終焉の神器
文字数 4,341文字
──ヘカトンケイルが始動した。
その報せは、まずゼウスに届けられた。
「愚か者が」
オリュンポス山の影から現れた巨体は、天空神すら戦慄させた。
それは、あってはならない存在だった。
荒ぶる竜を殲滅する目的で、鍛治神ヘパイストスが造り出した兵器。しかし、その性能は想定を大幅に超えていた。
──世界を滅ぼせる。
危惧した天位議会は、それをオリュンポス山へ封じた。
ヘパイストスはゼウスの息子である。優秀だが倫理観に欠けるため、オリュンポスを追放した。
以前彼が造った「アフロディテ」も、その危険性からゼウスが取り上げた。──恐らく、ヘパイストスの目的はアフロディテの奪取。そうなれば、世界は滅亡する。
ゼウスは悔いた。……あの時、殺すべきだった。
老いた右手が、雷を象った武器 を握り締めた。
天位議会の命を受け、四大天使率いる天軍はオリュンポスに赴いた。
「……これは……!」
ミカエルの目に飛び込んだのは、山々を踏み砕きながら進む神像の姿だった。
ウリエルが声を上げる。
「このままでは、ゼウス様の神殿が破壊されます」
「操縦している人を倒せば止まるの?」
ラファエルが首を傾げる。
「いや、あれは自立稼働式だ」
「つまり……」
「あれを破壊するしかない」
ヘカトンケイルの進路をオリュンポス軍が塞ぐ。しかし、絶対防御領域を展開され手も足も出ない。
「私なら止められるかも、一瞬だけど」
ガブリエルが進み出た。ミカエルは頷いた。
ガブリエル率いる第三軍、第四軍が近付く。すると美しい声が響いた。
「妨害行為を確認。直ちに排除す」
ヘカトンケイルの周囲に浮く球体がプラズマを帯びる。
「そうはさせない」
ガブリエルの杖が氷を放った。空間制御装置が凍り付き、巨像の動きが止まる。
「今だ!」
ミカエルの合図で天軍本隊が総攻撃を開始した。それぞれの杖に、剣に、集めたエレメントの魔法を一気に装甲にぶつける。
眩い光がヘカトンケイルの巨体を包んだ。
「やったか!?」
……しかし数瞬後、別の光が迸った。
「空間制御機能、解凍。これより、反撃に転ず」
鋼鉄の巨像が放つ光の刃は、縦横無尽に空間を切り裂き、翼を刈り取られた天使たちは次々と落下した。
「撤退!」
ミカエルの叫びを、次なる爆音が打ち消す。
「妨害者を殲滅する」
聴覚を支配する起動音。怪物の胸に青い光が収束する。
「焼き尽くせ、ケラウノス!」
声が轟き、稲妻が迸った。落雷を受けたヘカトンケイルは、感電し動きを止めた。その周囲に巨大な楔が穿たれる。楔の檻で囲む格好だ。
「この隙に撤退するといい」
天空神がミカエルを見下ろした。
「感謝します、ゼウス様」
負傷した天兵たちは神殿に集められた。ラファエルとウリエルが治療に当たる。
ミカエルとガブリエルはゼウスの前に畏まった。
「お見苦しい所を……」
「いや、あの怪物相手によくやってくれた。おかげで何とか動きは封じられたわい」
彼方に見える神像は、絶対防御領域の中で青く輝いている。感電から復旧すれば、檻を破ってこちらに向かって来るだろう。
「あれを倒す策はおありで?」
ミカエルに問われ、ゼウスは顎を撫でた。
「弱点は分かった。胸に光を集めるあの攻撃に入る際に一瞬、絶対防御が弱くなる。
だが、奴はこれから警戒し、弱点を見せぬじゃろう。奴を激昂させるには、神の力のみでは足らぬ」
「つまり、魔と竜と、力を合わせるって事だね」
仕事を終えたラファエルがやって来た。
「そんな事を天位議会が許すとは……」
「天位議会の意地と世界の維持と、どちらが大事かな?」
ゼウスに問われ、ミカエルとガブリエルは顔を見合わせた。
「そろそろ、奴らも動き出すじゃろ」
「……ねぇ、ルシファー」
七罪を集め、サタンがニヤリと口を開いた。
「天界が大変な事になってるみたいじゃない?」
「誰から情報を?」
ベルゼブブが射るような目をサタンに向ける。
「冥界よ。オリュンポスを張ってるスパイからの情報だから確かだわ。さすがのハデスも動くみたいね」
「でもアタシらには関係ないでしょ」
ベルフェゴールが気だるそうに欠伸をする。
「何言ってるのよ、天界を落とすなら今がチャンスって事。ヘカトンケイルと天軍が遊んでる今なら……」
「ヘカトンケイル?」
ルシファーが眉を寄せる。
「そう、封印されていたあの怪物が暴れ出したの。だから……」
ルシファーは立ち上がり、サタンの言葉を遮った。
「全軍でオリュンポスに向かう」
「え? 行先が違うんじゃない?」
「敵はヘカトンケイルだ」
退席するルシファーの背を眺めて、サタンは舌打ちした。
「堕天使であるルシファー様は天界の秘密をご存知だ。熟考がおありなのだ」
ベルゼブブはサタンを一瞥し、出兵の準備に向かった。
その後ろ姿に、サタンは燃える視線を投げた。
「タダじゃ帰らないから」
一方、オリュンポスではある作戦が試行されていた。
復旧したヘカトンケイルは、楔をへし折り檻を出る。
そこに現れたのがミューズである。マイクを手にヘカトンケイルに向き合う。だが、歌を披露する訳ではない。
「自動制御解除、絶対防御を停止する」
落ち着いた美声が告げる。ヘカトンケイルのアナウンスを担当したミューズが指示を出せば、構造上言う事を聞くかもしれない、というニコのアイデアだ。
「どうかうまくいきますようにっ!」
自称・天才発明家の少女は、背負った『ワット』の指を組んで祈りのボーズを取った。
──神像は動きを止めた。起動音が停止し、絶対防御領域が縮小していく。
「やったか!」
ゼウスも身を乗り出した。やがて、青い光が巨体の中に収縮し、ヘカトンケイルは完全に停止したかに見えた。
「今だ!」
天軍が攻勢に出る。全力の魔法を一点に集中させる。これだけの攻撃を浴びれば、さすがの巨像も粉砕されるだろう。
──ところが。
「小賢しい」
男の声が響いた。同時にヘカトンケイルは光を取り戻し、急速に広がる絶対防御領域が全ての魔法を弾き返した。
「知ってたか? 手動でも動くんだぜ」
「……ヘパイストスめ」
ゼウスは声に気付いた。彼の愚息は、無数の腕で天軍を蹴散らし、神殿の目の前にやって来た。
「息子が帰って来たのに歓迎は無いのか」
機械を通した声が響く。恐らくヘパイストスは、この巨像の内部に居るのだろう。
「アフロディテを返して貰おう」
「断る」
毅然と見返す父に、ヘパイストスは声を荒らげた。
「でなければ、オリュンポスを貴様諸共踏み潰すまでだ」
「ほう、面白い。やって見せろよ」
その声に注目が集まる。その先に、戦神アレスが立ち塞がっていた。
「まず冥界軍が相手になるぜ」
ヘカトンケイルが動いた。巨大な拳が振り下ろされ、轟音と共に地割れが走る。──と同時に、何かが弾けた。
「うがっ!」
突き上げる爆風を食らい、ヘカトンケイルの巨体が吹き飛んだ。
「何じゃ? 何が起こった?」
「罠だ」
ゼウスの背後に、冥王ハデスが現れた。
「受けた力を何倍にもして弾き返す。見ていろ、冥界のやり方を」
二人の前に、闇の蟲 を従えた女がやって来た。
「やれやれ、出張手当は出るんでしょうか」
オルプネーが手をかざす。すると、青い光が蟲の口に吸い込まれていく。
「あの蟲の体内は異次元だ。力を吸い取れば、あの怪物と言えど動けまい」
ハデスの見やる先で、だがヘカトンケイルは攻勢に転じた。
「バカめ。こいつの動力炉は無限なんだよ!」
ヘカトンケイルがオルプネーに腕を伸ばす。そこへ双刃が飛んだ。切断された手首に火花が散る。
「大丈夫か?」
「エムプーサ、助かりました」
黒い影はオルプネーを抱き上げ走り去る。
「貴様!」
ヘパイストスの怒声が響く。
「全てをブッ潰してやる!」
空間制御装置が唸りを上げる。周囲の岩や木々が宙に浮く。重力を操り、巨体が浮き上がる。
「残念だったな!」
空の彼方から彗星が落ちた。翡翠色の光は、巨像に体当たりをして叩き落とした。
「……何だてめぇ」
「リンドヴルム。オセロニア界最速の竜よ」
「ブレネリヒトに呼ばれた。力を貸そう」
ゼウスの隣に来たデネヴの視線の先に、空を染める竜の群れが現れた。雄大な翼は巨像を取り巻き、激しいブレスで防御領域を侵食していく。
「その程度で俺の神器がやられるとでも?」
ヘカトンケイルの腕が伸びる。その時、下から激しい炎が立ち上がった。
「上に気を取られているうちに、火炎領域を張ってやったわ!」
「やっちゃえ、チュプー!」
コルヌゲーラとテュポーンの放つ炎は、防御領域を突破し巨体を包む。
「やはりな。空間は防御できても、地面からの攻撃は防御できないようだ」
「おまえの策か?」
竜使いはハデスにウインクで返答した。
「さて、仕上げといくか」
「くそおおお!」
激昂したヘパイストスが攻撃モードに切り替える。胸に光を集め、渾身のビームが地を薙ぐ。その時──
「この時を待っていた」
天から一筋の光が落ちる。螺旋の槍は弱まった防御領域を貫通し、ヘカトンケイルの動力炉を貫いた。
「ギィヤアアア!!」
空間制御を完全に失った神像は、崩れ落ちバラバラに分解した。
「……ルシファー!」
一同が見上げる中を、六双の翼がゆっくりと舞い降りた。
「事は終わった。帰るとしよう」
その背中に、ミカエルが声を掛ける。
「天界に、戻る気はないか?」
だが闇色の瞳は返答せず、魔の軍勢を率いて去って行った。
「……さて、我々の仕事はまだ残っている」
ゼウスは険しい目をした。
命からがら逃げ出したヘパイストスは、オリュンポス軍から逃れるべく身を隠していた。
「……見ぃつけた」
背後から声を掛けられ、ハッと振り向いた先に、鋭い角の魔王が立っていた。
「でもね、見逃してア・ゲ・ル」
サタンはニヤリと敗者を見下ろした。
「その代わり、アレを復元するの。で、アフロディテを取り返すのよ」
「……なぜだ?」
「だって、みんなが力を合わせて悪に勝ちました、なんて大円団 、面白くないじゃない」
鋭い爪がヘパイストスの顎を撫でる。
「次は、もっと頑丈に作るのよ」
「誰だ?」
オリュンポス兵の槍が魔王に向けられる。
「話の邪魔をされるのは嫌いなの」
不運な兵士は、憤怒の炎に跡形もなく焼き尽くされた。
「約束よ」
深淵の炎を宿す瞳に見据えられ、ヘパイストスは恐怖のあまり、首を縦に振るしかなかった。
「──アフロディテはやらん」
ハデスにそう告げ、ゼウスは背を向けた。
「くれとは言っていない」
冥王は鋭い視線を去り行く弟に投げた。
「奪い取ってやる」
「……本当に良かったので? ルシファー様」
「何がだ」
「その、天界に、戻られる事は……」
「無い」
七罪の長は、ベルゼブブの不安げな目を見下ろして微笑んだ。
「この世界を変えるまで、私は闇と共にある」
その報せは、まずゼウスに届けられた。
「愚か者が」
オリュンポス山の影から現れた巨体は、天空神すら戦慄させた。
それは、あってはならない存在だった。
荒ぶる竜を殲滅する目的で、鍛治神ヘパイストスが造り出した兵器。しかし、その性能は想定を大幅に超えていた。
──世界を滅ぼせる。
危惧した天位議会は、それをオリュンポス山へ封じた。
ヘパイストスはゼウスの息子である。優秀だが倫理観に欠けるため、オリュンポスを追放した。
以前彼が造った「アフロディテ」も、その危険性からゼウスが取り上げた。──恐らく、ヘパイストスの目的はアフロディテの奪取。そうなれば、世界は滅亡する。
ゼウスは悔いた。……あの時、殺すべきだった。
老いた右手が、
天位議会の命を受け、四大天使率いる天軍はオリュンポスに赴いた。
「……これは……!」
ミカエルの目に飛び込んだのは、山々を踏み砕きながら進む神像の姿だった。
ウリエルが声を上げる。
「このままでは、ゼウス様の神殿が破壊されます」
「操縦している人を倒せば止まるの?」
ラファエルが首を傾げる。
「いや、あれは自立稼働式だ」
「つまり……」
「あれを破壊するしかない」
ヘカトンケイルの進路をオリュンポス軍が塞ぐ。しかし、絶対防御領域を展開され手も足も出ない。
「私なら止められるかも、一瞬だけど」
ガブリエルが進み出た。ミカエルは頷いた。
ガブリエル率いる第三軍、第四軍が近付く。すると美しい声が響いた。
「妨害行為を確認。直ちに排除す」
ヘカトンケイルの周囲に浮く球体がプラズマを帯びる。
「そうはさせない」
ガブリエルの杖が氷を放った。空間制御装置が凍り付き、巨像の動きが止まる。
「今だ!」
ミカエルの合図で天軍本隊が総攻撃を開始した。それぞれの杖に、剣に、集めたエレメントの魔法を一気に装甲にぶつける。
眩い光がヘカトンケイルの巨体を包んだ。
「やったか!?」
……しかし数瞬後、別の光が迸った。
「空間制御機能、解凍。これより、反撃に転ず」
鋼鉄の巨像が放つ光の刃は、縦横無尽に空間を切り裂き、翼を刈り取られた天使たちは次々と落下した。
「撤退!」
ミカエルの叫びを、次なる爆音が打ち消す。
「妨害者を殲滅する」
聴覚を支配する起動音。怪物の胸に青い光が収束する。
「焼き尽くせ、ケラウノス!」
声が轟き、稲妻が迸った。落雷を受けたヘカトンケイルは、感電し動きを止めた。その周囲に巨大な楔が穿たれる。楔の檻で囲む格好だ。
「この隙に撤退するといい」
天空神がミカエルを見下ろした。
「感謝します、ゼウス様」
負傷した天兵たちは神殿に集められた。ラファエルとウリエルが治療に当たる。
ミカエルとガブリエルはゼウスの前に畏まった。
「お見苦しい所を……」
「いや、あの怪物相手によくやってくれた。おかげで何とか動きは封じられたわい」
彼方に見える神像は、絶対防御領域の中で青く輝いている。感電から復旧すれば、檻を破ってこちらに向かって来るだろう。
「あれを倒す策はおありで?」
ミカエルに問われ、ゼウスは顎を撫でた。
「弱点は分かった。胸に光を集めるあの攻撃に入る際に一瞬、絶対防御が弱くなる。
だが、奴はこれから警戒し、弱点を見せぬじゃろう。奴を激昂させるには、神の力のみでは足らぬ」
「つまり、魔と竜と、力を合わせるって事だね」
仕事を終えたラファエルがやって来た。
「そんな事を天位議会が許すとは……」
「天位議会の意地と世界の維持と、どちらが大事かな?」
ゼウスに問われ、ミカエルとガブリエルは顔を見合わせた。
「そろそろ、奴らも動き出すじゃろ」
「……ねぇ、ルシファー」
七罪を集め、サタンがニヤリと口を開いた。
「天界が大変な事になってるみたいじゃない?」
「誰から情報を?」
ベルゼブブが射るような目をサタンに向ける。
「冥界よ。オリュンポスを張ってるスパイからの情報だから確かだわ。さすがのハデスも動くみたいね」
「でもアタシらには関係ないでしょ」
ベルフェゴールが気だるそうに欠伸をする。
「何言ってるのよ、天界を落とすなら今がチャンスって事。ヘカトンケイルと天軍が遊んでる今なら……」
「ヘカトンケイル?」
ルシファーが眉を寄せる。
「そう、封印されていたあの怪物が暴れ出したの。だから……」
ルシファーは立ち上がり、サタンの言葉を遮った。
「全軍でオリュンポスに向かう」
「え? 行先が違うんじゃない?」
「敵はヘカトンケイルだ」
退席するルシファーの背を眺めて、サタンは舌打ちした。
「堕天使であるルシファー様は天界の秘密をご存知だ。熟考がおありなのだ」
ベルゼブブはサタンを一瞥し、出兵の準備に向かった。
その後ろ姿に、サタンは燃える視線を投げた。
「タダじゃ帰らないから」
一方、オリュンポスではある作戦が試行されていた。
復旧したヘカトンケイルは、楔をへし折り檻を出る。
そこに現れたのがミューズである。マイクを手にヘカトンケイルに向き合う。だが、歌を披露する訳ではない。
「自動制御解除、絶対防御を停止する」
落ち着いた美声が告げる。ヘカトンケイルのアナウンスを担当したミューズが指示を出せば、構造上言う事を聞くかもしれない、というニコのアイデアだ。
「どうかうまくいきますようにっ!」
自称・天才発明家の少女は、背負った『ワット』の指を組んで祈りのボーズを取った。
──神像は動きを止めた。起動音が停止し、絶対防御領域が縮小していく。
「やったか!」
ゼウスも身を乗り出した。やがて、青い光が巨体の中に収縮し、ヘカトンケイルは完全に停止したかに見えた。
「今だ!」
天軍が攻勢に出る。全力の魔法を一点に集中させる。これだけの攻撃を浴びれば、さすがの巨像も粉砕されるだろう。
──ところが。
「小賢しい」
男の声が響いた。同時にヘカトンケイルは光を取り戻し、急速に広がる絶対防御領域が全ての魔法を弾き返した。
「知ってたか? 手動でも動くんだぜ」
「……ヘパイストスめ」
ゼウスは声に気付いた。彼の愚息は、無数の腕で天軍を蹴散らし、神殿の目の前にやって来た。
「息子が帰って来たのに歓迎は無いのか」
機械を通した声が響く。恐らくヘパイストスは、この巨像の内部に居るのだろう。
「アフロディテを返して貰おう」
「断る」
毅然と見返す父に、ヘパイストスは声を荒らげた。
「でなければ、オリュンポスを貴様諸共踏み潰すまでだ」
「ほう、面白い。やって見せろよ」
その声に注目が集まる。その先に、戦神アレスが立ち塞がっていた。
「まず冥界軍が相手になるぜ」
ヘカトンケイルが動いた。巨大な拳が振り下ろされ、轟音と共に地割れが走る。──と同時に、何かが弾けた。
「うがっ!」
突き上げる爆風を食らい、ヘカトンケイルの巨体が吹き飛んだ。
「何じゃ? 何が起こった?」
「罠だ」
ゼウスの背後に、冥王ハデスが現れた。
「受けた力を何倍にもして弾き返す。見ていろ、冥界のやり方を」
二人の前に、
「やれやれ、出張手当は出るんでしょうか」
オルプネーが手をかざす。すると、青い光が蟲の口に吸い込まれていく。
「あの蟲の体内は異次元だ。力を吸い取れば、あの怪物と言えど動けまい」
ハデスの見やる先で、だがヘカトンケイルは攻勢に転じた。
「バカめ。こいつの動力炉は無限なんだよ!」
ヘカトンケイルがオルプネーに腕を伸ばす。そこへ双刃が飛んだ。切断された手首に火花が散る。
「大丈夫か?」
「エムプーサ、助かりました」
黒い影はオルプネーを抱き上げ走り去る。
「貴様!」
ヘパイストスの怒声が響く。
「全てをブッ潰してやる!」
空間制御装置が唸りを上げる。周囲の岩や木々が宙に浮く。重力を操り、巨体が浮き上がる。
「残念だったな!」
空の彼方から彗星が落ちた。翡翠色の光は、巨像に体当たりをして叩き落とした。
「……何だてめぇ」
「リンドヴルム。オセロニア界最速の竜よ」
「ブレネリヒトに呼ばれた。力を貸そう」
ゼウスの隣に来たデネヴの視線の先に、空を染める竜の群れが現れた。雄大な翼は巨像を取り巻き、激しいブレスで防御領域を侵食していく。
「その程度で俺の神器がやられるとでも?」
ヘカトンケイルの腕が伸びる。その時、下から激しい炎が立ち上がった。
「上に気を取られているうちに、火炎領域を張ってやったわ!」
「やっちゃえ、チュプー!」
コルヌゲーラとテュポーンの放つ炎は、防御領域を突破し巨体を包む。
「やはりな。空間は防御できても、地面からの攻撃は防御できないようだ」
「おまえの策か?」
竜使いはハデスにウインクで返答した。
「さて、仕上げといくか」
「くそおおお!」
激昂したヘパイストスが攻撃モードに切り替える。胸に光を集め、渾身のビームが地を薙ぐ。その時──
「この時を待っていた」
天から一筋の光が落ちる。螺旋の槍は弱まった防御領域を貫通し、ヘカトンケイルの動力炉を貫いた。
「ギィヤアアア!!」
空間制御を完全に失った神像は、崩れ落ちバラバラに分解した。
「……ルシファー!」
一同が見上げる中を、六双の翼がゆっくりと舞い降りた。
「事は終わった。帰るとしよう」
その背中に、ミカエルが声を掛ける。
「天界に、戻る気はないか?」
だが闇色の瞳は返答せず、魔の軍勢を率いて去って行った。
「……さて、我々の仕事はまだ残っている」
ゼウスは険しい目をした。
命からがら逃げ出したヘパイストスは、オリュンポス軍から逃れるべく身を隠していた。
「……見ぃつけた」
背後から声を掛けられ、ハッと振り向いた先に、鋭い角の魔王が立っていた。
「でもね、見逃してア・ゲ・ル」
サタンはニヤリと敗者を見下ろした。
「その代わり、アレを復元するの。で、アフロディテを取り返すのよ」
「……なぜだ?」
「だって、みんなが力を合わせて悪に勝ちました、なんて
鋭い爪がヘパイストスの顎を撫でる。
「次は、もっと頑丈に作るのよ」
「誰だ?」
オリュンポス兵の槍が魔王に向けられる。
「話の邪魔をされるのは嫌いなの」
不運な兵士は、憤怒の炎に跡形もなく焼き尽くされた。
「約束よ」
深淵の炎を宿す瞳に見据えられ、ヘパイストスは恐怖のあまり、首を縦に振るしかなかった。
「──アフロディテはやらん」
ハデスにそう告げ、ゼウスは背を向けた。
「くれとは言っていない」
冥王は鋭い視線を去り行く弟に投げた。
「奪い取ってやる」
「……本当に良かったので? ルシファー様」
「何がだ」
「その、天界に、戻られる事は……」
「無い」
七罪の長は、ベルゼブブの不安げな目を見下ろして微笑んだ。
「この世界を変えるまで、私は闇と共にある」