指定席

文字数 2,366文字

 


 僕はパティシェの端くれ、もちろん製菓専門学校は出たけれど、海外で修行したり有名パティシェの弟子になったりはしていない、元々母親が小さな喫茶店をやっていたのでそれを継いだような格好で、ケーキの小売と喫茶店を兼ねたような店をやっているんだ。
 僕のケーキは悪く言えば素人っぽい、良く言えばハンドメイド感溢れるものなんだけど、近くに女子大があるせいもあってそこそこ繁盛している。

 31歳、独身、イケメンだと主張したら逆に笑われそうだけど、割とひょうきんな性質だし人当たりが良い事だけは自負しても許されると思ってる、しかもケーキ職人と言う、女の子にはなじみやすい仕事で、人畜無害に見えるだろうから、女の子にはこれで結構人気があるんだ、ま、安全パイとしてだろうけどね。

 で、この娘……。

 店にやってくる娘たちのほとんどは何人かでつるんでやって来て、にぎやかにお喋りして行くんだけど、彼女はいつも一人でやって来る。

 店にはテーブル席がいくつかとカウンター席があるんだけど、彼女はいつもカウンターの一番奥の席に座る。
 そこが埋まっているという事は満席ということなんだ、なぜなら、後ろが洗面所の壁になっていてちょっと狭いし、いかにも隅っこの席と言う感じだから、好き好んでそこに座るお客さんはまずいないんだ、だから、ほとんど彼女の指定席みたいになってる。
 そして、大抵は本を読むかスマホを弄ってる、スマホでも小説を読んでる事が多いみたい。
 でも、暗いという感じはしないんだ、自分の世界を持ってる物静かな女の子って感じだな、話しかけるときちんと顔を上げて、こっちの目を見ながら応対してくれるしね。

 白状するよ……結構気になってるんだ。
 女子大生ってことは二十歳前後なわけで、僕とは年齢的につりあわないんだけど、ほら、僕も一応独身だし……。

 

 その日はいつもより店が空いていた。
 なにしろ二月十四日に女の子同士でお喋りしているのは「カレシも好きな人もいません」と白状しているようなものだからね、でも、彼女はやっぱり一人でやって来て、いつもの指定席で静かに本を読んでいた。
 いつもよりも少ないお客さんの最後から二人目が出て行くと、彼女も席を立った、そして、会計を済ませると、小さな包みを差し出したんだ。
「あの……ケーキ屋さんにこんなものお渡しするのはヘンですけど」
「え? これって……悪いなぁ、ケーキ屋にまで義理チョコくれなくてもいいのに」
 自分でも無粋なことを言ってるとわかってたよ、彼女は嬉々として義理チョコを配って恩を売るようなタイプじゃないこと位わかってたんだけど、女子大生相手の商売で軽口を返すのが習い性になってたみたいだ……。
 その瞳をちょっと曇らせて、さっと出て行ってしまった彼女にちゃんと声を掛けてあげられなかったのは、カノジョいない歴が長い男のダメなところだな、もっとも、そんなんだからカノジョいない歴が長くなるのかも知れないけどね。
 小さな包みの中身は言うまでも無いだろう? 甘すぎず、苦すぎず……心の篭った手作りチョコだったよ。


 それからしばらく、彼女は店に来てくれなかった。
 正直に認める、もう気が気じゃなかったよ、怒っちゃってもう来てくれないんじゃないかってね。
 でも、二月ももうすぐ終わりと言うある日、ケーキの仕込が一段落ついて、テーブルを拭いていると、入り口の小さなテントの下にたたずんでいる彼女を見つけたんだ。
 今度は我ながら電光石火だったね、すぐにドアを開けて彼女を店に迎え入れたさ。

「まだ早すぎますよね……」
「全然構わないよ、外は寒かったんじゃない?」
「ちょっと……二限目が臨時休講になっちゃったものだから……」
「とにかく何か温まるものを……いつもの紅茶で良い?」
「はい……わぁ、いい匂いですね」
 オーブンに入れたケーキが焼けている匂い……僕もこの匂いの中にいると幸せな気分になるんだ。
「まだ生クリームとか仕込んでないんだけど……スポンジだけでも食べる? 焼き立てだよ」
「いいんですか?」

 いいに決まってる、このチャンスを逃してなるものかと思ったね。
「あら?……これ……」
「こないだのチョコのお礼にと思って」
 スポンジを盛った皿、そのフォークの脇に、この二週間用意してありながら渡せなかった、ユリの模様のカメオがついたピアスを添えて彼女の前に出したんだ……洒落た真似をするって? ははは、そうじゃないんだ、僕には、改まって『プレゼントがあるんだ』なんて言えないからさ……。
「こんな高価なものを……」
「いや、そうでもないんだよ、デパートへ言って相談したら、最初のプレゼントならこれ位の値段のものがいいでしょうとか言われてさ、指輪とかも早すぎるって、ピアスがよろしいのでは? とか言うんだ、ユリの模様を選んだらさ、花言葉をご存知ですか? とか……」
 まったく、どうでもいいようなことをペラペラと喋ったと自分でも思うよ。
 おかげで彼女はタートルのセーターを引っ張り上げて顔を隠しちゃうし……。

 え? ピアスを贈る意味? あのさ、これ、受け売りだぜ……『いつもあなたと共にいたい』……って言うことらしいよ……ユリの花言葉? あ、これは彼女にぴったりだと思ったんだ、『純粋、純潔』なんだそうだよ……あ~、こんなこと話すと照れくさくて汗かいちまうよ。

 うん、彼女は今日も店に来てくれたよ、いつもの指定席にね。
 ああ、ユリのカメオのピアスをつけてね……彼女がにっこりしてくれると、あれがまたいい感じに揺れるんだよ……。


(終)
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