7章―5
文字数 3,547文字
ナタルは、離れた場所に立つフィードをきつく睨む。フィードもまたこちらを睨んだまま、「ふん」と鼻を鳴らした。
「お嬢様、貴方は我が社の諜報部を甘く見ていらっしゃる」
カツン、カツン、と石畳を鳴らしながら、『蛇』はにじり寄る。雨音が激しく鳴り響く中、足音だけがはっきりと聞こえる。フィードはナタルの目の前で足を止めた。
「ラウロは絶対に、渡さないんだから……!」
ナタルは低い姿勢で構える。しかし、青い『蛇』は動かない。睨み合ったまま数十秒経ち、フィードは目を伏せた。
「今の私の実力では、貴方には敵わないでしょう」
ナタルは驚いて目を丸くする。フィードはキャンピングカーの入口に目を向けた。
「貴方の[家族]と……あの男と、話をさせてください」
隙を見せないように振り向く。入口では、様子を見守る[家族]が怯えた目でこちらを見ている。その先頭では、ラウロが真っ白になって震えていた。
ナタルはフィードから目を離さずに後退し、車体に寄りかかった。すかさず、ノレインが身を乗り出した。
「あ、あいつの目的はなんだ?」
「ラウロと話がしたい、って……」
「だ、大丈夫なの? 襲いかかってくるんじゃない?」
[家族]が次々と取り乱す中、ラウロは強い目で前を向いた。
「俺も、フィードと話がしたい」
息を飲む音が聞こえる。皆が反論する前に、ラウロは続けた。
「ナタルが守ってくれるから大丈夫。それに、どうしてもあいつに言っておきたいことがあるんだ」
夫婦は困惑した顔で互いを見る。そして、決心したように頷いた。
「よし。じゃあ私達も一緒について行くぞッ!」
「一人より三人いた方が絶対いいわ!」
傘立てから大きい傘を取り出し、二人はラウロの腕を取る。ナタルは彼らを先導するように、ゆっくりとフィードに近づいた。
フィードは、細い目でラウロだけを睨む。射抜くような眼差しを受け、ラウロはごくり、と喉を鳴らした。
「俺は、あんただけの道化師にはならない」
フィードの眉がぴくりと動く。一段と増す殺気に臆することなく、ラウロは目の前の『蛇』に立ち向かった。
「[家族]と出会って分かったんだ、俺の本当の居場所はここだって。もっと広い世界を見てみたい。色んな場所に行って、色んな経験をしたい。暗い世界に閉じこめられるのは、もう嫌なんだよ!」
ラウロの悲痛な叫びが響き渡る。しばらくの沈黙。一段と、雨の音が激しくなった。
「本当に、そう思っているのか」
心の底から滲み出る怒り。フィードは、細い目を吊り上げるようにラウロを睨んだ。
「お前の身体は、俺を求めているはずだ。既に俺無しでは生きられない。それでもお前は、[家族]を選ぶのか?」
ラウロは一瞬顔をしかめる。だが、すぐさまフィードの視線を受け止め、傘の外に出る。彼の瞳には、光が宿っていた。
「あぁ、俺は[家族]と一緒に旅を続ける。ずっと探していた夢を見つけるために。居場所を失った人々に生きる希望を与えるために。……あんたを救うために」
ナタルは思わず彼を見る。フィードも困惑しているのか、細い目を大きく見開いていた。
「もういいでしょ。さっさと帰っ……」
ナタルは一歩前に出ようとするが、言い終わらないうちに、フィードに右腕を掴まれた。
ラウロ達は咄嗟に悲鳴を上げる。腕の力が強く、振り払うことが出来ない。静かに見下ろす『蛇』に、ナタルは初めて恐怖を覚えた。
「私達の標的はこの男だけではない。お嬢様、貴方もだ」
握られた腕が、ぎりぎりと締め上げられる。ナタルはあまりの激痛に、顔を歪ませた。
「ボスのご命令の下、貴方を連れ戻さなければならない。それに貴方の居場所こそ、ここじゃないのでは?」
ナタルは反論しようと口を開くが、「違う!」という一言は呻き声にしかならない。すると、急に力が弱められた。
「今日は特別に見逃します……が。その代わり、[潜在能力]とやらを目覚めさせてもらおうか」
ナタルは背筋が凍りついた。一般人は知らないはずの[潜在能力]を何故知っているのか。すると、ラウロが小さく「ごめん」と呟いた。ナタルは右腕の激痛に耐えながら、彼の両腕を掴む。
「あんた、まさか……」
「『檻』にいた時、俺の能力がばれちまった。上手い言い訳がつかなくて、全部……!」
ラウロは悔しげに両目を閉じる。ノレインは彼の頭を優しく叩き、毅然とした態度でフィードに向かった。
「分かった。だが[潜在能力]が欲しい理由を教えてくれ」
フィードはラウロを一瞥し、天を見上げる。一向に止まない雨に打たれながら、暗い表情でぽつりと、呟いた。
「この男との『接点』が、欲しかったのかもな……」
ノレインは返答に笑みを浮かべ、ミックに声をかけた。
ミックは兄につき添われ、メイラの背後からフィードの目を捉える。そしてメイラに耳打ちすると、大急ぎで車内に引っこんだ。
「あんたの[潜在能力]は、『舐めた箇所を痺れさせる』ことみたい。ち、ちなみに、他の人の口の中は舐めちゃだめよ。一瞬で死に至るらしいわ」
「無暗な人殺しはしない。それに、この男以外とキスをする気もない」
フィードの視線を慌てて避け、ラウロはノレインを急かす。ノレインはフィードの眼前に右手を差し出した。
「よし、始めるぞ。……それでは、貴方の[
――バチン!
「終わったぞ。これで、[潜在能力]に目覚めたはずだ」
「そうか……」
フィードはその場でラウロを一瞥すると、「ふん」と鼻を鳴らす。そして何も言わずに背を向け、靴音を響かせながら、来た道を戻って行った。
――――
雨は一向に止む気配がない。車内に戻った[家族]は、突然の出来事にただ茫然としていた。
「……悔しい」
ナタルはバスタオルで、濡れた髪をくしゃくしゃに掻き回す。彼女の右腕には、痛々しい痣が残されていた。
「ラウロを守るって誓ったのに、私は……」
「ナタルは悪くない。元々は俺のせいだしな」
ラウロは髪の結び目を取り、同じようにバスタオルを被る。しかし、その瞳は暗く沈んではいない。
「でもこうなったからには、前に進むしかないんだ」
全員が重く頷く。ノレインは彼の頭を優しく撫でた。
「ラウロ。フィードは元々、居場所のない人だったのだな?」
皆一斉に驚きを示す。ラウロは「うーん」と難しげに首を傾げていたが、否定はしない。ノレインは腕を組み、しきりに頷いた。
「私には分かるぞ。あの人は愛も希望も知らない目をしていたからな」
「そういえば、チェスカも同じようなことを言ってたような……」
ナタルは右腕を摩りながら独り言を呟く。モレノが「誰だ?」と質問する前に、アース達の耳元で、双子が「ナタルの知り合いだよ」と補足した。
ラウロはしばらく考えこんでいたが、納得したかのように頷き、天井を見上げた。
「あいつを好きになったのはたぶん、似た者同士だったから。俺が[家族]と出会って救われたように、フィードも、救われるべきなんだ」
「あぁ、私もそう思う。君の願い、全力で応援するぞッ!」
「ルインさん、ありがとう」
ラウロは照れ臭そうに笑う。その様子を見たメイラは、思わず吹き出した。
「ふふっ。ようやくよそよそしい口調じゃなくなったわね」
「えっ」
ラウロは突然の指摘に赤面する。メイラだけでなく、皆もつられて笑い出した。
「あたし達も立ち止まってる場合じゃないわ。いつまでも暗いままだと、コンバーに叱られちゃうわね」
「あぁ。どんなことがあっても、[オリヂナル]は続けるべきだな!」
アースとモレノは顔を見合わせた。先日まで漂っていた不穏な空気は、もうそこにはない。[オリヂナル]存続の危機が解消されたのだ。
だがモレノは疑問に思ったのか、視線を上に向けた。
「あれ。でもあの人、[潜在能力]に目覚めてパワーアップしたよな? また同じように見つかったらやばくね?」
ノレインは「うッ」と呻く。ナタルが反論しようと口を開いた瞬間、ミックが諭すように断言した。
「……ラウロさんには効かないわ。まぁ、ちょっとはしびれるかもしれないけど」
治癒に優れる彼でも、動きを封じられたら捕まるリスクが高い。ラウロの表情は僅かに曇るが、ナタルは怪我をした右腕で、テーブルに拳を強く打ちつけた。
「フィードがいくら強くなってもラウロは絶対に渡さないわ。これまで以上に鍛えて、今度こそ私が勝ってみせる!」
彼女の緑色の瞳は燃え上がっていた。ラウロもまた、不敵に笑う。逞しくも美しいその姿は、もはや『蛇』に怯える『蝶』ではない。彼は、新たな未来を切り開いたのだ。
「あぁ。皆のためにも、あいつのためにも……捕まってたまるか」
Clown’s feedback
(道化師の決意)
(Vol.2へ続く)
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