第74話 エリュシオン

文字数 2,363文字

「兄さん、あ~ん」

「あむあむ。いや~、卑弥呼(ひみこ)の作ってくる料理は本当にうまいよ~」

 浅倉喜代蔵(あさくら きよぞう)と浅倉卑弥呼の兄妹は、虎ノ門にある有限責任監査法人たこぐも本部のだだっ広いオフィスで、このようにいちゃついていた。

 傍らには黒髪の青年がしゃがみ込んで、何も言葉を発せずにただほほえんでいる。

 浅倉喜代蔵の弟子である公認会計士・鷹守幽(たかもり ゆう)だ。

 少年のようなあどけなさをたたえているが、師匠のボディガードを兼務する手練れの暗殺者である。

 もちろんというか、アルトラ使いだ。

「先生、鬼堂(きどう)総理がお見えですよ」

 もうひとりの弟子・羽柴雛多(はしば ひなた)が入室してくる。

 鷹守幽とは相棒の間柄で、二人の立ち位置は「太陽と月」のようだと、浅倉喜代蔵はよく話している。

「ああ? あの野郎、いったい何しに来やがった?」

 浅倉喜代蔵はメンソールの電子パイプを思いっきりふかした。

「どうせ、兄さんのご機嫌を取ろうなんて腹に違いないんだわ」

 浅倉卑弥呼も同調するようにパイプをふかす。

「元帥閣下、ご尊顔を拝しますよ?」

 ナイフのような目つきの男性が入ってくる。

 内閣総理大臣・鬼堂龍門(きどう りゅうもん)だ。

 その正体は、秘密結社・龍影会(りゅうえいかい)の大幹部・征夷大将軍である。

 うしろには実弟で秘書官の鬼堂沙門(きどう しゃもん)を引き連れている。

「総理、本日はどうなさいましたか?」

 浅倉喜代蔵は探るようにたずねた。

「いや、国会が閉会したので、ごあいさつでもと思いまして。主税頭(ちからのかみ)殿もご息災の様子、何よりでございます」

「今日の答弁もお見事でしたね。野党の連中、ぐうの音も出ない様子でしたし」

「はは、揚げ足を取るしか能のないような輩ですからね。たいした代案も出せないくせに、口ばかりは達者で困ったものです」

 浅倉卑弥呼も探り探り会話をしている。

「ときに総理、ぶしつけながら、それだけが理由ではないのでは?」

 浅倉喜代蔵はおそるおそる、核心に迫ろうとした。

「さすがは鹿角元帥(ろっかくげんすい)、おそれいります。ほかでもない、万城目日和(まきめ ひより)の件についてです」

「ほう、総理のライバルだった万城目優作(まきめ ゆうさく)氏のご息女ですね? 似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)の手で育てられ、最近ひょっこり姿を現したとまでは聞きおよんでおりますが……」

「はい、先日ウツロたち特生対の面々と接触し、典薬頭(てんやくのかみ)および兵部卿(ひょうぶきょう)までが動いたとのよしでございます」

「総帥閣下は彼女を泳がせておくお心のようですな。何か、お考えがあってのことなのでしょうが……」

「ええ、まさにそこなのですが、どうか元帥閣下のお力添えにて、万城目日和を処断させていただけるよう、総帥閣下へのご許可の言上をお願いしたいのです」

「ほう、処断、ですか……それは、いったいなぜ?」

「あの少女、龍影会の秘密にかなり肉薄している模様。しかるに、これ以上掘り下げられる可能性を鑑みて、排除するのが妥当であると、征夷大将軍の立場からご提案いたす次第です」

「……」

 要するにてめぇを狙ってるから、自分のことが心配なんだろ?

 回りくどいこと抜かしやがって、俺を使おうなんてふてぇ野郎だ……

 浅倉喜代蔵はそんなふうに思った。

「なるほど、総理のおっしゃること、一理以上あるかと判断します。よろしいでしょう、総帥閣下には確かに言上しておきますゆえ、どうかご安心ください」

「おお、この鬼堂、ありがたき幸せ。元帥閣下のお心遣い、心より感謝いたします」

 このような流れで、鬼堂兄弟はオフィスからはけていった。

 浅倉卑弥呼は苦虫をかみつぶした顔だ。

「自分の都合で父親を消しておいて、今度はその娘を始末しようだなんてね。しかも何? 閣下に言上しろだあ? 元帥である兄さんに向かって? まったく、なんてやつなのかしら。総理だからっていい気になりやがって。組織のヒエラルキーでは、兄さんより下にいるくせにさ」

「まあ、卑弥呼。あの男は自分のことしか頭にないからな。出世のためならなんでも利用し、用が済んだらポイの思考回路だ。相手がガキだろうが、おびやかす芽は摘んでおきたいんだろうよ。俺の一番嫌いなタイプだが、組織の関係がある手前、むげにすることもできねぇ。はあ、めんどくせぇなあ」

「兄さんを閣下にけしかけておいて、あわよくばつぶそうって腹もあるんじゃない? ああ、ほんと、なんてやつ。わたしの兄さんによくも。八つ裂きにしてやりたいくらいだわよ」

 鷹守幽は首をかっ切るしぐさをした。

「ダメだよ、幽くん。先生の号令が出てからね?」

 羽柴雛多が横によりそってにっこりとすると、少年のような青年は顔を合わせて音もなく笑った。

「幽くん、いざってときは頼むぜ? 雛多くん、あの兄弟は要注意だ。閣下にはさりげなく伝えておくから、くれぐれもな?」

 浅倉喜代蔵はまたメンソールを深くふかした。

「すでに幽くんが動きを探っています。さっき仕込んでおいたそうですよ?」

「くっくっ、影にひそむアルトラ、さすがは幽くんだ。それにその気になれば、雛多くんの太陽で抹消できるし、まったく、君たちは最高のコンビだよ」

 二人の青年は連動するように肩を揺らした。

「われらにかなう者など、この世に存在しないわよ? ねえ、兄さん?」

 妹も兄に寄りかかる。

「そうだ卑弥呼。それこそ、閣下だってな……」

「いや~ん、お・そ・ろ・し・い~っ!」

「もうすぐだ、もうすぐに俺の時代が来る。人間の世界がやって来るのだ。俺の定義する人間だけが生き残る世界がな。くくっ、はははっ!」

 グスタフ・マーラーの交響曲がこだまする。

 エリュシオンを渇望したひとりの表現者の音楽。

 そしてここに、時代を越えて彼の願望をかなえようとする男がひとり。

 ただしそれは、あくまでもその男の中でのエリュシオンであった。

 だがそれに同調して、影響を与えたほうの復活も近づいていた。

 世界は美しいと言った男の復活が。

 一同は鳴り響く交響楽の中、高らかに笑いつづけた――
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登場人物紹介

氏名:ウツロ


父・似嵐鏡月(にがらし きょうげつ)と兄・アクタの壮絶な死から約半年、その事実と向き合いながら、現在はアルトラ使いを管理・監督する組織「特定生活対策室」の意思のもと、佐伯悠亮(さえき ゆうすけ)を名乗り、名門私立である黒帝高校(こくていこうこう)の学生として、充実した日々を送っている。

彼を救った真田龍子とは相思相愛の仲である。

趣味は思索、愛読書はトマス・ホッブズの「リヴァイアサン」

龍子の弟・虎太郎の影響で、音楽にものめり込んでいる。


アルトラ名:エクリプス


虫を自由自在に操ることができる。

虫を身に纏い、常人離れした能力を持つ戦士へと変身することもできる。

氏名:真田龍子(さなだ りょうこ)


魔道へ落ちかけたウツロの心によりそい、彼を救い出した少女。

慈愛・慈悲の精神を持っているが、それを「偽善」だと指摘されることもあり、ジレンマを抱えている。

ウツロとは相思相愛の関係。

真田虎太郎は実弟。


アルトラ名:パルジファル


他者を肉体的・精神的に治癒することが可能であるが、能力を使用するときの負担が大きい。

氏名:南柾樹(みなみ まさき)


はじめはウツロを邪険にしていたが、それは彼に自身の存在を投影してのことだった。

アクタの遺志を受け継ぎ、ウツロを守ると心に誓っている。

いまでは彼のよき友である。


アルトラ名:サイクロプス


巨人に変身できる。

絶大なパワーを持つが、その姿は彼のトラウマの結晶である。

氏名:星川雅(ほしかわ みやび)


似嵐鏡月は叔父であり、すなわちウツロとはいとこの関係である。

両親はともに精神科医で、彼女もすぐれた観察眼を持っている。

傀儡師の精神を持つ母の操り人形として育てられ、屈折した支配欲求を抱いている。


アルトラ名:ゴーゴン・ヘッド


「二口女」よろしく、髪の毛と後頭部の大口を自由自在に操ることができる。

氏名:真田虎太郎(さなだ こたろう)


真田龍子の実弟。

姉同様、慈愛・慈悲の精神を持っている。

ウツロと同じく考えすぎてしまう傾向がある。

好きな作曲家はグスタフ・マーラー。


アルトラ名:イージス


緑色の「バリア」を張ることができる。

他者にもそれをかけることが可能である。

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