5 方丈の庵

文字数 4,214文字

5 方丈の庵
 長明は庵に住むまでの自らの人生について次のように振り返っている。

我が身、父の方の祖母の家をつたへて、久しく彼所に住む。そののち縁かけ、身おとろへて、しのぶかたがたしげかりしかば、つひにあととむることを得ずして、三十餘にして、更に我が心と一の庵をむすぶ。これをありしすまひになずらふるに、十分が一なり。たゞ居屋ばかりをかまへて、はかばかしくは屋を造るにおよばず。わづかについひぢをつけりといへども、門たつるたづきなし。竹を柱として、車やどりとせり。雪ふり風吹くごとに、危ふからずしもあらず。所は河原近ければ、水の難も深く、白波のおそれもさわがし。

 鴨長明の父は鴨長継(ながつぐ)で、その母が彼にとっての祖母である。彼女の元に長くいたが、だんだん家が衰えて、名残惜しかったけれど、彼は出て、前の10分の1程度の大きさの庵に住み始める。それは30歳すぎのことである。ここの記述は周防内侍(すおうのないし)の『金葉和歌集』591の「住みわびて我さへ軒の忍草 しのぶかたがたしげき宿かな」を典拠にしている。これは近親者が他界したことにより家を後にせざるを得ない心情の歌である。そこから長明にも同様の事情があったと推察できよう。

 近代文学と違い、当時は規範の共有を前提にして創作・鑑賞が成り立っている。自身の境遇をそうした知識から離れて説明することは、美意識の分かち合いを無視することになってしまう。当時、人生のエピソードが内面に影響して作品に反映し、それを鑑賞の手掛かりにする慣習はない。読者として想定されていない近代人が古典を読む際、彼らの規範を知っておかなければならない。

 知らないと、「ところ河原近ければ、水難も深く、白波のおそれも騒がし」も誤解しかねない。「河原」や「水難」とあるから、「白波」が河の波のことだと勘違いする可能性がある。「白波」は、歌舞伎の「白浪物」が物語るように、盗賊のことである。これは関大末期に起きた農民反乱の黄巾の乱に由来する。太平道の教祖張角を指導者に、その信者は白波谷に立てこもる。彼らは略奪なども行ったため、人々から「白波賊」と恐れられている。このエピソードが日本に伝わって訓読みされ、「しらなみ」盗賊の意味で使われるようになる。

 庵と言っても、牛車があるのだから、正直、粗末という印象はない。ただ、長明は柱に木材ではなく、竹を利用している。これは隠者の住処の象徴である。この時点では隠者に憧れつつ、実際にはそうでもなく、いわゆる「なんちゃって庵」に住んでいたのだろう。長明も最初は隠者を気取っていというわけだ。

 しかし、50歳から本格的な隠遁生活に入ったと次のように述べている。

すべてあらぬ世を念じ過ぐしつゝ、心をなやませることは、三十餘年なり。その間をりをりのたがひめに、おのづから短き運をさとりぬ。すなはち五十の春をむかへて、家をいで世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず、何につけてか執をとゞめむ。むなしく大原山の雲にふして、またいくそばくの春秋をかへぬる。

 だいたいにおいて生き難い時代で、30年以上我慢してきたが、結局、運がないと長明は自覚するに至る。そこで、彼は50歳の時に出家する。妻子も職もないので、世捨て人になっても面倒はない。その後、5年ほど大原山に住むことになる。

 非常に簡素なバイオグラフィーである。もっとも、多くの研究の成果により長明の生涯について相当程度明らかになっている。ただ、彼は近代人ではない。作者の人生のエピソードが作品に反映し、読者もそれを鑑賞の手掛かりにするような理解は前近代作品にふさわしくない。長明を自分たちに近づけて読むことは、近代人のおごりである。

 長明は、60歳になって、京都の郊外にある日野山(現京都市伏見区日野)に庵を建て、生活を始める。これが方丈の庵である。そこで書き綴った随筆なので、長明はそれを『方丈記』と名付けている。彼はその庵について次のように述べている。

こゝに六十の露消えがたに及びて、さらに末葉のやどりを結べることあり。いはゞ狩人のひとよの宿をつくり、老いたるかひこのまゆをいとなむがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだもおよばず。とかくいふ程に、よはひは年々にかたぶき、すみかはをりをりにせばし。その家のありさまよのつねにも似ず、廣さはわづかに方丈、高さは七尺が内なり。所をおもひ定めざるがゆゑに、地をしめて造らず。土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。そのあらため造るとき、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二輌なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。

 鴨川の河原に建てたなんちゃって庵の100分の1と言うから、この住居は隠者の住む真の庵だろう。庵の床の寸法は方丈である。「丈」は10尺、「方」は正方形を意味する。方丈は縦横約3mの正方形である。2畳が1坪、すなわち3.3平方mなので、5畳半程度の床面積である。『方丈記』というタイトルはこの間取りに由来しているが、かぐや姫の『神田川』の「三畳一間の小さな下宿」よりも広い。また、庵の高さが7尺、すなわち約2m10cmである。現在の日本の一戸建てにおける部屋の標準的天井高は2m20cm~2m40cmである。それと比べると低いけれども、当時は椅子を使わないので、想像より圧迫感はないように思われる。長明は、後に触れるように、この方丈の庵で音楽を楽しんでおり、それは1970年代に流行した四畳半フォークを思わせる光景である。

 年齢を重ねて、住居が小さくなってきたと長明は言う。精神的・身体的変化に応じて欲する居住空間が変わってきたというわけだ。確かに、部屋のサイズが人間の心理に与える影響は決して小さくない。

 自宅に戻った後の記事であるが、矢澤秀範= 松井聡記者は、『毎日新聞』2021年5月25日 22:08更新「入国者の我慢で成り立つ日本の水際対策 つきまとう『後手』批判」において、検疫所が確保する宿泊施設で間待機中の帰国者の行動について次のような生活を紹介している。

 厚労省幹部は「指定宿泊施設は部屋も小さく、刑務所より待遇が悪い。3泊でも精神的に追い詰められ、脱走や自殺をしようとしたり、部屋で暴れたりする事件が実際に起きている」と吐露する。

 居住空間のサイズを小さくすると、圧迫感を覚え、緊張感が生じる。それにより心理的に追いつめられて、正常ではない認知行動に至ってしまう。部屋のサイズの人間に対する認知行動への影響は軽んずるべきではない。

 長明は、以前、なんちゃって庵で暮らしていたが、それは当時の精神的的・身体的欲求に敵っていたからだろう。しかし、還暦をすぎると、方丈の庵を求めるようになる。

 無常の対義語は常住である。この庵はたんに簡素なのではなく、モービルホーム、すなわち移動式組み立て住居である。モンゴルのゲルがよく知られ、最近は日本にも輸入されている。長明は荷車2台で持ち運び可能と記している。これはおそらく人力荷車と思われるので、大八車程度と推測できる。現代的に言うと、ライトバン1台で移動可能ということになろう。『方丈記』の前半で繰り返し書いていたように、住居も常住ではなく、無常であるから、モービルホームが望ましい。

 ところで、八幡平の別荘を「笑蝉荘(しょうせんそう)」と呼んでいる。5月末頃から雑木林でエゾハルゼミが鳴き始める。その鳴き声は蝉時雨のような生易しいものではない。蝉スコールである。エゾハルゼミにはいくつかの鳴き声がある。中でも最も響くのは「ケケケケケ」で、それは笑い声に聞こえる。だから、エゾハルゼミを「ワライゼミ」と呼んでいる。それから別荘をそう名づけている。

 エゾハルゼミに始まり秋を迎えるまで雑木林は蝉の鳴き声が絶えることはない。午前6時頃から午後6時頃に至る半日、雨降りの際にはかすかになるものの、蝉の鳴き声が響き渡る。7月の下旬にもなると、朝昼晩と違う種類の蝉の鳴き声が聞こえてくる。鳥の鳴き声も時々聞こえるが、雑木林を支配しているのは蝉である。空蝉はこの世のはかなさを指すとされている。しかし、この雑木林ではそうではない。蝉は自然の生命力を最も感じさせる、

 荘は四方を雑木林に囲まれている。ただ、玄関のある南側だけは舗装道があるが、荘地の端に位置するここで行き止まりになる。別荘の床面積は都内のマンションの2DK程度で、自動車1台分の車庫が併設されている。

 炊事は電気、風呂と暖房は灯油を利用している。エアコンはない。水は夏でも冷たい。風呂には温泉を引いているが、ここに来るまでに温度が下がってしまうので、入浴の際には温め直す必要がある。

 訪れる度にいつも祈ることはボイラーが正常に作動することだ。何しろ、古いので、いつおかしくなっても不思議ではない。湯治が目的だから、お湯が沸かないのでは来た甲斐がない。浴槽は人研石のタイル張り、給湯は熱くなったり、ぬるくなったりのリズムを繰り返しながらで、お湯が溜まるのに正味1時間はかかる。

 雑木林の中だけに、虫は多い。季節にもよるが、ハエやカメムシ、黒い小虫など屋内でよく見かける。ハチも、2階の軒下に巣をつくっているので、駆除を業者に依頼する必要がある。

 しかし、ネズミはもっと厄介だ。ネズミは石鹸を始め固形物をかじったり、便器の中で死んでいたりすることがある。そのため、退治用のえさをしかけておくのだが、それを家のあちこちに隠している。暖房の灯油のパイプの隙間に詰めこんでいたこともある。荘に到着して荷物を置いたら、すぐに家中の掃除を始める。その時、最もため息が出るのはネズミのえさの始末だ。

 最も邪魔くさいのはベンジョコオロギだ。家中をぴょんぴょん跳ねまわっている。夜眠っている時に、耳の穴に入られて跳び起きたことがある。それ以来、夜は2階で寝るようにしている。ゴキブリホイホイを屋内のあちこちに置き、業者に駆除を依頼したが、それでも時折出てくる。

 『方丈記』には、動物の煩わしさはあまり出てこない。山中のモービルホームだから、さまざまな動物と遭遇したと思えるが、その苦労の記述はない。どうやって動物対策をしていたのか興味がわくところである。
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