第202話 消えない悩み

文字数 2,047文字




 作戦は失敗した。



 それどころか、重い空気はさらに悪いほうへ流れようとしている。







いっそ猫になれたらいいのに……



……そうね。

猫になるのも楽しいかもね




 朝陽(あさひ)の母の篤子(あつこ)は我が子の発言に同意しながらも、作業に取り掛かった。



 自身の耳に黒くて細長いホースのようなものを装着すると、それを熊介(くますけ)の体に当てる。



ヒャアッ……!




 診察台の上で熊介の体がモゾモゾ動き出した。



 逃げようとしても朝陽が熊介を掴んでいるので、激しく抵抗しない限り抵抗は不可能だ。



案ずるでニャい。篤子の用いているものは聴診器(ちょうしんき)じゃ。

それで熊介の体の内部に異常はないか調べている



あっしを痛めつけようとしているんじゃないんですニャ?



カン違いも(はなは)だしい。

聴診器は体に触れているだけで痛みはないのだ



そうニャんですね



暴れるんじゃねぇぞ



了解ですニャー




 聴診器による健康チェックが終わった。



 次はどうするかと俺が話を持ち出すより先に、篤子が朝陽を見つめながら言う。



猫もかわいいけど、あなたも充分かわいいんだから。

もっと自分に自信を持ちなさい



かわいくないよ。

女の子でもないし、男の子でもないし、なんか中途半端な状態



どうしても、今のままが嫌なのね



うん、嫌……。

他の人がそうなのは全然気にならないけど、自分が男子なのは嫌


すごく辛いし、泣きたくなる……




 喉が詰まったような声で朝陽が言う。



おい、朝陽のヤツ涙声になってるじゃねぇか。

いったいどーすりゃアイツの心は晴れるんだ?



ひとまず話が終わるまで待つしかあるまい



結局それかよ



文句があるのか!?



……いや、別にねぇけど



ククク、ならばよい


人間はよくしゃべる生き物じゃ。

しかし、ある程度語り尽くすと沈黙する。そこが狙い目だ



狙い目って言われてもなぁ


ちょっとくらいダンマリすることならさっきからあるだろ。

それじゃダメなのかよ?



()ニャり。

そのちょっとした沈黙に(まど)わされてはイカン


人間は大抵の場合、話がうまいこと落着すると声のトーンが明るくなる。

表情も(しか)



ほ~



しかし、相手を考慮せず話を(さえぎ)れば解決には至らん


最悪の場合、発散しきれていない鬱憤(うっぷん)(のち)に爆発するといった、後顧(こうこ)(うれ)いになりかねんのだ



じゃあ思いのままに話をさせろってことか?



そうだ。

さきほども言ったが、人間は悩みがちな生き物


それをはき出させないことには、別のことで関心を引けたとしても一時的にすぎん



だから熊介の甘えアピールは失敗したのか



傷ついた心は、()きっ腹のように飢えている


悩みを語り尽くせぬ状態をたとえるなら、ものすごい空腹時にドライフードを3粒かじった程度にすぎん!



たったの3粒かよっ



満たされぬ思いは底ナシなのじゃ。

カリカリを3粒食した程度では、到底満足できぬほどのな



悩みが深刻だってことはわかったけどよ、何もこんなときに話しこまなくてもいいじゃねぇか



まぁ人間は知能は高くとも、完璧には程遠い生き物じゃ。

それに熊介の容態が深刻ではないから、緊急性はないと判断したのかもしれん



あっしは早くここを出たいですニャー!




 俺とタイコーの会話に交じって、熊介が不満げに鳴く。



オレも同感っす。

人間の会話は複雑で、なに話しこんでるかわからないから退屈っすよ



いっそ強硬策(きょうこうさく)に出たほうが事態の早期解決になるのでは?



強硬策って、どうするんだよ?



早く出してくれって、ドアを引っ掻いてアピールすればいいんすよ



名案ですニャー!




 言ったそばから熊介の挙動が落ち着かなくなった。



えいっ!




 熊介は、自分の体を押さえる朝陽の手が(ゆる)んだところを見計らって診察台を跳び降りる。



 室内はさして広くもない。



 熊介はあっという間にドアへ駆け寄ると、ガリガリとその表面をこすりはじめた。



あっ、猫さんが……!



まだ治療してないから逃げたらダメ!




 篤子は熊介のもとへ駆け寄り、取り押さえようとする。



捕まるのは嫌ですニャーーー!




 暴れる熊介。



 けれど篤子の手は分厚そうな手袋で守られているので、爪を出してジタバタしても(ひる)みもしない。



なんか余計に面倒なことになってんぞ



はっはっはっ



火に油でしたね



熊介、静まるのじゃ!



ふにゅうぅぅ……




 タイコーに一喝(いっかつ)され、熊介は抵抗をやめた。



猫さん、すごく嫌がってるね



苦しめたりしないから大丈夫よ



言葉が通じればいいのに



言葉が通じても、理解し合えない存在もいるわ



それって人のこと?



正解



当たっても、うれしくない……




 落ち込んだようにうつむく朝陽。



 悩みを口に出してからというもの、本来の明るさを奪われたように暗く沈んでいる。



なんだか悩んでばっかりで不憫(ふびん)だな




 俺にはあのコの悩みの(たね)はわからない。



 けれどもまだ子どもにすぎない幼子(おさなご)が、苦悩するばかりで無邪気に楽しく過ごせないのだとしたら、ひでぇ世の中だと思った。




























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登場人物紹介

ボス ♂

野良猫。先代の跡を継いでジロリ町のボスの座についたが、自身は平和主義でもあり自由を求めているのであまり乗り気ではない。非常にケンカが強く、疾風の猫パンチを見切れるものはいないという。

(本名:プルート 通称:ボス、親分、リーダー、カシラなど)

マウティス ♀

ボスファミリーの一員。野良だが先代ボスの子。

「にゃも」など、しゃべり方に独特の趣がある。とてもしたたかな性格で賢いが、食い気には勝てず、好物のニャオ☆チュールを手に入れるためなら平気で他者を利用する。

インテリ ♂

ボスファミリーの一員。飼い主の老夫婦が死亡したことにより野良となる。猫にしては博学で語学も堪能。トリ語も解する。その冴え渡る知能を活かし、組織の交渉役として縄張りの維持に努めてきた。

(本名:あずきちゃん、肉球があずきに似ていることから命名されたが彼は気に入っておらず、しばしば違う名を名乗る)

キンメ ♂

飼い猫。多頭飼育崩壊から生き残り、ボランティアらによって関東在住の住人のもとへ譲渡され、ジロリ町に移住する。当時の名残が残っているせいか、口調は大阪弁。明るいキャラでよくしゃべる。

(本名:なし、名前がなかった。名づけられたのは譲渡先に行ってから。目が金色なのでキンメとなる)

ミミ ♀

飼い猫。耳の形に特徴がある。麗しの三毛猫を自称しているが、発情期に誰も寄ってこなかったという悲しい黒歴史を持つ。ヒカリモノに目がなく、自身の首にもキラキラネックレスを身につけているが、あちこちに引っかけて壊すので飼い主に呆れられている。随時彼氏募集とのこと。

ヨウ ♂

飼い猫&洋猫。飼い主の目を盗んでしばしば脱走する。自慢の毛を維持するためいつも毛づくろいしてばかりいる。海外ブリーダーのもとで育てられたため、日本語がやや片言。生まれたばかりの兄弟が多数いるが、引き合わせてもらえないのであまり仲良くはない。

??? ♂ 

ちょっと汗かきすぎな新入り猫。どうも様子がおかしい……。


ちなみに猫は肉球からしか汗をかかない。顔グラではわかりやすさを重視して強調している。

モブニャン

ネコの集会に参加する猫たち。集会への参加期間の浅い猫は下っ端になる。モ〇ニャンという某キャットフードに名前が酷似しているが関係性はない。

モブニャン

ネコの集会に参加する猫たち。集会への参加期間の浅い猫は下っ端になる。モ〇ニャンという某キャットフードに名前が酷似しているが関係性はない。

アイ・キャット

i〇adを所有する謎の猫。その便利グッズで猫に関する豆知識や雑学を解説してくれる。

ストーリー上には登場しない。

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