第89話 片鱗 ~ 絡み合う悪意 ~ Aパート

文字数 6,896文字


 午後の授業を受けるために教室に戻って来た時にはもう筋肉痛は引きつつあった。
 ただ邪魔をして壊したはずの私と優希君が仲良く出て行ったのが気に入らなかったのか、咲夜さんグループがこっちに敵意を向けてくる。
 今は私の方に向ける敵意で見過ごしてしまいそうだけれど、咲夜さんの事を思うと、蒼ちゃんと実祝さんが欠席している事にも一枚噛んでいる気がする。
「おい岡本。放課後落とし前をつけさせてくれるんだろうな」
 私が咲夜さんグループからの敵意に正面から見合っていると、もう一つの例のグループが私に確認に来る。
「何勘違いしてんのか知らないけれど、私、あんたらの話を信じたつもりは全くないよ」
 朝の時点で既に全てを信じる事は無かったけれど、さっきの彩風さんとの話で色々食い違いがある事まで分かっているのだから、そんなのはちゃんと調べてからでないと、これ以上の話に耳を傾ける必要性は感じない。
「ハァ? 統括会が生徒を疑うってか? 後朝のあのか弱い女の子アピールはどうしたんだよ」
「あんたらの言う通り本当に暴力があったのなら、統括会としてちゃんと動くから。そのボコられたって言う生徒の名前教えてくれる?」
 私は例の女子グループの方に歩を進める。喧嘩を売ってくるならこっちだって売られた喧嘩は買う。
 ただし私なりのやり方で買う事にはなるけれど。
「それに暴力って言うんなら、落とし前をつけるって言うんなら……蒼依の前腕につけたアザの事、黙ってないよ」
 私が本気になった事が伝わったのか、いや私を本気にしてしまったことが伝わったのかさっきまでの威勢はどこへやら。急に黙り込む女子グループ。
「後、私をさっき蹴ったそこのあんた。言い逃れさせないから」
 だから追い打ちをかけてあげる。そしていつ露見するかもしれない恐怖をずっと持ち続けるが良いよ。
 ただもう間もなく昼休みは終わりで、心残りがあるとすれば、肝心の被害者生徒の名前を聞き出せなかったことくらいか。
 先にビビらせずに名前を聞いてからにしておけば良かったかもしれない。
「オマエ。後輩のオトコに手を出すとか、どんだけゲスイんだよ」
 ただそれで黙っている程大人しくはない女子グループの一人が私を挑発するだけして、自分の席へ戻って行く。
 そして蒼ちゃんも実祝さんもいない中、咲夜さんの視線だけを時折感じながら、午後の授業が始まる。


 そしてギスギスした中で終わった午後の授業、いやきょう一日。終礼での連絡事項があるのか、教科担当の先生と入れ替わりに、担任の巻本先生が教室に入って来て、
「悪いがそのまま席についててくれ。お前らももう知っていると思うが、先週の金曜日に暴力騒動があったらしい。らしいと言うのはいまだに加害生徒も被害生徒も見つかっていないからだ。ただこの噂が全学年で広がっている以上単なる噂なのか、本当に何かがあったのか、学校側としても判断しかねている。だから今回は注意だけだ。もし、万が一この中に根も葉もない噂を流している者がいたら、今すぐやめろ。万一この噂が初学期中に消えなければ、中学期の頭から学校側が動くからな。ちなみに噂の範疇であれば今ならまだ見逃す事は出来るが、中学期以降にも噂が広がっていた場合、噂を流した奴は停学

の処分で考えてる事を先に教えておいてやる」
 先生からの突然の告知に教室中にどよめきが広がる。しかもいつもの間延びした喋り方じゃないから先生が言った学校側の対処・処分にも現実味が帯びている。
「逆に万が一本当に暴力を振るった者がいるのなら、正直に申し出てほしい。今なら停学

で話が済む」
 そして次の先生の一言で教室が二分する。
 一つは先ほどと同じようにどよめきを上げるグループ。そしてもう一つが完全に沈黙するグループ。
「ちなみに今なら停学でも、中学期(なかがっき)中の推薦はあきらめることになるとは思うが、来年の一般試験にはまだ間に合う。その辺りの自分の人生の事も考えてくれ」
 それにしても学校側はやっぱり何かの

は掴んでいるのか、かなり具体的な例まで挙げてくる。
 それにしても朝、アレだけ私に対して威圧をかけて来ていた女子グループが、借りてきた猫の皮をかぶるようにだんまりを決め込んでいる。
 私に言った事が全部嘘で、ただ因縁をつけたかっただけなのか、それともやっぱり本当の事で、公になると何かマズい事でもあるのか、
「……」
 目に涙が浮かんでいるその咲夜さんの表情は蒼ちゃんか、実祝さんか……何の罪悪感なのか、それとも私と誰かの噂に対する呵責なのか。その瞳に映る感情を私には読み取る事が出来なかった。
「岡本、どうした? 何かあるのか?」
 先生じゃなくて、今日欠席している蒼ちゃん、実祝さんに咲夜さんの方を見ていた先生も私の事を気にする。
 今朝の事は実際にあった事だからどうしようかと思ったけれど、
「……」
――証拠がないまま騒ぐとこっちが悪者にされる――
――もし巻本先生が何かを耳にしていたら口止めをしておかないといけないから――
 声に出す寸前で腹黒先生の話を思い出す。
「……」
 それによく考えたら、私がこれを口にしてしまうまではあの女子グループを牽制出来るかもしれない。
「いえ。なんでもありません」
 それにしても、この状況に陥っても一個ずつ証拠を集めないといけないのか。
 これは本当にどうにかなってしまいそうだ。
「先生はお前らを信じてる。もちろんお前たちも過ちを起こす事もあるだろうけど、お前たちもまだ学生とは言え、誕生日次第ではもう18歳を迎えた奴もいるだろう。常識や限度は分かってると信じてるからな。それと今朝、進路希望調査票を出した者は、面談の日程の紙を渡すから、俺のところまで取りに来てくれ。それじゃ解散!」
 結局今日は最後まで間延びした言い方は出ずに、私への視線もあの時以外にはなく終礼が終わる。


 咲夜さんが例の自分のグループと一緒に教室を出て行くのを見送っていると、その元気のなさそうな後ろ姿を見ても咲夜さんが限界なのが分かる。そして私は迷う。
 咲夜さんと実祝さんの仲は確実に進んでる。名前を呼び合うようになったくらいには、一緒に放課後に出かけるようになるくらいには。
 それは間違いなく実祝さんのお姉さん、実祝さんが願ったもののはずだ。だから私は“悪者”になる事が出来た。
 それにもうすぐ咲夜さんの中で懊悩していることに対する答えが出そうなところまで来ている。
 ――あたしに愛美さんのグループに入れって言ってくれないの?――
 その証拠に無意識なんだろうけれど、今の人間関係を切りたい、私や実祝さんとの人間関係を作りたいって言ってくれたんだと信じられる。
 あと一歩。あと少しなんだと思う。後は咲夜さん自身が自分で気が付いて、“自分の言葉で”私に言ってくれればこの件は私も思う存分に動けるのに。
 実祝さんと親友関係になれるはずなのにっ。本当にあと少しなのに咲夜さんがあの悪意によって潰れそうになっている。何かの罪悪感と呵責で潰れそうになっている。
 私が答えを言って、押し付ける方が良いのか。それでも大人になった時、今を振り返った時、笑顔になれるのだろうか。後悔はないのだろうか。胸を張って今、この時を駆け抜けたと言えるのだろうか。
 でも心が壊れてしまえばもうそれは死んだも一緒だと思うのだ。
 本当に私はどうしたら良いのだろう。どうすれば正解を選べるのだろう。
「愛先輩! 良かった。ちょっと話したい事があるんですけど――って、どうしたんですか?」
 私が迷うのを周りは見逃してくれない。今ここで考えることを許してはくれない。咲夜さんの今の心境に思いを馳せて目に涙が浮かんでいたのを、中条さんに見られてしまう。
「どうもしてないよ。ちょっと考え事をしていただけだから――それより何かあったの? 私に話したい事があったんだよね」
「そうなんですけど……雪野の事で確認したくて愛先輩を探していたんですが、また出直しましょうか? いや、むしろあーしで良かったら聞きますよ」
 私を頼って来てくれた後輩に気を使わせてしまったけれど、この話もまた人に聞かせるような話――でも無い気がする。でも私一人ではどうにもならない。答えが分からない。
「……分かりました。ゆっくりどこかで話をしましょう。別に店に入らなくてもどこか公園のベンチとかでも良いんで」
 また私が思考に飲まれたのを見て、中条さんが提案してくれる。
「ごめんね気を使わせちゃって」
「大丈夫ですよ。愛先輩には何回も助けられてるんですから。たまには後輩も都合よく使ってやってください」
 そう言って私に屈託なく笑いかける中条さん。
 蒼ちゃんと言い、彩風さんと言い、私の周りには交友関係こそ小さいけれど、本当に良い子が慕ってくれたなって思う。
「――っ! どうしたんですか? 愛先輩」
 そう思ったら昇降口につくまでの短い間、中条さんの手を取っていた。
「ううん。中条さんみたいな良い子が、私を慕ってくれて嬉しいなって思ったから」
 後輩相手に意地を張っても仕方なし、私が今の気持ちを正直に口にすると、
「やっぱり愛先輩って優しいですって」
 彩風さんと同じような事を言う中条さん。
「私は優しくなんて無いよ」
 現に友達が苦しんでいる今でも、私はどうすれば良いのか分かってなくて、ただ迷ってるだけなんだから。
「わかりました。雪野の話もしたいし、学校だと誰が聞いてるかもわからないんで近くの公園でも良いですか? ちょうど日よけのベンチもあるんでちょど良いと思うんです」
「分かった。そこで良いよ」
 優希君じゃなくて、優珠希ちゃんと喋ったあの席へ二人並んで歩く。


「すいません。なんかいつも愛先輩にあーしの分まで面倒見てもらってる気がします」
「良いよ。それよりもこれだけ熱いと動いていなくても脱水・熱中症と色々危ないから、遠慮しないでよ」
 そう言って飲み物を手にベンチに腰掛けたところで、中条さんが本題を切り出す。
「今日は蒼先輩と一緒じゃないんですね」
「今日は蒼ちゃん休んでるから」
 何もないのならそれが一番良いのだけれど、今日の教室内の事を考えると、二年でのトラブルで関係無いと分かっていても、地に足がつかないような感覚に襲われる。
「すいません。暗い事聞いてしまって。でも愛先輩と蒼先輩って常に一緒に行動してるイメージがあるんでやっぱり変な感じがするんですよ」
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ」
 確かに話題としても気持ちが落ちるような話ではあったけれど、だれよりも親友だと思っている人と一緒に

事に違和感があると言われると、やっぱり嬉しかったりする。
 そして今日は蒼ちゃんがいない中、中条さんとは初めて二人だけの会話を始める。
「雪野の事で聞きたいんですけど、雪野って暴力を振るうタイプですか? あーしは雪野の事は大嫌いですけど、そう言うタイプじゃないと思うんですよ」
 中条さんから驚きの質問が飛び出す。中条さんだったらてっきり雪野さんの事を悪く言うと思っていただけに。
「いや勘違いしないで下さいよ。別に雪野どうのじゃなくて、今回の雪野の噂の出所がハッキリしないんですよ」
「ハッキリしない?」
 今朝の三つの事を思い返した時も、ハッキリした話じゃなかったし、学校側も

をつかんではいるみたいだけれど、調査中と言う話だった。何回か話したあの穂高先生、養護教諭も同じような事を言っていたし。
 教頭先生からも“鼎談”の時にそんな事を言っていた。
 私の中で何か違和感を訴えているんだけれどそれも形にならない。
「はい。だからあーしなりに事実だけを一個ずつ集めて彩風や愛先輩に協力出来たらなって思ってまして。今回も統括会で動くんですよね」
 そういって照れ臭そうにはにかむ中条さん。その気持ちはもちろん嬉しいし気になる事、今日休んでいる蒼ちゃんに実祝さん。
 それに本当に辛そうな咲夜さんの迷いの事もあるから助かるって言う気持ちも正直なところある。
「もちろんそのつもりだし、中条さんの気持ちもとっても嬉しいけれど、危ないかもしれないからその気持ちだけ受け取らせてもらおうかな」
 ただ噂だけで真偽も分からない中、終礼の時に先生にも言えないにもかかわらず、私に直接暴力を振るって来た女子グループの事を思うと、彩風さんとサッカー部の男子とのトラブルの時に私を頼りに来てくれた、可愛い後輩にケガも怖い思いもさせたくなかった。
「彩風の言う通りですね。小さい頃、人の好意は“素直に”受け取りましょうって習いませんでしたか?」
 私は中条さんの事を心配しての事だったのに、どうにも私の懸念が伝わっていないような気がする。
 しかも言葉だけを聞いていれば割と失礼なことを言われているはずなのに、私に向けてくれているその信頼の表情を見ていると、毒気も抜けてしまう。
「私は、私を慕ってくれる可愛い後輩に、ケガも怖い思いもして欲しくないだけだよ」
 だから心の内に留めておくつもりだった少し恥ずかしい言葉まで口にするハメになる。
「本当に彩風の言う通り、愛先輩って周りに振りまく優しさが“深い”ですね。だから彩風が明日から雪野のフォローに入るって言ったんですね」
 そっか。なんだかんだ言って彩風さんは私のお願いをちゃんと聞いてくれたんだ。
 彩風さん自身は納得していなくても、たとえ私が言ったからだったとしても、倉本君のチームの話があったからだとしても、自ら口にしたその想いから行動を起こしてくれた事に、感謝の気持ちがわいてくる。
 今日は非難の的になっているであろう雪野さんを対象にした同調圧力に掛かる事なく優希君と一緒にフォローに回ってくれる彩風さんに私は、とても嬉しくなる。
「……愛先輩に一つ聞きたいんですけど、副会長にちょっかいをかける雪野に対して腹立たないんですか? なんか昼休みには彩風の話を聞いて、すぐに副会長を雪野のところに送り出したらしいじゃないですか、前にも言いましたが、あーしなら、本当に好きな人なら万一の事を考えると泣くに泣けませんよ」
 今ここにはいない彩風さんに心の中で感謝の気持ちを伝えていると、あの朱先輩と電話をしていた時の顔を浮かべた中条さんが振り払うように首を左右に振って、私の中の雪野さんの印象を聞いてくる。
「もちろん腹も立つし、思う事もあるよ。でも可愛くはないけれど、少し頭が固いだけで根は良い子だから。後、私は、優希君の事が好きだから、優希君に恋しているから、それに優希君が私にドキドキしてくれているから、何より二人で隠さずにお互いの思ってる事を口にしよう、信じようって昨日のデートで話したから、分かったから、心移りなんてしないって信じてるよ」
 何より私と、ちゅ……キ……口づけをしたいって思ってくれてると思うから……これは口に出しては言えないけれど。
「……」
「えっと、どうしたの?」
 いやまあ、恥ずかしい事を口にしているとは思うけれど、優希君が言葉と態度で信用させてくれているのだから、後は倉本君の言葉を借りて雪野さんを守ろうって言う話をしたかったのだけれど……
「さすが蒼先輩。愛先輩の事本当によく分かってるし、見てるんですね。蒼先輩の言ってた意味がちゃんと分かりました。あーし、何が何でも二年にある副会長と雪野の噂を消します。それとあーしは雪野とは仲良くは出来ないですが、愛先輩の力になるために、本当の話だけをちゃんと集めて見せます。後、万一愛先輩を泣かせるような事があったら、あーしが殴ります。顔の形が変わるまで副会長を殴ります」
 私の事をキラキラした目で見て私の手を取ってすごい事を口にする。
 しかし蒼ちゃんと中条さんって会っていたのか。蒼ちゃんの事を理解してくれるのは嬉しいけれど、すごく複雑だ。        
「暴力は駄目だよ」
「女の子や女子の涙と違って

はとても貴重なんです。その事を愛先輩は自覚して下さい」
 私の手を両手で握り込んだ中条さんがズイと私に迫るけれど、その言い方だとまるで私が……
「え、えっと。話を元に戻すと――雪野さんが暴力でもってバイトしている人を白状、自白に追い込んだ――って言う話を調べるって事?」
 そこから先を考えると身が持たなくなりそうだからと、強引に話を元に戻す。
「はい。そもそもあーしも雪野が手を出すとは思えないんですよ。それにバイトしてる人もあーしのクラスにはいないんで、もう一度ちゃんと洗ってみるつもりです」
 私をじっと見つめた後、本来の話を思い出したのか、答えてくれる中条さん。
「分かった。ありがとう。でも私の可愛い後輩をケガさせるわけにはいかないから十分注意してね」
「分かりました。なんか今日はお考え中のところスミマセンでした」
 私の注意に対して何故か謝る中条さん。そして今日はこの辺りでって事でお互いを見送る。
 そういえば蒼ちゃんが楽しみにしていたお茶会の話はどうしようかと思いながら。


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