第1話 最低で最高な日 

文字数 937文字

 4月28日は最低な日だった。

 香坂(こうさか)さんが結婚退職の挨拶をして回っていたからだ。
正式な退職日は5月末日だけど、有給休暇を消化するらしい。
今日が彼女の最後の出社日。

 夕方になると香坂さんは、「今までお世話になりました」とマドレーヌを配りながら職場のみんなに挨拶して回った。
 私は彼女が近づいてくるタイミングで外線電話を取りまくり、忙しい振りをした。電話応対中の私を見て、香坂さんもホッとしたんじゃないかな。
 気がついたらデスクの(すみ)にマドレーヌが置いてあった。


 香坂さんは私の元彼の、綾瀬(あやせ)と結婚するのだ。
だから今日は最低な日。

 綾瀬は3月の異動で別の支店へ転勤していた。
あとは香坂さんがいなくなれば、風通しがよくなる。
だから今日は最高な日。


 仕事を終えバッグを取りに女子更衣室へ入る。6時25分。誰もいない。
ロッカーの前に小綺麗な紙袋が置いてある。小さな付箋(ふせん)には、
久良木(くらき)さんへ お世話になりました 香坂」
とあった。

 持ち帰りたくはないけれど、ロッカーの前に置きっぱなしではみんながあれこれ噂する。
会社で捨てる訳にはいかない。気のいい掃除のおじさんが、「これ誰か間違って捨てたのかな?」と拾いかねない。

 紙袋の中身を取り出してみる。
丸い缶は桃のフレーバーティー。もう一つは3種類のマカロンか。
オランジュポアブル、パッション&シトロン、カシスのコンフィチュール。
……菓子もうるせえな。

 私はそれらをとりあえずバックに入れた。
気を取り直そう、明日からゴールデンウィークだ。私は会社をあとにした。

 ゆっくり自転車を()ぐ。
このまま消化不良の気持ちを家に持ち込みたくない。まだ明るい、少し遠回りして毒抜きしよう。

 帰り道、城址(じょうし)公園のお堀に沿って迂回(うかい)することにした。
石畳を自転車を押しながら歩く。
途中、木の生い茂った一角にお地蔵さまが(まつ)られているのが見えた。雨に打たれた古いお地蔵さまだ。

 私は、あ、と思いつき、自転車を留めるとお地蔵さまの前にしゃがみ込んだ。
バッグからフレーバーティーとマカロンを取り出し、お供えし手を合わせる。

「ごめんなさい、お地蔵さま、引き取ってください」

 そして私は何の気なしに、マカロンを箱から取り出し3つ並べた。
すると突風が吹き、マカロンは転がり草むらに消えた。


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