第2話

文字数 1,677文字

そして就業時間終了後に上司である総務部長に時間を取ってもらう事にした。
その後、勤務を終えてから会議室にある椅子に座り待っていると部長が入ってきた。
そして「小林くん、何の用かね?」と少し訝しげな表情で話し掛けてきた。
そこで俺は思い切って自分の気持ちを打ち明けてみることにした。
「実を申しますと私は最近、たった一人の姉を癌で亡くしまして悲しみに暮れています。同時に癌という病気に対し大きな憎しみを持っています。今さらこの歳からでは有りますが、我が社の研究所に異動させてもらう事は出来ないでしょうか?癌の治療薬開発に一助でも構わないので関わらせて欲しいのです」
それを聞いた上司は苦笑いしながらこう言った。
「ほう本当かね、正直ホッとしたよ。最近の君の様子を見ていると、どこか元気が無くて、何か悩みでも抱えているのでは無いのかと思い、心配してたよ。今回の君から時間を作ってくれないかと聞いた時、最悪の場合、退職の話でも出てくるのかとも思っていたよ、アハハ。でもな、一般職である総務部から研究職への転籍は前例が無いと思うな。それにな、これから専門の知識を勉強するとなると大変だぞ」
「はい、その覚悟は出来ています」
すると上司は続けて
「ウーンしかしなあ、君もこの総務部で長いキャリアを活かしてきた。今では居てもらわなくてはならない立場の人間になっているんだ。それに人望も有るしな」
その上司の言葉に辰男は思った。
「俺の今までやってきた仕事に対して、そこまで評価してくれていたんだ」
思わず嬉しくて目頭が熱くなってくるのを感じていた。
続けて上司は言った。
「ところで家族の人たちは、どう思っているんだ?研究所勤務となると、ここの丸の内では無くて茨城県のつくば市か山梨県の北杜市ということになるぞ」
すると辰男は即答した。
「はい、まだ私の気持ちを家族には伝えておりませんが、これから単身赴任することも含めて話し合いたいとは思っております」
そして最後に上司が
「ウーンそうか、君がそこまで考えているのなら上層部に掛け合ってみるか」
と言いながら腰を上げた。
すると辰男は
「すみません、宜しくお願い致します」
と言って深々と頭を下げたのであった。

俺には今年で50歳になる綺麗な嫁さん真知子と、大学1年生の長女梓、高校1年生になる次女の祥子と2人の可愛い娘たちがいる。
その2人とも嫁さんの方に似て生まれてきた。
本当に良かったと思っている。
その家族3人には、その日の夕食の時にさっそく話をしてみた。
「お父さんのわがままを聞いて欲しい。実を言うと、うちの会社にある研究部門に異動を申し出ているんだ」
その言葉を聞いた瞬間、3人ともキョトンとしてから、お互いの顔を見合わせていた。
続けて辰男は言った。
「それと言うのも、お父さんは姉さんを亡くした無念さを、少しでもいいから晴らしたいと思っているんだ。姉さんの命を奪った憎き癌を叩きのめしてやりたいんだ。しかし素人同然の俺が出来ることなんかは限られている。でも、その素人の俺だからこそ全くの新しい発想で、今までの常識を覆すような事も出来るのでは無いかと思っているんだ。申し訳ないが是非挑戦させて欲しい」
と言いながら頭を下げた。
そんな辰男の姿を見て3人は
「これはお父さん本気だぞ」
と戸惑いながらも辰男を見つめる視線が変わっていった。
そして続けて辰男は言った。
「しかし梓は大学生活、祥子も高校生活にと大事な時期だ。おれ一人で単身赴任させて欲しい。母さんには経済的にも負担を掛けるとは思うが頼む」
すると暫くの沈黙のあと長女の梓が言った。
「分かったよ、お父さんの夢を追いかけなよ。最近なんだか元気が無さそうで心配だったよ」
その隣にいた祥子も頷いた。
そして真知子も話し始めた。
「私も最近ボーッとして覇気のない貴方の姿が心配だったの。私たちのことは大丈夫ですから、貴方の夢を追いかけて頑張ってみて下さい」
その言葉に辰男は
「有り難う、済まない」
と言うのが精一杯であった。




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