画が飾られていた。靴を脱いで白いベッドに横たわると、足が痺れるように痛んだ。
頭の中を覗けば、そこには恐怖と不安しかない。生きていることさえ奇跡に思える。何が起こり、何が起ころうとしているのだろう。今はあのリンという少女に運命を預けるしかないのだろうか。
「よーこそ、よーこそ」
ナギの人差し指にちょこんととまったインコ。今はこのインコだけが、ナギを癒してくれる。
「お前に名前をつけてあげなきゃね」
「よーこそ、よーこそ」
インコは首を振って同じ言葉を繰り返す。
ナギは、やっと、少しだけ笑うことができた。