『アマテラスオオミカミ、世の無情を知る』(短編小説/アシェラ著)

文字数 4,181文字

 高天原の主、アマテラスが岩戸の奥に引きこもってしまい、世の中がしっちゃかめっちゃかとなってしまった。そんな中にあってもアメノウズメノは平然とし、右往左往するお偉方の姿をぼんやりと眺めるのであった。まったく、天地がひっくり返ったわけでもないのに騒々しい。せいぜいお日様が空に上がらなくなったというだけのことではないか。どうせ放っておけば腹を空かせて昇ってくるだろうに。作物はダメになるだろうが、しばらくは魚でも釣ってしのげば良い。そう言えばあのやんちゃ姫、アマテラスは釣りが好きであった。釣りにでも誘ってやれば少しは気分も良くなるだろうか。

 アマテラスが引きこもるということはこの世から光が失われるほどの一大事であったが、アメノウズメには割とどうでも良いと思われた。何、死ねば常世の国に移住するだけのこと。そこでまた仲良く暮らせば良いのだ。

「ああ、困った」

 そんな楽観的なアメノウズメの前で頭を抱えているのがオモイカネ。思いを兼ねる。一度にいくつもの思考を並列処理出来るほどに頭脳明晰ということからそう呼ばれているらしい。

「そんなに困ることないのに。もっと気楽に行こうよ」

「お前は、女だからそうやって平気でおれるのだ。我ら男はこうして(まつりごと)に日々頭を使わねばならぬ。アマテラス様が引きこもってしまわれたせいで、高天原の活力は一気に低下してしまった。もし今、冥界のイザナミ様が攻めてこられたら、我らは太刀打ち出来ぬだろう」

「またそうやって女を軽んじる。最近の男はダメね。すぐに自分たちがこの世の中心と勘違いするんだから。男がそんなだから、アマテラス様も引きこもっちゃったんじゃないの」

「私は決してアマテラス様を軽んじてなどおらん!」

 ああ、そういえば。

 オモイカネは近々、アマテラスと親戚関係になるともっぱらの噂だった。アマテラスの弟アメノオシホと、オモイカネの妹トヨスキイリとの婚約話が持ち上がっているのだ。アマテラスは高天原の女王。となればオモイカネはその外戚として権力を持つ。そういった具合であるから、オモイカネがアマテラスとの関係を今まで以上に重視するのもよく分かった。

「まあ、そうまで言うなら、なんとかしなきゃだねえ。てか、いっそのこと力ずくで引きずり出しちゃえば? ほら、タヂカラさんに頼んで岩戸をこじ開けてもらうの。引きこもるような子には厳しく接するのも一つの手だと思うよ」

「それは出来なくもないが、出来ればアマテラス様自ら岩戸を開けてもらいたい。あの方はあれで傷つきやすい心の持ち主だ。無理に引きずり出したとて、その力が振るえぬのでは意味が無い。そしてまたすぐに引きこもられてしまうやもしれん」

「はあ。女心が分かってないわねえ。女ってのは、時には無理にでも引っ張ってってもらいたいものなのよ」

「お前のような荒っぽい女に言われても全く説得力がないわ」

「ははは。まあ、それもそうか」

 アメノウズメはあっけらかんと笑い飛ばした。

「しかしお前のおかげで決断できた。やはり力ずくで引きずり出すことにしよう」

「え? いいの?」

「やりようはある。要は女の浅はかな自尊心をくすぐりつつ、最後は晴れやかな気分で外に出られるように仕向ければ良かろう。実際には無理やりであるが、当人にそのことを気にさせなければ問題ない」

「さすが。思いを兼ねるなんて言われるだけのことはあるわね。私とこうやって話してる間にも作戦考えてたってことでしょ」

「いや、すでに策は立てていた。後は自身を納得させるだけであった。頭であれこれと考え、それがいかに完璧なものであったとしても、最後はどうしても賭けになるからな。今もうまくいく保証は何も無い。俺は臆病なのかもしれん」

 気丈に振る舞いつつも弱音を吐くオモイカネを、アメノウズメは可愛いと思い、めんどくさいと感じた。まったく男と言うのは、自己弁護の塊のようだ。隙を見せないくせに隙を見せたがる。

「やれやれ。じゃあ、そんな臆病なオモイカネさんのために、あたしもひと肌脱ぎましょうかね」

「うむ。お前にはひと肌脱いでもらうぞ」



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 アマテラスは天岩戸の奥で一人、体育座りをしてちじこまっていた。体育? なんのことだ。暗闇にいると思考が分散してしまうらしい。

 世情のことはうんざりだ。自分は頑張った。本当に色々我慢した。よくやってきた。でももう限界。やってられない。この世をば我が世とも思わぬ、とっとと消えてなくなれ。腹立たしいのは弟たちのこと。まずツクヨミ。あれをウケモチという神への使者に遣わしたら、なんとウケモチを切り殺してしまった。なんか気に入らないから殺したという。そんな使者があるか。ツクヨミを追放し、なんとかウケモチの親族らと和解することが出来たが、本当に肝が冷えた。それから何と言ってもスサノオ。あのバカ弟には今でもはらわた煮えくり返る思いだ。民が一所懸命に作った田畑を荒らしてまわる。神殿でうんこをする。そこまでは許した。うんこも、うっかりゲロ吐いちゃっただけだと自分に言い聞かせた。しかしあれは許せない。私が心を込めて作業を進めていた絹織物の機織り機。あれに馬の死骸をぶつけて破壊したのだ。意味が分からない。何で馬なの。いや、そうじゃない。絹織物がどれだけ高く売れると思っているの。そしてスサノオも追放した。バカな弟を二人も抱えて、これまでよく耐えてきた。もう、休んでもいいよね。

「暗いところ好き。落ち着く」

 太陽の女神にあるまじきことを言うアマテラスである。

 その時、外からどんちゃんどんちゃんと騒ぐ音が聞こえた。アマテラスは岩戸のそばに行き、聞き耳を立てた。すると外から聞こえるのは明らかに宴会の騒ぎであった。

「はあ? この私がこうやってふさぎ込んでるってのに、宴会? まったくふざけるにもほどがあるわ」

 外では酒が振る舞われているらしいことも聞いて取れた。酒は晴れの日に飲むものである。アマテラスが引きこもっているというのに、いったい何が目出度いというのか。アマテラスは思った。この私を放置するなど、許せない、と。明らかな構ってちゃんである。

 また声が聞こえる。

「そら、アメノウズメ! 脱ーげ! 脱ーげ!」

「なっ。今のはオモイカネの声。あの男、あんな下品なことを。しかもウズメちゃん? まさかウズメちゃんが踊ってるの?」

 オモイカネが囃し立て、周囲の男たちも同調し、辺りはアメノウズメ脱げの声で埋め尽くされた。女たちもそれを咎めるでもなく、きゃっきゃと笑い合っていた。

「なんと言っても、今日はアマテラス様よりも高貴な方が来られたのだ。あんな引きこもりは放っておいて、盛大に祭り上げるぞ!」

 おお!

 どっと笑い声が上がる。女たちがきゃあと嬉しそうに悲鳴を上げる。太鼓のリズムが勢いを増す。

「私よりも高貴な神っていったい誰よ。父上? いや、あの人はこういう騒ぎは好まないし、今更祭り上げるもんでもないし。まさか母上。いやいや、あの方が来たらもはや戦争しかあるまい。であれば、まさか、アメノミナカヌシ様!? ああ、気になる!」

 アマテラスはそっと岩戸に隙間を開けた。右目を覗かせ、いったいどんな神がいるのかと窺った。するとそこには、左目だけを覗かせた得も言われぬほど美しい女神がいた。アマテラスは衝撃を受けた。

 なんという美しくも神々しい女神だろう。この世にこれほどの神があったとは。その美しさはコノハナサクヤヒメ、イチキシマヒメといった美人と評判の女神たちさえも霞む。それでいてその神威はイザナギ、イザナミに勝るとも劣らない。岩に隠れてその姿はほとんど見えないにも関わらず、アマテラスは確信した。この女神こそは、高天原のみならず中つ国をも従え、民を導くに相応しいのだと。

「ああ、なんとお美しい」

 アマテラスのその呟きを待って、オモイカネは声を上げた。

「今だ。引きずり出せ!」

 屈強な男の神、タヂカラオが岩戸にできたほんのわずかの隙間に手を差し込み、一気に岩戸を引きはがしてしまった。そしてアマテラスは眼前の女神を観た。上品に結んだ(まげ)は外国風の最先端スタイル。結び止めに使われた翡翠は一目で高志産の上物と分かる。まだ幼さの残る目元。ほんのりと紅い唇。練色(ねりいろ)韓紅(からくれない)のコントラストが鮮やかな襟元。彩る太陽のごとき神威。間違いない。そこにあるのは赤ん坊ほどに大きな鏡であった。アマテラスは自身の顔に見惚れ、「美しい」などと呟いてしまったのだ。

「あ、あ、あ、ああああああああああああああああ! 穴があったら入りたい!」

 踵を返そうとするアマテラスをがっしりと掴む者がいた。アメノウズメである。

「う、ウズメちゃん。ちょっと、それ全裸!」

「全裸じゃないわ。まだ領巾(ひれ)を纏ってるわよ」

「いやそれもう全裸だし。領巾(ひれ)とか全然、何にも隠せないし!」

「アマテラス様。私は、あなたをこの穴から引きずり出すために、恥も外聞も無く。泣く泣くこんな姿にまでなって、太鼓によじのぼり、足でドンドコドンドコ叩いてたのよ。これはもうこの国で私を娶ってくれる人なんかいないわけ。不可能よ。私がここまでしたってのに、まさかまた引きこもったりしないわよね」

 アマテラスは近くにオモイカネがいることに気付いた。そしてそのドヤ顔に気付く。何もかも、彼の思惑通りということだ。自己愛をさらけ出してしまったアマテラスは当分、周囲の指示に逆らえないだろう。そしてアメノウズメに対する責任感という点でも、もはや岩戸に戻れない。

「ああ、なんて“あわれ”なのかしら、私」

「皆の者、アマテラス様が“天晴れ”と仰せだぞ! 我ら、高天原の朝がついにおいで下さったのだ!」

 ニワトリが鳴いた。こうして民は、日々朝を迎えられるようになったとさ。めでたしめでたし。
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登場人物紹介

【アシェラ/蘆屋都々(あしやとと)】

電子文芸部を発足した人。推理しない探偵事務所所長。

NOVEL DAYS内にて『天使と悪魔の聖書漫談』を連載。

Twitterで気になる人にクソリプを送りまくる性癖あり。

来るもの拒まず、去るのは寂しい、ただのオタク。

【成瀬川るるせ】

眠ることが大好き。宵越しの金は持たない主義でありたい、ただのアブノーマル男子。

NOVEL DAYSで『死神はいつも嘘を吐く』、『【抹茶ラテの作法と実践(The Book of Matcha Ratte)】』シリーズなどを掲載している。

NOVEL DAYSの個人ページはこちら

【そばえ】

カクヨムで連載小説を書きつつ、バーチャルとリアルを行き来している不器用なのにあちこち手をつける多趣味な人間。

妖狐の娘の道すがら-ミレハ帰郷記』(玖山 戯)

【姫宮未調】

作中は所長により、所長助手のJKの肩書きを持つ仔犬系女子。

実際は年齢不詳女性。自称人間になりたい豆柴。

カクヨムをメインに風呂敷を広げ、ジャンル問わず50作品以上書いている。

時違えども君を想ふ』はエブリスタの妄想コンテストの優秀作品の末端に入れた唯一作品。

それ以外はマイナー街道をひた走り、マイナー受けしかしないものばかり書いてしまう残念系中性女子。

【旭山リサ(あさひやま・りさ)】

おしゃれなパスタより、チャーシュー大盛り豚骨ラーメン大好き女子。

作者ページは、こちら

【おきらく】

しがない物かき。Twitterではうるさかったけど、最近は比較的うるさくない。現在、過去作を掲載中。アイコンは自創作キャラのハジメです。

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