証言者 012 ≪ 淋しい女

文字数 2,239文字

 



■ 練馬春陽高等学校2年3組の生徒
  木下(きのした) 幹恵(みきえ) ── Said




 教卓の天板に貼られてある見取り図を、

(例えば、小鳥遊(たかなし)

 木下幹恵は、直立不動でぼうと眺めている。

 席の見取り図である。

(小鳥が遊ぶ──)

 横に6列、縦に7列の、計42席が、現実よりも遥かに整然と描かれてある。

(──と書いて)

 白地の紙に黒い線で升目が引かれ、それぞれの升の内側には黒い文字で銘々の苗字が記されてある。これほどまでに整然としているので、もしや裏方として定規も用いられただろうか。下書きとしてシャープペンシルと消しゴムも用いられただろうか。この升線はマッキーのものだろうか。いや、すべてがパソコンによるものだろうか。

(タカナシ)

 ──などと、使用アイテムの有無についてを考えているゆとりは、今の木下にはない。

(小鳥遊──と書いて、タカナシ)

 罰ゲームを喰らったかのような粉塗れの黒板消しを片手に、右から数えて1列目、下から数えて7列目の席をぼうと眺めつづけるばかり。そこには「小鳥遊」と記されてある。

(小鳥は)

 ちなみに「木下」は「小鳥遊」のすぐ下にある。

(鷹の)

「小鳥遊」と「月見里(やまなし)」に挟まれている。

(捕食対象)

 オセロでいえば負けが込んでいる状態である。

(そんな小鳥が遊んでいられるということは)

 ちなみに「月見里」と書いて「ヤマナシ」と読む。

(鷹がいない証拠)

 山がないからお月見ができるのである。

(だから)

 お月見の容易な里である──という意味である。

(鷹なし)

 情緒というヤツである。

(小鳥が遊ぶ──と書いて、タカナシ)

 担任の鯉沼愛子(こいぬまあいこ)も大変である。

(私は、木下)

 なにせ、タカナシにヤマナシと、とてもややこしいクラスなのである。

(木の下と書いて、キノシタ)

木梨(きなし)」に「仁科(にしな)」までいる。

(私は、木下)

 そこに「木下」が加われば、もうなにがなんやら。

(小鳥遊で、タカナシ)

 席の見取り図は必需品なのである。

(木下で、キノシタ)

 それはそうと、そろそろ右手の黒板消しが重たい。

(この違いは、なんだろう?)

 早く赦されたいところである。

(思わず優劣を感じてしまうのは)

 黒板消しの使用をそろそろ赦されたいところなのである。

(私の、値打ちのない(ひが)みだろうか)

 しかし、どうやら赦されてはいない。

(なにか別件で僻む要素があって)

 まだ赦されていないようである。

(苗字に転嫁しているだけだろうか)

 

が、まだ黒板の文字を熱心に写しているのである。

(僻みを)

 猛禽のような目で、

(苗字に転嫁して)

 獲物を狙うような眼光で、

(逃げているだけなんだろうか)

 月に1日の頻度で、

(卑しい女)

 つまり今日がその日で、

(私は、卑しい女)

 わずか月1でなにが学ばれるのかは知らないが、

(だから、友達も少ない)

 少女は黙々と写経に没入し、

(いないわけじゃ、ないけど)

 決して木下を赦さない。

(でも、少ない)

 日直当番の木下を、

(淋しい)

 無言のプレッシャーで、

(淋しい……んだ、きっと)

 赦そうとしないのである。

(この人は、どうだろう?)

 右から数えて6列目、

(この人には)

 下から数えて1列目の、

(友達)

 昼休みになったとたん、

(いるんだろうか)

 教壇に立つ先生から承諾を得ることもなく、

(心を許しあえるような)

 驚天動地のフットワークで、

(小鳥になって、(さえず)りあえるような)

 購買へと走り去ってしまう、

(そんな友達が)

 この食欲旺盛な少女は、

(いるんだろうか)

 日直の木下をまだまだ赦さない。

(私と)

 木下は、少女を、

(友達に)

 彼女の苗字を、

(なってくれるだろうか)

 ぼうとは眺められないでいる。

(高望みだろうか)

 少女が遊ぶ──と書いて

(無謀な望みなんだろうか)

 悪い男()、つまり、

(私だって、名前で呼びたい)

 タカナシと読む、

(少女遊さん──から)

「小鳥遊」ではないほうの「タカナシ」を、

(卒業、したい)

 直視できないままなのである。

詩帆(しほ)さんって)

 畏怖か、

(詩帆さんって)

 憧憬か、

(呼びたい)

 それは、木下にもわからない。

(呼んでも)

 ただ、

(いいですか?)

 とても気になる人である。

(呼んでも、いいですか?)

 それだけは確かなのである。

(詩)

 だって、

(帆)

 だって、この少女は、

(さ)

「幹恵」

「は、はい」

「申し訳ないことなのだが」

「はい?」

「もう少し右に寄ってほしい」

「右?」

「幹恵から見て左なのだが」

「ひだ、え……?」

「そこ、文字が見えなくてですね」

「あ。ご、ごめんなさい!」

「いや、幹恵、(かたじけな)い」

「かた……ど、どういたしまして」

「ところで、幹恵」

「はい?」

少女遊詩帆(たかなししほ)って、呼びにくいよね」

「呼?」

「タカナシシホ──どちらかのシに根気が要るよね」

「こん、き」

「幹恵」

「は、はい」

「タカナシか、シホか」

「は?」

「幹恵の好きに呼んでいいから」

「好き、に」

「幹恵の呼びやすいほうで」

「はぁ」

「幹恵の気安いほうで」

「え、じゃ、じゃあ」

 だって、この少女は、

「じゃあ、あの、し……少女遊さん……のほうで」

 木下のことを「幹恵」と呼び捨てにするのである。

「幹恵」

「……はい」

 まだ、

「まことに心苦しいことなのだが」

「はい?」

 目も合わせられない仲なのに──である。

僭越(せんえつ)ながら」

「せん、え……?」

 木下は、もしや小鳥の囀る幹にはなれるのかも知れないが、

「やはり左に寄っていただけないものだろうか!」

「は、はい……」

「忝い!」

 しかし、この少女は

なのである。




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