第三章・第二話 勅使との対談

文字数 6,789文字

 偽装出火については、和宮(かずのみや)も自分で目にしたこと以上のことは、結局、邦子にも分からないらしかった。
 大半は、熾仁(たるひと)慶喜(よしのぶ)に繋がるはずだった唯一の生き証人を、滝山が独断で処分してしまったことが原因だ。
 こうなると、あとは熾仁と慶喜を何とか説き伏せ、罪状を認めさせた上で二度とこんなことはしないことを約束させるよりない。死罪でも命じられれば一番簡単だが、和宮にもまだ熾仁には、想いを寄せていた頃の記憶による情はある。そう簡単に、思い切った決断はし兼ねるし、殺してしまうほど憎んでもいない。
 それに、彼らは何と言っても、有栖川宮(ありすがわのみや)家の縁戚なのだ。熾仁への情を差し引いたとしても、軽率なことはできない。
「それで、滝山の様子はその()どう?」
 偽装出火の報告書を閉じ、再度慶喜の報告書を手に取りながら問うと、邦子は目を伏せ、軽く会釈した。
「はい。(おおむ)ねは、宮様のご指示に従っております」
「概ねはって?」
「宮様の下された降格の件、その()の丁寧な引き継ぎ、及び宮様に忠実に従う件は遵守(じゅんしゅ)されているようです。が、宮様のお役に立つよう気を回すところまでは」
「ま、仕方ないわね」
 肩を竦めて脇息へ(もた)れると、邦子は「よろしいのですか」と探るように和宮を覗き込んだ。
「だって、本当の忠心は、心から(あるじ)を慕ってないと出て来ないものでしょう。処罰って名目があったからあたしも要求できたけど、本当は処罰としてだって心を差し出せなんて、太々(ふてぶて)しく要求するモンじゃないわ」
「ですが」
「滝山だって一人の人間だもの。本来、忠誠を誰に捧げるかは、彼女が決めることよ」
 言いながら、和宮は苦笑した。自身にも、嫌と言うほど覚えがある。
 まだ熾仁を慕っていた頃、ほかの男に嫁げと言われて、心は悲鳴を上げた。家茂(いえもち)に出会った今となっては、心臓を引きちぎられる思いをしたのも最早過去のことだが、他人から『こうしろ』と想いを強要されることほど理不尽な苦痛はないことは、痛いほど知っている。
「あの場では言わなかったけど、この処罰……滝山にあたしへの忠誠を求める処罰は、あくまでこの件が解決するまでのつもり。滝山には内緒ね」
 和宮は、唇に空いた手の人差し指を当てて、また肩先を上下させる。
「それで、滝山の後任の、筆頭御年寄りは、まだ決まってないのよね?」
「はい。ですから、此度の滝山からの引き継ぎは、残る三名へ同時に(おこな)われました」
「了解。じゃ、勅使が連絡寄越すまでは、そっちのほうを片付けましょう」
「偽装出火の件は、どうされますか」
「証拠がないだけで、犯人はもう割れてるんだもの。片方は動機もはっきりしてる。推理を披露するまでもなくね。問題は、証拠がない中、どうやったら犯人(みずか)ら白状してくれるかってところなんだけど……」
 無意識に、唇へ当てた人差し指を折り曲げ、半ば一人ごちる。
「そう言えば、熾仁兄様のほうは、その()何か動きはあった?」
「いいえ、特には。隠れ場所からも動いていないと、川村殿より定時報告が上がっております」
「そう」
 家茂の近侍である川村崇哉(たかなり)は、分家ながら御庭番の家系だと聞いている。つまり、職務内容としては、やっていることは邦子と近い。
 加えて、家茂が絶対の信頼を寄せているとなれば、その調査と仕事に不安はないと言っていい。
「……最後に熾仁兄様を見送ったのって川村だったよね。何で兄様は江戸に残ってたのか、聞いてる?」
 ふと気付いて問うと、邦子は急に居心地悪そうに目を伏せた。
「……それが……」
「何?」
「まことに申し上げ(にく)いのですが……川村殿が熾仁様を運び、輿に乗せたあと、輿だけが行方不明になっていたというのです」
「何ですって? ……それって、まさか」
 ハッとして呟くと、邦子が小さく頷いて言葉を継ぐ。
「お察しの通りです。恐らく、輿を奪ったのは、慶喜殿でしょう」
「川村は、何でそれをすぐ報告しなかったの?」
「上様のご指示だそうです。川村殿の直属の(あるじ)は上様ですから、上様には即時ご報告したのでしょう。その時点で、宮様(こちら)陣営には伝えるなと厳命されたと……」
(……あんのバカ)
 滝山を追い詰めた総触れのあと、倒れた家茂が意識を取り戻してから、もう何度目か分からないその言葉が頭をよぎる。
「どんだけ自分一人で抱えるのが好きなのよ」
 和宮は頬杖を突いて、フンと鼻を鳴らした。
「恐れながら、上様には、慶喜殿の動向を探りたいお考えだったのでは」
「そんなこと分かってるわよ、あたしだって知りたいもん。問題は、何でそれを一人でやろうとしてるかってことよ!」
 和宮の掌は、バン! と結構な音を立てて脇息へ振り下ろされる。しかし、邦子はビクともせずに流し目をくれた。
「では、宮様に伺いますが、仮に熾仁様と一対一で対話する機会があったら、上様にそれを相談なさいますか?」
「そっ……!」
 相談するわけないじゃない! という率直な文章が、脳内を右から左へ流れるが、口にするのはどうにか思い(とど)まる。
 熾仁との話し合いなんて、本来家茂には関係ない。言うなれば、和宮と熾仁の問題だ。
 恐らく、熾仁はまだ、和宮を諦め切れていないのだろう。立場を逆にすれば分からないこともないから、頭から突っぱねることは(はがか)られるが、別れ話の決着に、いくら何でも夫を巻き込むわけにはいかない。
 それを思えば、家茂が、彼と慶喜との間の問題解決に、和宮を巻き込むまいとした心理も、不本意ながら納得できてしまった。
「……巧いこと言ったわね、姉様」
「恐縮でございます」
「褒めてないから!」

***

「――御台(みだい)様のおなりでございます」

 三日後の文久(ぶんきゅう)二年十一月二十三日〔一八六三年一月十二日〕、押し掛けて来た勅使の二人に会う為に、和宮は崇哉の手で開かれた白書院の入り口を通った。
 上段に()を進めると、すでに勅使と対面していた幕閣のお歴々が、和宮を見上げて目を見開いている。
「これは、御台様」
「わざわざかような所へお運びを……」
「構わぬ」
 和宮は鷹揚(おうよう)に言って、上座の、本来なら家茂が座する場所へ腰を下ろした。
 今日は、武家風に着付けた打ち掛けが、かすかに衣擦れの音を立てる。
「郷里から遠路遙々(はるばる)、勅使が参ったと聞けば、顔を出しておかねばなるまい」
「はあ……」
 幕臣たちは微妙な顔付きをして、曖昧に返事をした。ある者はこちらをチラチラと見、ある者は隣の者と互いに目を見交わしている。
 和宮から見て幕臣たちの手前に当たる場所へ、如何(いか)にも公家(くげ)でございますと言った格好の二人が座っていた。
「そなたたちが、勅使のお二人か」
「はい、和宮様」
 手前の二人が、同時に頭を下げる。
「お初にお目にかかりまする。わたくし、三条実美(さねとみ)と申します」
 三条実美と名乗った男は、年の頃は二十代半ばだろうか。面長の輪郭に、丸い目元と長い鼻筋、やや分厚い唇が微妙に顔の中央に寄った配置の容貌だ。
姉小路(あねがこうじ)公知(きんとも)でございます」
 続いて名乗った姉小路公知は、輪郭は実美より幅広で、凛々しい眉と、口元に短く整えた髭が印象的だった。輪郭に合わせるような、ふくよかな体格も相俟(あいま)り、実美よりもいくつか年上に見える。
 和宮は、また鷹揚に頷いて、「(おもて)を上げよ」と二人に命じた。
恐悦至極(きょうえつしごく)に存じ(たてまつ)ります」
 二人は、またも仲良く同時に言って、顔を上げた。
「お二人には、江戸入りから、かれこれ一月(ひとつき)ほどもお待ち下さったとか。折悪しく、上様が麻疹(はしか)罹患(りかん)されての。性質(タチ)の悪い伝染病ゆえ、お二人は(もと)より余人に感染(うつ)してはならぬと、面会謝絶状態であった。今も、病後の経過観察期間でな。あと三、四日は引見もままならぬ。どうか、お許しあれ」
 和宮は膝の前に指先を揃え、頭を下げる。すると、二人が「和宮様!」と泡を食ったように叫んだ。
「お顔を上げて下され! 仮にも先帝の内親王殿下が、臣下に頭を下げるなど、あってはならぬこと!」
「その通りです! お顔をお上げ下さりませ、和宮様!」
 二人の必死に聞こえる説得に、和宮は吹き出しそうになった。二人に見えない角度になった顔が、笑いの形に歪むのを押さえられない。しかし、顔を上げた時には、どうにかその笑いは収める。
「ところで、お二人には本日、上様を通さずに済ませられる用件を先に言上(ごんじょう)したいとか。なれば、上様に代わってわたくしが伺おう。申してみよ」
「御台様!」
 幕臣の中の誰かが叫んだようだったが、和宮は冷ややかに彼らを睨み据えた。
「控えよ。今は、勅使のお二人とわたくしが話しているのだ」
「ですが、ことは(まつりごと)に関することですゆえ」
「政に、わたくしが関わってはならぬとでも言うのか。その理由は何だ。わたくしが、皇女という名の小娘、女に過ぎぬからか。だが、そなたたちは誰から生まれた。そなたたちの母君は、()の子か?」
 一瞬、話の筋が逸れたように思えたのだろう。幕臣たちは再度、互いの目を見交わしたが、言い返す言葉を思い付けないようだ。
 その隙に、和宮は躊躇なく踏み込む。
「そもそもが、そなたたちの言う()とやらによって、わたくしのそれまでの生活は壊されたのだぞ。そなたたちの都合によって、わたくしはここにいるのだ。ましてや、今のわたくしは、そなたたちの(あるじ)、徳川十四代将軍の正室ぞ。口を差し控えるのはそなたらのほうだということが分からぬのか」
 スッと背筋を伸ばして、幕臣たちを睥睨(へいげい)してやる。彼らは、今度こそ悔しげに口を閉じた。
 その理由は、和宮の圧に臆したから、とか、和宮を当代将軍御台所(みだいどころ)と認めたからではないことくらい、和宮にも分かっている。
 彼らは、自分たちが言い返したことが、勅使を通して兄帝の耳に入るのが恐ろしいのだ。それによって、幕府の立場が今より傾くことを、何よりも恐れている。
 和宮は、静かに息を()きながら、顎を引いた。
 これから、奥女中たちだけでなく、幕臣たち(彼ら)とも渡り合っていかなくてはならないことを思うと、一口には言えない感情が、身体の芯から突き上がって来る。
 けれど、和宮のほうこそ、それに臆してはいられない。臆している余裕などない。
 幕臣が、それ以上何も言わないと見て取ると、和宮は勅使たちに視線を戻した。
「……すまない。中々、家格と身分上下の道理が分からぬ者らでな。不作法の程は、無知の者のやることと思うて、水に流して欲しい」
 思わぬ嫌みにか、幕臣たちは露骨に顔を(しか)めた。それを眺めて、和宮は内心溜飲を下げつつ、顔に嘲笑が浮かんでいないかを、鏡で確かめたくなる。
 今となっては和宮も、武家の人間たちを、『皇族よりも格下で卑しい』と思う価値観は大分(だいぶ)薄れているので、今現在の本心ではない。ただ、幕臣たちに聞かせる嫌みの口実としては、丁度いいというだけのことだ。
「遅くなったが、本題に入ろう。そなたたちの用件を、聞かせて欲しい」
「恐れ入ります」
 口を開いたのは、実美だ。
「我々が主上(おかみ)より(おお)せ付かりましたのは、一つには、いい加減幕府に攘夷を推進して欲しいという(めい)を伝えること。宮様ご降嫁の約定の第一はそのことであることは、宮様にもご存知であらしゃいましょうが」
 和宮は、唇を噛んだ。暗に、『自分(かずのみや)も、幕府に攘夷を推進するよう働き掛けることを何もしていないのでは』と責められている気分になる。
(……でも、できないのよ。仕方ないじゃない)
 口に出したい衝動を、どうにか捩じ伏せる合間に、実美は「第二に」と挟んで言葉を継いだ。
「宮様に、我らが言上(ごんじょう)(つかまつ)りたいのは、こちらでございますが――この(たび)、宮様にはお(よろこ)び申し上げます」
「は?」
 突然『お慶び』などと言われて、首を傾げる和宮の前で、勅使の二人がまた揃って頭を下げ、すぐに上体を元へ戻した。
「此度、ご叡慮(えいりょ)により、宮様の大奥でのお呼称、『御台様』などという武家の妻としての呼称を廃し、『和宮様』と御改(おんあらた)められますよう、勅令が下りましてございます」
「何ですって?」
 和宮は、眉を(しか)める。それに構うことなく、公知のほうが、その身体を半身に下げ、彼の背後に居並ぶ幕臣に目を向けた。
「そういうことです。そのほうらも、今後宮様に『御台様』などと下賤な呼び掛けはなさりませぬよう」
「バカな!」
「そんな横暴な……!」
「お断りします」
 ざわめく幕臣の中、凛と告げると、幕臣はもちろん、勅使の二人も(はじ)かれたように和宮を見つめる。
「……恐れ入りますが、和宮様。今、何と(おお)せに?」
「主上にはまこと、恐れ多きことなれど、此度のその御命(ごめい)、わたくしは拝領することはできませぬ」
何故(なにゆえ)です!」
 噛み付くように叫んだのは、実美のほうだ。
「これは、帝のご意思なのですぞ!」
「そなたの言う通り、わたくしの呼称に関して、(めい)を発したのは、この国の帝。すなわち、この国の最高権力者の(めい)。通常なら伏し(おが)み、(はい)(たてまつ)るのが臣下の務めです。しかし、臣下にとて、心はあります。(いのち)()しても、心を曲げることはできませぬ」
「しかし……!」
「ご不安であれば、わたくしが直接主上に(ふみ)を書きます。そなたたちには預けるのはわたくしが不安ゆえ、信頼できる者に頼みますが……」
「和宮様!」
「わたくしは一度、そなたたちの思惑によって心を曲げました! 曲げたくもない心をです!!
 実美にかぶせるように、和宮も声を(あら)らげる。すると、実美は瞬時、(ひる)んだように息を呑んだ。
「……江戸へ嫁いで、様々なことがありましたが、今、わたくしは上様と心の底から想い合うようになり、幸せを感じております。上様と共にいる幸せを守る為ならば、呼び名など些細なこと。それを殊更大袈裟に騒ぎ立てた昔の自分を、深く恥じております。その時に、庭田典侍(ないしのすけ)辺りが主上にそれを言上奉ったのでしょうが、その()も色々なことがあり、わたくし(みずか)ら、呼び名に関することの撤回の(ふみ)を書くことができなんだのは、わたくしの落ち度です。よって、わたくしが叡慮をお受けできぬことによる(とが)は、そなたたちに掛からぬようにいたします。安心なさい」
 実美も公知も、開いた口が塞がらない(てい)で、(おか)に打ち上げられた魚の(ごと)く、口をパクパクさせるばかりだ。
「し、かし……」
 辛うじて言葉を発そうとしたのは、やはり実美のほうだ。和宮は、彼に冷え切った目線を向けた。
「くどい。確かにそなたたちは、帝の勅令を拝命し、得意満面で江戸へ下られたのであろう。されど、主上がこの場にあらしゃらない今、そのほうらの立場は、正真正銘皇妹であり、内親王であるわたくしより下なのは、お分かりか」
 言葉に詰まったのか、実美は唇を噛み締め、和宮を()め上げる。身分を盾に取られては、反駁(はんばく)できないのが公家の(つね)だ。加えて、先刻和宮が言った通り、和宮(こちら)の人生を理不尽に捩じ曲げた自覚はあるようだ。
 だが、言葉で反論できない代わりに、表情には本音が現れる。和宮は、今度こそ、ふん、と鳴らした鼻に、嘲笑の吐息を乗せた。
「そなたたちにも心はあろう。遠慮なく反論してよいのだぞ」
「は……?」
「わたくしの『心』だけ主張し、そなたたちには身分で反論を封じるのは、確かに公正ではない。よかろう。言い分を聞こうではないか」
 実美は、またも陸に打ち上げられた魚になった。公知に至っては、『どうしたらいいか分からない』と、顔全体で言っている。
 しばらく待ってみたが、突然これまでの慣習(かんしゅう)(くつがえ)し、上の身分の者に、心のままに物申せという要求が、彼らには土台無理な話らしい。
 続く沈黙を、結局、和宮は自分で破ることにした。
「……分かった。申したき儀がなければ、わたくしはこれにて失礼する」
 腰を浮かせ、立ち上がると、実美が顔を上げる。
「かっ、和宮様! お呼称の件は」
「言っておくが、大奥にまで通達を通すことは、大奥を()べる御台所であるわたくしが許さぬ」
 しゃんと背筋を伸ばした和宮は、顎を引いてその場にいる男たちを、もう一度睥睨する。
「第一、江戸城大奥の(おさ)たるわたくしがどう呼ばれようと、朝廷には関わりなきこと。まして、正式な呼称で呼ばれることを責められる謂われはない」
 またも静まり返った男たちを見渡し、和宮は言葉を継いだ。
「だが、この通りのことを、そなたたちが直接、主上に申し上げる義理も義務もない。先にも申したが、わたくしの奥での呼称については、できるだけ早い内に、わたくし(みずか)ら主上に文を(したた)める。ゆえに、主上からご下問があれば、そうお答えせよ。その旨も一筆、書いておいて遣わすゆえ、安心するがよい」
 言いながら、最早勅使からの言上は受けぬということを態度で示すように、和宮は打ち掛けの裾を素早く(さば)いた。
 そして、幕臣たちに流し目をくれる。
「そなたたち。お客人のお帰りだ。失礼のないよう、丁重にお見送りせよ。また、上様がご快復次第、こちらから連絡するゆえ、次はその時に参るよう、よく頼んでおけ」
 勅使がまだ目の前にいるにも(かか)わらず、幕臣たちに向けて重々しく告げると、和宮は出口へ向けて歩を進めた。

©️神蔵 眞吹2024.
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【和宮親子内親王《かずのみや ちかこ ないしんのう》(登場時、7歳)】


生年月日/弘化3年閏5月10日(1846年7月3日)

性別/女

血液型/AB

身長/143センチ 体重/34キロ(将来的に身長/155センチ 体重/45キロ)


この物語の主人公。


丙午生まれの女児は夫を食い殺すと言う言い伝えの為、2歳の時に年替えの儀を行い、弘化2年12月21日(1846年1月19日)生まれとなる。

実年齢5歳の時、有栖川宮熾仁親王と婚約するが、幕閣と朝廷の思惑により、別れることになる。

納得できず、一度は熾仁と駆け落ちしようとするが……。

【徳川 家茂《とくがわ いえもち》(登場時、15歳)】

□幼名:菊千代《きくちよ》→慶福《よしとみ》


生年月日/弘化3年閏5月24日(1846年7月17日)

性別/男

血液型/A

身長/150センチ 体重/40キロ(将来的には、身長/160センチ、体重/48キロ)


この物語のもう一人の主人公で、和宮の夫。


3歳で紀州藩主の座に就き、5歳で元服。

7歳の頃、乳母・浪江《なみえ》が檀家として縁のある善光寺の住職・広海上人の次女・柊和《ひな》(12)と知り合い、親しくなっていく。

12歳の時に、井伊 直弼《いい なおすけ》の大老就任により、十四代将軍に決まり、就任。この年、倫宮《みちのみや》則子《のりこ》女王(8)との縁談が持ち上がっていたが、解消。


13歳の時には柊和(18)も奥入りするが、翌年には和宮との縁談が持ち上がり、幕閣と大奥の上層部に邪魔と断じられた柊和(19)を失う。

その元凶と、一度は和宮に恨みを抱くが……。

【有栖川宮熾仁親王《ありすがわのみや たるひと しんのう》(登場時、18歳)】


生年月日/天保6年2月19日(1835年3月17日)

性別/男


5歳の和宮と、16歳の時に婚約。

和宮の亡き父の猶子となっている為、戸籍上は兄妹でもあるという不思議な関係。

和宮のことは、異性ではなく可愛い妹程度にしか思っていなかったが、公武合体策により和宮と別れる羽目になる。

本人としては、この時初めて彼女への愛を自覚したと思っているが……。

【土御門 邦子《つちみかど くにこ》(登場時、11歳)】


生年月日/天保13(1842)年10月12日

性別/女


和宮の侍女兼護衛。

陰陽師の家系である土御門家に生まれ、戦巫女として教育を受けた。

女だてらに武芸十八般どんと来い。

【天璋院《てんしょういん》/敬子《すみこ》(登場時、25歳)】

□名前の変転:一《かつ》→市《いち》→篤《あつ》→敬子


生年月日/天保6年12月19日(1836年2月5日)

性別/女


先代将軍・家定《いえさだ》の正室で、先代御台所《みだいどころ》。

戸籍上の、家茂の母。


17歳で、従兄である薩摩藩主・島津 斉彬《しまづ なりあきら》(44)の養女となる。この時、本姓と諱《いみな》は源 篤子《みなもとのあつこ》となる。

20歳の時、時の右大臣・近衛 忠煕《このえ ただひろ》の養女となり、名を藤原 敬子《ふじわらの すみこ》と改める。この年の11月、第13代将軍・家定の正室になるが、二年後、夫(享年34)に先立たれ、落飾して、天璋院を名乗っている。

生まれ育った環境による価値観の違いから、初対面時には和宮と対立するが……。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み