第24話 封魔の霊符

文字数 4,374文字

 真夜中から降り出した雨が昼前に上がり、街に籠もっていた熱が少しだけ冷めた。ここ数日、風が吹けば土埃が舞い上がっていた通りもきれいに洗われ、代わりにみずみずしい緑の匂いが吹き抜ける。
 そんな気持ちの良い午後に、藍那は紫園を伴って蔵人の店を訪れた。表向きは蔵人と花蓮に茶会に招かれたことになっている。
 店に入るといつもは蔵人が座っている勘定台に申武(サリム)が座っていた。

「いらっしゃいませ、先生」
「こんにちは申武」

 挨拶を交わしたのち、店じまいの札を手に勘定台から出てきた。入り口の扉に札をかけ、閉める。

「旦那さまのお言いつけで、今日はもう店を閉めるそうです。奥におりますので、どうぞ。それから」

 藍那の背後に控える紫園に視線をやり、

「申し訳ないのですが、先生だけお通しするようにと」

 と少し冷淡な口調で告げた。

「そうか。じゃあ紫園、お前は先に金亀楼に戻っているといい」

 藍那が言うと、紫園はかぶりを振った。

「いや、でも……ここに居たって待ってるだけなんだよ。いいの?」

 こくこくと頷く紫園に藍那は肩をすくめる。そもそも藍那一人で狼々(ロウロウ)軒に行くつもりが、どうしても一緒に行くと強引に付いてきたのだった。いつもなら藍那の言うことには従う紫園が、今日は珍しく頑固である。

「分かった、じゃあここで待ってて。申武、いいかな?」
「それは……別に、構いませんけど」
「そうだ。申武、少しだけいい紙と筆はある? もしあったら紫園に似顔絵を描いてもらえばいいよ」
「にがお……絵……ですか?」

 とたんに、紫園を見る申武の視線が和らいだ。紫園が微笑み、申武に頷いてみせる。

「由真も言っていたろう? この紫園は絵がとても上手なんだ。描いてもらって、お母さんに見せればきっと喜ぶよ」
「そ、そうかな」

 頬を紅潮させ、期待を溢れさせた表情で藍那と紫園を交互に見る。

「わ、分かりました。たしか、この下の引出に……」

 慌てて、勘定台の机を片っ端から開け始めた。

「じゃあ紫園、よろしく頼んだよ」

 そう言って奥へと入った藍那を祖尼娃(ソニア)が出迎える。

「旦那さまは客間でお待ちです。どうぞこちらへ」

 案内されるままに廊下を歩き、透かし彫りの扉が見事な客間へと通された。白壁に華羅様式の飾り窓、茶器を並べた飾り棚。木卓の上座には立派な龍の彫り細工を施した椅子。
一見すると伝統的な華羅の客間だが、床に敷いた絨毯はこの地方独特の花綱模様だ。壁や天井には、奥尔罕(オルハン)に古くから伝わる邪眼除けの(まじな)い玉がいくつも下げられている。

「藍那、お待ちしておりましたよ」

 蔵人は客を出迎える主人らしく、顔の前で両手を組み頭を下げる。足の悪い花蓮は席に着いていたが、傍らに分厚い革表紙の本が置かれてあった。藍那も挨拶を返し、腰の天星羅を着座用の型に差し直してから椅子に腰掛ける。

 卓上の中央には例の剣が布にくるまれ置かれてあった。中身が見えないからよく分からないが、この天星羅よりは一回りは大きそうだ。
 剣を挟むかたちで藍那と夫妻が向かいあうと、やや緊迫した空気が室内に流れた。祖尼娃が盆に載せた茶道具を卓上へ置き、一礼して足早に去って行く。
 しばしの沈黙。先に口を開いたのは藍那だ。

「それで、こちらが例の剣ですか」
「左様……と言いたいところですがね」

 両腕を組んだ蔵人が卓上から藍那へと視線を移す。

「実はこれがあなたのお探しの剣か、まだ分からんのですよ」

 再び沈黙が流れた。花蓮が茶道具に手を伸ばし、椀を温めていた湯を湯壺に捨て茶を入れる。馥郁(ふくいく)とした香りがただよって藍那の鼻先をかすめた。
 蔵人は椀の一つを藍那に勧め、話を続ける。

「剣身に、龍と三辰(さんしん)紋。泉李(イズミル)で役人どもが探し回っているという(くだん)の剣ですが、やはり闇取引で流れていたそうです」
「やはり、そうでしたか」
「どこにあったかは知りませんが、あの大火事からまもなく、泉李から西の宜栄(ヤロヴァ)に住む金持ちが手に入れましてね」
「売ったのは?」
「泉李でそこそこ大きなシマを取り仕切る、播帑(ハリド)というヤクザものがおりまして。売ったのはそいつの息がかかった者らしいです」

 蔵人は茶を一口飲んだ。

「ちなみに、播帑(ハリド)は亡くなっています。葬式が出たのが今から()月ほど前。死因は分かりません。そして剣を買い上げた宜栄の男が、同じ頃にやはり葬式を出している」

 つまり売った方と買った方が二人とも死んだ。

「こっちの死因は明らかだ。縊死(いし)です。それもただの縊死じゃない。屋敷にいた家族と使用人、全部殺して自分も首を吊って死んだそうです」

 そこまで言ってから蔵人は再び腕を組む。藍那はそこでようやく思い出し、ぬるくなった茶をすすった。

「つまり、呪われた剣――ということですか」
「男が死んだあと、剣はいったん街の役人預かりになったんですが。どういう訳か役人たちが薄気味悪がって、街の古物屋に売り払った。それを見つけて買ったのが、商用で来ていた振茶(ブルサ)の両替商でして」

 曰く付きの剣だと古物屋に言われたが、剣格と剣身に施された細工の見事さに惹かれたらしい。 

「古物屋もさっさと手放したかったのか、捨て値で売りに出していた。これは掘り出し物だと、どこか怖いもの見たさもあって手に入れたのは良かったんですがね」

 蔵人はそこで言葉を切った。その暗い表情で、なんとなく続きが予想できる。

「振茶から戻ってひと月もしないうちに、その商人の家が火事で焼けた。火を放ったのは彼の長男で、まだ十五だったそうです。おまけに焼け跡からは切り刻まれたらしい、黒焦げになった家族の遺体が出てきた。振茶はのどかな街で、およそ凄惨な事件とは縁遠い土地柄です。案の定、この件で街じゅうが上を下への大騒ぎだったらしいですね」

 運良く生き残った女中の話によれば、息子は父が買い求めた剣にひどく執着していたそうだ。役人が彼を取り調べたところ、家族を殺したのも家に火を放ったのも、

 ――全て剣に命じられたからだ。

 と告白したという。藍那は思わず息をのむ。

「剣に……命じられた?」
「なんでもあの剣が来てから、頭のなかでずっと誰かが耳元で囁くらしいんですよ。殺せ、焼けってね。」
「それでその剣はどうなったのです?」
「役人にちょいと握らせて聞き出したところ、押収された後、密かに古物屋に引き取らせたそうです。実は警邏(けいら)でもおかしなことがあったとか」

 凶器は血濡れた剣身を洗われ、鞘に収められたのち警邏所の倉庫に収められた。
 しかしそれからというもの、人気のない倉庫から気味の悪い女のすすり泣きが聞こえるのだという。一人で倉庫に行くと背後に誰かの気配がする。振り向いても誰もおらず、何処(いずこ)からくすくすと子どもが笑う声がする。もちろん子どもなどいるわけがなかった。

「さすがに剛毅な警邏のものたちも、気味悪がったそうです。ま、気持ちは分かりますよ。それに後生大事に倉庫に保管しておいたって、誰も見やしませんからな」
「その古物屋から買ったのがこの剣……ということですか」
「買ったというより譲ってもらいました。条件付きですがね」
「条件というのは」
「これですよ……」

 そこで初めて卓上の布包みを手に取った。慎重な手つきでくるんであった布をはずし、現れた剣を置き直す。
 それを見るなり藍那は目を剥いた。
 剣は細身の天星羅より太く、剣身も長い。柄材は木で剣首と剣格が真鍮。木鞘にいたっては飾り気のない簡素というより粗末なもので、ところどころ黒い染みが浮いていた。経年によるものか、あるいは血痕か。

 剣首と剣格にはそれぞれ龍の精緻な装飾が施されている。それだけ見ればたいそう美しい。しかし剣格から木鞘にかけて貼られた一枚の霊符(ふだ)が、このうえない禍々しさを醸し出していた。

「これは……」

 よく見れば、霊符は漆で剣に留められていた。幅が木鞘と等しく、赤い墨で書かれた(まじない)文字は一見すると子どもの落書きのようだ。

「これは……たしか封魔の印ですね」
「ご存じでしたか」

 蔵人の言葉に、藍那は頷く。

「昔、北の地で旅商の護衛をしたことがあります。そのとき運んでいたものがなにやら曰く付きのものだったらしく、大きな箱にこれと同じ札が貼ってありました。雇い主の話では、魔を封じるものとか」
「実はこれを私に譲ってくれた古物屋の主人ですが。巫覡(ふげき)の血筋というのでしょうかね、人には見えないものが見えるらしい。古物屋の他に拝み屋もやっている、ちょっと変った男でして」

 拝み屋などをやっているせいか、なぜかその古物屋には《曰く付き》とされるものが集まるのだという。気味の悪い剣を警邏(けいら)の役人が押しつけたのもそのためであった。
 蔵人が古物屋を訪ねたとき、剣にはすでに魔除けの霊符が貼られていた。主人曰く

 ――これはとても人の手に負えるものではありません。このまましかるべき寺に納め、この世の末まで眠らせておくべきものでしょう。

 と語ったという。蔵人に剣を譲るのもはじめ渋っていたが、蔵人の依頼主(藍那のことだ)が責任を持って預かり、いずれ然るべきところへ納めるのであれば――と承諾してくれた。

「そのときに言われましたが、この霊符(ふだ)は絶対に剥がすなということです」
「剥がすな……ですか」
「これを警邏所の倉庫に収めた男に訊きましたが、剣身には確かに龍と三辰紋が刻まれていたそうです」
「でも、私がそれを確かめることは出来ない――と」
「そういうことになりますね」

 蔵人の話に嘘はないだろう。だがこの目でそれを確かめられないというのは、なんとももどかしい。

「それにしても、泉李(イズミル)の役人たちが血眼で探し回っていたはずなのに、よくここまで流れ着いてきましたね。宜栄(ヤロヴァ)振茶(ブルサ)にも、州知事の手のものが居たのではないですか?」
宜栄(ヤロヴァ)振茶(ブルサ)も、阿耶や泉李に比べればかなりの田舎です。州知事の手はさすがに回っていなかったようですね。それにああいった田舎の警邏たちは、面倒ごとに巻き込まれるのをひどく嫌うものです。なにか気がついたことがあっても気づかぬふりをしますし、万が一州知事の手のものに問われても、知らぬ存ぜぬを通すでしょう」
「なるほど」
「それで……藍那、これをどうなさいます」
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登場人物紹介

紫園ㅤ

記憶を失くした青年。奥尔罕オルハンの帝都阿耶アヤから東にある港街、泉李イズミルの大火で生き残っていたところを助けられ、金亀楼コンキろうに下男として引き取られる。読み書きができ、剣も使える謎多き人物。赤みがかった栗色の髪に、珍しい紫色の瞳の持ち主。

璃凛リリン藍那アイナ
母から伝えられた双極剣の遣い手であり、女ながら用心棒で生計を立てている。現在は帝都随一の色街、紅籠ヴェロ街の娼館、金亀楼で働くが、訳あって母の名前である藍那アイナを名乗っている。十八歳。

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