三軒茶屋では眠らない。
文字数 3,898文字
夜の街は多くの人で賑わっていた。
俺は1人、地下鉄に繋がる出入り口の前で街をぼんやりと眺めていた。
「あいつ、まだかな……」
もしかしたら、休日など関係なく、この街には沢山の人がいるのかもしれない。
三軒茶屋。
初めて来た街だけど、何故だか安心している自分がいた。優しく包まれているような、それでいて、切なくなるような。まだどこにも行っていないのに、不思議とそういう気持ちになっていた。
そうか。だから、こんなにも人がいるのか。
人混みが嫌いな俺でも、この街には一切嫌悪感など湧かなかった。
「ごめんごめん。遅れちゃった」
楓は特に焦ることなく、ゆっくりとやって来た。
「遅過ぎ」
「謝ってるじゃん」
全く悪びれた様子のない楓。
本当に、何なんだこいつは。
「逆ギレかよ」
「はいはい、しつこいしつこい。行くよ」
「ちょっと待ってよ」
今夜も君と濃紺色に染まった街を歩く。眠る前に少しだけ。無意味で無価値かもしれない。それでも、俺達は夜の街を歩いてしまうんだ。
今夜は君と、三軒茶屋を。
夜の街に俺達の足音が響く。
「何か……落ち着くな、三軒茶屋」 それを聞いて、楓は馬鹿にしたように微笑んだ。
「まだ、歩いて数秒ですけど」
「楓を待って数十分なんだけど」
俺も負けじと言い返してやった。
すると、楓はやれやれと言うように溜め息を吐いた。
「……何?」
「そういうとこ」
「何がだよ」
楓は地面を眺めながら「顔はいいんだけどなぁ……」と小さな声で呟くと、突然、キッと俺を睨み付けてきた。
「涼夜と付き合いたくないポイントその1!」
「何だよそのポイント。しかも、その1って……何個あんだよ。めげるわ」
「いいから聞きなさい」
「嫌だよ」
「命令だから」
「上司かよ」
「女子よ」
「くだらな」
「お前の人生がな」
この女、怖い。
「涼夜と付き合いたくないポイントその1!」
「まだ続いてたのかよそれ」
「続く?」
楓は不思議そうに首を傾げた。
そのキョトンとした顔は可愛いんだけどなぁ……。
「まだ何も始まってないんですけど」
「あーはいそうですか」
俺の呆れ顔など気にすることなく、楓は「涼夜と付き合いたくないポイント」についてプレゼンを始めた。
「涼夜はね、1つの失敗を責め続ける癖がある」
「そんな責めてる? ……俺」
「人は失敗する生き物だよ? 失敗して、成長するんだから」
「楓は成長した? 今日で遅刻何回目?」
「あーそういうとこ! そうやってすぐ責める」
世の中って、理不尽だな。
でも、こんなところで負けるかよ。反撃開始だ。
「じゃあ、楓と付き合いたくないポイントその1!」
「聞いてない!」
「聞けよ!」
こんなにも理不尽なのは、楓ぐらいか。一緒にしてごめんな、世の中さん。
楓が嬉しそうに指を差した。
ヴィレッジヴァンガード。通所、ヴィレヴァン。個性的な本や雑貨、CD等、普段あまり見かけないような物が販売されている書店。店によって売られている物や雰囲気が異なるので、どの街の店に行っても新鮮な気持ちで楽しむことが出来る。また、外装や内装もとてもお洒落で、ブラインドショッピングだけでもワクワクする。
「入ろ! 入ろ!」
「うん、行こう」
楓のその無邪気な笑顔は、嫌いではなかった。
楓はある縫いぐるみの前で腹を抱えて笑っていた。
「そんな笑える?」
やけに下顎がしゃくれた動物の縫いぐるみ。
まぁ、面白いっちゃ、面白いけど。
「涼夜みたい! ウケる!」
「どこがやねん」
思わず、変な関西弁が出てしまった。生粋の都民だけど。
「目と顎!」
「そんなイカれた顔してないわ」
「してるでしょ。お目々、節穴?」
お前がな。
「っていうか、楓、俺の顔がタイプじゃなかったの?」
「そうだよ」
楓はさも当たり前かのように頷いた。
別に俺も驚かない。言われ慣れた。
だったら……。
「顎しゃくれた顔が好きなの?」
「は?」
「え?」
俺、何か間違ったこと言った?
楓の飽きは突然訪れる。
先程までの爆笑が嘘だったように静かになると、階段を登り始めた。
ヴィレヴァンは階段も凝っている。両壁にはびっしりと様々な商品が飾られている。靴下やら何かのキャラのグッズやら本当に飽きない。
一般受けしそうな本だけではない。むしろ、特殊な趣味を深く掘り下げたような本ばかりだ。
見ているだけで楽しい。
楓が冷めた目で俺を見た。
「もしかしてさぁ、涼夜、今の自分に酔いしれてる?」
「は?」
俺は首を傾けた。
「今、自分はこんなにもサブカルに溢れた店にいる。なんてエモいんだ。まるで映画の中にいるみたいだ。あぁ、自分ってエモいなぁ。かっこいいなぁ、って」
「そ、そんなこと思ってないよ!」
「あ、図星だぁ」
楓は小馬鹿にしたように微笑んだ。
「だから思ってないって!」
否定すればする程、ドツボにはまっていくような気分だった。
まぁ、でも、こんな街にいたら誰しも少しは自分に酔ってしまう筈だ。綺麗な映画の登場人物のような感覚に陥り、浸ってしまう。
何だか、恥ずかしくなって、
「ほら、もう行こうよ」
必死になって話題を変えた。
「いいよ、行こう。図星君」
もうそろそろ殴っていいかな、この女。
余韻に浸りながら、俺達は再び街を歩く。
「涼夜似の縫いぐるみ欲しかったなぁ」
「そんなしゃくれてないわ」
「黙れ、顎」
「涼夜だよ!」
この街は、くだらない男女の会話がとても似合うような気がした。
「何ニヤけてんの? 気持ち悪いなぁ」
汚物を見るような楓の目も、今はとても心地よく感じる。
「いやさ、三軒茶屋って結構デートに向いてる街だなって思ってさ」
「涼夜と付き合いたくないポイントその2!」
楓が右手でピースをするように、人差し指と中指を立てた。
「何? 何か地雷踏んだ?」
再び、楓の「涼夜と付き合いたくないポイント」についてのプレゼンが始まった。1日に、しかも、1時間もしない内に2度も聞くことになるなんて……。
「過去の女に浸りがち!」
「は?」
首を傾げてはみたが、なんとなく楓の言っていることは分かるような気がした。
「あれでしょ? 散歩しながら、私に元カノ重ねてたでしょ?」
何も言えない。
「そういうとこ! 明日香さんだっけ? 高校生の時の元カノを今でも引き摺るってどんだけ重いのよ! もう大学生だよ? あー重い!」
今回ばかりは、反論出来ない。
赤信号が変わるのを待ちながら、楓は言った。
今更何を。
「分かってるよ。だって、絶対、楓みたいな性格の人とは付き合いたくないからな」
「それ、こっちの台詞なんですけど」
いや、こっちの台詞だわ。
でも、俺達はこうしてよく、2人で知らない夜の街を散歩する。デートのようで、そうではないようで、でも、デートのような……。
こんなにもお互いの顔がタイプなのに恋愛に発展しない不思議な関係に、依存しているところはあるのかもしれない。
俺は付き合おうとは思わないが、もし楓が知らない誰かと付き合ったら、少しぐらいは寂しいと思うのだろうか。
「いつも以上に眠そうな目じゃん。キモいよ、涼夜。起きて。ほら、青信号」
いや、絶対に寂しくなんかならない。
むしろ、今すぐ抹殺してやりたい。
思わず、俺は興奮した声を上げた。
居酒屋街というのだろうか。小さな道に様々な居酒屋が所狭しと並んでいる。入り口には「すずらん通」という看板がかかっている。
こういう、少し小汚くて、煌びやかな道を見ると、何故だか凄いワクワクする。
いつか、ここに並んでいる居酒屋に入ってみたい。
「いいよね。私も好きだよ、こういう道」
その時も隣に君はいるのだろうか。
まぁ、そんなことを言ったら、「キモい。死ね。キモい」と罵られるだろうから死んでも口には出さないけど。
「こういうとこに入るには、もう少し大人にならないとねぇ、楓ちゃん」
「キモい。死ね。キモい」
「泣きそう」
あと少し。
今夜の散歩はあと少しで終わる。
そんな気がした。
「今度どこ行く?」
「次は涼夜が決めてよ」
「んー……どこにしようかなぁ」
この夜の散歩に何の意味があるのか分からない。
付き合ってもいない俺達が、友達として成り立っているかも怪しい俺達が、適当に、気分で決めた、知らない夜の街を歩くだけの、この行為。
何の成長も感じないし、何かを得られた気にもならない。
ただ、街に浸り、酔い、夜に紛れるだけなのに、何故か俺達は続けてしまう。
本当に、無意味で無価値かもしれない。それは何だかとても寂しいことだけど、俺はそれでもいいと思っている。
「次は遅刻するなよ?」
「指図しないで」
「指図!?」
だってきっと、本当に嫌ならこんなこと、とっくに止めているから。
本能が拒否していない。それだけで充分だ。
さぁ、帰ろう。それぞれの街へ。
俺達は、三軒茶屋では眠らない。
またいつか近い内に、君と濃紺色に染まった街を歩くだろう。眠る前に少しだけ。無意味で無価値かもしれない。それでも、俺達は夜の街を歩いてしまうんだ。
次は君と、どの街を歩こうか。