第1話

文字数 2,610文字

 先月、美佐は二十四歳になったばかり。
 服飾デザインの専門学校を卒業してからOLをやっている。
 幼いころよりおしゃれに興味を抱いていて、ファッションモデルかデザイナーになることが夢であった。
 だが現実は厳しく、モデルのオーディションに挑戦しては落ちまくり、百枚を越えるデザイン画を、何社ものファッション関連の企業に送ってみたが、快い返事をもらったことは一度もなかった。
 どうにか三流ファッション雑誌の編集部に潜り込んだものの、ライターどころか、まともな仕事さえ与えてもらえず、お茶くみなどの雑用係に甘んじるしかなかった。
 専門学校もそうだが、中学高校とずっと女子高だったので男性経験は一切なし。職場には女性しかおらず、出会いを求めたところで叶いそうもなかった。
 美佐にはファッション以外にもう一つ趣味があった。
 それはアニメを鑑賞すること。小学生の時、セーラームーンの再放送を見て以来、すっかりハマってしまったのだ。
 部屋にはアニメ関係のの雑誌やDVDが並び、お気に入りのアニメのポスターに囲まれ、数は多くないがフィギュアも飾っている。
 家族にも内緒にしているが、同人誌も書いていて、年に一度の夏コミにここ数年、出品していた。

 そんな美佐にも親友と呼べる存在がいた。専門学校時代に知り合った、絵理という女性である。
 彼女は一つ年上だが、控えめな性格が美佐とよく似ていて、気の置けない間柄だった。彼女もこれまで男性とお付き合いをしたことがなく、週末ともなれば、二人してどちらかの部屋にこもり(絵理の場合が多い)、漫画を読んだり映画やアニメのDVDを鑑賞していた。夜は夜で、大抵朝方まで呑み明かすのがお決まりのコースになっている。
 何より美佐を安心させたのは、絵理のルックスが自分よりも劣っていたからだ。これは主観ではなく、客観的事実である。
 ごくたまに二人で出かけている時声をかけられるのは、決まって美佐の方。ゆえに決して自意識過剰ではない。絵理と一緒だと、男性の縁のない自分にも自信が持てたのだ。

 ある日、仕事帰りにコンビニにより、ファッション雑誌をパラパラとめくっている時だった。ラックに戻そうとしたら、男性と手が触れ合ってしまった。
 慌ててひっこめるも、思わず体中が熱くなり、顔をそむけた。
「ごめんなさい」男は丁寧に謝罪すると、コミック雑誌を手にしながらレジカウンターに向かった。
 ちらりとしか見えなかったが、彼はスポーツマンタイプの爽やかな印象があり、ドキドキ感が止まらない。
 しかし、私なんか相手にするわけがないと、下を向いていると、なんと彼の方から話しかけてきた。
「先ほどは失礼しました。お詫びといったらなんですが、よろしければ今から一緒にお茶でもいかがです? もちろん僕のおごりです」
 石鹸の仄かな香りが鼻を突き、口元の右側にある大きなホクロが、却って凛々しさを際立たせている。
 ナンパされるのは初めてでは無いが、美佐は動揺を隠せないでいた。応じるか否か返事をこまねいていると、彼は半ば強引に腕をつかみ、そのままコンビニから連れ出した。
 そして、躊躇する間もなくスポーツカーに乗せられると、そのままドライブをすることになった。
 彼はアクセルを吹かしながらハンドルを切り、エンジン音にかき消されないためなのか、ことさら大声を上げた。
「いきなりでごめんなさい。驚いたよね? もし気分を害したのであれば、素直に謝ります。ですが、僕は君のことが本気で好きになりました。いわゆる一目惚れという奴です。付き合ってくれとは言いません。せめて食事だけでもおごらせてください」
 そういうと彼は再びハンドルを切り、海岸沿いに出ると、しばらくしてレストランの駐車場に入った。雑誌で見た覚えのある高級イタリアンだった。
「ここでいい? 普段は予約が取れない店だけど、僕は顔が利くから、いきなりでも大丈夫だと思うよ」
 まるで少女漫画のような展開に、夢でも見ているのではないかという錯覚に陥ってしまう。だが、目の前で起こっていることは現実で間違いなく、断る理由など一つもなかった……。

「……そして岸部とかいうホクロの男と、その場で付き合うことになっちゃったんだ。おめでとう、美佐」
 彼との出会いのあった週末。美佐はさっそく絵理の部屋に向かい、そのことを報告した。
 予想通り彼女も祝福してくれて、嬉しいやら照れるやらで大忙し。普段よりツーランクも高いワインで乾杯をし、のろけ話に花が咲いた。

 その後もデートを重ね、五回目のデートで遂に男女の関係となった。
 絵理からはお金目当てじゃないかとからかわれるが、その可能性はないと断言できる。
 理由はこんなことがあったからだ。
 実際に、一度だけ岸部の自宅に招かれたことがあるが、見たこともない大豪邸で、十人を越す使用人が出迎えてくれた。
 彼の両親も紹介されて、お似合いだと歓迎されたのである。
 当然ながらこれまでお金を無心されたことは一度もなく、貯金の額すら訊かれていない。
 アニメについても打ち明けた。引かれるかと思ってずっと黙っていたのだ。岸部はアニメに興味が無かったが、それでも臆するどころか応援までしてくれた。
 次第に結婚も視野に入れるようになり、美佐は幸せの絶頂にいた。

 だが、そんな幸福は長続きせず、二人の関係はやがて暗礁に乗り上げていく。
 事の発端は、二人でファッションホテルにチェックインした際、岸部がシャワーを浴びている隙に、携帯をチラ見してしまった。
 というのも、最近の岸部は何処か余所余所しく、一緒にいてもどこか上の空。美佐としては浮気を疑っていたのである。
 案の定、岸部は他の女性とメールのやり取りをしていた。しかも、よりにもよって相手は絵理だったのだ。
「これはどういうことなの!」
 美佐はシャワー上がりの岸部に携帯を見せると、彼はうろたえながら白状した。
「……ゴメン。実は――」
 そこから先は聞きたくなかった。絵理との関係は既に深いものになっていて、美佐はその場で振られてしまったのである。
 美佐は大粒の涙をこぼしながら家路についた。
 何より悔しいのは、岸部に裏切られたことではなく、親友に寝取られたことでもなく、絵理が自分よりもブサイクだったという事実だった……。
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