(証4) 法(ほう)
文字数 3,495文字
1.法を考えます
エピソード【法】の開始日が
そんなふうに受けとめております私…
私は大概、三段論法的に文章を書いております。
例… 1⃣当面の課題 2⃣当面の目標 3⃣目的は幸せ!
幸せへ出発 ⇨ 目標クリヤー ⇨ 目的へ近づく、
いきなり願いが叶う魔法や錬金術は使えません。
私の思想...
自分で努力し、他人の力も借りて目標達成する!
他人の力を利用するなら信頼関係が欠かせない!
この理屈は分るけど、実行はナンテむずかしい!
信頼関係に欠かせないのが感情に流されない心!
それについて「エピソード鍛練」で述べたけど、
強者による「お手本」が欠かせないと思います!
日本の国体は「立憲君主制」と言えるでしょう!
似た国家体制は「国民選挙制」かも知れません。
国民選挙制度が共通していれば似ていますよね、
法の支配も共通するけど…独裁国家も法の支配!
国民選挙は多数者が強者ゆえに、弱肉強食主義!
この弱肉強食の思想はどうやったら無くせるの?
それで始めに話をもどして考えたいと思います。
現状、日本の立憲君主制を私は支持しています。
支持しない思想をお持ちの人々もいらっしゃる、
家長夫婦として、私は確固たる姿勢を示したい。
既に述べたように姿勢に身口意の三業があって、
家長は言動で手本を示していきたい‥私の思想。
どんな家長も国法の支配下に置かれていますし、
その法を根拠に家長の権限を振るって言動する。
家長が権限を好きにしてるのは...ご存知でしょ?
これを民主主義って云うのもきっと、ご存知ね?
子どもに嫌われてない家長は後継ぎを選んでる!
後を継いでよ‥これで後継者は簡単に済むのね!
天皇誕生日‥どうして後継者を決められないの?
後継者ぐらい、家長に任せればいいのじゃない?
そう思う...政治学者の考えかたは知らないけど。
2.
もしかして「なんだ、それ?」って思ったかも、
現代人は男同士・女同士の結婚も考えるでしょ?
家族は最少単位の集団で、妻も夫も家長ですね?
夫と妻のそれぞれが家長の責任を負いますよね?
家父長制でなく、家長制は厳然と存在してるの!
そもそも親の保護から離れたら家長の立場なの。
独身でも家長としての責任を果すことになるわ。
ここまでの説明は現行法に
法に
家長は所属する集団を
家長に立派に
国家は立憲君主制で、だけど
家庭も立憲君主制で、全ての集団は立憲君主制!
天皇制度も立憲君主制で日本の誰も公平だよね。
「俺だけは好き勝手にさせろ」と言わないよね?
長の責任を放っておいて、
家長制は他人ごとでないと言いたかったのです。
3.
権利・契約や
文証と証文は似てるようでも、ぜんぜん違うの!
証文は社会的な法の下に
約束を
時代・社会で変化するのが社会的な法なのよね、
文証は
この普遍性に
ご都合主義は
だったら普遍性を重視しない
相対主義や絶対主義では普遍を望めないからね?
ロシアのプーチン氏がウクライナを
この懲罰を否定するには普遍性に
氏の懲罰を認める人は普遍性を否定するとして、
あなたはどうなの?私は懲罰が大大大嫌いなの。
すなわち、私の理想の法の根拠に文証を置くの。
人間を好きなあなた! いっしょに
4.
考えるとき、
あなたにも大事にしている根拠はある筈ですね?
もう
自分の最後の一線を
その集団に
国法は国民一人一人の最後の一線を越えないよ。
なかでも憲法はイチバン重い基準の国法ですね。
日本の国を成り立たせている基準の
証文は時代・社会に合せて
そうすると悪く替えられることを恐れなければ。
誰かの都合を無理に通そうとすると
プーチン氏…国内問題・国際問題の
穏便な話合いで証文はお互いに変更できるのに、
この話合いを拒否する思想は自由な言論を嫌う。
自由な言論を嫌がってる…例えば、御存知かも?
2つの例を
戦時下と独裁体制の共通キーワードは
思ってること何でも言える日本に外敵はいない。
ただしこれは私のなかの理解だって分かるよね。
自由な意見交換が嫌な集団や人は日本にもいる。
その人たちは他者を敵視していることになるよ。
その視線で自分を観ることで見えるものもある。
人と語り合わない、人を信じない人は危険かも。
ともあれ、数ある証文の1つの国法ですからね。
フランクに語れる
人間のための善い法・国法を皆で
5.
それはあなたも同じね!だからすり合わせるの!
意見が
俺を
そのヤリ方だと必ず強い人の言い成りにされる、
強い人…親・上司・先輩あるいは男だったりね。
気に入らなければ仲間割れさせる
気に入らないメンバーを
これが国家同士だと銃器で
弱い人たちの人権を尊重しない困った人や集団!
問題が起こってからの
だからって暴力・暴言で社会は良くならないよ?
それでこうして私は記事に書いて
語りあわず
国会
相手を悪く言うために議論してるのでしょうか?
対話を普段から出来てたら
だから
戦時下や独裁体制下に日常的な対話はないよね?
対話する生き方を日常的に身に付けなければね?
結局、国際法も国内法も家族の法も限界がある!
文言を援けるあなたがいて、言葉は生きられる!
法の限界も言葉の限界も最後は対話で